今さら、4月のことを記事化して、すみません。
4月2日は、朝早く、マイカーで熊山駅に向かった。
熊山駅付近のマイカー用の駐車場に車を止めると、駅へ向かって歩いた。
券売機でICOCA代用のPITAPAにチャージして、改札を通った。
そして、ホームでしばらく列車を待った。
熊山駅からは、7時34分発の1302M・姫路行きに乗車した。
その列車は、黄色に塗られた113系電車の4両編成で、わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番は、クハ111-565だった。
そのときは、車内は混雑していたので座れなかったが、次の和気駅で、ある程度の数の下車客がいたので、座ることができた。
そのあと、列車は、吉永、三石の順に停車し、三石を発車後、少し経つと、船坂トンネルに入った。
船坂トンネルで県境を越え、兵庫県に入った。
兵庫県に入った列車は、上郡、有年、相生、竜野、網干、はりま勝原、英賀保、そして、終点の姫路の順に各駅に停車した。
姫路駅に着くと、改札を出て、北側から駅の外に出た。
その日の朝は、天候が良かった。
姫路城の天守閣に向かって、駅前からの通りを北に向かって歩いた。
そして、堀のそばの歩道を歩き、橋を渡ると、門を通った。
その日は、天守閣の南に位置する広場の桜は、三分咲きだった。
午前は天候が良く、桜目的の人たちが多数訪れていた。
桜と天守閣とを組み合わせた写真を撮影したあと、入城口に向かって歩いた。
入城口を通った後、菱の門へ向かって歩いた。
菱の門を通ると、右手に堀がある。
三国堀という。
その堀に映る天守閣を撮影されている人たちも多数いた。
わたしも撮影した。
菱の門を通ってすぐの場所は、西の丸に向かう道と大天守に向かう道との分岐点である。
わたしは、大天守に向かう前に、西の丸に向かって歩いた。
都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
4月2日は、朝早く、マイカーで熊山駅に向かった。
熊山駅付近のマイカー用の駐車場に車を止めると、駅へ向かって歩いた。
券売機でICOCA代用のPITAPAにチャージして、改札を通った。
そして、ホームでしばらく列車を待った。
熊山駅からは、7時34分発の1302M・姫路行きに乗車した。
その列車は、黄色に塗られた113系電車の4両編成で、わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番は、クハ111-565だった。
そのときは、車内は混雑していたので座れなかったが、次の和気駅で、ある程度の数の下車客がいたので、座ることができた。
そのあと、列車は、吉永、三石の順に停車し、三石を発車後、少し経つと、船坂トンネルに入った。
船坂トンネルで県境を越え、兵庫県に入った。
兵庫県に入った列車は、上郡、有年、相生、竜野、網干、はりま勝原、英賀保、そして、終点の姫路の順に各駅に停車した。
姫路駅に着くと、改札を出て、北側から駅の外に出た。
その日の朝は、天候が良かった。
姫路城の天守閣に向かって、駅前からの通りを北に向かって歩いた。
そして、堀のそばの歩道を歩き、橋を渡ると、門を通った。
その日は、天守閣の南に位置する広場の桜は、三分咲きだった。
午前は天候が良く、桜目的の人たちが多数訪れていた。
桜と天守閣とを組み合わせた写真を撮影したあと、入城口に向かって歩いた。
入城口を通った後、菱の門へ向かって歩いた。
菱の門を通ると、右手に堀がある。
三国堀という。
その堀に映る天守閣を撮影されている人たちも多数いた。
わたしも撮影した。
菱の門を通ってすぐの場所は、西の丸に向かう道と大天守に向かう道との分岐点である。
わたしは、大天守に向かう前に、西の丸に向かって歩いた。
都合により、今回は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
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