中学生の刺し殺し事件 2

中学生の刺し殺し事件 2

 

この事件の次なる問題は、学校の先生たちの多忙と疲労であろう。

先に書いた様に、この事件の真相を確かめようと、文科省や教育委員会は動き出す。するとその原因を現場での調査や原因究明に求められる。

 

先回書いた様に、この問題の難しいところは、簡単に解明できないところにある。本人自身も言葉では表しきれない、記憶の奥底に沈んでいる内容がある。

また以前にも書いたことがあるが、言葉はヒトによって意味が少し異なる。同じ経験をしていても、意味は少し異なる。これは各人の経験が異なることによって形成される無意識の影響に関係している。このような言葉によって調査が行われても、なかなか本当の原因にはたどり着かない。小さいころの親との関係も絡んで、複雑極まりない。

 

問題を解決しなくても良いと思っているのではない。困難な状況を理解し、あるところで状況を注視してゆくのが得策であろう。無理をすると、先生や職員の皆さんの疲労を必要以上に高めることになり、教育力が落ちる。

 

越後の良寛さんは、悟りを得たのちに、乞食をしながら暮らしていた。避けがたいことには、無理をして対処するのではなく、素直に従う姿がある。死期の近い病人のお見舞いに際し残した歌がある。

「散るサクラ 残るサクラも 散るサクラ」

見舞いされた本人も喜んでこの句を残している。

また新潟三条であった地震の災害見舞として

「災難に会う時は 会うがよろしく候 死ぬときは死ぬがよろしく候 これがこれ災難をよける妙法にて候」

と言う書簡が残っている。抗しがたいものに対する態度は、学ぶべきものがある。

 

私も十分に認知症であるから、上の良寛さんの句や書簡は多少誤りがあるかもしれない。しかし大意は通じるものと思っている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )