元練馬区議会議員小川けいこの「ねりまなでしこ日記」

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恩人への感謝状

2012年07月20日 18時05分48秒 | 小川けいこのプライベート日記
 議員という仕事をしていると、多くの出会いがある分、多くの別れも経験しなくてはなりません。人との別れは寂しさや悲しみが付き物ですが、時にはその早すぎる別れに悔しさが入り交じることもあります。


 7月6日。

 私は、葬儀委員長として、一人の恩人を送りました。
 自分の中で、その方の死を受け入れられないままで。

 
 その方は、私が顧問を務める少年野球上小立野クラブの名物部長の宮沢秀夫さん(享年63歳)です。
 写真の真ん中で照れ笑いでピースをしている宮沢さん。去年の今頃のことなのに.....
 写真は、チームの皆さんで私の議長就任のお祝いの会をして下さった時のものです。議長就任の際は、たくさんの方々にお祝いしていただきましたが、一番最初に「けいこちゃんのお祝いをやるから!」と電話を下さったのは宮沢さんでした。

 
 お世話になってから13年。私が議員になる少し前からのお付き合いで、ご家族とも親しくさせていただいておりました。私が、悩んでいるとき、落ち込んでいるとき、迷っているとき、その感情を察して下さって「大丈夫だよ、けいこちゃん!俺ら皆で応援してるんだから!」「俺たちがついてるんだから!」といつも励ましてくださいました。
 ご自身のプレッシャーは決して表に出さず、周囲にその人の居場所と元気を与える力を持った方でした。

 
 宮沢さんを紹介して下さったのは、宮沢さん同様に私がお世話になった大先輩の元区議会議員(故)渡辺耕平先生でした。
 きっと「宮沢、まだ来るのが早いだろ」と耕平先生にもお叱りを受けていらっしゃいますね。




「宮沢 秀夫 様

 宮沢さんが、上小立野クラブのユニフォーム姿で旅立たれてからニ週間が過ぎようとしています
 私は、まだ長いお別れをしたことを信じたくありません。携帯の名前もそのままですし、会話だって声だって耳に残ったままです。お見舞いに伺ったとき、野球は今年いっぱい休んで来年からボチボチやるよとおっしゃっていたのに。
 

 宮沢さんは、ご家族はもちろん、ご自分の周りの方々をとても大切にされていました。チームの子どもたちには、いつも真剣に野球と礼節を指導されていました。
 宮沢さん特有の話術とリーダーとしてのカリスマ性は、周りの私たちには決して忘れられないものです。その証拠に、お通夜の夜は、一時間半が過ぎても弔問の方が途切れることはありませんでしたね。


 宮沢さんは、人と野球を愛していましたが、それ以上に周りの方々から愛されていました。みんなその背中を頼りにしていました。
 私は恩人を、チームは偉大なリーダーを失いました。宮沢さんが残して下さったものを守り、継承していかなければなりませんが、本心でそう言えるまでにはもう少し時間がかかりそうです。もう二度と、携帯の着歴に宮沢さんの名前を見ることが出来ないことを自分自身が受け入れるまでは.....


 宮沢さん、7月6日に私はちゃんと宮沢さんを送ることが出来ていましたか?私が、宮沢さんに感謝の言葉を述べるのはこんな形じゃなかったはずなのに。葬儀の終わりの挨拶があったから、大声で泣くことも出来なかったです。それをわかってて、最後に私に大役を任せたのでしょうか?いつか教えて下さいね。


 先週の日曜日の前半期の納会の席で、宮沢さんの席にはウーロン茶を置いて、チームの監督・コーチたちが「宮沢さんがいなくなったけど、上小立野が弱くなったね。ダメになったね。」と言われることだけはないようにベストを尽くそうと誓いました。そんなことになったら、絶対に怒りますよね。私も、引き続き子どもたちの為には頑張りますから。


 宮沢さん、たくさんのことありがとうございました。
 安らかに、でも宮沢さんらしく微笑んで、たまに小言も言いながらチームを見守って下さい。

 
                                          上小立野クラブ顧問 小川けいこ」



 
 チームのお母さんたちは、千羽じゃ足りないと言って、五千羽の鶴を病室に届けられ、ご本人はとても喜ばれたそうです。本当に、ファンの多い方でした。
 心からご冥福をお祈りいたします。 

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