katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

健さん教室と蛸の椅子

2024-06-30 08:43:42 | モザイクタイル教室
今日は午後から健さん教室。って事で、8月末に大阪で開催されるセラスタ2024で展示予定の蛸の椅子の制作。まぁ見慣れてしまえば、キモい・・・とか、新展開が無いから、またタコの足かぁ。

って感じだろうが、何しろこの窯変の気持ち悪いゾーンを抜けると、ちょっとした模様に入るから、早いとこそこへ行きたいんだけど、中々そうは進まないもので・・・。

地味に進んではいるものの、明日から7月だからね・・・ちょっと気忙しい気持ちにはなる。2ヶ月を切った・・・そんな気分。ただそんな気持ちに騙されないように、きちんと今どうなってる?

ここを書き出して、今抱えている案件を整理し、今すぐ行動を起こさないとならない事、ただ待っているだけの事、まだ余裕は有り準備しているだけで良い事、みたいに緊急の場所の医者では

無いが、トリアージして、物事を解決しないと、くだらない悩みで時間は使えないのね。何しろ悩みはただ時間が過ぎるだけで、考えるって具体化しないと、先には進めないのね。

そして考えて進んだ結果、その結果を見て、それをリカバリーするなりして行く。つまりいかにマイナスを減らして行くか?って言うディフェンダー的考え方になる。しかしながら、自分が良いと

思わないと進めない・・・なんて考えの人は、プラモデルみたいな考え方だから、全ての結果がこうなる・・・つまり図面やレシピ、楽譜がしっかりしないと進めない事になるのね。

これが長けている人ならそれで良いが、長けていない人がそんな考えをしていたら、恐らく一歩も動けず、諦めるか、それとも納得する前に始めて、後悔をいっぱいして行くんだろうね。きっと。

これが手慣れていないんだから、100点は無理・・・って覚悟して、これだけは1つ趣旨として外せない・・・って事だけ抱えて、多少くねくね迷ったとしても、最後に趣旨にはたどり着いた・・・

って事なら、腕は未熟だったのか?それとも構想が未熟だったのか?ってな事になる。その失敗を踏まえて次の題材と向き合う・・・これがオリジナルの考え方だと思うのね。ただこの考え方は、

美大に行ったようなエリートな人は該当しないのね。あくまで絵が下手じゃんって俺側になるような人へのアドバイスだからね。そんな事を踏まえて健さん教室。そう考えると、健さんの作品は、

色んな形の集合体なんで、いかに色んな形を切れるか?の練習だと思えば、単なる漢字の書き取り的な教則スタイルだと思うのね。ただ今の健さんは昔とは違って、今ここを作っている・・・って

意識が向上している分、こだわりも繊細になって来る。当然切ったパーツを切り直すのも躊躇無し・・・入った入った・・・あっこんな所に落ちていた・・・なんて拾う事は無い。

切る腕だけで無く、意識が高くなったのね。こんなパーツじゃ許せない・・・みたいな感覚。そうね、例えば漢字の書き取りの点々を大きく外れても、別に読めんじゃんって進める奴と、1mmも

はみ出し禁止では、精度は見なくても判る。でも当然能率効率は悪くなる。読めれば良いじゃんって言うのと、美しさとでは、考え方は大きく変わるし、音楽にしたって、音符は合ってるじゃん、

って言うのと、タッチの強弱なんて言うのは、もう心構えの違いなのね。それも勉強で会得と言うのなら、いかに繊細さの必要な雑談をするか?になるのね。何しろそれぞれの考え方だからね。

しかも人はそうそう変わらない・・・と言うのなら、日常の何気ない会話に、その人の考え方は潜んでいる訳で・・・目が泳いだり、会話のテンポや声の大きさ、緊張感や、投げやり度、行動に

現れたりする。これが百聞は一見にしかずなのね。後は読み取る心・・・それが付き合いが長ければ長いほど、心理って言うものは問われるし、個人レッスンなんてそんなもんなのね。

みんな一緒なんてのは、学校の話で、個別って言うのが、同じ指導しか無いのなら、そりゃ個人レッスンにはならないのね。だから人に教えるって言うのは難しいのね。

言葉にしても比喩にしても、何しろ気付きだから、その人のヒントになるキーワードを盛り込めるようにしないとね。まぁここへ来て、かなり健さんとは距離感が縮まった気はするのね。



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