EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊予三山巡り・久しぶりの天山散策

2014年11月30日 | 伊予松山歴史散策

TBSの気象予報士、森さん曰く、今年の冬は暖冬だと予知した。松山市もこの所気温が高い。昨朝の松山は最低気温15,2度で、10月下旬の気候。初冠雪した石鎚山の雪も解けてしまった。天候もよかったので午後から久方振りに伊予三山の一つである、天山に行って見た。
天山は、風土記 日本古典文学体系 岩波書店・風土記逸文・伊予の国に出て来る山で、奈良県橿原市にある天香具山と姉妹の山である。松山市天山町の岸区長・白石事務局長と橿原市南浦町の辻本区長や福本博治・世話人の間に文通が続き、昭和52年5月8日には天山町の代表25名が松山名産の姫ダルマを土産に橿原市南浦町を訪れた。・・この記事が昭和52年5月31日(火)の讀賣新聞地方ニュース「奈良版」に掲載された。
また、天山は慶長6年、加藤嘉明が、徳川家康に、築城許可を願い出た候補地として、一番候補地にした山である。


先日伊予三山の一つ、東山に行ったが、今回は天山に行ってみた。
伊予三山と、松山城の位置図。


天山には、天山神社が鎮座している。入口には、明治時代の書家、三輪田米山揮毫の社号碑がある。石段は115段ある。


社号碑に後ろに、歌碑が建立されている。


天山神社の石段は、115段あるが、最初の石段右に、松山市教育員会が設置した、天山の説明板がある。


天山(50,4m)から見た伊予松山城天守。松山城天守は天山から見る姿が一番綺麗に見える。松山城築城時、一番候補地にした天山から、二番候補地にした勝山(松山城・132m)を見る。


115段の石垣を上ると天山神社の社が見えて来る。


社殿左に、天山神社の縁起板が設置してある。


社殿右には、大和国(奈良県橿原市)天香久山と伊予国(松山市天山町)との姉妹交流記念20周年の記念碑が建立してある。


交流記念20周年の記念碑の裏面で、画像の様に刻印されている。


その横に、記念の歌碑が建立してある。


交流記念20周年の記念碑。


奈良県橿原市南浦町にある「大和国(奈良県橿原市)天香久山」である。
撮影は、平成22年11月16日、日本100名城巡り時、第48番松坂城(三重県松阪市)から、第61番高取城(奈良県高取町)に移動中、橿原市南浦町にある天香久山を撮影した。


昨日、天山に行った時、綺麗な紅葉があったので・・撮った。

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韓国人女性を道後温泉観光ガイドする

2014年11月23日 | 伊予松山歴史散策
以前から晩秋から、冬期にかけて気管支炎を時々患う。そして咳が伴うと完治するまでかなりの期間を要する。3年間、気管支炎喘息を患わず過ごして来たが11月7日から、体調を崩し、気管支炎喘息を再発床に臥せっている。
11月23日、少し回復したと思い、道後温泉観光ガイド当番であったので無理をして午後からガイドをした。午後1時30分から午後の観光ガイドを開始する。ガイドを希望する30代位の女性からガイドお願いしますと依頼があった。自己紹介と、道後温泉界隈の観光地と、観光時間を尋ねると、時間は充分ありますとの由、但し私は韓国人なので、日本の歴史は余り知識がないです。現在は北海道旭川市で仕事をしております。日本語は80%理解できます・・との言葉が返って来た。夏目漱石・正岡子規・秋山眞之はご存知ですかと伺うと、漱石・子規は知っているが、秋山眞之はしらない。短詩形文学、長詩形文学・・はと尋ねると、解らないとの事だったので漱石が好んだ道後温泉本館、坊っちゃん列車、子規記念博物館と中世の城跡、湯築城跡等々を中心にしてガイドをした。
最後に、湯築城跡にある松山地方気象台が管理している、染井吉野桜の観測木を紹介、松山市の染井吉野桜が開花しましたとTVニュースで発せられたら、観測木を思い出して下さいと言ってガイドを終了した。
別れの時に、韓国は儒教のお国柄、儒学の教えで親兄弟祖先を敬う心が高く素晴らしいですね。・・すると最近はその心が薄れて来ましたと言葉が返って来た。中々礼儀正しい女性であった。私が時々咳をしながらガイドをしたものですから(風邪引きの咳・悪性の咳でないので・・断ってガイドをした。)御身体お気を付けて下さいと・・労いの言葉と、良い歴史の勉強が出来ましたと言って貰った。


道後温泉駅前にある、道後温泉観光会館で、此処でガイド希望の観光客を待ち受ける。


本日は、(11月23日)夏目漱石が毎日道後温泉に通い乗った、坊っちゃん列車から案内開始した。


漱石は、東京都比べて何もいい物はないが、道後温泉は格別で東京にもないものである・・と言った。ましてや本館建物は、明治27年に改築した新築の建物で、漱石が松山中学の英語教師として赴任したのは、明治28年だから、未だ木の香りがする道後温泉本館であった。


道後温泉本館に併設して、明治32年に皇室専用の御召湯として又(ゆう)神殿(しんでん)が増築された。


皇室専用の御召湯として又(ゆう)神殿(しんでん)の玉座。


皇室専用の御召湯として又(ゆう)神殿(しんでん)の浴室。



冠山からみた道後温泉本館。


本館三階にある漱石の部屋。


短詩形文学博物館の子規記念博物館。


以上の場所を案内し、最後に松山地方気象台が管理している、染井吉野桜の観測木を紹介、松山市の染井吉野桜が開花しましたとTVニュースで発せられたら、観測木を思い出して下さいと言ってガイドを終了した。

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伊予三山の一つ、東山

2014年11月23日 | 伊予松山歴史散策
11月7日から、体調を崩し床に臥せっている。
昨日、気温もあがり良い天候であったので久しぶりに東山古墳公園に行って見た。
東山古墳公園は、松山平野のほぼ中央に位置する独立丘陵で、『伊予国風土記』逸文に記されている「伊予三山:天山・星岡山・東山」の一つとしてよく知られている。周辺には縄文時代をはじめとして古墳時代から中世にわたる数多くの遺跡が存在している。
特に、東山は、現在までの調査によって23基の古墳を検出し、松山平野の中でも有数の古墳時代の群集墳であることが判明している。
調査からは、縄文土器、弥生時代前期の土媛墓、古墳6基、中世の土器を検出
した。特に、古墳6基からは古墳の墳形と石室構造など松山平野全体の古墳形態を考える上で貴重な資料となっている。また、弥生時代前期の土娠墓は松山平野で数少ない出土例である。我が家の近くには歴史ある史跡があり、久しぶりの東山散策であった。未だ体調回復してないので少し疲れた。
「伊予三山」(天山・星岡山・東山)の標高は下記の通り。
天山:50,4m 星岡山:75,4m 東山:48,5m
慶長6年、加藤嘉明は、徳川家康に、築城許可を願い出る。候補地として、一番候補地に天山、二番候補地に勝山(現在の松山城)三番候補地に御幸山として築城許可を具申した。家康は、二番候補地の勝山に築城許可が下った。もし一番候補地の天山に許可が下りておると、我が家は城下町の一角になっていた。


所在地:松山市東石井三丁目。


空撮でみる伊予三山、「天山・東山・星岡山」。


東山古墳公園。


落葉樹は、紅葉が始まっていた。


バックの青空に銀杏が映えていた。




松も少しあるが、松くい虫の被害か、枯れた松が数本あった。


東山古墳公園、山頂には画像のような展望台がある。


園内には、椿が満開であった。


ピラカンサスが沢山の赤い実を付けていた。
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ドラマ「最後の忠臣蔵」鑑賞で涙するにコメント回答

2014年11月22日 | 伊予松山歴史散策
平成25年12月27日NHKで「最後の忠臣蔵」が放映された。
ドラマの内容は虚構であるが見ごたえのある物語であった。
先日、コメントが送られて来た。
それは、寺坂吉右衛門が茶屋を訪れた際、茶屋の主に、あれは「サイカチ」か?と尋ねる・・主曰く、左様です・・硬いばかりで生涯実を結ばぬ憎い木でございます。・・と答える。・・寺坂吉右衛門は、わしの様じゃと独り言をいう。

コメントは、「くみこ」さんからで、佐藤浩市さんが茶店で、枯れた木を見て言った木の名前分かりませんか?何度戻して聞いても分からないんです。茶店の亭主が「生涯実の結ばん堅い醜い木です」と言います。是非お願いします。

コメントの回答:
ヘッドホーンでよく聞くと「サイカチ」と私は聴き取りました。
Waveで調べると下記の通りでありました。
サイカチ(皁莢、学名:Gleditsia japonica)はマメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ属の落葉高木。別名、カワラフジノキ。漢字では皁莢、梍と表記するが、本来「皁莢」はシナサイカチを指す。日本の固有種で本州、四国、九州の山野や川原に自生する。また、実などを利用するために栽培されることも多い。
樹齢数百年というような巨木もあり、群馬県吾妻郡中之条町の「市城のサイカチ」や、山梨県北杜市(旧長坂町)の「鳥久保のサイカチ」のように県の天然記念物に指定されている木もある。
木材は建築、家具、器具、薪炭用として用いる。
豆果は皁莢(「さいかち」または「そうきょう」と読む)という生薬で去痰薬、利尿薬として用いる。
またサポニンを多く含むため古くから洗剤として使われている。
莢(さや)を水につけて手で揉むと、ぬめりと泡が出るので、かつてはこれを石鹸の代わりに利用した。
石鹸が簡単に手に入るようになっても、石鹸のアルカリで傷む絹の着物の洗濯などに利用されていたようである(煮出して使う)。
棘は漢方では角刺といい、腫れ物やリウマチに効くとされる。
豆はおはじきなど子供の玩具としても利用される。若芽、若葉を食用とすることもある。・・とありました。


茶店に来る「寺坂吉右衛門」


寺坂吉右衛門が主に木の名前を尋ねる。


コメントを頂いた「木」で私は、「サイカチ」と聴き取りました。
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石鎚山 冠雪

2014年11月18日 | 伊予松山歴史散策
最近、西日本最高峰の「石鎚山・1982m」の姿を観る事が出来ない。天候の関係で、久しぶりに姿を現したのが11月5日で、この時は、未だ冠雪してなかった。11月15日、姿を観たときは冠雪していた。何時初冠雪したのか不明である。昨年は、11月13日初冠雪であった。石鎚山が冠雪すると今年も冬期到来を感ずる。そして、私の一番嫌いな季節で、早既に体調を崩している。温かい沖縄で冬を過ごしたい。
画像は、11月13日、冠雪した「石鎚山」。と5日の冠雪前とである。
今日(18日)の松山の最低気温は、5,6度で晴れ、今季最低気温、12月上旬との由、来週からは気温が上がると予報が出た。石鎚山は、雪解けがあるかもです。


画像は、11月13日の石鎚山で、冠雪していた。


少し石鎚山をアップで撮ってみた。




画像は、11月5日撮影で、この時は未だ冠雪してなかった。・・我が家の玄関から。




画像は、石鎚連峰で、左が石鎚山標高1982、右は、二ノ森で標高1929m。手前に伊予松山城天守と本丸の建造物を入れて撮った。撮影は昨年12月12日、このアングルで撮れる場所は松山に一ヶ所しかない。
この場所を探すのに一苦労した。
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