katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

家族の紋章のモザイクとさくらの新作の追加分の文字

2016-07-06 06:47:19 | モザイク作家
今日も1日ずっと家族の紋章のモザイク・・・進んではいるけれど、結構きつい・・・・ただ原因も判っているし、マイナスになっている事があるのは仕方無いとして、何でも良いからプラスな気分になるものを拾い集めるしかない・・・って思うのね。

いつもそうして来たんだけれど・・・・たださて今の俺に何がプラスに感じるものがあるのだろうか?流れが変わるほどのものとまで欲張るつもりは無いが、何かねぇ・・・。まっいずれにせよ、そうした気持ちでいれば、仮に何かあったとしても見逃さないとは思うけれど・・・・。

ただ作品を作るって中には気分なんてものがあって、スカスカ進んで量産出来るって言うのは、楽だったり楽しかったり、困らなかったりって気分だから進めるもので、その気分って言うものが、その作品の重みだと思うのね・・・。

こんな時思うのは、テーマが家族なんてものだと、それを背負うってこう言うものなんだろうな・・・・って思ったりする。そもそも自分の家族が無いのだから、何1つ判っていない・・・と言われればその通りであって、全てが理想だったり、全てが想像だったりするもので・・・・。

毎日の繰り返しの中では、いつも楽しいやら嬉しいばかりでは無いだろうし、逆にふいにやって来る自分一人では味わえない楽しみも家族があってこそ・・・なんて事もあるだろうが。そんな事を思いながら・・・って言うのは、いないから考えてしまう訳で・・・。

日常を暮らす・・・って言うのは毎日繰り返す事で、いつしかついつい見落としがちになる事が多い。それが証拠に人は無くしてから気が付くなんて言葉があったりする。そもそも毎日を生きるとそれどころじゃない事も多いかも知れないし、ただこれも事実だけれど、人の子供の成長は早い・・・。

毎日の成長を見ている人は少しづつなんで、それ程感じないかも知れないが、たまに会う場合の他人は責任なんてもんも無いし、以前いつ会ったか?なんて感じの曖昧な記憶との比較だから、とても成長している気がしたりする・・・こんなギャップがあったりする。

要するにただタイルを切る、張るって言うのなら、模様のようにすれば感情移入は少なくて済むが、こうしてテーマと向き合えば、その意味なんてもんを考えたりする。最近つくづく思うのは、昔は音楽はノリのみで聴いていた気がするが、歳を取ると経験から意味が判るようになる。

その意味が判るが故にその歌の持つ本当の素晴らしさを知る事になったりして・・・・これもまたさっきと同じで、ノリで楽しく、困らず量産って事では無く、意味を知ってその素晴らしさを・・・と意味を噛みしめようとすると、辛さも背負ったりもする・・・・。

ただそれでもその先にある良さを知ってしまうと、ついついそっちに向かってしまったりする。判っていても・・・・。そんな道へ行けば、当然辛くなる事にもなるのだけれど、そこをどう切り抜けるか?とか、切り抜けられない時は?とかどうリカバリーするか?とか、立て直し方とか・・・・。

そうした繰り返しでいくらかは乗り切れるようにはなったんだけれど、それは単なるモザイクに関しての部分であって、そもそもテーマとしての家族って部分の乗り切り方とは全く違う・・・何1つ判って無い癖に・・・と自分を責めるともはや負のループになる。

ただ部分部分を見ると、チェーンだったり、ヒラヒラしている葉っぱみたいだったり、一応それにも理由はあって大事なのもなんだけれど、名前などから比べれば随分と重みは少ないとは思うのね・・・・こうしてちょこちょこ進んでいれば、バックの空欄までは何とか進むはず。

これが重さに潰されてしまうと、やれ時間が少ないから・・・とか明日にすれば・・・とか、色んな理由から遠のいたりする。その遠のいた事が、また・・・って気分にする自分に戻すには時間が掛かる。恐らくこれもそんな事から進まなかったのでは無いか?とも思うが、地味に繰り返して・・・

またもとに戻りつつある・・・そんな感じではある気もする。ただだからと言って、そう簡単に仕上がるとは思えない。安心など何処にも無い。

そんな中、キウイとさくらがやって来た。まっ、そんなに膨らませる話は無いが、さくらの新作に文字を付け加える事になっていて、その文字を前回あたりから考えてはいたんだけれど・・・・



まっ、こんな感じかな・・・って所まで来た。

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