はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

たべられちゃったスズメ

2007-11-06 10:46:16 | アカショウビンのつぶやき
 数日前、パソコンの前にいると、庭で「ドスン」と鈍いがかなり大きな音がした、なんだろう…と思ったのだが、そのまましばらくパソコンで遊んでしまった。目がしょぼしょぼしてきたので、パソコンを離れ廊下に出て見ると、なんとキウイの根元に小鳥の羽とおぼしきものが散乱している。
 「しまった、やられたー」と叫び飛び出した。飛び散った小さな血痕、風に乗って飛んでいった羽は庭中に広がって、見るも悲惨な光景が…。
 野鳥のために水飲み場や餌をやりはじめて10年以上になるが、初めての惨劇だった。いつも野良猫には注意していたつもりだが、その前日、植木鉢を移動したとき、あろうことか猫がひそむのに格好の場所を作ってしまったらしい。
 あたり一面に散らかった羽は箒で掃くこともできない。小さな身体はこんなにも多くの羽毛で覆われていたのかと驚くほどの大量の羽を、最後の一枚までポリ袋に拾い集め、せめて羽だけでも埋めて葬ってやろうと、フェイジョアの根元に潜っていくと、そこにはさらに悲惨な光景が広がっていた。
 逃げようともがくスズメをドタバタと暴れながら捕まえた猫は、人目につかないここでゆっくりと食べたのだろう。更に大量の羽毛と食べ残した脚がころがっていた。
 凄惨な場面を見ながら羽を拾っていると気分が悪くなってきた。でもお腹をすかせた野良猫の命をスズメが救ったのかもしれない…と気を取り直し黄昏れ近くなる庭で羽を拾い続けた。
 それにしても私たちの飽くことなき欲望によって、多くの尊い命を当然のように殺傷している現状を深く思い巡らす一日だった。
写真は里人さんからお借りしました。

失われたもの

2007-11-06 09:29:19 | 女の気持ち/男の気持ち
 地元資本のスーパーが閉店になった。あちこちにショッピングモールや大型スーパーが出店したせいだろう。小規模ながら日用必要なものはほとんど揃っていたし、魚や肉も新鮮だったので残念でたまらない。なによりも歩いて行ける距離だったので、車に乗らない私にとってはとても重宝な存在だった。
 確かに大型スーパーやショッピングモールは、広い駐車場があり、商品も豊富なので若い者には便利だ。しかしその裏で個人商店や小さな店はどんどん消えていき、運転しない者や老人にとってははなはなだ不便になった。
 私は田舎で育った。けれど、近くには個人の魚屋、酒屋などがあり、不便だとは思わなかった。よくお使いを頼まれ、金銭感覚や接客などを自然と学べた。お愛想を言ってもらえるのもうれしかった。
 子供のころよく行った店はもうない。年老いた母は遠くのスーパーまで自転車で買い出しに行く。「自転車に乗れなくなったらどうなるんだろう」と不安がる。
 近年、銀行もデパートも電気店も何もかも統廃合され、ますます巨大化していく。なんだかSF映画の肥大化した化け物のようで、不気味さを感じる。
 便利さの代償に、失われたもののなんと多いことだろう。
   下関市 石田満恵(57歳) 2007/11/6 毎日新聞鹿児島版
   「の気持ち」欄掲載

甘藷を思う

2007-11-06 09:05:38 | はがき随筆

 小学生の総合学習の甘藷堀りをテレビで見た。楽しげでうらやましく思った。
 私の小学2年生時に日中戦争、6年時に太平洋戦争が始まり、旧制中学4年で終戦を迎えた。戦争が長引く中、食料はすべて国家統制となり、甘藷がまさしく主食となり命綱だったことを思い出す。
 甘藷の利用や活用は多種多様だ。従来はゆでる、飯と炊く、ダンゴや煮しめの材料、あめ、あん、焼酎の原料、寒ざらし粉、ようかんなど。今では菓子や料理の材料に広く利用され、愛用者も増え、見直されてより頼もしい。
   薩摩川内市 下市良幸(78) 2007/11/6 毎日新聞鹿児島版掲載

おかしくて泣けた日

2007-11-06 08:11:02 | 女の気持ち/男の気持ち
 この1年足らずの間に、母の知人が3人も亡くなった。いずれも90歳前後のご婦人である。弟家族に大切にされて暮らしている母だが、茶飲み友達を失った寂しさはやはり隠しきれない様子だ。
 先日、にぎりずしを手に、久々に母のもとを訪ねた。
 6畳の部屋にベッドとテレビ、続きの間にはトイレもある。玄関に近いこのスペースが母の社交の場であった。
 私は小さく丸くなった母の背中を見ながら、「この人も遠からず消えていくのだろうか」と思い、時間が流れていくのが怖かった。
 「真知子、私が死んでも泣かないでおくれ。89歳と言えば年に不足はないし、晩年幸せだったから」
 突然に母が言った。
 「大丈夫よ。泣かないから」
 返した私の言葉は短かった。
 意外だったのか、しばらく沈黙が続いた。ややあって、母は再び口を開いた。
 「一人しかいない娘が泣かない葬式なんて、みっともないから少しだけ泣いておくれ」
 「たくさん泣くから心配しないで」
 私はおかしいのをこらえながら、自然と涙がにじんできた。
 自分の葬儀のプロデュースをする母の顔に、秋の陽がまぶしかった。
   大分市 三房真知子(58) 2007/11/5 毎日新聞鹿児島版
   「の気持ち」欄掲載