EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

済美高等学校野球部監督に苦言を呈す

2017年07月30日 | 伊予松山歴史散策

脱帽せずして優勝盾を受け取る済美高校野球部副主将。

 松山市にある私立高等学校、済美高等学校は女子高として明治34年創設された歴史ある女子高であったが、平成14年男女共学化され野球部を発足、監督に甲子園優勝経験のある、元愛媛県立宇和島東高等学校野球部監督、上甲正典氏を迎え創部3年目で全国高校野球選抜大会優勝、選手権大会準優勝した。甲子園で勝利した学校の校歌が演奏されるが、済美高校の校歌は、歌詞「やれば出来るは魔法の合言葉」が流れ注目を集めた。生徒集は2,000人を有する中四国で一番多い高校である。

 さて此処で済美高野球部中矢監督に苦言を呈したい。

今年の全国高校野球選手権大会愛媛県予選は、天候に恵まれ予定通りの日程で決勝戦が行われ、結果は、第1シード校帝京第五高等学校対第3シード校済美高等学校が対戦し、済美高等学校が10対3で勝利し愛媛県代表を勝ち取った。

私が苦言を呈したいのは、閉会式の時の選手の行動であります。

大会運営本部から優勝校には、賞状・優勝旗・優勝盾の授与が行われました。

本来は、賞状・優勝旗・優勝盾を受け取る選手たちは、帽子を脱いで受け取るのがスポーツを行う生徒達の礼儀、賞状・優勝盾を受ける選手二人は、帽子を脱がなかった。

優勝旗を受けた主将は帽子を脱いで受け取った。

 何故監督は、生徒たちに、賞状・優勝旗・優勝盾を受ける時は、必ず帽子を脱いで・・と言う指導をしなかったのか私は大変残念な気持ちでその様子をTVで見ました。

今年の済美高野球部は、ただ単に野球に付いては猛練習をし、その結果優勝を勝ち得たが、反面、礼儀作法の躾がされてなかった。

その証拠が閉会式の行動に現れたのだと私は思いました。愛媛県代表校としては恥ずかしい光景を垣間見た。

アマチュア野球は礼儀で始まり礼節で終わる。見ていてすがすがしいスポーツ、中矢監督しっかり礼儀作法の躾をしてほしいものです。

中矢監督にカッツ!!・・此れから甲子園にて戦いが始まるが、愛媛県代表として恥ずかしくない行動をしてほしい・・説に願うものです。

 準優勝をしました帝京第五高等学校の選手は、準優勝の賞状と準優勝盾の授与にはきちんと脱帽をして、深々と一礼をし受けていた。小林監督の行き届いた礼儀作法の指導が行われている証である。

試合終了後ホームベースを挟んで、審判の皆さんと、お互いの健闘を讃えての挨拶此れが、日本のアマチュア野球の良い所。脱帽しての挨拶。当たり前の行動だけど。

優勝して応援団にお礼のあいさつをしたところ。挨拶は脱帽して。

さて

回れ右の動作について、最近の高校生の回れ右の動作、見ていて何かもたもたしていて見苦しい。

私たちが習った「回れ右の動作」は右足を後ろに引き、右に回り、右足を左足横に置く。・・これを体育の時間に習った。見ていて気持ちがいいが、何故しないのか??昔の軍隊を想起させるからでしょうか??

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光のお持て成しin松山城2017 その2

2017年07月26日 | 伊予松山歴史散策

ご逝去されました、歌舞伎役者の坂東三津五郎さんがお気に入りの伊予松山城。

「光のおもてなしin松山城2017」その2です。

光のお持て成しin松山城2017 その1は、本丸広場のイルミネーションを見て頂きましたが、此れから本丸広場を下りながらイルミネーションを紹介します。

本丸広場から下ると最初の城門が「太鼓門」です。

太鼓門の直ぐ前にある「染井吉野桜」に仕掛けたイルミネーションが見えて来ます。

太鼓門は、昭和20年7月26日、松山大空襲の際にB29爆撃機から投下された焼夷弾により焼失され、昭和47年復元されました。

太鼓門を出ると桝形がありますが此処に仕掛けられたイルミネーションです。

イルミネーションは、染井吉野桜に仕掛けられています。

太鼓門と筒井門の桝形に仕掛けられたイルミネーションオブジェ、椿神社の赤の大鳥居か?それとも、広島市から借り受けてのオブジェなので「安芸の宮島・赤の大鳥居」か?・・どちらでしょうか。?

太鼓門と筒井門の桝形に仕掛けられたイルミネーションオブジェ「原爆ドーム」か、それとも愛媛県庁舎かな?・・愛媛県庁舎も中央にドームがあり、全国で三番目に古い歴史のある庁舎です。一番歴史のあるのは、大阪府庁舎、二番目が神奈川県庁舎です。

参考までに:愛媛県庁舎で、日本で三番目に古い歴史のある庁舎です。

昭和4年に完成しました。

太鼓門と筒井門の桝形に仕掛けられたイルミネーションオブジェ「赤大鳥居」と「ドームのある建物」その他のイルミネーション。

筒井門を潜ると「鳳凰」が眼前に迫ってきます。なかなか迫力のあるイルミネーションオブジェです。

筒井門から見た伊予松山城下の夜景です。

戸無門を潜り振り向くと「鳳凰」が見えます。

隘路を下ると、待合番所跡のイルミネーションが見えます。

隘路を下り振り返ると石垣にライトアップされ、その奥に伊予松山城天守が見えます。

俳優の榎木孝明さんが一番のお気に入りの伊予松山城の風景です。但し昼間の風景です。

待合番所跡に仕掛けられた沢山のイルミネーション。外国から観光に来られた方々、ここで記念の写真を撮られる方が多く居られました。

特に、このイルミネーションの前で記念写真を撮る方が。

坂の上の雲の主人公の一人、秋山眞之が幼少時代に登った石垣にもライトアップされています。

上に見える櫓は、隠門続櫓(重要文化財)です。

ロープウエー山頂駅舎からの登城道、両端に画像の様にイルミネーションで醸し出し、足元の安全が確認できるように施されています。

「光のおもてなしin松山城2017」を鑑賞に来られた皆さんを、ロープウエー山頂駅舎前広場に造られたオブジェ、道後温泉本館・伊予松山城初代城主、加藤嘉明・伊予松山城天守・坊っちゃん列車・正岡子規の野球姿が仕掛けられていてお出迎えをしてました。

ロープウエー山頂駅舎前広場に造られたオブジェ。

ロープウエー山頂駅から本丸登城道に仕掛けられたイルミネーション。

東雲口登城道仕掛けられたイルミネーション。奥に見える鳥居は東雲神社の鳥居。

夜間は、真っ暗になり足元の安全を兼ねてのイルミネーションで、東雲口登城道入口から本丸広場まで20分かかります。

「光のおもてなしin松山城2017」を紹介して来ましたが、ある観光者のコメントの中に次の様の言葉がありました。

「日本国内、多くの名城があるが、個人的にはここが一番好きである。小高い山の上に立っており、市内どこからでも見えて、まさに町のシンボル的存在。」・・と書かれておられました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光のお持て成しin松山城2017 その1

2017年07月25日 | 伊予松山歴史散策

伊予松山城東雲口の登城道から本丸広場までを彩るイルミネーションで「光のお持て成しin松山城2017」が今年も始まりました。

期間は7月14日から8月14日まで、点灯は午後6時半~9時半で、ロープウエーの運行は、期間中の、金・土・日曜日と祝日、最終日は午後9時半まで運行、8月11~14日は天守を午後9時まで開業するそうです。

光のお持て成しin松山城は、今年で3年目です。

昨晩、2年ぶりに「光のお持て成し松山城」の鑑賞に行って来ました。

伊予松山城の登城道や石垣を光の散歩道として演出し、広島市の協力で、広島の冬を約40万球の光で彩る一大イベント「ひろしまドリミネーション」で使用するオブジェの一部「光のトンネル」や原爆ドーム、厳島神社の赤い大鳥居、筒井門前の枡形には、鳳などが展示してあります。
本丸広場を彩るイルミネーションの点灯は、午後6時30分、天守のライトアップは午後7時からです。

伊予松山城は、行ってよかった!日本の城2014で第2位にランクされました。

そして故、坂東三津五郎が大好きなお城です。

松山市では、平成14年から多色フィルムを使ったお盆の松山城ライトアップイベント「光の城」を続けて今年15年を迎え、平成23年から照明灯を水銀灯からLEDに変更工事を行い消費電力の削減を計画、同年4月からLEDに変更し松山城ライトアップイベント「光の城」ではLEDによる初めての4色によるライトアップを可能にしました。なおLEDでのライトアップは、愛媛県内で松山城が初めてで、毎年、8月13日・14日お盆で故郷に帰郷した方、県外から観光に来られた方々をお迎えするお持て成しの心を篭めて松山のシンボル「松山城」本丸にある天守をはじめ櫓・城門・石垣に照明をあてて光の城として夜間営業をして松山城に観光に来られた皆さんに楽しんで頂く特別企画を本丸広場で行われております。

伊予の名産「みかん」をイメージした馬車、人が乗れる仕組みになっていました。

松山城は平成19年「古都保存法」施行40周年に当たり、「財団法人古都保存財団」などが主催者となり、国土交通省や文化庁などが後援し、学識経験者等による選定委員会の審査を経て決定されたのが「美しい日本の歴史的風土100選」で、これは、全国に残るすばらしい歴史的風土の保存・継承や観光立国への貢献などを目的に、次世代に継承すべき美しい日本の歴史的風土が良好に残されている地域(都市)を選定したもので、松山市は、「松山城」と「道後温泉」が情緒あるたたずまいが残されていると評価されました。美しい日本の歴史的風土100選(平成19年3月2日選定)に選定されました。

此れは何をイメージしたオブジェでしょうか??

中に入ってみましたら、まったく別世界でした。

伊予の名産「みかん」をイメージした馬車違う角度から。

最近、松山にも外国人観光客が多く来られ、昨晩も白人系外国人がイルミネーション鑑賞に登城してました。

松山城や登城道をイルミネーションで飾る「光のおもてなしin松山城2017」に使われているイルミネーションは広島市で使われている資材で、広島市は、冬季に行われるため設置作業も楽ですが、松山は真夏の行事、設置する作業員は、気温の高いなかの作業大変だそうです。・・ご苦労様です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松山市内の銅像巡り18 井上正夫 像

2017年07月23日 | 伊予松山歴史散策

井上正夫 銅像

 井上正夫の銅像は、伊予鉄市駅(市内電車の構内西端)に建立されている。

 明治14年(1881)に浮穴郡大南村(現、砥部町)の出身で、本名は、小坂勇一。

 明治・大正・昭和の俳優・映画監督。演劇を大衆文化に育てた人で、新派俳優であった。

大阪の陶器商に奉公中、大阪成美団の芝居を見て俳優を志、帰省の折、松山新栄座で興行していた敷島義団に入り、初舞台を踏む。

地方の劇団を転々とし、上京の折、真砂座の伊井蓉峰(いいようほう)一座に加わり、「女夫波」によって人気を得る。一時、映画作りにも参加する。

また、芸術的な大衆演劇を目指して、井上演劇道場を作り、後進の指導養成と商業演劇の向上にも努める。

終生、セリフの伊予なまりは抜けず、リアリズムを根底とした演技は魅力的で、舞台に大きな包容力があった。

『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より引用。

昭和27年建立された井上正夫の胸像は、市駅の市内電車乗り場の西片隅に建立されている。

台座にある揮毫は、親交の深かった親友、山本有三である。

生誕地である、砥部町にも銅像がある。

井上正夫の胸像の裏面。

胸像の裏面左側に文字が刻印しているが判読不明。

胸像の裏面左側に文字が刻印しているが判読不明。

画像の様に胸像は、かなり汚れています。伊予鉄道の皆さん銅像建立とは関係がないかもしれませんが、清掃活動をされては如何ですか?

台座裏面に埋め込まれている銘板。

台座に揮毫されている文言。

胸像左側に建てられている説明柱。

胸像の題字は、親交の深かった、山本有三の揮毫。

 

井上正夫の胸像は、市駅の市内電車乗り場の西片隅に建立されている。

市内電車に、乗車する人々を見送るような格好で建立されている。

市内電車、市駅ホーム。

松山市駅前に建っている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑中お見舞い申し上げます

2017年07月20日 | 伊予松山歴史散策

暑中お見舞い申し上げます

 何時も拙いブログを見て頂き有り難うございます。

7月19日、四国地方梅雨が明けました。

昨年よりも1日遅く、平年よりも1日遅い梅雨明けです。

今年の松山地方はカラ梅雨で、降雨が少なく松山市の水がめ「石手川ダム」の貯水率は、7月19日現在で、82,6%、例年であれば95%あります。これからまとまった降雨がなければ、断水が行われるでしょう。

松山市の企業局水道課は、「1人1日バケツ1杯10リットルの節水にご協力ください」運動をしています。

皆さん方のお住まい、水道水は大丈夫でしょうか??

お見舞いが遅くなりましたが、福岡県朝倉市、大分県日田市、の皆さん先日の豪雨による甚大な被害お見舞い申し上げます。

此れから猛暑の中の復興、ご心労大変でしょうが、くれぐれも御身大切にされて下さい。

参考事項:平成29年7月1日現在の松山市の人口は、512,751人。

 

画像は、梅雨明けした松山地方の夏雲です。

皆さん、此れからは猛暑の季節、お身体お気を付けてお過ごしください。

此方は夏の花、我が家にある「百日紅の花」が咲きました。

百日紅は渇水に強く元気です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする