女と男・メスとオス 

女と男・メスとオス                  金森正臣 2007/11/3

 怪我をしてからあまり歩けないから、近くのレストランに出かけることが度々起こる。クメール料理の外人向けレストランで、カンボジア人も多いがあまり味は確かではない。普段は全く行かなかったが、止むを得ず行くことが多くなると、暇にまかせて余分なことを観察する。

 この店には、従業員が20人ぐらいいるが、半数は若い人である。調理場が道路の歩道上にあり、客席によっては全容が分かる。女性3人が、焼肉とクメールサラダを担当しており、歩道上で料理している。その内の一番若い女性Aは、美人ではないがなかなか可愛らしい。若いウエーターが、客から注文を取ると彼女等の所にオーダーに来る。若いウエーターの中で、彼女を好きだと思われる行動をとるaは、よく彼女をからかう。しかし彼女Aは、a君にはあまり気が無く、b君に気がある。

 なんだかチンパンジーの行動によく似ている。チンパンジーやニホンザルだと、気のある相手を巧みに誘って、群れからやや離れて行動するようになる。でも人間の社会で働いていると、そう群れを離れるわけには行かない。ママならないところがツライ。人間の社会は大きくなったために、異性への手続きも複雑になっている。基本には、同じ基礎行動が残っている。行動観察をしていると、言葉が通じなくても色々なものが伝わってくる。

 最近の日本の若者の間では、このような率直な行動が見られなくなっているように思われる。一つには自分に自信が無く、相手に拒否されるのが怖い。また、相手に自分の心の内を伝える方法が身に付いていない様にも思われる。社会関係をつかさどる行動が、未成長なのであろう。若い時の時間を、このような未成熟な状況で過ごすと、時間と共に見えるものが増して、冷めた目で人を見るようになる。こうなると異性を好きになることなど難しくなる。少子化現象などは、このような原因も関係があろう。
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カンボジアの中学校の体育授業 

カンボジアの中学校の体育授業         2007.11.2.   金森正臣

 カンボジアでは、体育の授業はあまり行われて来なかった様だ。体育大学はあったが、数年前に町の中心にあったぼろぼろの体育館が取り崩された。郊外の新しい団地に移転させられ、通うのが大変であまり先生も出てこないと聞いたことがある。土地ころがしにあったのだ。以前のカリキュラムでは、小学校では音楽・体育・図工が一つの科目になっている。体育館や校庭もほとんど見ない。かなり体育は軽視されている。体育大学も、小・中学校の体育とは関係なかったようだ。体育大学の卒業生が、先生になれる道はつくられていない。

 体育の授業を見たことがあるのは、いずれも小・中学校教員の養成所の付属学校の場合である。この写真も、バッタンバンの町にある中学校教員養成所の付属中学である。先生は出てきて、足を伸ばしたりしているが、我々のしていた体操に比べると、あまり筋肉を動かしていないし、様々な関節を動かしているわけでもない。立ったまましばらくして終り。何だか呆気ないし、もう少し仕様が有りそうなものだが、何ともならない。多分あまり習ったことが無いのであろう。一つ一つの運動の目的が、はっきりしていない様にも思われる。数年前に見た、スバイリエンの小学校教員養成校の付属中学で見た場合も似たようなもの。先生が来なくて、生徒たちが勝手にサッカーをしていた授業もあった。

 最近は金回りが良くなった人から、肥満が増えているのだけれど。もうチョット健康と運動の関係も正しく知った方が良いのだが。朝の公演では、散歩やジョッキングが流行っている。しかし柔軟体操などを見ていても、あまり効果的には動いていない。

  まあ、ボチボチ行くか。 
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