katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

棟梁とkameyaさんの常連さんの相席教室

2017-03-07 06:04:04 | モザイク教室
今日は棟梁とkameyaさんの常連さんの相席教室。出勤時はとても良い天気だったんだけれど、天気予報はこれから雨だって言うのね・・・。とは言え、アトリエは室内だから一見関係無さそうなんだけれど、実は木工を生で見せる約束したのね・・・棟梁と。だから雨だとそれは中止なのね・・・。

そんな中、やって来て・・・さっ、まずは雨降る前に木工やるよっ・・・ってな話でスタート。


これはkameyaさんの常連さんの下地なんだけれど、もう菖蒲が終了しそうなんで、新作の為のもの。どうやらご親戚にプレゼントする作品らしいのね。
それを生で彫りつつ、トリマーの使い方を教えようって事なのね。それなら常連さんは待ってても自分の下地だし、棟梁には木工見せられるしね。

こんな相席だから気兼ね無しで出来る話で、普通では1人放置なんて事になっちゃうからね・・・・。そんなこんなで木工からスタート。まず刃の取り換え方なんて事になるんだけれど、道具の種類で違うんだけれど、絶対に・・・の諸注意は一緒でコードは絶対に差し込まない。

誤作動なんて事があったら?刃を素手で替えるのだから、怪我をする。そこは面倒でもコードはいちいち抜く。一番大事なのは進むよりも怪我をしない。
これが一番。そんな説明の後、刃の合わせ方とか、木の固さによって刃が細ければ細い程、折れやすいし、こればっかりは経験値なのね。

例えば木を叩いて高い音がすれば固い木、鈍い音で低ければ柔らかいとか、持って重く感じれば密集している木だから固いとか、軽々持てたりすれば、柔らかいとか、そう言う点では木の種類は棟梁は仏像彫刻の人だから詳しいので、単純な説明で済むのね。

では彫るなんて事になるんだけれど、必ずスイッチを入れて動いてから木に当てる事。それを刃を木に付けたままで回転させると、物凄い付加が掛かってとんでもない事になる。木をあっちこっちを傷付けるような事になるのね。トリマーが跳ねたりするから。

他にはトリマーを片手で持たないで、必ず片手を添える。道具は何でも同じで精密な事をするなら・・・恐らく彫刻刀だって同じ気がするんだけれど・・・。この添える手がぶれない役も、時にはそれ以上彫らないようにのブレーキ役にもなる。

他にはトリマーを自分に向かって引くイメージで彫る。押すんじゃなくて引く感じ・・・勿論、あくまで基本としてね。それとついつい線を引いた部分に合わせて彫りたくなるのね。ここが曲者で、刃が細い時は割とピッタリ目に合わせるけれど、太い場合は少し離して彫る。

この説明の時に、あっ・・・って気が付く人もいるだろうけれど、モザイクも一緒で、タイルを細く切る時、いきなりその細さに切るのでは無くて、一旦3分の1やら4分の1に切ってから、段々と細くして行くイメージであって、技術が無いのにいきなり狙っても失敗を繰り返すだけになる。

そもそも細い刃は細いのだから威力は無い。だから彫るスピードも遅い、遅いから進まない、進まないからピッタリ合わせられる。これが太い刃だと、ガンガン彫れる。つまり破壊力抜群。そんな威力があれば彫ると言うよりも破壊するって感じ。それなのにもし手がぶれてしまったら?・・・

もし思わぬ固さの部分に当たってしまったら?もし彫った木のカスに引っ掛かったら?繊細な事をしているが故に致命的になる。そこを少し線から離れて彫っていれば、木の質感も体験しつつタッチを経験出来るし、最初の彫る時は刃に木が全部当たる事で負荷が掛かる。

けれど一旦彫れば、刃の片側にしか負荷は掛からず、その分彫りやすくなる。何しろ彫ろうとする事が繊細な事ばかりなのだから、大工さんの使い方とは全く違うだろうから、一般的な事とは離れた指導だと思うし、何しろ全ては自分の経験値。大工さんから習ったのは基本的な事だけ。

そんな話をしつつ彫り進めると、やっぱり木工教室して貰いたいぃぃって言うので、じゃ詳しくは別の日にね・・・って話になるんだけれど、そんな中、最初はベニヤとか何か適当な木で練習して・・・・なんて発言があって、そこを突っ込む事になるんだけれどね・・・。

駄目、その考え方が上手くならない。一見、安い木で練習して・・・と謙虚そうには聞こえるが、逆に言えば舐めた発言にもなる。そもそも安い木なら失敗しても良い・・・って言っているようなもので、その考え方で今度は高い木の時は失敗したくない・・・って気持ちを切り替えるのかい?

つまり今の棟梁の発言で進めると、安い木を舐めながら何度も彫り続け、道具に慣れ、失敗しなくなったら高い木で本番・・・つまりこの裏側の心理を考えると、失敗しても安い木だから気楽に練習して、高い木で緊張するよっ・・・って言っているようなもん。

これを労作展方式にすると、最初から時間が決まっている中での制作では、短い時間の中に練習なんて呑気な時間も、無駄にする材料も無い。つまりじっくり取り組むなんて言う事が出来ない人はいきなり本番って事になる。って言うと、恐らく棟梁は慌てて無いです・・・って言うと思うのね。

つまりじっくり取り組むみたいにね・・・・こらこら、それが駄目なのね・・・って話。何故なら棟梁は、既に仏像彫刻にモザイク、他にも色々とやっているのに、更にそこに木工をプラスしては、何かの時間を捨ててやらないとならなくなるでしょ?・・・何しろ始めると夢中でやるから。

それをコツコツ基礎からなんてやっていては、それを本命にするのなら構わないが、あくまでメインありきのトッピング的なもの。つまり短期集中の自動車免許的発想じゃないと、無駄な時間を費やしてしまうのね。だからこそ、大事なのは取り組む姿勢の確認なのね。

素晴らしい事を目指すんじゃなくて、今まで使えなかった道具が使えるようになった・・・怪我無く、そこそこ・・・ってね。その時に勘違いしてはいけないのは、そこそこだから、そこそこなのかぁ・・・って話。そもそも道具の使い方が判らない人なのに、適当な木で練習って・・・。

つまりそこを舐めた発言が出来ないように、安い木じゃなくてそこそこな木を買う。ほらプレッシャーが掛かった。ほら緊張感が出た。ほらやってみ・・・楽じゃなくなったでしょ?ほら、怪我しない・・・・あはははは。楽をすると怪我をするのね・・・結果も心もね。

そもそも1作品を彫った時って、例え1.2時間だったとしても、物凄い緊張感と集中力と、怪我しないように・・・とか、何しろありとありとあらゆるプレッシャーが掛かるのね。俺は更にわざわざ人に見られるようにホームセンターの加工場、最終的には大工さんの前でもやった・・・。

しかも今は、こうして説明しつつ彫る・・・つまりこれでプレゼンが出来て、面白おかしく出来たら、実演販売になるって話。つまり上手くなるって言うのは人前でやるなんて言うのが、最終的な上手さの秘訣になる。ってそんな事も踏まえて、棟梁にまず必要なのは取り組む姿勢。

これ1つで必ず上手くなる。何しろ器用な人だけれど、感なのね。感は上手く行けば早いし上手く見える。しかも初めてでもみんなよりも結果が出れば満足感も早い。しかしながら、掘り下げてしまった時に、明らかにそんなもんじゃない事に気が付くはず。

勿論、体験数回で辞めてしまえば、良かった結果のままでいられるけれどね・・・つまり木工が続くんじゃないかな?の前提だと、今の内にその姿勢を変えて置かないと・・・って話。そもそも考え方が変わると、行動が変わる。行動が変われば結果も変わる。当たり前の事なんだけれどね・・・。

おっと、本末転倒、モザイクの話が少しになっちゃう・・・。


そうね、棟梁は何度も来る人になったんで、慌てる必要は無くなったから指導も色々詰め込まなくても良いから、単純にフレスコ画のモザイクを良く見て・・・神様みたいな感じの・・・何しろ気に入ったのを見つけて、良く見て・・・それだけで十分。

常連さんはもう完成に近づいたので、1cmタイルの棚の側に座って貰ったのね・・・・今までは俺が用意していたんだけれど・・・自分で見つける練習。何も言わないでこの棚から自分の使いたいタイルを選ぶ練習・・・作品を見て、後を振り返って、また作品へ・・・・。

そして選んでいるのに、棚には色んな色のタイルの誘惑・・・・惑わされる。これはアトリエ教室でしか味わえない練習なのね・・・。出張では何と無く数種類のタイルを俺のチョイスで・・・となる。それがこの席では、自分の判断になる。これもさっきの話と同じで、楽しいぃぃって思う人は、

ただ何でも使える・・・って思っただけ。けれど、わざわざこっちに座って・・・と言われた瞬間、何かある・・・って常連さんは思ったらしく、お察し良いのね。つまり判らなくても、判ろうとしている・・・これが一番大事な事で、判らなかった・・・なんて簡単に言う人もいるが、

判ろうとすれば、判らなかった・・・と言えば何も考えずに済むって事に繋がらずに済む事もある。そもそも俺はモノには必ず理由があるって考え方の人だからね・・・。それにどうしてここなの?って話。創作は想像力、洞察力、観察力・・・だったりするのなら、判らなかったは駄目なのね。

間違っていたって考えないと・・・自分はこう思うが無いと。ただし、思い込まずに・・・。これもまた大事。こんな事をどうして今日なのか?は簡単な話で、つぼみを悩みつつ自分でやって、仮にこれだけしか終わらなかったとしても、次回のkameyaさんでは葉っぱだけ。

タイルさえ持って帰れば、選ぶ事もせずに、最初始めた頃のように切れば良いだけ。必ず悩まずに終われる。つまりこの作品の集大成はつぼみにあったって事になる。自分で考えつつやったってね。こうして・・・あぁして・・・って言われてからじゃなくてね。

だから、失敗して当たり前、上手く行かなくて当たり前、でも、やった後で、ここはこうだとどうだろうか?ここはこれとこれ?どっちが良いかな?と少ない是正で完成させたのね。そう考えると、消して悪く無いと思うのね。常に言っている、悩むんじゃなくて考える。

悩むは漠然、考えるって言うのは、きちんと絞らないと・・・言葉が適切かどうか?は別として、合っていようがいまいが、考えるは必然な気がするのね。後はそこまで出来たら、思い込まずに柔軟に趣旨確認しつつ、色んな意見を参考にすり合わせて行く。

その色んな意見の1つが先生のkatsuであったり、自分よりも上手い棟梁だったりすれば、参考にする事が多いと思うのね。ただ流されず、自分を持って柔軟に・・・これを、俺は、おごり高ぶらず、卑下せず、自分らしく・・・と教えているんだけれどね・・・。

そうね、棟梁にはブレーキ、常連さんにはアクセル・・・教える側も中々難しいのね。でも、かなり浸透しつつあるのは教える側としては有難い。
俺の説明は何しろ目に見えない事ばかり・・・想像力が思い切り必要になる。ただそれが乏しければ創作とは無縁になる。

そうなると、人のデザインで気に入ったものを探して上手くコピーってスタイルしか無くなる。アトリエに来るって言うのは、オリジナルを作りたいって気持ちが強い人が多いのね・・・勿論、この2人もそうなのね。俺の話について来られる・・・随分とスムーズに説明せずに話せるようになった。


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