柳宗悦

柳宗悦

 

最近NHKの教育放送で、柳宗悦さんの放送があった。しかし内容は、民芸に関することだけで、なぜ彼の「民芸」の運動が、皆から注目されるかの本質にはほとんど迫っていなかった。確かに「民芸」についての著作も多く、注目される点ではあるが、なぜ用の美に辿り着いたのかの観点は必要であろう。

 

その原点は、彼の宗教的深さに起因している。そのために簡単には理解が届かない。柳宗悦氏の著書には、「南無阿弥陀仏」と言う仏教書がある。「南無阿弥陀仏」は、主に一遍上人の功績を分かりやすく解説している。この本の解説でも書かれているように、出版後時間が経っても、多くの関心が寄せられた書である。また版画家の、棟方志功が柳を師と仰ぎ、交流の中で多くの傑作を残した。1956年ベネツィア・ビエンナーレに出品し、ヨーロッパの芸術家に賞賛された。「南無阿弥陀仏」の書の後半には、柳のために彫った棟方の版画がいくつか載っている。私が好きなのは、棟方の「釈迦の十大弟子」である。

 

「民芸」が多くの人に注目されたのは、人生における本質に迫っているからであろう。彼は戦争中に、日本人が見下していた韓国の生活食器の美を見出し、賞賛している。占領下の韓国の品物を褒めることは、難しかったと思われる。

柳が賞賛したものは、職人が美しいものを作ろうとは意識しない、生活に必要なものの美である。無意識の中で作られる、使われる用に立つ装飾の無い美である。これは一遍上人の境地に近く、これこそが普遍的なものである。しかしながら、NHKの放送では、この様な根本的なことにはほとんど触れていない。

 

マスコミは受狙いが多く、根本的問題には目が向いていない。中学生の刺し殺し問題も、子ども間の各種トラブルも、ほとんど根本問題には触れない。また教育専門家と言われる人も、ほとんど気が付いていない。人生は一度で、すべては自分のなすように流れる。心して過ごさなければならない。

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