はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

またもぶざま

2014-08-14 13:21:35 | はがき随筆
 夜中に目が覚めた。照明もテレビも付けっ放し。居間の冷房も心配になって下りていったら案の定つけっ放し。省エネ、節電を心がけているのに「こりゃあいかん」。
 勝手知ったる我が家だから真っ暗でも2階に戻れるはずだった。廊下の先は玄関で、階段はその手前右。狭い家なので、わずかな距離。
 階段に1歩かけて身体が上に行くと思いきや、つんのめって手をついた。何と私は玄関のたたきに落ちた!
 たいした段差はないので手足が汚れた程度だったが、自分のぶざまさがおかしかった。
  鹿児島市 馬渡浩子 2014/8/14 毎日新聞鹿児島版掲載

奉仕作業

2014-08-14 13:12:55 | はがき随筆
 今年もまた年1回の奉仕作業があった。年々高齢化が進み、65歳が一番若い作業員だった。
 10年前は家庭から1人ずつだったが、今では全員参加になり、それでもわずか。話題も世界情勢から家族の近況報告まで豊富だったが、今ではあいさつ程度で、あとは無言。
 ある方が自分自身にはっぱをかけているように「ヨイショ! ハーッ」とため息交じり。ついには「来年はこられないかも」と落胆話。
 集落の〝和〟までもが途切れがち。「お金ですんこっなら業者に頼んだら」と、年金暮らしの高齢者。寂しいに尽きる。
  阿久根市 的場豊子 2014/8/13 毎日新聞鹿児島版掲載

ダリアの花園

2014-08-14 12:22:51 | はがき随筆
 「かのやばら園」は有名で、さまざまな花を堪能した。そんなバラのように、ダリアの花園があるらしい。200種類とはすごい。テレビで見た色とりどりの花は一瞬何だろうと思った。ダリアに魅了された。見に行けず残念だった。子供の頃の思い出がよみがえり、懐かしさで胸がいっぱいに。我が家にあったのはクリーム色と桃色の大輪。梅雨の頃から咲いていたような気がするが記憶は曖昧。目を閉じ、鳴之尾牧場近くにあるダリア園を歩く自分を想像する。山に囲まれて緑の風に頬をなでられゆっくり歩く。ダリアの香りはやはり甘いのだろうか。
  鹿屋市 田中京子 2014/8/12 毎日新聞鹿児島版掲載
ダマスクの風ダリア園はこちらから

今治を訪ねて

2014-08-14 12:17:45 | はがき随筆
 鹿児島に来るまで4年間住んだ愛媛県今治市へ家族旅行に行ってきた。みんながホームシックを引きずっていたからだ。
 JR鹿児島中央駅から新幹線とレンタカーを乗り付いて5時間。海と島が美しい町だ。
 5歳の長男は、3歳で引っ越したため、引っ越しの意味が分からず、以前の家がそのままで、なくしたおもちゃが見つかると思ってやって来た。もう、違う家族が住んでいることを目の当たりにし、ショックを受けたようだ。
 おのおのが思い出の場所を訪れ、旧交を温めた。町の変化も感じ、それぞれが成長した。
  鹿児島市 津島友子 2014/8/10 毎日新聞鹿児島版掲載

愛妻

2014-08-14 12:07:11 | はがき随筆
 61歳で倒れ、右半身重度まひ。孫子と平穏無事に暮らそうとした初老の妻はその時、人生の全てを失った。16年間みてきたが、体力の限界を感じ「すまん」と思いながら施設にお願いした。施設に残し、別れに人知れず目頭の潤むのを覚えた。それから26年、87歳。施設の暮らしも10年が過ぎた。語らいも笑いもなく、心通う潤いもない砂漠に呻吟起居する妻の病状は静かに進行。誰かも分からず、ただ生命があるだけ。子供もそれぞれ安定してこれからこそが本当の人生であったが、一瞬にして暗闇に転落した妻。限りない不憫の状、その果てを知らない。
  鹿屋市 森園愛吉 2014/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載

家族の灯

2014-08-14 12:00:14 | はがき随筆
 両親元気で兄弟皆一緒の時は夢のように過ぎ去り、子らは皆自立し、父は20年前、母は今年亡くなり、家族の灯は消えた。
 気持ちが落ち込むと私の車は実家の方へと向かう。家族総出で田植えした田の道を通り、空き家となった家に着く。ただそれだけで温かなものを感じ、私は元気になれる。そしてまた来た道を帰る。夕焼けの中、なかなか終わらない田仕事の父と母をあぜ道で待った遠き日を思い出しながら。
 何事もなかったように帰るのだが、ふと不安になった。私は3人の子供たちに家族の灯をちゃんと灯せているだろうか。
  出水市 塩田きぬ子 2014/8/8 毎日新聞鹿児島版掲載

私の昭和

2014-08-14 11:46:18 | はがき随筆
 どこからかヒグラシの「カナカナカナ……」と聞こえる季節。鹿児島市で、懐かしき風景画展を開いた。「ジャッタ、ジャッタ」と見ず知らずの人同士が共感し合い、懐かしき昭和を振り返っていた。ちゃぶ台を囲んで、ケネジュウが膝をつき合わせた茶の間の絵に話が弾んだ。家族揃っての食卓、おやじの厳しいしつけの場、勉強、お茶、話など家族が寝るまで憩いの場だった。血の間や一家だんらんが消えてしまった今こそ、茶の間が必要なのかも知れない。家族の絆、心の豊かだった昭和と生まれ育った自然のありがたさが身に染みる日々だった。
  さつま町 小向井一成 2014/8/7 毎日新聞鹿児島版掲載