浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

本日の模型工作

2015年12月17日 22時25分17秒 | 鉄道模型
今日の夕方は、マイクロエースの京阪800系・新シンボルマークと、山陽電鉄3050系・新塗装・新マークの車両へ色差しなどをする作業を行なった。
京阪800系は、屋上配管への色差しとクーラーのモールドへのスミ入れ、乗降用ドアのモールドへのスミ入れを行なった。
配管への色差しには、タミヤのエナメル塗料の明灰白色を使用し、クーラーへのスミ入れは、タミヤのスミ入れ用塗料のブラックを使用した。ドアのモールドへのスミ入れは、ガンダムマーカーのグレーを使用した。
山陽電鉄3050系は、乗降用ドアにスミ入れをした。スミ入れには、ガンダムマーカーのグレーを使用した。
そのあと、何時間か作業は中断。
夕食後、山陽電鉄3050系の行き先表示と種別表示のステッカーを貼る作業を行なった。
種別は「普通」、行き先は「姫路」を選んだ。いずれも、デザインナイフで切り取り、所定の場所へ貼った。なお、ステッカーの圧着には、爪楊枝の先を使用した。
こうして、山陽電鉄3050系・新塗装・新マークの4両編成は、完成車となり、当模型鉄道の所属車両となった。
いつかは、運転会などで走らせたいと思う。
なお、京阪800系は、時間の都合で、まだステッカーを貼っていない。後日貼って、完成車にしたいと思う。

以上が、本日の模型工作の内容である。
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モデルフェスティバル

2015年12月14日 21時04分15秒 | 鉄道模型
昨日13日は、岡山市の某所にある虹会の運転場で、モデルフェスティバルが行なわれた。
参加者各自が工作した鉄道模型車両を出品し、投票による採点によって、得票数を競うイベントである。
その日の出品者は17人だった。
Nゲージの出品者はわたし一人のみで、他の方はみんなHOゲージだった。
わたしは、119系5000番台をジオラマつきで出品し、走行はしなかった。







他の方は、HOゲージの車両を、虹会常設のHOゲージのレイアウトのエンドレスを走らせながら、作品について、説明をされていた。



まず、はじめは、虹会のメンバーの作品のEF58の客車急行列車が走った。



その次は、ドクターイエローである。四国から参加された方の作品である。



続いて、広島地区の新型電車の227系が走った。



その次は、213系の更新車である。



今回は、227系を出品された方が多かった。もちろん、全自作である。



次も、227系だった。



その次は、京阪3000系電車だった。









その次は、EF58牽引の特急列車で、塗色から、「青大将」とも呼ばれていた車両である。



次は、遠州電気鉄道の電動貨車で、ポールつきの車両の2両編成だった。



続いて、飯田線の旧型国電の2両編成が走った。



その次は、JR四国のキハ185とキクハ32形のアンパンマントロッコだった。



次は、広島地区の227系電車だった。



その次も、227系電車だが、8両連結で走った。



続いて、クモハ90形・事業用電車が出た。



その次は、ED70牽引の貨物列車である。



そして、最後に、115系の2両編成が出た。



優勝は、ドクターイエローだった。

このイベントでは、HOゲージなど、大型の模型は高い点数が入りやすいが、Nゲージなど小型の模型はあまり評価されない傾向がある。
最下位にはならなかったが、得票数はそれほど多くならなかった。

そのあとは、昼食をとりながら、模型や鉄道などの談話を楽しみ、夕方撤収し、帰路についた。
こうして、楽しい一日はあっという間に過ぎていった。

また、来年も参加したいと思う。
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JR東海119系5000番台製作記(その11)

2015年12月14日 20時45分05秒 | 鉄道模型
一昨日12日は、グリーンマックスのキットから製作中だった119系5000番台の製作作業を行なった。
まず、TAVASAのパーツを塗装してはめたシールドビームとテールライトの塗装の欠けをタッチアップ補修した。
そのあと、動力ユニットの動力ユニットとトレーラー台車の中間側台車のKATOカプラー化と、運転台側の台車のカプラー切り落としをした。
中間連結部となるほうの台車は、台車のカプラーポケットについているアーノルドカプラーを外し、KATOカプラーの密連形・グレーのAタイプを装着した。なお、カプラースプリングは、カプラーの水平を保つため、再度使用した。
運転台側につける台車のほうは、カプラーとスプリングを外したあと、カプラーポケットを切除した。
そのあと、動力ユニットに、クモハ119用の床下機器を取り付けた。取り付けの際には、旧いカタログの写真を参考にした。
また、クハ118用の床板は、乗務員扉の内側になる箇所をヤスリで削って隙間を作った。それは、あとで、乗務員ステップを取り付けるためである。
それから、クハ118に、クーラーやベンチレーター、無線アンテナ、信号炎管を取り付けた。取り付けには、ゴム系のクリアボンドを使用した。
そのあと、ヘッドライト(シールドビーム)とテールライトに、付属のレンズを取り付けた。取り付けには、少量の木工ボンドを使用した。
また、レンズを取り付けの際には、人差し指に貼った両面テープでパーツを保持した。
それから、前面窓にワイパーを取り付けた。ワイパーは、銀河モデルのWアームタイプを使用した。
なお、取り付ける前には、窓の下の部分に0.3mmのドリルで穴を開けた。
ワイパーの取り付けには、少量のゴム系のクリアボンドを使用した。
そのあと、クモハ119の車体と動力ユニットとを組み合わせた。また、トレーラー車となるクハ118のほうは、床下機器のついた床板をはめた。
それから、クハ118に、台車を取り付けた。はめ込むだけである。
続いて、クモハ119とクハ118の2両の車両に、ダミーカプラーを装着した。ダミーカプラーは、少量のゴム系接着剤で接着した。
そのあと、2両の車両の乗務員扉の下に乗務員ステップを取り付けた。使用したパーツは、銀河モデルの乗務員ステップ・新型車輌用(明灰色)で、パーツには取り付けるための糊しろがあり、そこにゴム系接着剤をつけて、車体の内側に接着した。
それから、前面と側面の行き先標示の部分に、キット付属のステッカーを貼った。行き先は、飯田線らしく「飯田」を選んだ。
こうして、119系5000番台の2両編成は、完成車両となり、当模型鉄道の所属車両になった。

昨日13日は、鉄道友の会のモデルフェスティバルに出品しました。
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JR東海119系5000番台製作記(その10)

2015年12月07日 22時23分42秒 | 鉄道模型
今日は、グリーンマックスのキットから製作中の119系5000番台の製作作業を行なった。
まずは、銀河モデルのパーツを使うことにした信号炎管の塗装を行なった。
金属製のパーツなので、メタルプライマーを塗り、乾燥後、Mrカラーの35番・明灰白色(三菱系)で塗装した。いずれも筆塗りである。
そのあと、車体に車番のインレタを転写した。使用したインレタは、ボナファイデの1M国電用である。
JRも転写予定だったが、今回は見送った。
なお、インレタを転写する際には、インレタをこする力で車体が割れないように、余剰の床板をはめ込んで行なった。
インレタの転写後、車体にクリアを吹く作業を行なった。
吹き付けには、エアブラシを使用した。
車体に吹き付けたクリアは、ガイアノーツの007番・クリアーを希釈したものである。
吹きつけは、数回に分けて行なったのはいうまでもない。
そのあと、パンタグラフを塗装した。塗装には、クレオスのMrレジンプライマー・サフェーサーを使用した。
それから、屋根を残して、車体にマスキングをして、屋根と床板、床下機器に、つや消しのクリアを吹いた。使用したクリア塗料は、ガイアノーツの008番・フラットクリアーを希釈したものである。数回に分けて吹いたが、あまり艶は消えなかった。
そのあと、信号炎管やクーラーを除く屋上機器の塗装を行なった。
塗装には、Mrカラーの35番・明灰白色(三菱系)にフラットベースを混ぜたものを使用し、エアブラシで吹き付けた。
こうして、吹き付け塗装を終えることができた。
そのあと、クモハ119の屋上配管に、タミヤのエナメル塗料の明灰白色で色差しをした。
また、妻板に一体成型されている貫通ホロは、タミヤのエナメル塗料のミディアムグレーで塗装した。それは筆塗りである。
乾燥後、各車両に、窓ガラスとシールドビーム、テールライトを取り付けた。いずれも、少量のゴム系接着剤(クリア)で接着した。なお、シールドビームとテールライトのレンズはまだ装着していない。
また、取り付け作業中、シールドビームなどの塗装が一部欠けてしまった。後日、タッチアップ補修をする予定。
そのあと、クモハ119系に、パンタグラフをのぞく、屋上機器などを取り付けた。ベンチレーターやクーラー、避雷器、アンテナ、信号炎管などである。いずれも、ゴム系のクリアボンドで接着した。
このブログを書いている時点では、まだクハ118の屋上機器は何も取り付けていない。

以上が、本日の工作内容である。
次回は、完成させたいと思う。
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通販で鉄道模型を購入

2015年12月06日 22時37分31秒 | 鉄道模型
今日の夕方、帰宅すると、某ネットショップからの荷物が届いていた。
鉄道模型製品を注文し、代金を送金していたからである。

今回購入したものは、以下のとおりである。
トミックス PT4811N形パンタグラフ  2セット
トミックス 国鉄 115-1000系近郊電車(湘南色) 基本セットB(4両) 1セット
トミーテック 鉄コレ 近江鉄道ED14(ED14-3) 1両
トミーテック TM-ED02 鉄コレ動力 電気機関車用(車輪径8.2mm) 1セット



PT4811N形パンタグラフは、鉄コレのNゲージ化に使用予定。
115系1000番台の4両編成は、改造・塗り替えの上、岡山更新色のA編成を作りたいと思う。
近江鉄道ED14は、欲しいと思ったので購入した。
TM-ED02動力ユニットは、ED14の動力化に使用予定。

以上が、今回の模型購入の内容である。
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和歌山ワンデートリップ(その3)

2015年12月05日 22時04分26秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月28日の昼頃は、和歌山駅にいた。
和歌山駅からは、和歌山電鐵の12時55分発の貴志行きの電車に乗った。
その日は、たま電車の編成が充当されていた。
車内は、たま電車目的と思われる人たちが多かった。
和歌山駅を発車した電車は、田中口、日前宮の順に、各駅に停車した。
車窓は市街地から郊外になり、住宅は一戸建てなど低層の建物が多くなり、田畑も多くなった。
また、線路が草ボウボウの箇所もあった。
日前宮は、和歌山電鐵の路線内に3つある列車交換可能駅の一つである。
日前宮を発車すると、神前、竈山、交通センター前、岡崎前の順に停車した。
岡崎前も、交換可能駅である。
岡崎前を発車すると、吉礼、伊太祈曽の順に停車した。
伊太祈曽駅は、伊太祁曽神社の最寄り駅として知られていて、和歌山電鐵の車庫などがある。
また、その駅も交換可能駅である。
伊太祈曽を発車した電車は、山東、大池遊園、西山口、甘露寺前、そして、終点の貴志の順に停車した。
貴志駅に着くと、電車を降りた。
わたしが乗ってきた、たま電車の車両は、折り返し、和歌山行きの電車になるが、ホームには、たま電車目的と思われるお客が多数いた。また、団体旅行者と思われる人たちもいた。



貴志駅は、ネコの駅長・たま駅長が居られた駅として知られている。6月22日にたま駅長は他界され、8月11日から、ニタマが二代目の駅長になっている。

駅舎もネコをイメージしたデザインのものに建てかえられていて、トイレもきれいな水洗トイレになっている。
また、ホームには、鳥居と祠がせっちされている。







ニタマ駅長の姿を見ることができたが、寝ていた。

また、駅舎内には、カフェがあり、飲み物のほか、たまグッズの販売もしている。
珈琲を飲みながら、休憩し、たま駅長のぬいぐるみなどを購入した。

それから、14時04分発の電車に乗った。







その日、その時刻の電車には、いちご電車の編成が充当されていた。
電車は2両編成で、もちろん、ワンマン運転である。
電車は、貴志駅を発車すると、甘露寺前、西山口、大池遊園の順に停車した。
大池遊園駅に止まると、わたしは下車した。



大池遊園駅は、駅舎のない無人駅だが、トイレは近代的な建物で、男女別のきれいな水洗式だった。

駅の外に出ると、線路沿いを、西山口方向へ少し歩いた。
その付近の道路には、駐車禁止の標識が建っているが、時間限定の上、期間限定という珍しいものだった。



駐車禁止となるのは、3月1日から4月30日までの7時から19時まで。
駅の近くには、桜の名所として知られる公園(大池遊園)がある。
おそらく、花見に来た人に路上駐車させないための規制であろう。

線路沿いを西山口方向へ少し歩いたところにある踏切付近には、田畑の向こうを電車が走るローカル線らしい構図で撮影できそうな場所があったので、上下何本かの電車を撮影した。









撮影した電車は、きいちゃん電車とたま電車の貴志行きと和歌山行きである。

その場所で撮影後、15時39分発の電車に乗るのだが、ある程度時間があったので、駅名の由来となった大池遊園にも行き、池を跨ぐ橋の上から、貴志行きのいちご電車を撮影した。



そのあと、大池遊園駅へ戻り、電車を待った。
大池遊園から乗った15時39分発の電車も、いちご電車だった。車内は、高校生などで混雑していた。
電車が、途中の伊太祈曽駅に止まると、下車した。







そして、トイレ休憩後、ホームに戻り、16時04分発の電車に乗った。
その日、その電車は、おもちゃ電車の編成が充当されていた。





おもちゃ電車の車内には、おもちゃを展示する棚や、おもちゃの販売機などが設置されている。











その電車は、伊太祈曽始発で、和歌山まで各駅に停車した。
16時23分に、終点の和歌山駅に着くと、下車した。



そして、和歌山電鐵のホームをあとにした。
それから、改札の外に出て、弁当などを購入して、JR阪和線のホームへ向かった。
和歌山からは、16時57分発の紀州路快速に乗った。
列車は、223系の4両編成で、途中の日根野から、前に4両編成の関空快速を連結する。
車内は、1列+2列の3列配置で、わたしは、1列の座席に座った。
乗車した車両は、最後尾の車両で、車番はクハ222-2506だった。
その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
和歌山駅を出発した紀州路快速は、紀伊中ノ島、六十谷、紀伊、山中渓、和泉鳥取、和泉砂川、新家、長滝の順に各駅に停車した。
外は徐々に暗くなり、空は曇っていった。
途中の日根野駅では、関空快速へ連結した。日根野からは、8両の列車となる。
日根野を出発すると、熊取、東岸和田、和泉府中の順に停車した。
途中、一度踏切で非常停車した。
そのため、列車が何分か遅れてしまった。
そのあとも、鳳、三国ヶ丘、堺市、天王寺の順に停車した。
車内は、徐々に混雑してきた。
天王寺からは、大阪環状線に入った。
そして、新今宮、大正、弁天町、西九条、福島、大阪の順に停車した。
大阪駅に止まると、下車して、神戸線の乗り場へ向かった。
本来は、18時45分発の新快速に乗るつもりだったが、その日は、平日ダイヤで、18時37分発の大阪始発の3505M・新快速・姫路行きが運転されていたので、そちらに乗ることにした。
既に多数の乗客がいて、大阪では座れなかった。
新快速電車は、大阪を出発すると、尼崎、芦屋、三ノ宮の順に停車した。三ノ宮では、多数の下車客がいたので、通路側に座ることができた。
そのあとは、神戸、明石、西明石、加古川、そして、終点、姫路の順に停車した。
姫路からは、19時46分発の岡山行きに乗り換えることができるが、既に混雑していたので、その列車には乗らず、20時35分発の1339Mを待った。
その列車は、福山行きの普通列車である。115系の4両編成で運転されていて、その日、わたしが乗車した車両は、先頭の車両で、車番はクハ115-1219だった。
列車は、姫路駅を出発すると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生、有年、上郡の順に停車した。
上郡を出発すると、船坂峠を通る。しばらく走ると、船坂トンネルに入り、岡山県に入った。
それから、まもなく、三石駅に停車した。
三石を出発すると、吉永、和気、熊山の順に停車した。
熊山駅に止まると、下車して、マイカーで帰路についた。

こうして、和歌山電鐵の乗車と撮影などを目的とした外出を無事に終えることができた。
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和歌山ワンデートリップ(その2)

2015年12月04日 21時52分06秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月28日の朝は、マイカーで熊山駅へ向かった。
駅付近のマイカー用の駐車場に車を止めると、駅へ行き、18きっぷにスタンプを押してもらってから、改札を通った。
熊山駅からは、6時41分発の1300Mに乗車した。その列車は、115系の4両編成で、わたしが乗車した車両は、最後尾のクハ115-1219だった。黄色に塗られた編成だった。
列車は、熊山駅を発車すると、和気、吉永、三石の順に停車した。
三石駅を出発すると、船坂トンネルに入り、兵庫県に入った。
そして、しばらくすると、上郡駅に停車した。
上郡からは、18きっぷの旅行者の多い車内に一般の利用客たちが加わり車内はさらに混んだ。
上郡を出ると、有年、相生の順に停車した。
相生では、新快速に連絡しているが、着席は望み薄いのでわたしは、そこでは乗り換えなかった。
相生を出ると、竜野、網干、はりま勝原、英賀保、終点の姫路の順に停車した。
姫路で降りると、トイレ休憩などをしたあと、8時26分発の3432M・新快速を待った。
その新快速電車は、12両編成で、わたしが乗車した車両は、最後尾のクハ222-2061だった。
姫路駅出発の時点で、席はほぼ埋まった。
姫路を発車した新快速は、加古川、西明石、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎の順に停車した。
そして、大阪駅に9時28分に停車すると、下車して、大阪環状線のホームへ向かった。
大阪からは、9時56分発の紀州路快速に乗車した。その列車は、和歌山行きだが、途中の日根野駅まで、関西空港行きの関空快速と併結運転をする。
下り列車の場合、前寄り4両が関西空港行きで、後ろ寄り4両が和歌山行きになる。
わたしが乗車した車両は、前から5両目(日根野からは先頭)の車両で、車番はクハ222-2510だった。
新快速用の223系とは異なり、車内は通路を広くするため、2列+1列の3列シートになっている。
列車番号は、日根野までは4129Mだが、日根野から先は4529Hになる。
紀州路快速は、大阪駅を発車すると、福島、西九条、弁天町、大正、新今宮、天王寺の順に停車した。
天王寺では、乗務員の交代があり、日根野まで、車掌は女性だった。
天王寺からは、阪和線に入った。
開かずの踏切が多かった長居周辺は、既に高架化されて久しく、しばらく高架橋の上を走った。
しばらくして、地上に降りた。
天王寺を出た紀州路快速は、堺市、三国ヶ丘、鳳、和泉府中、東岸和田、熊取の順に停車した。
阪和線を南下するにつれて、高層の建物は少なくなり、低層の住宅や田畑が多くなった。
また、途中、特急に追い抜かれるため、長い時間止まった駅もあった。
熊取の次は、日根野に停車した。
日根野では、関空快速と紀州路快速との車両の切り離しが行なわれた。
そして、前寄りの車両だった関西空港行きの関空快速が先に発車した。
それから、わたしが乗っていた車両が、4両編成の列車の先頭の車両となり、和歌山へ向かった。なお、日根野から和歌山までは、女性の運転士が乗務していた。
日根野を出た紀州路快速は、長滝、新家、和泉砂川、和泉鳥取、山中渓、紀伊、六十谷、紀伊中ノ島の順に停車し、それから、終点の和歌山に到着した。本来の到着時刻は11時30分だが、約5分遅れだった。



和歌山駅に着くと、下車して、改札の外に出た。
そして、駅の地下にある飲食店で、昼食をとった。
そのあと、和歌山電鐵の乗り場へ行き、一日乗車券を買って、ホームに入った。



ホームには、きいちゃん電車が止まっていたが、それは見送って、次の電車を待った。





しばらくすると、折り返し12時55分発の電車になる車両が入ってきた。
その日は、その時刻の電車に、たま電車が充当されていた。



わたしは、その日、たま電車に乗るのと撮るために、和歌山を訪れたのである。

しばらくすると、たま電車目的と思われるお客が増えてきて、中には、外国人もいた。





わたしは、先頭の車両に乗車した。

和歌山電鐵は、全列車、2両編成のワンマン運転で、終点まで各駅に停車する。
12時55分、たま電車は、終点の貴志駅を目指して出発した。

都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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12月3日の模型購入

2015年12月04日 21時01分40秒 | 鉄道模型
昨日3日は、倉敷市街地にある、某店へ行った。
鉄道模型関係の買い物に行ったのである。
その日購入したものは、KATOのコキ200のISOタンクコンテナ「日陸」積載である。
3両購入した。
以上が、12月3日の模型購入の内容である。
それらは、後日、付属のパーツを取り付けて、完成車にする予定。
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JR東海119系5000番台製作記(その9)

2015年12月04日 20時56分25秒 | 鉄道模型
一昨日2日は、まず、グリーンマックスのキットから製作中の119系5000番台に使用するシールドビームヘッドライトや、テールライトの本体部分(レンズを除く)の塗装を行なった。
塗装の前にメタルプライマーを塗り、そのあと、グリーンマックスの21番・小田急アイボリー(現在はアイボリーAに改称)で塗装した。小さな部品なので、筆塗りで塗装した。
そのあと、119系のキットの床下機器の組み立てやダミーカプラーの組み立てなど行なった。
床下機器は、ランナーから切り離して、床板や動力ユニットに接着する構造だが、そのままでは段差や抜き勾配(金型から成型品を抜き取るための勾配)があるため、うまく取り付けできない。そこで、ヤスリで平らになるようにした。
クハ118用の床下機器は、その段階で、トレーラー車用の床板に接着した。
なお、動力ユニットに取り付ける予定のクモハ119用の床下機器は、抜き勾配などをヤスリで仕上げたが、まだ、動力ユニットには取り付けない。
そのあと、車体の側面窓サッシの塗装の準備もした。
窓サッシを残して、車体全体をマスキングした。
それから、滲みこみ防止のため、ガイアノーツのクリアを吹き、乾燥後、サッシの塗装にかかった。
サッシの塗装には、ガイアノーツの009番、ブライトシルバーを使用した。
エアブラシ塗装をしたのはいうまでもない。
乾燥後、マスキングテープをはがし、今度は、屋根を残してマスキングした。
そして、滲みこみ防止のため、ガイアノーツのクリアを吹いて、クリアが乾燥後、屋根の塗装をした。
屋根の塗装には、グリーンマックスの9番・ねずみ色1号を使用した。
また、並行して、床板や床下機器、ダミーカプラーの塗装も行なった。それらも、ねずみ色1号で塗装した。
こうしているうちにあっという間に時間が経った。

そして、昨日3日の夕方は、マスキングテープをはがして、車体の塗装の乱れのタッチアップ修正を行なった。
修正には、面相筆の小から極小を使用した。

以上が、12月2日から3日にかけての工作の内容である。
次回は、車番やJRマークのインレタの転写、クリア塗料の吹きつけなどを行ないたいと思う。
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東京・横浜方面へ旅行(その7)

2015年12月01日 22時44分40秒 | Weblog
今さら8月のことを記事化してすみません。

8月7日の昼過ぎは、東京の秋葉原にいた。



秋葉原駅のコインロッカーに大きな荷物を預けると、神田明神へ向かって歩いた。
秋葉原の街を通り抜けたが、家電品店などは外国人の観光客などが多かった。
暑い中歩いて、12時50分頃、神田明神の前に到着した。





鳥居のそばには、休憩できる店があった。その店であんみつを食してひと休みした。
それから、境内に入り、参拝した。





神田明神の正式名称は、神田神社で、神田祭を行なう神社として知られている。
御祭神は、大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)、少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)、平将門命(タイラノマサカドノミコト、まさかど様)の3柱である。

神田明神を参拝後は、秋葉原の街にある鉄道模型店2店へ行った。
行った店は、ポポンデッタとグリーンマックス・ザ・ストアーで、前者では、Nゲージ用の人形などを中心に購入したが、京急で働く人の人形を買うことができたのが良かった。後者では、グリーンマックスの動力ユニットのパーツを中心に購入した。

秋葉原の街での買い物の後は、秋葉原駅に戻った。
そして、コインロッカーの荷物を手に取り、忘れ物がないのを確認後、改札に入った。
それから、京浜東北線の電車に乗り、東京駅へ向かった。
東京駅に着くと、駅弁とお茶を買って、東海道新幹線のホームへ行った。
本来は、16時30分発の「のぞみ49号」に乗るつもりだったが、予定より、早く東京駅に着いたので、15時10分発の「のぞみ43号」に乗ることにした。特急券が自由席のものだったので、そのようなことができたのである。
そのために、18番ホームの2号車の乗車口に並んだが、先発の「のぞみ115号」が発車してわずかしか時間が経ってないためか、私より先に並んでいた人は5人だった。それなら、余裕でE席に座ることができる。
それからまもなく、N700系の新幹線列車が入線した。その列車が車内整備後、折り返し、「のぞみ43号」になった。
車内清掃が済み、乗車できるようになると、前の人に続いて乗車した。
もちろん、E席を確保できた。
15時10分、「のぞみ43号」は、東京駅を発車した。その列車は、博多行きである。
その時点で、窓側の座席はすべて埋まり、一部の通路側にも乗客がいた。
東京の次は、品川駅に停車した。もちろん、品川からも乗車があった。
品川を出発すると、東京都から神奈川県に入り、新横浜駅に停車した。
新横浜では、座席はおそらく全部埋まった。
新横浜駅を出発すると、まもなく、風景は市街地から郊外になり、田畑が目立つようになった。
しばらくして、小田原を通過した。
それから少し経つと、神奈川県から静岡県に入った。
「のぞみ」は、静岡県内の駅には止まらない。車窓を見ると茶畑などが眼に入ってくる。
また、そのときは、曇っていたが、富士山の形が水墨画のように見えた。
静岡県内のすべての駅を通過し、愛知県に入ると、豊橋駅と三河安城駅を通過した。
そして、名古屋駅に停車した。その前後は、雨が降っていたのが見えた。
名古屋駅では、多数の乗客の入れ替わりがあったが、名古屋から先も、座席はほぼ埋まった状況だった。
名古屋駅発車後、東京駅で買った駅弁を食した。
「のぞみ43号」は、名古屋の次は、京都に停車した。
京都駅でも、乗客の入れ替わりはかなりあった。
京都の次は、新大阪に停車した。
新大阪では、多数の乗客が入れ替わったが、デッキに立つ人の姿も増えていった。
新大阪からは、JR西日本の管内になり、乗務員も交代した。
新大阪の次は、新神戸に停車した。
新神戸の次は、岡山である。
「のぞみ43号」が岡山駅に停車すると、下車した。
そして、路線バスに乗って、帰路についた。

こうして、8月5日の夜から7日までの旅行を終えることができた。
この旅行で、京急線の未乗区間に乗ることが出来たため、これで京急線全線完乗が達成できたので、良い旅行になったと感じた。
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