クリを煮、フキをむく。ウドを掘る。柿を干す。そんな日常が宝のような生活。しかし懐深く守られた日々には、ありきたりの繰り返しは面倒で、退屈で、なんと面白くないものかと思えていた。平凡が不断の努力で維持されている事に気づかず、平坦、保身、用心深さを侮る若さの傲慢を自覚するのは難しい。しかし親の教えとは、いつしか見にしみあふれくる。季節をいとおしみ味わう楽しさを私は父母から確かに教わっていた。そのたどった道を同じように歩く。それでやっと実を結ぶ親心のありがたさ。父さん母さん。今ごろ感謝しても遅いですか?
熊本県阿蘇市 北窓和代(63) 2018/11/8 毎日新聞鹿児島版掲載
熊本県阿蘇市 北窓和代(63) 2018/11/8 毎日新聞鹿児島版掲載
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