katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

みどり教室

2013-10-09 05:31:22 | モザイク教室
さて、今日は長いから、本当に付き合える人のみでどうぞ・・・・。
前回、みどりが新展開探しの中、ハスなんて事を見つけ、しかもそのデザインがまるで、

家紋のように見えた事から、ここで家紋となると・・・・と紋付みたいな和服のような
あんな肩越しにあるイメ-ジ・・・そんな所まで具体的に決まって・・・・

すると今日はそれが非常に進化していて・・・・もはやそんな小さい大きさの中で、
作れるはずの無いデザインになっていたのね。

すると、やっぱり駄目か・・・って言うと、諦めちゃうのね・・・・
もはややり直し・・・1から・・・・って感じで・・・・。

ここはわざと画像無しで、掘り下げる事にする。そうするとかなり変な事に気が付く・・
まず、やっぱり駄目か・・・つまり自分で何が駄目だったか?が判っていて、

そもそもが通らないと思う事をやっていた・・・って確信犯になる。
じゃ何が通らない事なのか?となる。つまり小さなスペ-スに描き込み過ぎって話。

こんな時は、デフォルメ・・・つまりリアル感の追及は出来ない・・・もっと言えば、
1本でも多く削った絵にしないとならないのに、逆に多くしてリアルな方向で描いた・・

そんな絵を描いたって事なのね。しかもそんな通らない方向で描いて置きながら、
今度は一転、やっぱりな・・・・と諦める。そうもがきもしないで・・・・・。

本来、ここまでやった時間を考えれば、何とかならないか?これを通すにはどうすれば、
良いか?・・・・と、そんな気分にはならないのか?・・・・すべて無くしても良い絵で

あるのか?・・・・そんな簡単に諦められる絵だったのか?・・・・
しかも、何がどう駄目なのか?・・・・そこには一切触れないで・・・・。

では、本人も諦めた事なので、もうどうでも良い事なのだが、こんなにしっかりしたデザインは勿体無いので、使う為にはどうしたら良いのか?・・・・を説明する事にして、

駄目なら捨てるデザインとする。それが駄目にするデザインの供養となるから。
そして、これだけの努力をした人が報われるように・・・今後の糧になるように・・・。

では、検証をする。まず何故、家紋のようなハスを羽の一定の部分に入れる様な事に、
なったのか?・・・ここを考える。

それは、ラフな感じで描いてあったハスが、家紋のように見えた事。
しかも体の一部で考えていた事。だから、体の一部で考えるとすると・・・・?

体の一部にある家紋・・・・って考えれば、紋付・・・ってすぐ浮かぶでしょ?
ならば、肩越しだよね?普通。そこで、そんなデザインを考えて来る事が宿題だった。

所がもはや本末転倒。そこに簡素化するべき絵が、リアルに・・・と全く逆にした。
しかしながら、そこに入れる絵では無くなった・・・とは言ったが、その絵自体が、

駄目とは一切言ってはいない。つまりリアルになって良くなり過ぎただけ。
ではリアルとは?・・・を考える。要するに簡単に言えば、4コマ漫画と劇画みたいな話。

例えば、4コマ漫画的な絵・・・これはゆるキャラのような感じ。そんな場合、10mの
大きさにするとどうだろうか?それを今度は、リアルな劇画みたいな逆の事を考えると、

ガンダムを3cmに・・・・もはや、見たい場所が細か過ぎて見えない・・・・
じゃこれを逆にして見ると・・・小さなふなっし-と大きなガンダム。

スマ-トになるでしょ?これが適正な大きさのバランス。じゃこの比喩は簡単に理解出来るのなら?・・・折り合いの付く大きさにすると・・・・20cmのソフト人形にすると、

恐らく両者共にまかり通る大きさにならないかな?・・・・これが折り合いの付け方。
つまりこうした折り合いの付け方がヘタなのである。

こう言う場合、理由は簡単で全力を出して描くから。何故なら絵が下手だから・・・って
本人が思っているから、一生懸命に良い物が描きたいから・・・って望むから。

良い物を描くにしても、モザイクに出来るかな?このスペ-スに美しく・・・つて考えれば、米に字を書くパフォ-マンスになっている事に気が付くはず・・・でも、夢中で

一切、そこを忘れている・・・だから、本末転倒。しかも、持って来る時に薄々判って、
それでも、やりっ放しで、駄目だった時の是正は用意していない・・・・

これがみどりの考え方のすべてなのね。恐らくいつもこの考えでやって来たって事になる
つまり、これでは通ればラッキ-、通らなければやっぱりかぁ・・・と諦める。

こんな事を繰り返して来た・・・となる。これでは相当低い確率でしか作れない。
まず通ればラッキ-って言うのなら、そんなものは考える必要性は一切無い。

つまり、こんな人は常に通らなかった時は・・・と考え、常に用意するのは、その場合は
・・・・こう、この場合はこう・・・・と色々と用意しないとならない。

逆に相当達人レベルなモノの考え方をしないと、成功する確率は低い。
逆に、こんな場合、どうしてもこれをやりたい・・・・そんな気迫で押すのなら、

例えどんな形でもこれを入れたい・・・と場所にこだわらずに・・・とする方が、
スマ-トでは無いか?つまり1点で通す気迫の1点・・・そんな考え方。

これが理解出来ない状況で進めると、何が起きるか?では更に進める。
こんな状況である場合、人は逃げる。逃げれば安全・・・もはや子供の時に歌った歌の

ような感じである。こん、こん、こんぺいとう、こんぺいとうは甘い、甘いはお砂糖・・
この連想ゲ-ムのような歌を当てはめれば、う、う、後向き、後ろ向きは・・・・とね。

以前、初めての大作の場合、そんな悩んで進まない場合の時には、考えて思い詰め、
悩んで止まり・・・とならないように、出来る場所を突き進むのでは無く、

出来る場所をなるべく多く取って置き、あっちもこっちも虫喰うようになっても良いから
、調子が良い時に考える事に向き合って、調子が悪い時は、そう行った所を進める事。

そう教えたが、もはやそんな場所は何処にも無い。つまりやり尽くした。
そうなると、どうすれば良いか?それは、やっぱり駄目か・・・のこれになる。

つまり自己分析出来ているのなら、この作品の一番大事な所にチャレンジをする・・・・
つまり鳳凰の目。逃げまくって来た自分だからこそ、目を入れなかったのなら・・・

やっぱり・・・と言えているのだから、抜け出す為にもチャレンジしか無い。
では調子が良くなるまで待つ・・・では無く、迎え撃つ。

しかもどんな目にする?って質問にも資料まであって決まっている・・・・


この上の鳥の目のように・・とね。それを見て作ったのがこれ。


何故こうなってしまうのか?これも簡単な事で、アップになっている画像は大きく、
自分のやる鳳凰の目は小さい・・・その比較をせず、感に頼って入れたら・・・・

こんなバランスになっている・・・それが証拠に、じゃ試しにこの写真の目に切ってみ。
と言ってやって貰うと・・・・こうなる。


最初はこんな感じかな?と思った時は、消極的に小さめに切る。だから次は・・・と、
是正するから、今度は大きくなってしまう。これがみどりのすべて。

見たままに対応出来ない。つまり思い込んで失敗し、失敗を指摘され深みにはまる・・・
素直に見たまま取り組めば良いものを・・・。

これによって、是正すると・・・


そして最後はこうなる。


目は口ほどにモノを言う。そんなことわざはこんな気迫の無さ、こんなみどりのような
場合には当然当てはまってしまうような作品になるだろう。

神々しい鳳凰なんてものは、孤独で、知らない人には避けられるかも知れないような、
それでいて生き血を求められたり、首をはねられたり、私利私欲に巻き込まれ、

それでも回りの死を見続けて飛んで行かないとならない・・・そんな生き物かも知れない
恐らくみどりは良い事のみを考えて、作っていたんだろうね・・・

凄く良い事を夢見るのであるのなら、凄い地獄を見るべきである。それがバランス。
凄く簡単に手に入れられると思わない方が良い・・・これで弟子になるのなら・・・。

楽な事ばかりが手に入るのでは無く、辛い事だらけなのかも知れないのだから・・・。

さて、そんなこんなで自分と徹底的に向き合えば、さっきのリアルな家紋のような、
デザインを入れるには・・・?簡単じゃん。

家紋・・・自分自身なら、この○全体を家紋にしてしまえば、リアルな家紋になる。
何も紋付のような3cm程度のこじんまりまとめ無くても・・・・。

自分で意識無くやった事が、あぁなって見たり、こうなって見たり・・・二転、三転して
しまうように見えるのは、実は自覚が無いから。意識して違う結果が出たのなら、

どうしてそうなったのか?何故そうなったのか?きちんと向き合い、きちんと是正をする。
そしてまた何処が?そしてまた何処が?の繰り返し。

そんな事を繰り返す事が、人が出来ない事になり、それが神々しく見えるのでは無いかな?もしかするとね・・・意図的に作る事が出来ないのなら、きちんと生きているものを

良く観る事なのね・・・きちんと。そして自分ときちんと向き合う事だな・・・きちんと
逃げずに・・・いつまでもそこに留まらずに・・・上を目指すのなら、もがき苦しめ。

辛くて当たり前、苦しくて当たり前、成長とはそう言うもので、だからこそ抜け出した時に、そこにあるのが神々しく見える・・・そんなものなのかも知れない・・・・。

さてそんな中、俺はみどりの紹介でいらっしゃる方の下地を作る為に、まずは拡大コピ-


いつものように細かい部分、細い部分が出来ると思われるパ-ツまで拡大。
その相談をすると、50cmまで・・・と言う事で、原画との差はこれだけの違いになる。

それを下地に写して・・・・カット。


この程度のカットなら、一番大変なのはカ-ボンで写す事なのね。
ただこれさえ出来れば、いらした時にすぐに出来る。

何しろ九州からいらっしゃるのだから・・・しかも、モザイクの先生。
この下地で弟子のかぐやとオ-ドリ-を呼んで、お待ちする予定。

礼には礼を尽くす。こちらとしてもそれ相応の準備が必要となる・・・・


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