EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

石手川散策 3「石手川ダム」

2011年10月28日 | 伊予松山歴史散策
石手川散策その3(終)

昨日(10月27日快晴であったので)「岩堰」から上流の今治市との境「水ヶ峠トンネル」までをバイクで散策した。

岩堰橋から上流に約8km、昭和48年3月に竣工した松山市民の水瓶「石手川ダム」がある。
石手川ダム誕生の背景には、過去松山市では記録的な集中豪雨によって、石手川流域に大きな被害が発生した。このことがキッカケとなり、河川改修工事やダムによる洪水を調整する目的で、昭和48年3月に『石手川ダム』が誕生した。
 石手川ダムによる役目は大きく分けて3つある。
1. 河川の氾濫をコントロール
2. 「水道水」として松山市に水の供給
3. 田畑を潤すための「かんがい用水」

松山市民515、996人(平成23年10月1日現在)の上水道の源を確保するには小さいダムです。
松山市の水源は、ダムの水と重信川水系の伏流水(地下水)によって賄われている。降水量が少なくなると水不足となり、平均すると年間に約100日間の節水制限が実施される。
ダム建設の目的は洪水調節・灌漑・上水道の確保で建設された。

ダムの規模:高さ:87m 提頂長:278m 総貯水容量:12,800,000 m³ 
有効貯水容量:10,600,000 m³
湖岸に沿って国道317号が走っており、公園には一般客向けの駐車場や伊予鉄道のバス停留所が併設されている。ダムの下流約2kmの場所には奥道後温泉が位置し、この付近は石手川随一の景勝地「湧が淵」がある。
では、画像で紹介しよう。


岩堰橋から約5km上流に石手川随一の奇岩突出の渓谷・景勝地「湧が淵」がある。湧が淵にはいろんな伝説があり、昔淵には大蛇がすみ、夜な夜な美女に化身して人に害をおよぼした。土地の豪族三好蔵人秀勝が鉄砲で仕留め、三好家に頭骨を伝えているという伝説がある。

蛇を斬った岩と聞けば淵寒し  漱石 の句がある。

奥道後温泉が建設した赤い手すりの遊歩道があり、西の金閣寺と呼ばれた「錦晴殿」があったが平成13年の豪雨で石手川が氾濫し流失してしまった。
この遊歩道の奥に「湧が淵」がある。


昭和48年3月に洪水調節・灌漑・上水道の確保で建設されたダム。


ダムの内側、湖面でこの状態で貯水率100%。
高さ:87m 提頂長:278m。


湖面で、別名「白鷺湖」と呼ばれている。ダムは石手川の源流が短く降雨が少なくなると直ぐに湖水がなくなり、平均すると年間に約100日間の節水制限が実施される。


このバイクで今日の散策をした。石手川ダムの提で。ここから対岸まで278mある。


ダムから1km上流、川に沿って国道317号が走っておりその直ぐ傍にある、八幡若宮神社の社号を秋山好古が揮毫した社号額が鳥居にある。松山市玉谷町 


暫く上流を行くと所々護岸工事をし砂防ダムがある。左側を国道317号線が走っている。


松山市河中町にある両新田神社がある、ここも石手川の直ぐ傍で秋山好古が揮毫した「両新田神社」の社号額・・鳥居に揚がっている。
この神社は、南北朝時代(1336年~1392年)関東地方の武将、新田義貞の三男・新田義宗は各地を転戦したが応永10年(1403年)11月、当地山麓で死亡したと伝えられる。また、従弟の脇屋義治も同年8月、この地で戦死した。義宗と義治が戦死した場所には諸説がある。しかし後年、両将を弔うため、源氏系の伊予の武将河野道直は天文(1548年)3月18日、二廟を建立「上新田廟」「下新田廟」としたが、その後二廟は合祀され「両新田神社」と改めた。・・由緒ある神社である。


石手川もここまで来ると(松山市米野町)これから奥は獣道で峠の向こうは今治市で、この付近で降った雨半分は今治市に流れる。以前は車道が無かったが平成6年トンネルが出来国道317号線が今治に抜けた。


平成6年7月に完成した「水ヶ峠トンネル」長さ2,804mあり、トンネル入口の左に石手川がある。
工事中湧き水が沢山出てその半分は今治市側に流した。トンネルを抜けると今治市で、今治市の水瓶玉川ダムがある。


画像は、県道196号線沿いを流れる「福見川」東川町で石手川に流れ込む。
右の建物は川魚料亭。
帰りは、松山市東川町から県道196号で、山越えをして平井町に出て国道11号線で自宅に帰った。山越えの県道の峠付近は道幅が狭く、猪が出て来そうな道であった。
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秋山兄弟合気道 道場設立5周年記念式典

2011年10月24日 | 伊予松山歴史散策
秋山兄弟合気道 道場設立5周年記念式典

10月23日(日)12時30分から松山市歩行町二丁目にある秋山兄弟生誕地武道場で、標記の記念式典を開催した。
この武道場は、明治20年8月秋山眞之(後の中将)が海軍兵学校在学中、夏期休暇を利用して鹿児島に行って旧薩摩藩の教育など見聞して帰り友人勝田主計・山路一膳・小川尚義・烏谷章などに諮り古町大林寺に書生40人を集めて青少年教育の必要性を説き、出渕町に松山同郷会を創立、剣術・柔道・相撲を心身鍛錬の手段とした事が始まりである。

旧藩主久松定謨の援助を受け松山市二番町、(現愛媛県銀行協会所在地)へ柔道場を備えた二階建ての会館を建設、初代会長に鈴木重遠(旧久松家家老)が就任した。会員は松山市在住の青少年で、市内の中学生が主流を占めた。
 大正12年秋山好古が会長になり、その逝去後、烏谷中将が就任した。
 昭和13年会館を松山市歩行町の秋山兄弟旧邸跡隣地に移転、青少年の育成の場とした。

戦後松山市歩行町秋山兄弟生誕地跡に県から委譲を受けた寺院作りの堂々たる道場を持ち財団法人常盤同郷会(理事長久松定武)として復興再出発した。
現在の建物は、昭和20年4月、愛媛県が青少年修練場として松山市御幸町の護国神社の後ろに建てたのを、昭和24年に生誕地へ移築されたもので、当時は児童福祉や県の行事に使用されていた。

愛媛県立保育専門学校第1期生はこの建物で卒業式を行った。
昭和28年財団法人常盤同郷会が発足時に県から払い下げを受けそれ以来武道場として使用されて現在に至っている。

平成18年10月合気道の道場を設立し青少年の文武両道の育成をめざし活動している。(大人も一緒に合気道の鍛錬をしている。)
10月23日(日)合気道道場設立し5周年記念式典を同道場で秋山眞之の孫「大石尚子氏・鎌倉市在住」神奈川県合気道連盟理事長、竹田義信師範、横須賀合気道連盟の方が吉田横須賀市長の祝辞を披露、野志松山市長のお祝いの挨拶があり最大に式典が行われた。また日本で合気道を修行し外国で道場を開設している、オーストラリア、フランス、カナダから6名のもお祝いに参列し、式典後合気道の師範演武を外国人の有段者も一緒に技の披露があった。
この日秋山兄弟生誕地の観光に来られた皆さん凄い技を真剣に見学していた。

師範演武は午後3時に終了記念行事は閉会した。今日24日午前秋山兄弟武道場で神奈川合気道連盟と外国の皆さんは練習をして午後帰られた。道場が寺院風なのが外国の方々に非常に受けていた。
道場の畳が硬くもなく、柔らかくもなく非常に出来がよいとお褒めの言葉を頂いた。


秋山兄弟生誕地で、左の寺院風の建物が武道場。


記念式典後参加者の記念写真を武道場で撮影。


秋山兄弟合気道少年の部と大石尚子神奈川合気道連盟特別顧問・野志松山市長・平松常磐同郷会理事長・武田義信神奈川合気道連盟理事長師範の皆さんと一緒に。


記念式典で祝辞を述べられる、野志松山市長さん。


記念式典で祝辞を述べられる、大石尚子神奈川合気道連盟特別顧問(眞之のお孫さん)。


記念式典で祝辞を述べられる、武田義信師範・神奈川合気道連盟理事長。


平松昇・常磐同郷会理事長に、吉田雄人・横須賀市長さんのお祝いの言葉を渡す横須賀合気道連盟の代表者。


記念式典も無事終了、これからいよいよ師範による記念演武、一同整列、正面に向かって礼。


秋山兄弟合気道少年の部の演技・・参った。


神奈川県合気道連盟7段とオースラリアの女性5段の演武。


記念師範演武を披露しるカナダ男性師範とオースラリアの女性5段の演武。


オースラリア人の師範とフランス人の師範演武を見守る秋山兄弟合気道少年部の子供達。

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平成23年度 JARL愛媛県支部主催マイクロ波帯講習会

2011年10月18日 | 伊予松山歴史散策
日本アマチュア無線連盟(JARL)愛媛県支部主催マイクロ波帯講習会が松山市で開催されました。

平成23年10月16日(日曜日)午前10時~愛媛大学農学部で開催した。
この講習会は初代JARL愛媛県支部長 松本純一氏が昭和55年12月21日に製作講習会(1200MHz帯トランスバーター)を開催、愛媛でマイクロ波帯を積極的に活用して行こう!!が始まりで現在に至っている。
当時の会場も今回の会場隣、愛媛大学付属農業高校で1,2GHzトランスバーターの製作講習会が行われた。
・・これが愛媛のマイクロウエーブの幕開けであった。
以後毎年、年次的に2,4GHz・5,6GHz・10GHz・24GHz・47GHz・77GHzの製作講習会を開催し西日本で先行した。

第1回目の講習会の講師がJH1UGF、槇岡さん(横浜市)で、現在も講師としてお願いしている。・・既に31年講師として松山市に来ている。
今年は、槇岡講師は急用が勃発して来松出来ず、愛媛大学農学部 羽藤先生を迎えて開催した。
昨今通信手段の激変で昭和の時代と講習内容が変わりましたがこれからも講習会を継続して行きますと現支部長薦田支部長の心意気です。

今回講習会の参加者に、市内高等学校一年生(東大志望)と愛媛大学4回生の学生さんが参加して頂き、愛媛に若いマイクロ波の局が誕生しそうであります・・継続は力ナリ・・と今回熟感じました。
そして大災害発生時には非常無線活動が即運用できる日頃からの機器の整備と運用技術の訓練が必要であり講習会でも織り込まれている。

参加者は西日本を中心にマイクロ波帯に興味のある局の参加を頂いた。


                    記

1、日   時 平成22年10月16日(日) 午前10時~午後2時
2、場   所 愛媛大学農学部
3、主   催 日本アマチュア無線連盟愛媛県支部
4、実技講習 愛媛大学農学部 羽藤先生
5、講習内容 新たなマイクロウエーブ機器の使用に付いて・・機器を使いながら
         無線LANの運用技術について
6、移動運用報告
       マイクロウエーブ大分各局が10月2日(日)にデジタルATVを中心に移動運用を行った様子を
       JA6MQT局長が動画で紹介した。
       使用周波数は5GHz・10GHz。


講師の羽藤先生を囲んで、講習会に参加されたマイクロ波帯を主たる運用バンドとして活躍されている局長。


講習会場の愛媛大学農学部正門。


羽藤先生の講話を熱心に聞き入る参加局、・・久しぶりに学生に帰った気分で。


自作製作として展示された「マイクロウエーブ大分グループのJA6MQT局長」が自作された10GHz帯のトランスバーター。


JF1TPR局長、自作の5GHz帯の無線機。


展示コーナーに展示された1200MHz帯のプリアンプ。・・どちらの局長の作品か不明。・・聞き忘れました。
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第17回 SHFバンド愛好者の集い・松山

2011年10月17日 | 伊予松山歴史散策
今年も松山市で開催しました。
第17回E/SHFバンド愛好者の集い・松山集会は10月15日(土曜日)午後6時から松山市大街道「すし丸」で開催しました。
この集会は、16年前に日本アマチュア無線連盟愛媛県支部主催でマイクロ波帯講習会の前夜に講師のJH1UGF槇岡氏(横浜市)を囲んで愛媛のマイクロ波の活性化を如何に推進して行くかの談話会が始まりで現在に至っている集会です。

今年もアマチュア無線界の中で特に、マイクロ波帯バンドを使用し運用をしている局、県外から東京都・神戸市・広島市・北九州市・宗像市・大分県日出町・大分市・別府市・宇佐市の各局そして地元の局が参加して今年一年間の活動状況が紹介され、第二部の懇親会はマイクロ波談義に花が咲き盛会に開催する事が出来ました。
遠路松山にお越し頂き有難うございました。
来年も開催いたしますので是非ご出席下さい。

画像は、各局の集合記念写真、日頃5600MHz~77GHz帯の電波を利用して、アマチャ無線界に与えられているバンド区分内で無線通信電波伝搬実験を行うと共に非常通信訓練も行い機器の点検も兼ねている活動局。

註1:マイクロ波バンドとは、電波の区分で、波長1m~0,1m(周波数、300MHz~3THz)の電波で、電話やテレビの遠距離中断やレーダーなどに用いる、マイクロウエーブ。
また極超短波とも呼ばれ、1cm~1mの電波。周波数、300MHz~30GHz。UHF帯とSHF帯を合わせた範囲の電波。直進性が強く、テレビの中断回線やレーダ等に仕様されている。
註2:無線を運用するには、アマチャ無線従事者免許(国家試験)とアマチャ無線開局申請を総合通信局に申請し無線局免許状が必要である。
1、日 時  平成23年10月15日(土曜日)午後6時00分
2、場 所  松山市二番町二丁目3番地2「すし丸」
3、参加者  上記記載の通り


東京都の局長以下西日本各地から参加を得て開催された第17回E・SHFバンド愛好者の集い・松山集会、参加頂いた記念集合写真。
参加者が手にしているのは「コールサイン」でアマチュア無線局に与えられた世界で一つだけのコールサインです。


開式の挨拶をする松山地区SHF研究会代表、JA5JSU局長。


来賓者の挨拶をされる「日本アマチュア無線連盟愛媛県支部:JH5SAL局長。


県外から参加頂いた局長を代表して挨拶をされる、マイクロウエーブ大分・JA6SPI局長。


マイクロ波帯を全国に広められ、志半ばでご逝去された局長各位と、3・11東北大震災でご逝去された方々のご冥福を祈り黙祷を捧げ第二部懇談会に入った。


第二部懇談会で各局長に5GHzの無線機を紹介するJF1TPR局長、この局長はよく登山をされこの5GHz無線機を持参して移動運用をされている。小型だが150kmは優に送受信出来るそうです。・・JF1TPR局は無線雑誌、CQ誌の1200MHzコラム担当者です。


今回参加局には女性の参加も頂き華を添えて頂いた。自己紹介と日頃の無線運用報告をされる、JK4FEL局長さん。


何時も好評のお楽しみ抽選会、今年も各局から頂いたFBな品々抽選を担当していただいた画像の女性二人とも局長さんで、左がJA6XST局長、次がJA5MFY局長でお二人ともAのコールを持つベテランの局長さんです。右端は、今回の進行司会を務めたJA5GYU局長さんです。・・座って何か笑っていそうな局長は、JH5QYZ局長。


開催17回目始めて家族で参加していただいたJJ3EKV局長さんと奥様、肩車され嬉しそうな表情をしている嫡男さん。・・何時の日かアマチュア無線局長になるのでは。


お楽しみ抽選会で提供品をじゃん拳で決定。・・楽しい一時
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秋山眞之生誕143年祭の開催

2011年10月14日 | 伊予松山歴史散策
秋山眞之生誕143年祭の開催

秋山兄弟生誕地では、標記の開催を3月20日に予定をしておりましたが、3・11東北地方大震災により延期しておりました。
この度皆様のご支援により11月3日(文化の日)に開催する事になりました。
なお秋山兄弟生誕地は午前中無料開放いたしますのでお気軽にお越し下さい。

                記

1、日  時  平成23年11月3日(文化の日)
         午前 9時30分 式典
         午前10時00分 から村山社中茶会 小中学生の琴演奏会
         午後 1時 閉会
2、場  所  秋山兄弟生誕地 武道場「松山市歩行町二丁目3番地6」
3、来賓予定者 秋山眞之の孫(大石尚子氏鎌倉市在住)愛媛県知事・松山市長他

参考
秋山眞之誕生日  慶応4年3月20日
画像は昨年開催の秋山眞之生誕祭の様子です。


秋山眞之の胸像(秋山兄弟生誕地)
この胸像は、眞之が海軍大学校教官時代の教え子達が醵金をして出来ました。
教え子の一人がイタリア大使館の武官として駐在し、武官がローマ在住の彫刻家・マリォ・リナルディに依頼して作った複製です。
出来上がった胸像が大きく理由を問い質すと、日本海海戦の連合艦隊専任参謀として大活躍した将校なので形のいい大きさに作り上げたらこの大きさ1,5倍になった・・と答えが返って来たそうです。
なお本物の胸像は、東京目黒の海上自衛隊にあり、防衛庁海上自衛隊の許可を得て創り上げた複製である。


開会に先立ち公益財団法人常盤同郷会(秋山兄弟生誕地の管理母体)藤島理事が眞之に献茶して生誕祭がはじまった。


眞之胸像の前で挨拶をする大石尚子氏(眞之の孫)。




眞之生誕祭のお祝いに来られた方々は子供達が演奏する琴の音を聞きながらのお茶会を楽しんでいた。




眞之の孫、大石尚子氏を囲んで在りし日の眞之を偲んでいるのか???


生誕祭のお茶会を開催して頂いた村山社中の皆さん。




平成19年10月11日、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」ロケ開始に先立ち秋山眞之生誕地に来られた「本木雅弘さん」です。(ドラマで秋山眞之の役を演ずる)
本木さんは非常に物腰の低い言葉遣いの丁寧な方で、そして字が上手でした。
お付の人にお聞きするとなんと書道7段と言われました。
秋山邸に来られた時発せられた言葉が、「私がこの度秋山眞之さんの役を演ずる事になりました本木です。本日は勉強に来ましたのでよろしくお願いします。」と言われ生誕地で眞之のDVDをご覧になり、その後眞之の胸像の前に立たれ暫く無言の会話をされていたようでした。・・素晴らしい俳優さんです。
12月4日(日)午後7時30分から放映される坂の上の雲第3部が楽しみです。


秋山兄弟生誕地に記念に書いて頂いた「本木雅弘さん」直筆の色紙。
秋山兄弟生誕地にお越しになれらた方々のご署名帳の所に飾っております。


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