katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

それでもモンゴルの仕込み・・・・

2011-03-16 00:56:01 | モザイク作家
テレビ東京は通常通りの番組になった。他局も通常の番組の司会もチラホラ出て来た。
そんな中、一流のスポ-ツ選手が呼び掛けて義援金を集めている・・・かと思うと、

海外在住のミュ-ジシャンが演奏をして同じように集めている・・・・

きっと俺はこう言う事がスマ-トに出来る人になりたいのだろう・・・そう思った。
ボランティアで災害と向き合うのでは無く、俺が俺らしく生きるのは・・・と

はっきりしているのは、ガウディと同じような考え方なのだろう・・・
作品を作れれば生きるのに余分なお金はいらないとも思える姿・・・

そんな事を思う中、かんすけが角嶋の親父の材料とモンゴルの分を持って来てくれた。
そしてブログを読んでくれていたので、俺もどうして良いか判らない・・・と言ってた。

けれど俺はキッパリそれで良いんじゃない・・・と言った。家族があって生活があって
会社の大黒柱で・・・悩む必要は無い。ただ悩みながら前に進むか?

悩まず進むか?で人間が問われるかも知れない・・・。そして俺は後者であり、
同じ流派の人間だから思想が合うから付き合って行ける。

そんな中、俺は今の俺は一番いらない人間だろう・・・世の中で・・・と言い放った。
すると、かんすけはそんな事は無いと言ってくれたが、次の説明で納得していた。

そもそも美術なんぞ先進国のお遊びと取られても仕方無かろう。
今の日本に必要なのは義援金、ボランティア、そして食べ物。

それが落ち着いた時、初めて必要となるかも知れない・・・そう言う順番ってものがある

かんすけとて順番で言えば、俺の1つ上程度。命が助かり食べる事に手を出し、
希望の光が見えた時に住まいとなる。これとて明日に希望が持てなければ、

何もしなければ必要性も無くなる。しかも建築として復興となったとしても、
別にタイルを張らないといけない・・・そんな理由は1つも無い。

そもそも昔なら高級品だったから、いつかはウチにも・・・と欲しいものの1つだったが
今はそうとは限らない。がしかし、復興するに当たって建築の手段の1つとして

選択権の1つである。そう言う点では、必要と思われれば何かの役、誰かの役に立つ。
勿論、それは建築関係者すべての生活が潤い、施主も喜ぶのなら、

それを流通する仕事なのだから、胸を張って生きるべきである。

ならば俺。俺の場合は俺の理想がある。復興に当たって義援金や国の補助で建築会社が
直したり、新築するのも良いだろう・・・がしかし、所詮それは人のお金。

そしていつかそれらは薄れて行く記憶のように有難みも薄れて行く事もあるだろう。
それはそれで良い事なのではあるが、もう一歩踏み込み今の被災地の人達が、

支援が足りていない食事が満たされた時、自分達の手で何かを始めようとする事が
あるのなら、俺はそこに呼ばれたいと思うのである・・・みんなで作ろうと・・・

それは忘れない為の記念碑やもしくは復興の為の定礎みたいなものにもなるはず。
それは消して立派なものでは無いかも知れないが、自分達が作った・・・そう言うものは

必ず心に残るものになるはず。嫌な記憶は忘れたいと思うのか?絶対に忘れない?のかは
個人個人の考えでどちらでも良いと思う・・・が後者を選択する人がいるのなら、

俺はそこに選ばれる人間になりたい・・・そう出来るようになりたい・・・そう願い
毎日を過ごす・・・ただそれだけ。勿論、逆も真なり。以前作った保育園や幼稚園の

ような幸せな人へのトッピングのような事も同様である。それも俺の仕事。

きっとモザイクが寺院なんかに多いのは、物理的に素材として外に強い事もあるが、
絵を作った時に生きる希望の為の象徴として、拝む場所なのであろう・・・

それも芸術家の仕事だと考える・・・・。ただ綺麗、ただお洒落は建築屋さんに任せれば
良い。そして芸術家は上記で書いた一流の人達のように、その人が回りの人達を

巻き込み感情移入して貰う事が出来て、賛同する人が支援までするくらいの影響力が
あるような人物でないとならない・・・・。それはとても難しい事である。

上手い・・・くらいの表現で終わるようではそんな事は出来ない。
だからこそ俺は己の私利私欲だけで生きてはいけないのである。そう考える・・・・

ガウディの凄さはそこにある。腕だけなら同じ様な人はごまんといる。
そこで終わりを迎えるような人物で終わりたくは無い・・・そう考える。

俺の生きた証とは?きっとこう言う葛藤の中で見つけて行くのだろう・・・と。

被災に出くわしている人達にはそれでも生き抜いて欲しいと願う・・・がしかし、
そこに携われない人達は通常の生活にいち早く戻り、支援金でも作る・・・

きっと各々役割と言うものがあるのだと思う。被災にあっている人もいれば、
被災にあっていない人もいる・・・それがテレビの放映に現れる・・・

いつ被災オンリ-の放送から通常に戻るのか?一体誰が戻すのか?どの局からなのか?
深夜に帰ると何局かは通常に戻りつつあった・・・・

テレビ東京のスタイルはいつもながら勇気ある行動にも思える・・・
何が正しくて何が間違っているか?なんてすべて正しい人や正しい事なんて1つも無い。

だから絶対数の多い方の意見に従う・・・それが民主主義・・・そうも聞こえる。

プロ野球も開催するか?しないか?で論議していたと言う。神戸の時のように、
明日への希望となるかも知れないし、果たしてそれを今回も良し・・となるか?

それはすべて決定権のある偉い人が決めるのであろう・・・今の国の主にしてもそう。
もう決められたのなら従うしか無いだろうし、反対ならデモでも嘆願書でも書けば良い。

何もしないで名乗りもせずに言うのなら、誰にでも出来る。無責任に言えるから。
思想をこうして書く・・・これは勇気のいる事なのだ。

これで嫌われたり受け入れられなければ批判や非難も浴びるだろうし、仕事としても
不利な展開も考えられるが、それでも思想家のようなものが芸術家と言うのなら、

やって行かなければいけない事の1つでもある。みんなはこれを読んでどう思うのだろう
俺は世あたりが上手では無い・・・いつもそう思う・・・

そんな事を思ってこんな日本でこの額のモザイクを持ってモンゴルに行くのだから、
モンゴルの人に少しでも何か?が伝わると良いな・・・そう考える・・・



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