はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「幼い日のときめき」

2010-02-22 19:36:08 | 岩国エッセイサロンより
2010年2月20日 (土)
    岩国市  会員   中村 美奈恵

 幼いころ、夜中に目が覚めるとミシンの音がした。家計を助けるために母が縫い物をしていたのだ。毎年2月になると、友達の家にはひな人形が飾られた。一度だけお道具に触らせてもらったことがる。その時のときめきを母には言えなかった。

いつか娘が生まれたら……。息子ばかりでは思いもかなわなかった。そんな私の元に京都から人形が届いた。引っ越しで手狭になった方から譲ってもらったのだ。赤い毛氈に一体一体飾り付ける。初めて手にする十二単のおひな様。

あこがれの七段飾りに、幼い日のときめきがよみがえった。
   (2010.02.20 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
岩国エッセイサロンより転載

「ころんでも」

2010-02-19 18:55:19 | 岩国エッセイサロンより

    岩国市  会 員   吉岡 賢一

 「じいちゃーん、がんばって!」。会場に響く孫の黄色い声援もむなしく予選落ち。本放送のテレビには映らなかったNHKのど自慢。「なんで出られんかったんじゃ?」と尋ねる彼らに「なんでじゃろねー」とあいまいな返事をする。明確な選考基準が見えないので、あいまいにしか答えようがない。
 「じいちゃん、かっこよかったじゃろ」と聞くと「ようわからん」と正直だ。「次にあったらまた挑戦するよ」「おれのスキーと同じじゃね」と話は弾む。
 テレビ画面の雄姿は見せてやれなかったが、挑戦することの大切さを感じてくれたらそれでいい。  
  (2010.02.19 毎日新聞「はがき随筆」掲載)
岩国エッセイサロンより

灰よ、降れ

2010-02-18 12:21:39 | はがき随筆
 敗戦の年、たっぷり降った灰を、ピンク色に染めて遊んでいたっけ。          いま、縁側でザラザラ、髪パサパサ、めがね汚れるで、愚痴りたくなる。
 だが待てよ。
 二千年以上も昔、旧約の民は、自分たちの罪に気付くと、灰をかぶって悔い改めたのではなかったか。
 降灰がおのれの心を糾明する道に向かわせるなら、これはもう恵みというしかない。
 灰よ降れ。  
 わたしの心に。
  鹿屋市 伊地知咲子(73) 2010/2/18 毎日新聞鹿児島版掲載

言うは易く

2010-02-18 12:18:05 | はがき随筆
 きょうも朝から野菜たっぷりの食事を作る。
 長年の生活習慣が、私の体を「血圧高め」の状態にしてしまった。加えて体質遺伝もあるのだろう。できることなら薬に頼らず自分の力で正常な血圧を保ちたいものである。
 まず食事に気をつけること。野菜中心に海藻、きのこ類、牛乳や豆類。肉や魚ももちろん大事だ。これらを減塩で調理する。これまで通りウオーキングを続ける。そして減量。これこそ私にとって「言うは易く行うは難し」の見本のような難題だが、クリアできなければ、やがて薬の世話になることになる。
  薩摩川内市 勝野加枝(67) 2010/2/17 毎日新聞鹿児島版掲載

雪と赤い火

2010-02-18 11:29:34 | はがき随筆
 久しぶりに積もった雪は、吉松を中心とした地震を思い出させた。四十数年前、牧園に住んでいた。雪が20㌢程積もった朝、夫と小1の娘を学校に送り出して下の子2人と遊んでいた。
 突然、家がきしんで揺れた。地震だ。とっさに下の子を帯で背負い、掘りごたつの中から練炭こんろを取り出し、上の子を抱いて外に出、真っ赤な練炭の火を積もった雪の上に放った。
 ジュッと鳴って赤い火は、雪を溶かしながら消えた。外はまるで遠くから山が鳴りながら近づいて来るような光景だった。
 何度も繰り返す揺れの中で、地震の弱まるのを待っていた。
  薩摩川内市 森孝子(67) 2010/2/16 毎日新聞鹿児島版掲載

新幹線

2010-02-17 18:41:19 | かごんま便り
 鹿児島着任の07年7月、本欄の前身「鹿児島評論」を同じ題で書いた。部分開業とはいえ小倉駅から約3時間で鹿児島中央駅に降り立った驚きは忘れない。その新幹線が来春、本州とつながる。

 九州新幹線の全線開業の前祝い?のイベントが13、14日に開かれた。鹿児島中央駅前の広場は、県内各地や沿線各県の物産展でにぎわい、鉄道模型のジオラマや新大阪直通のニュー新幹線「さくら」のミニ列車などが人気を集めていた。
 国鉄が全国新幹線網構想を発表したのが67年。3年後に法制化され、国鉄の分割民営化をはさみ着工までには曲折があった。04年3月の部分開業で新幹線自体は当地では既におなじみだが、在来線に乗り継ぐ今と新幹線が直通することの違いは大きい。時短効果だけでも在来線特急時代に4時間近く要した博多まで、今の最短2時間12分から約1時間20分になる。

 鹿児島まで足を延ばそうか迷う人には朗報だろう。だが同じことは鹿児島から出たい人にも当てはまる。従来なら鹿児島の夜を楽しめたのに日帰りさせられる出張族だって出てくるはずだ。全線開業が恩恵ばかりもたらすとは思えない。

 期待される集客にしても課題は少なくない。地域流通経済研究所によると、九州新幹線の全線開業を知らない大阪人は07年、08年の調査でいずれも42%と横ばい。同研究所は「1年強の間の九州側からの情報発信は不足していた」と断じた。

 全線開業を地域の振興にどうつなげるか。12日にかごしま県民交流センターでシンポジウムが催された。都合で聴けなかったが、県の活用プランが紹介され、経済団体、観光業界などの代表が意見交換したという。

 この種の行事を平日の昼間に設定する当局のセンスが気になる。業界関係者を除く一般県民を巻き込む気はないらしい。地域ぐるみで知恵を絞るべき問題と思うが……。

鹿児島支局長 平山千里
2010/2/15 毎日新聞鹿児島版掲載

人生の不思議

2010-02-17 12:39:37 | 女の気持ち/男の気持ち
 退職を翌年に控えた8年前のこと、中学で理科を教えていた私は生徒たちと学校近くを流れる川内川とその支流の生き物調べをした。ついでに川内川の歌があるか調べると、ないことが分かった。
 同僚の音楽の先生に冗談めかして「ぼくが作詞するから、作曲してもらえない?」と持ちかけると、「いいですよ」とあっさり言われた。それで引っ込みがつかなくなった。
 作詞など全くの門外漢。慌てて「荒城の月」や「浜辺の歌」の歌詞を研究した。分かったのはみな七五調であることぐらい。それでも自分なりの言葉を連ね、源流から河口まで6番の歌詞にまとめた。それに音楽の先生が曲をつけ、学校の文化祭でお披露目してくれた。
 「はるかにのぞむ白髪岳歴史を語る旅立ちの・・・・」
 自作の詞が美しい旋律にのって耳に飛び込んできた。うれしくて涙が出た。国交省の川内川河川事務所が毎年川祭りで流してくれるようになるなど、その歌は大きな反響を呼んだ。
 すっかり歌作りの魅力にとりつかれてしまった私は翌年、卒業生贈るつもりで「鹿児島讃歌」という歌を作詞し、さらに退職後に書いた詞が三つの歌になってそれぞれの地域で歌い継がれている。
 音楽会に行ってもただ聴くだけだった人間が、五つの歌の生みの親になるとは。人生ってつくづく不思議なものである。
  鹿児島県出水市 小村 忍 66歳 2010/2/16の気持ち欄掲載

ゆっくり春が

2010-02-16 17:53:47 | アカショウビンのつぶやき








 冬枯れの庭で、クリスマスローズが一斉に花を開き、そこだけ彩りを添えている。

「クリスマスローズは切り花にすると、2週間は持つよね」と友人が言う。
でも、私は切り花にできないのだ…。

 毎年、花を観ながら考える。
「株を成長させるためには、花を切った方がいいんだろうなあ…」と。でもこの花は、花茎の上へ上へと蕾がつくので、最後の花まで咲かせてやりたいなあ…と思ってると切るチャンスがなくなってしまう。悩みつつまた今年も種ができるまで咲かせちゃうんだろうなあ。

 葉っぱ1枚でもけなげに花をつける、背の低い品種は今年も葉っぱは一枚だけ。
寒い土の下で小さなちいさな蕾を育てていたらしい。土を割ってようやく花芽が顔を出した。何年たっても大きくならない株だけれど、消えもせず今年も春の訪れを告げている。

 2.3日暖かい日が続いた朝、ユキヤナギが急に緑色に変わっていた。小さな若芽はぶり返した寒さに震えているが、こうして三寒四温を繰り返し、ゆっくり、ゆっくり春が近づいてくるのだろう。

牙はサトウキビ

2010-02-15 22:36:07 | はがき随筆




 今年も西之表市の郵便局横に平成22年の干支トラのオブジェがお目見えした。郵便局員のOBの作だそうだが、ほぼ実物大の見事な出来栄えである。
 その素材がまたユニークだ。キンカンの目、松ぽっくりの歯にサトウキビの牙、耳はススキの穂、胴体はワラ、つめもサトウキビと、島の産物が巧みに活用されている。さらにその後ろ姿を見れば、大きなユズでオスの印、金の玉袋がぶら下がり芸の細かいところも見せている。
 尾を背中に背負い、ひげをピンとはねあげ″ガオーッ″とほえるさまは迫力満点。見る者の目を楽しませてくれている。
  西之表市 武田静瞭(73) 2010/2/15 毎日新聞鹿児島版掲載
写真は武田さん提供

チョコっと「交通安全」

2010-02-15 22:05:57 | アカショウビンのつぶやき
 鹿児島市の専門学校生が、鹿児島医療福祉専門学校前で、運転手にチョコレートを配った。
 「チョコっと注意」
 「スピードを控えめ」
 「ライトを早めに点灯」
など交通安全の呼びかけを添えて。

 受け取ったドライバーは、思わぬプレゼントにニッコリ…。

 チョコっと効き目があったかな。

診断されて

2010-02-15 21:56:58 | はがき随筆
 いつもの一般健康診断を受けた後、今度は更に精密検査を、との通知をもらいました。
 PSA(前立腺特異抗原)という耳なれない名前の数値が高いということでした。
 病院では「生検」つまり細胞を採取してもらい、その結果、アウトの判定でした。
 がんとは不思議な生き物らしい。細胞の中で、それ自体では死の方向性を持たず、故に宿主の死を早めるように成長する。
 目を友人や知人に向けてみると経験者の多さに驚きます。
 世界井一周中の間寛平さんもそうだとの報を受けました。なお走り続ける寛平さん、頑張れ。
  出水市 松尾繁(74) 2010/2/14 毎日新聞鹿児島版掲載

お大事に

2010-02-15 21:45:00 | はがき随筆
 初めての胃の透視をした。結果は胃かいようと十二指腸かいようのダブルパンチだ。原因はストレスとの診断。看護師さんの「お大事に」の一言が緊張を和らげた。慰めと勇気づける言葉だろうか。看護師さんの″決まり文句″だろうか。不思議でならない。永久に消滅するあいさつではないだろう。これ程に「お大事に」を重視したことはなかった。病気の重さを痛感した。お大事にの決まり文句の言葉が脳裏に強く刻まれた。病院の帰り際に看護師さんの「お大事に」のあいさつが印象的だった。30年近くも働いた体もくたびれたろう。ねぎらいたい。
  加治木町 堀美代子(65) 2010/2/13 毎日新聞鹿児島版掲載

いざ往きめやも

2010-02-15 21:40:41 | はがき随筆
 私の気力を引き出す文章は「いざ、生きめやも」
 ふと、42年ぐらい前の高校生の時の記憶がよみがえった。テストに出た「生きめやも」の文法的説明ができなかったこと。
 時を経て、正解を知りたくなった私は、知り合いの国語の先生に教えてもらった。
 詩人ヴァレリーの詩集の中に出てくる一節を正解のようにいうと<どうして生きられようか、とても生きてはゆけない>という解答に驚いた。しかしずっと、生きてゆくのだという意味のつもりだったし、小説の中で出合った一節だ。だから、2010年もいざ、生きめやも。
  鹿屋市 田中京子(59) 2010/2/12 毎日新聞鹿児島版掲載


きつね火

2010-02-15 21:28:08 | はがき随筆
 小学1年のころ、母がきつね火が出ていると知らせてくれた。家の外に出てみると、村の墓地の下の辺りに、赤い火と青い火と交互に火の玉が舞っていた。春の暖かい夜であった。好奇心から、しばらくきつね火に見とれた。余り気持ちの良いものではなかった。
 この光景とは別に、兄が八代から山越えの時、山里で日が暮れ、樫の木峠から一人きりで行く手に大きな火球が動かない。下げたちょうちんのしんきろうではとちょうちんを動かしたが火の玉は動かずゾツとした。集落の灯が見えてから火の玉もいつとは無しに消えたという。
  鹿屋市 山口弘(77) 2010/2/11 毎日新聞鹿児島版掲載

何の変哲もなく

2010-02-15 21:23:23 | はがき随筆
 目がさめ灯をともすと、まず一番幼い孫の写真にお早う、次は10歳、16歳君へ「お早う」と声かける。仏壇へ線香とお茶をあげ新聞を読む。6時半になるときっちり外へ出てラジオ体操。頭上の星や月を仰ぎながら少しあかるくなる朝の中にたたずむ。寒いが、手を擦り体を動かすとあたたまる。すんだら40分から新川沿いの散歩へ。いつものことをいつものように繰り返している。が、この変哲のないことも私の大事な日々であり、果たしていつまでこうあれるのか。健康をベースに反復する時々刻々への念は深い。今年も自然に、はがき随筆へよろしく。
  鹿児島市 東郷久子(75) 2010/2/10 毎日新聞鹿児島版掲載