EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市城北地区歴史散策 8 終

2010年06月26日 | 往年の名車 メグロ
松山市城北地区歴史散策 8

画像は、愛媛県立松山北高等学校第二体育館で、秋山好古が大正13年4月に北豫中学校校長に赴任し、大正15年に講堂として建築されここで好古は講義をした。
現在は、第二体育館として卓球と柔道場として使われていて歴史ある建物である。

昭和20年7月26日の松山大空襲で殆どの校舎は焼失したが奇跡的に残った。
松山市の攻撃は、5回に渡り、内4回は松山飛行場であった。

第1回目が、昭和20年3月19日、5月4日、5月10日、5月14日で、昭和20年7月26日が松山大空襲、恐れられていたB29(スーパー・フォートレス、空飛ぶ要塞)長距離爆撃機がサイパンから飛来23時5分頃から27日の午前1時20分頃の間に896トンの焼夷弾を投下し一瞬にして松山市内は焼け野原となった。

北豫中学校も爆撃を受け殆どの校舎は焼失したが、好古校長時代に建築した講堂(現 第二体育館と武道場・小使い室)が残った。
現在は、講堂(現 第二体育館)だけが現存する。
なお、松山の爆撃対象外にあげられたのが、道後温泉、松山城、松山陸軍病院であったが、誤って松山城に焼夷弾が落された。


註:松山大空襲は、米側資料によると、攻撃機は、米陸軍第73爆撃団(サイパン、イスレイ飛行場)所属で、B-29・350機が大牟田・松山・徳山攻撃の為に飛び立ち、内128機が四編隊に区分され、投下高度1万1千フィート、攻撃開始時刻は、23時08分に松山を攻撃したとある。

「松山爆撃に参加したカリフォルニア出身のスミス中尉の談話。
松山の火災は此れまでに私が見たベストのものだった。全市が燃えた。煙はゆうに上空1万8千フィート(6000m)に達していた。」

私は、この状況を温泉郡川上村北方から見たがすさまじい炎であった。5歳の時であった。
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松山市城北地区歴史散策 7

2010年06月24日 | 往年の名車 メグロ
松山市城北地区歴史散策 7

画像は、愛媛県護国神社境内にある、秋山好古揮毫の記念石碑「天壌無窮」である。

この石碑は、昭和3年11月3日松山市清水小学校が開校し同年昭和天皇即位の御大典を記念して20数名の先生方が醵金して建立した。
揮毫は当時北豫中学校校長であった秋山好古に揮毫依頼して校庭に建立した。

昭和20年11月、米英進駐軍が松山に駐留した。司令官は第24師団司令官、トーマスD,ドレーク陸軍大佐が、この石碑を見て極東軍最高司令長官マッカーサー元帥の命令で直ちに撤去せよとの命が下った。

マッカーサー元帥は、財閥解体、農地解放等々して来たがその中に、教育施設にある記念石碑で揮毫者が軍人の石碑の撤去があった。

清水小学校の石碑は此れに該当し撤去された。石碑が割れているのは撤去作業中に割れたものである。撤去された石碑は平成7年まで同校の用具室に保管してあったのを校長の許可を得て愛媛県護国神社・波爾荘宮司の努力で境内に再建立された。

天壌無窮の石碑は、揮毫者が陸軍大将と言うよりも、碑文「天壌無窮」にあったのではないかと思う。昭和16年3月国民学校令が公布され明治以来親しまれてきた「小学校」の名称が「国民学校」に改められ、教育の目的に「皇国ノ道ニ則りテ初等普通教育ヲ施し国民ノ基礎的練成ヲ為スヲ以って目的トス(第一条)とあって「皇国ノ道」とは「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スル道」と意味付けされていたという。・・これは国家主義的・軍事的色彩が強く示されている内容がある。
此れが強く感じ取られたのが原因だと思う。

愛媛県宇和島市にも此れに該当する碑があり、住職がわが命に変えても寺に引き取り護って行くといって再建立された石碑が境内にある。

先日行ってみて石碑裏面を見ると、昭和天皇御大典並清水学校開校記念と刻印あるが、よく判読出来ない・・神社に頼んで文字に墨入れをして撮影しておきたい。
この他、醵金をした先生方の名前が刻印されていたそうだか今は全く風化して見る事が出来ない。

秋山好古は大正13年以前まではよほどの依頼が無い限り揮毫はしてなかった(好古の揮毫嫌いは有名であった)大正13年元内閣総理大臣、清浦奎吾氏が新田長次郎氏の招きで松山に来られ、早朝から揮毫する姿を見て「長さんそんなに年寄りを責めたらいかんぞな・・と言うと、長さん曰く、信さんは今や日本の秋山好古、揮毫依頼をする人は家宝とするためにお願いするのであります。信さんも字を書いてあげて欲しいものですな」と諭してから揮毫を始めたのである。

此処にも長さんと、信さんの出合いの一齣が伺える。

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松山市城北地区歴史散策 6

2010年06月24日 | 往年の名車 メグロ
松山市城北地区歴史散策 6

画像は、来迎寺の東にある松山大学御幸キャンパスにある新田長次郎翁蔵髪塔である。
昭和12年7月17日建立と碑の裏面にある・・亡くなった一年後に建立した「昭和11年7月17日」逝去

新田 長次郎は安政4年5月29日(1857年)伊予松山藩温泉郡山西村で新田喜惣次の次男として出生した。
生家は農家であったが代々新田を名乗り、南北朝時代、足利尊氏に敗れ各地に分散した新田氏の流れをくんでいる。松山市日浦地区に新田氏を祀る両新田神社がある。

明治5年15歳になった時家で取れた野菜の行商を始めた。
安政2年4月生まれの仙波太郎が魚の行商する姿を長次郎はよく見かけた。
太郎は、温泉郡久米村福音寺の庄屋の出であったが維新後没落して家計の支えとして行商をしながら勉強をし、後の陸軍中将となる人物である。(桂太郎・宇都宮太郎とともに陸軍の三太郎と呼ばれた。)

長次郎は行商に城下町に何時も行っていた。ある日大柄で広い背に焚き木を背負った少年をよく見かけた。南徒町にある戒田風呂で風呂焚きをしている秋山信三郎であった。
ある日、長次郎と信三郎は「学問のすすめ」を通じて親しくなり生涯の友となるのである。
昭和5年3月北豫中学校長を退任し東京に帰るとき大阪に立ち寄り一晩長次郎氏と語り明かし東京に帰り同年11月4日逝去する。

長次郎氏は、好古の訃報を聞き、信さんは、私に最後の別れに大阪に来てくれたのだったか、もっといろんな話をしたかったと号泣したとある。
長次郎氏と好古は生涯、長さん、信さんと呼ぶ親友であった。(好古は、秋山信三郎好古が正規の名前)

好古は教師を志大阪師範学校に、長次郎も大阪に出て一会社員として就業するが後には、東洋一の革ベルト王(現 ニッタの創業者)になり、青少年の教育の場である学校を造り教育に貢献して行った。

その一つが、有隣尋常小学校(現在の大阪市立栄小学校)の設立であり、故郷松山に西日本で初めてとなる、松山高等商業学校(現在の松山大学)の設立であった。

晩年創設した琴ノ浦温山荘園は紀州の名園として名高く、清浦奎吾、秋山好古らの扁額が主屋「温山荘」に掲げられている。

琴ノ浦温山荘園は、建物が平成10年に国指定登録有形文化財に、庭園が平成22年国指定名勝になっている。
琴ノ浦温山荘園の命名は、元日本海軍連合軍司令長官、元帥東郷平八郎である。
所在地は:和歌山県海南市船尾370
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松山市城北地区歴史散策 5

2010年06月23日 | 往年の名車 メグロ
松山市城北地区歴史散策 5

画像は、来迎寺墓地にあるロシア兵の墓石とその献花である。

墓地は、篤志家の地元夫人、地元中学生達が清掃活動を行っており墓地には草等々は生えて無く365日献花が絶えない。

墓石は全部、兵士の故郷ロシアを向いて建立している。
墓石の文字も良く見えるように何時も墨をいれ手入れも行き届いている。

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松山市城北地区歴史散策 4

2010年06月23日 | 伊予松山歴史散策
松山市城北地区歴史散策 4

画像は、来迎寺墓地にあるロシア兵の墓地である。
青地林宗墓所のすぐ東に位置している。

明治37、38年日露戦争の捕虜の大部分が松山市に収容され、当時の城北練兵場(現在は愛媛大学その他学校施設が出来た)に大簡易式の病院が建てられて診療にあたった。

捕虜兵は近くの寺院が収容場所となった。市内上流婦人が看護を引き受け、時にはピクニック、道後温泉入浴等々厚く持て成したので捕虜になった兵たちは松山の収容所希望が多かったとある。

ある時神戸市のロシア領事館に松山収容所の食事が悪いと苦情があり、領事官が松山に来て調査したが何の不具合も無く、松山の食事は充分すぎる位いい、贅沢言うべからずと言って神戸に帰ったとある。

また兵と看護をする若き女性と恋の芽生えもあったとか言われている。

このような持て成しの心が世界に知られるところとなり、最近ではロシアからゆかりの人が訪れ日露友好の架け橋となっている。

墓地は、篤志家の地元夫人、地元中学生達が清掃活動を行っており墓地には草等々は生えて無く365日献花が絶えない。

墓石は全部、兵士の故郷ロシアを向いて建立している。


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