浜崎ヒカル交通館ブログ

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横浜・三浦半島方面へ旅行(その6)

2013年06月28日 16時58分41秒 | Weblog
今さら5月のことを記事化してすみません。

5月9日の朝は、神奈川県三浦市の城ヶ島にある宿で迎えた。
起床し、身支度を整えると、朝食をとった。
その日も天候がよかった。また、三崎口から乗る予定の電車まで、時間に余裕があった。
そこで、朝食を済ませたあと、8時半頃から9時頃まで、散歩に出た。
宿の建物を出ると、8日に富士山が見えた場所に出るのだが、その日は、晴天にもかかわらず、海の向こうの陸地は霞んで、富士山は見えなかった。
その場所付近は、磯が多かった。



少し歩くと、城ヶ島灯台へ着いた。
白色の灯台である。



灯台に近づくことはできたが、内部の見学はできなかった。
灯台の付近は、少し高い場所なので、眺めは良かった。



そのあとは、通った道を引き返して、宿に戻った。
その道からの海の眺めもまた良かった。



9時半頃、チェックアウトをして、宿をあとにした。
そして、バス停まで歩いた。
バス停には、バスが止まっていたので、乗車した。
バスは、城ヶ島のバス停を出発して、しばらくすると、城ヶ島大橋を渡り、島をあとにした。
そして、三崎港付近の集落の中を通り抜け、三崎の町を通り抜けていき、丘陵地をしばらく走ると、三崎口駅に到着した。



乗る予定の電車までは、かなり時間があったので、駅前では、バスなどの写真を撮って楽しんだ。



そのあと、改札内に入り、電車を眺めたり、写真を撮ったりして、時間をつぶした。







1000形や600形、1500形の列車を何本も見送ったあとのことである。11時50分を少し過ぎた頃、わたしが乗りたい列車が姿を現した。
京急2100形である。京急では、唯一の2扉オールクロスシートで、先頭車には、鉄道ファンで京急ファンなら、ぜひとも座りたい座席がある。
その日は、京急2100形の快速特急の先頭の乗務員室直後の座席に座って全面展望を楽しみたいと思い、長時間列車を待ったのだ。
その2100形電車は、入線後、折り返し、泉岳寺行きの快速特急列車になって出発するのだが、全乗客が降りたあと、いったん車内は締め切られた。乗務員が扉間の転換クロスシートをいっせいに方向転換するためである。
2100形電車は、扉間の座席は、転換クロスシートになっているが、座席の方向は、専ら乗務員が折り返し駅で、スイッチで切り替えるようになっていて、乗客は任意で方向転換することはできない。
したがって、扉間の座席は、すべて常時進行方向を向いて走るようになる。



乗車可能になって扉が開くと、わたしは、乗務員室直後の右側の座席を確保した。



左側は、運転席側なので、風景が運転士の頭に遮られてしまうからである。
その列車は、11時57分に、三崎口を出発した。
列車は、堀ノ内までは各駅に停車するが、堀ノ内からは、停車駅が少なくなる。
わたしが乗車した車両は、先頭の車両であることは既述だが、車番は2156だった。
また、その日、その列車には、三崎口から京急久里浜まで、女性の車掌が乗務していた。
三崎口駅を出発した列車は、単線の線路を走り、三浦海岸駅に停車した。
三浦海岸で、乗務員室直後の座席の左側にも乗客が着席した。
三浦海岸からは、複線になるが、京急長沢駅から、再び単線になった。
京急久里浜駅からは、再度複線になる。
京急久里浜駅では、乗務員の交代があり、車掌が男性に代わった。
また、その駅では、比較的多数の乗車があった。
京急久里浜駅を出発すると、車両基地の横を通り抜けていった。
次の停車駅は、北久里浜である。
北久里浜を出発すると、新大津、堀ノ内の順に止まり、堀ノ内からは、京急本線に入った。
また、堀ノ内から先は、小さな駅は通過するようになる。
堀ノ内駅を出発すると、優等列車らしい走りになった。
次の停車駅は、横須賀中央駅である。
2面2線の駅だが、横須賀市の中心地にあり、多数の乗車があった。また、その駅からは、座席はすべて埋まり、立ち客が多数出た。
横須賀中央駅を発車すると、次の停車駅は、金沢八景である。
その途中で、事業用の電動貨車とすれ違った。
外の風景を見ていると、山に挟まれたところに、住宅地などがあり、トンネルも多かった。
金沢八景駅は、逗子線が分岐する駅である。多数の乗車があった。
金沢八景から金沢文庫までは、京急線で唯一の複々線区間になっている。
その区間の車窓からは、車両基地のほか、総合車両製作所横浜事業所の建物を見ることができた。
金沢八景の次は、金沢文庫駅に停車した。金沢文庫駅でも、乗務員の交代があった。
金沢文庫駅を出発すると、次の停車駅は、上大岡である。
その付近は、車窓からは、市街地が見えるが、平地が少なく、丘陵地が多いためか、トンネルもあった。
上大岡の次は、横浜である。
横浜駅に停車すると、下車して、改札の外に出た。
そのあと、コインロッカーに荷物を預け、地下街のポルタ横浜の中にあるそば屋で、昼食をとった。
それから、横浜三井ビルディングを目指して歩いた。



そう、その日は、そのビルの中にある「原鉄道模型博物館」へ行ったのである。
「原鉄道模型博物館」は、昨年オープンした鉄道模型の博物館で、鉄道模型収集家である原信太郎氏の作品などが展示されている。
展示されている車両は、主に1番ゲージとOゲージの車両で、昭和の戦前や戦後間もない頃の車両が多かった。
また、外国型の車両もあった。
なお、館内は撮影禁止のため、撮影は一切していない。
館内には、作品を展示しているコーナーのほか、ヨーロッパ風の1番ゲージの大きなレイアウトがある部屋や、横浜をイメージしたHOゲージのレイアウトがある部屋があった。
レイアウトのある部屋は、照明を暗くして、車両や信号などの灯りがわかりやすくなっていた。
1番ゲージは、ヨーロッパの列車が走っていた。HOゲージのレイアウトは、京浜東北線の電車や昔の汽車が走っていた。

原鉄道模型博物館をあとにすると、そのビルの1階にある鉄道模型店で、買い物をした。購入した者は、KATOのNゲージ用の人形を1セットのみである。
そのあと、横浜市営バスの撮影などもした。





乗る予定の新幹線まで時間があったので、駅周辺の地下街やビルの中を歩いたが、そうしているうちに、疲労がたまったので、まだ早かったが、コインロッカーの荷物をとって、JRの改札の中に入った。
そして、京浜東北線のホームから、横浜線直通の電車に乗車した。
乗車した電車は、快速の八王子行きである。
まだ早かったが、これ以上遅くなると、夕方のラッシュに重なる可能性があったので、早めに新横浜駅へ向かった。
そして、新横浜駅で、夕飯の弁当などを買ったあと、新幹線改札内の待合室で時間をつぶした。
新横浜からは、「のぞみ53号」博多行きに乗車した。車内は混雑していたが、わたしは、あらかじめ指定券を買っていたので、窓側のE席に座ることができた。
新横浜の次の停車駅は、名古屋である。新横浜駅を出ると、車窓には畑が広がっていたが、所々で、丘陵地の新興住宅街なども見えた。また、相鉄の電車が走っているのも見えた。
その頃、車掌が車内改札に来た。
新幹線列車は、小田原を通過すると、まもなく、静岡県に入った。
それから少し経つと、富士山が見えた。
静岡県の駅はすべて通過し、愛知県に入ると、豊橋と三河安城を通過した。
そして、名古屋駅に停車した。名古屋駅では、乗客の入れ替わりがあった。
その頃、日が沈み、窓の外は暗くなった。
名古屋の次は、京都駅である。
京都では、下車客が多数いた。また、その駅で、わたしの隣のD席は、空席になった。
京都の次は、新大阪である。
新大阪からは、JR西日本の山陽新幹線に入った。また、乗務員や車内販売員の交代があった。
新大阪を出ると、東海道区間では、ほぼ満席だった指定席の車両は、空席が目立っていた。
新大阪の次は、新神戸駅に停車した。
新神戸を出ると、次は、岡山駅である。
岡山駅に停車すると、下車して、改札の外に出て、バスで帰宅した。

こうして、5月7日から9日までの旅行を終えることができた。
12年ぶりに京急に乗ることができて、本当に楽しかったと感じた。

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