EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山好古・眞之合同生誕祭開催される

2021年03月23日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

秋山好古、秋山眞之、兄弟の初めてとなる生誕祭が令和3年3月20日秋山兄弟生誕地、武道場で開催された。

好古の生誕祭は、毎年生まれ月の1月7日前後の日曜日に開催していたが、今年は、新型コロナの関係で、秋山好古生誕祭は延期とし、眞之生誕祭と合同で内容は縮小し開催した。

秋山好古は、162年生誕祭・秋山眞之は、153年生誕祭となる。

秋山眞之生誕祭は毎年生まれ月の3月20日(春分の日)に開催しており今年は、兄、好古と合同の生誕祭として開催された。

秋山好古は、安政6年1月7日生まれで、桜田門外の変の前の年に生まれ、秋山眞之は、慶応4年3月20日生まれで、坂本龍馬が京都で亡くなった翌年に生まれ、

日本の時代が大きく揺れ動いた時世に生を受けた兄弟である。

画像は、愛媛県知事(代理)・松山市長(代理)のご臨席の下、関係者各位が出席して新型コロナ禍により、例年よりも規模を縮小して厳かに生誕祭が行われたその様子です。

秋山好古、生誕162年・秋山眞之、生誕153年生誕祭

            記

1、日    時  令和 3年3月20日(春文の日)
          午前 9時30分 開式
2、場    所  秋山兄弟生誕地 武道場
3、主催者挨拶   常盤同郷会理事長・山崎 薫
4、来賓   祝辞   愛媛県知事・松山市長
5、献  茶   伊豫売茶流天山会、家元
6、常盤同郷会受賞者スピーチ(松山市内高校生男女各1名)
7、献  奏   正派邦楽大師範箏・琴三絃「前谷雅貴社中」
8、奉納稽古   柔道部・合気道部
9、参  考   秋山好古誕生日・安政7年1月 7日
         秋山眞之誕生日・慶応4年3月20日

伊予松山藩15万石の藩士、徒目付10石取り、秋山久敬の3男  と5男として誕生。
祭壇には、秋山好古・秋山眞之のカラー肖像画を飾りました。
なお、秋山兄弟のカラー肖像画についてはブログ最後に説明いたしておりますのでご一読下さい。

秋山好古、秋山眞之、合同生誕祭式次第です。

秋山好古、秋山眞之、合同生誕祭事務局で、画像右から「司会進行をする藤島常盤同郷理事、次に山崎常盤同郷理事長、左が、伊豫売茶流天山会、家元」の皆さんです。

縮小しての生誕祭会場でその参列者です。

松山東高等学校長・松山北高等学校長・松山中央高等学校長・新田青雲中等教育学校長・勝山中学校長・松山教育センター事務所長・日本ボーイスカウト愛媛県連盟長・ロシア兵墓地保存会会長・地元町内会長・常盤同郷理事、評議員等々の方々の参列を頂き厳粛に開催されました。

午前9時30分開式、秋山兄弟合同生誕祭式典で挨拶を述べる、公益財団法人常盤同郷会、
山崎薫 理事長です。

中村時広愛媛県知事が公務のため知事の代理で参列され中村知事の祝辞を代読される、
山中 美幸・愛媛県スポーツ文化局長です。

野志克仁、松山市長が公務のため市長の代理で参列され、野志市長の祝辞を代読される、
吉田 健二・坂の上の雲まちづくり部長です。

会場の武道場の戸は開けてコロナ蔓延防止対策として換気を良くして行いました。

献茶を行う、公益財団法人常盤同郷会、藤島理事と伊豫売茶流天山会、家元です。

令和3年度常盤同郷会賞を受賞した、愛媛県立松山中央高等学校を先日卒業した、野村 匠起君の受賞記念スピーチです。

同じく、令和3年度常盤同郷会賞を受賞した、新田青雲中等教育学校を先日卒業した安藤 優里奈さんの記念スピーチです。

献奏・正派邦楽大師範箏・琴三絃「前谷雅貴社中」。

献奏・正派邦楽大師範箏・琴演奏「前谷雅貴社中」。

秋山兄弟生誕地で錬成されている武道が柔道と合気道があり、その柔道部と合気道部の奉納稽古が披露されました。

この道場で技を磨き、大学、社会人と進み日本代表選手を輩出している歴史ある柔道部です。

最近、護身術として合気道に人気があり、時折外国から錬成にやって来ます。何でも道場の雰囲気が良いそうです。そしてこの道場にはいい指導者がいますから。

生誕祭に来られた方々が表の庭で懇談をされていました。

今年の秋山生誕地の染井吉野桜は開花が早く、3分咲きでしたが、式典終了後小雨となり桜の撮影が出来なかったです。

天候が良ければ青空を背景にいい桜鑑賞が出来ます。

秋山生誕地の染井吉野桜は旧市内(旧城下町)にある染井吉野桜としては一番大きく樹勢が強い染井吉野桜です。

さて、秋山兄弟のカラー仕立ての肖像画についてご説明します。

カラー仕立ての肖像画を作成されたのは、千葉県習志野市大久保にある、習志野騎兵連隊史跡保存会、会長・三橋正文氏が秋山好古生誕150年を記念して白黒写真を基にして、東京芸術大学を卒業された丸山浩司画伯に依頼し画伯がカラーで描かれた肖像画です。

そして弟の秋山眞之の肖像画もカラーで同時に作成されました。その複製で、本物は千葉県習志野市大久保商店街資料館に展示されています。

千葉県習志野騎兵連隊史跡保存会、顧問・三橋秀紀氏(左)から常盤同郷会専務理事、宇都宮良二氏に寄贈された秋山好古カラー肖像画です。

同時に秋山眞之のカラー肖像画も贈って頂きました。

この時、贈呈式には地元新聞社が取材に来て新聞に掲載されました。

日本には、習志野市大久保商店街展示資料館と松山市の秋山兄弟生誕地にしかない貴重なカラー肖像画です。

肖像画は、何時も武道場に掲示していますので是非ご覧下さい。

秋山兄弟カラー肖像画の贈呈についてマスコミの取材を受ける、習志野騎兵連隊史跡保存会顧問、三橋秀紀氏(真言宗豊山派薬師寺、住職)

 

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大相撲春場所、気になる向正面の溜席で観戦する女性

2021年03月22日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

大相撲春場所は、例年であれば大阪府立体育館で開催されるが、今年はコロナ禍の関係で東京両国・国技館で開催されている。

さて、

TV観戦していると、向正面の右側溜席で整然とした態度で、一心に相撲を観戦する美人の女性が目に入って来る。

着ている服装は、毎日変わるけれど、派手でなく清潔感あふれる服装で、髪はキチンと整え微動ともしない体型で熱心に取り組みを見ている。

長時間正座をしていると窮屈で特に足がしびれてくるであろうが、足を投げ出したりして体型を変えてリラックスする姿はTVで見る限りしない。

周囲の観戦は、女性でも足を崩し、体型を変え硬直した筋肉をほぐしながら次の取り組みを待っているが、この女性はびくともしない。

何か相撲観戦の哲学を持っておられる様な感じが受け取れる。

力士もその一番の相撲に全身全霊をかけて取り組んでいるが、それを観戦するこの女性も真剣に観戦している。
観戦する姿勢が凄いなと感じ取れるので尚更に目に付く。

TV観戦のなかで相撲半分、観戦する女性をも見ながらの楽しんでいる春場所である。

TVにはこの画像で映し出される。

向正面画面右側に映し出されます。

TVにはこの画像で映し出される。

向正面画面右側に映し出されます。

取り組みの勝敗が決まり拍手をする仕草にも上品さが伝わってくる。

拍手以外の手の置きどころは何時も膝の上に整然とされている。

両親から躾けられたのでしょうか?

見ていて清々しく感じます。この女性だけが光明がさしているようです。

座禅をくんだ様な感じで観戦。周囲の人とは姿勢が違うので目立ちます。

さすが、この時間帯では未だ姿は見えない。

どの取組の時間帯で入館されるのでしょう?

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平成25年度卒業された福島県立双葉高等学校の皆さんお元気ですか

2021年03月12日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

平成24年1月27日、秋山兄弟生誕地に研修で来られた、福島県立双葉高等学校2年生第2班の皆さんです。
その節は研修に来て頂きありがとうございました。

東日本大震災から、3月11日で早10年が過ぎ去りました。

昨日のTVニュース特別番組を見て、復興が進んでいる地区と、未だこのくらいしか復興が進んでないのかと心を痛めました。

特に福島原発の処理が進んでいないのが気がかりです。

平成24年、中村時広愛媛県知事は、東北地方で被災された高校生の皆さんを愛媛県にお招きして、修学旅行支援として愛媛県教委が行いました。
その一つの学校が平成24年1月27日に、愛媛県立松山北高等学校の生徒さんが、福島県立双葉高等学校2年生の皆さんを案内して、秋山兄弟生誕地を訪れました。

福島県立双葉高等学校2年生の皆さんは5班に別れて、松山市内を研修されましたが、秋山兄弟生誕地には第2班30名がこられました

それから10年が経過し、当時の皆さん方は卒業され今は、立派な社会人とし各分野でご活躍のことと思います。

これからもお体にくれぐれも気を付けられ、東北震災復興のためにご活躍下さい。

画像は、平成24年1月27日秋山兄弟生誕地に研修に来られた福島県立双葉高校2年生の皆さんで、これからの画像はその時の回顧です。

秋山兄弟生誕地入口に歓迎表示版を掲げ出迎えました。

福島県立双葉高等学校2年生の皆さんをお迎えする表示板。

愛媛県には、平成24年1月25日来県、3泊4日の日程で研修・体験や松山観光を行い修学旅行の思い出を愛媛で行う、その一環として、秋山兄弟生誕地を訪問されました。

生誕地では、研究委員が温かく出迎え、秋山好古・眞之が育った経緯と二人の生き様を紹介しました。

画像は
出迎えの挨拶をする秋山兄弟生誕地の宇都宮良二運営委員長です。

天地無私の扁額を手にしている方が「藤島 寛昌さん」で、福島県立双葉高等学校の卒業生です。
秋山兄弟生誕地の運営役員として活動され、また大街道三丁目商店街の理事長として活躍されています。

福島県立双葉高等学校の生徒さんの研修は2班に別れて行いました。

秋山好古は安政6年1月7日、伊予松山藩士徒目付の家系で家禄10石の秋山久敬の三男として誕生、明治8年大阪師範学校(現・大阪教育大学)に入学、名古屋師範学校付属小学校の教師となる。先輩の和久正辰の強い勧めで陸軍士官学校を経て軍人になるも、大正13年故郷伊予松山からの強い要望により北豫中学校長(現・愛媛県立松山北高等学校)に昭和5年まで就任しました。

1班は裏庭に移動します。

 



2班は表の展示資料を研修、研究員が説明する事柄を熱心に聞き入っていました。

生誕地では、研究委員が温かく出迎え、秋山好古・眞之が育った経緯と二人の生涯を紹介しました。

裏庭の1班です。
整然と整列して、礼儀正しく研究員の説明を聞いていました。

研修見学に来られた生徒さんたちは、現在は卒業され社会人として色んな分野で活躍されていると思います。

くれぐれも、コロナ感染に気を付けて震災復興に尽力されて下さい。
松山からも応援しています。

平成17年1月17日、全国の秋山兄弟支援者の皆さんから頂いた醵金で、秋山兄弟生誕地の整備事業が完成し、同日NHKTVニュース番組「おはよう・日本」で全国放送されました。

同年1月18日から開館して一般公開しています。

秋山眞之は慶応4年3月20日が誕生日で、毎年3月20日(春分の日)に生誕祭を開催してまいますが、今年は秋山好古生誕祭(1月7日)がコロナ蔓延防止の為中止にしましたが、今年に限り3月20日に午前9時30分から規模を縮小し、秋山好古・眞之合同の生誕祭を、秋山兄弟生誕地で実施いたします。

秋山好古が162年祭・秋山眞之は153年祭です。

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秋山好古揮毫石碑・取材にご協力頂いた方々 その8 静岡県静岡市葵区の石碑

2021年03月10日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

元、公益財団法人常盤同郷専務理事、宇都宮良二氏のご子息(当時静岡市在住)からの情報で、取材に行きました。

現地静岡市には、松山市から車で行きましたが、静岡県に入ってから幾ら走っても静岡県で嫌になるくらい静岡県縦断は長かったです。

石碑取材後は、富士山を一周、御殿場から、河口湖に出て白糸の滝を観光、田貫湖で富士山を撮影し帰路につきました。

さて、石碑の所在地は、静岡県静岡市葵区羽鳥にある曹洞宗・洞慶院で参道に建立されていました。

令和2年10月1日現在、秋山好古揮毫の石碑は全国に53基発見されていますが、二人が揮毫した石碑はこの石碑のみです。

揮毫者は、秋山好古と豊邉新作です。

篆 書「忠魂」を秋山好古が揮毫し、題書「愛馬追悼碑」を豊邉新作が揮毫しています。

建立者は、陸軍騎兵大尉従六位勲五等功五級、三浦金蔵氏で、静岡市の出身実家は薬局を営み金蔵氏自身も自宅で馬を飼い可愛がっていたそうです。

当時の軍人は、皇国から与えられた武器と自分の健康管理に気を付け、いざ有事に備えて日頃の訓練をしていれば良かったのですが、騎兵隊員は、その上に軍馬の飼育と管理をする大変な役割がありました。
軍馬なくて騎兵隊員は陸に上がったカッパ同然でありました。

よって騎兵隊員は大変馬を可愛がったと言われています。

秋山好古も東京の自宅で馬を飼っていましたが、当時東京市の一部では、自宅で馬を飼ってはいならないという条例が施行され、好古は馬を飼ってもいい地区に転居してまで馬を飼い可愛がったそうです。

大正13年松山の北豫中学校長として帰郷した時、松山の自宅で馬を飼うのではないかと心配して、内緒で東京から馬蹄さんが松山に来て様子を見ていましたが、流石に好古も松山では馬を飼わず馬蹄さんは東京に帰ったそうです。

三浦金蔵氏も静岡の自宅で馬を飼い大変可愛がっていたと伝えられています。その為この石碑を建立しました。

戦闘中に、三浦隊員の軍馬は敵弾を受け亡くなっています。その哀悼の碑です。

石碑の題書「愛馬追悼碑」の揮毫者は、豊邉新作で秋山好古が最も信頼をした副官でした。

好古が教育総監時代、騎兵監をしていた豊邉新作は、新潟県長岡の出身で、有名な長岡藩筆頭家老の河井継之助の従兄弟の子で、豊邊新作の父と河井継之助は従兄弟同士であります。

次の方々は、静岡市葵区の石碑取材でお世話になった皆さんです。

静岡市在住の宇都宮氏。

静岡市葵区羽鳥にある曹洞宗・洞慶院のご住職。

静岡市葵区教育委員会の方々。

松山市立坂の上の雲ミュージアム・徳永 佳世学芸員の各位です。

静岡市葵区羽鳥にある洞慶院の参道に建立されている「愛馬追悼碑」です。

1.碑          文 :   愛馬追悼碑・忠魂

2.所 在 地 :  静岡県静岡市葵区羽島1840番地 洞慶院・参道入口

3.揮 毫 者 : 陸軍大将正三位勲一等功二級 秋山 好古・・忠魂

         陸軍中将従三位勲二等功三級 豊邊 新作・・愛馬追悼碑

4.建 立 者 :陸軍騎兵大尉従六位勲五等功五級 三浦 金蔵

5.建立年月日 : 大正 8年 4月 3日

6.石碑大きさ : 高さ 1m 65㎝ 横幅 82㎝  厚み 13㎝

7.石碑裏面撰文: 別段の通り

私の私見

建立者、陸軍騎兵大尉従六位勲五等功五級、三浦金蔵は、愛馬追悼碑建立におよび

直属の上官であった豊邊新作に揮毫依頼したが、私よりも、秋山好古大将に頼んでやろうと取り扱った。しかし好古は豊邉中将が揮毫するようにと言ったが、二人とも譲り合い、結局二人が揮毫する事になった。石碑上段に「忠魂」を秋山好古が揮毫、題書「愛馬追悼碑」を豊邊新作が揮毫した珍しい石碑が建立されました。

また、戊辰戦争の争乱から大東亜戦争に至るまでその間、馬や犬や鳩も戦禍で数多く犠牲になっりました。
その御霊を弔い顕彰するため「軍馬・軍犬・軍鳩之碑」が各所に建立されたのです。

石碑上部に篆書「忠魂」を秋山好古が揮毫しています。

註:篆書とは、石碑などの上部に篆書体で書かれた題字です。

石碑の題書を豊邊新作が揮毫しています。

揮毫者の氏名肩書は見えにくいが下記の通りです。

揮毫者は、 陸軍大将正三位勲一等功二級  秋山 好古 篆書

      陸軍中将従三位勲二等功三級  豊邊 新作 題書

と揮毫されています。

好古揮毫の石碑は、現在53基発見されていますが、二人が揮毫しての石碑は静岡市のこの石碑だけです。

石碑裏面で、刻印が浅く殆ど読めません。

取材後、静岡市葵区教育委員会の方から石碑裏面に書かれている文書と愛馬追悼の石碑を拓本にして送って頂きました。

静岡市葵区教育委員会の方から石碑裏面に書かれている撰文を贈って頂きました。

その撰文を、松山市立坂の上の雲ミュージアム学芸員、徳永 佳世氏に現代読みに解読して頂きました。

石碑の写真を撮影しようと思い石碑にいってみると、なんと石碑の前に車が2台駐車してあり写真が撮れなく所有者を探し、車を移動してもらい撮影しました。

こんな出来事が時々ありました。

洞慶院の境内は広く、駐車場も十分に確保してあり、梅の木が沢山植栽されていた。花の時期には観光バスで大勢の人が訪れる梅の名所だそうです。

曹洞宗久住山の寺院・洞慶院の本堂と庫裏。

曹洞宗久住山の寺院・洞慶院のご住職さん、秋山好古揮毫石碑建立についての詳細は住職の代が変わり、その経緯は分からないと言われました。

洞慶院の案内図。    

秋山好古揮毫石碑所在地を案内図に表示をしますと住職は言われました。

現在の案内図には、秋山好古揮毫の石碑所在地の案内図に表示してあると思います。

洞慶院の紹介の一文にも「日本騎兵の父・秋山好古ゆかりの碑」が建立してありますと追記されました。

取材の後、富士五湖を周り白糸の滝を見学して

田貫湖畔で一泊、ダイヤモンド富士が撮影できる場所で有名です。

前日は、雨天で富士山は雨雲の中でしたが、夜が明けると画像の様に富士山が顔を出して私を迎えてくれました。
秋山好古さんの石碑取材ご苦労さんと言わんがばかりに。

富士山頂に朝日が昇りダイヤモンド富士の撮影チャンスは例年4月20日頃と8月20日の前後だそうです。
私が行ったときは、5月18日で朝日は画像の様に見えました。

田貫湖の鑑賞ポイントの中で最も人気があるのは、宿泊施設がある「休暇村 富士」で観賞用展望デッキが完備されていました。

取材後日、松山市立坂の上の雲ミュージアムで開催されている司馬遼太郎の作品「坂の上の雲」のリレー読書会が開催されておりその一環事業として、私に好古揮毫の石碑紀行の講話依頼がありました。

秋山好古揮毫の石碑講話のタイトルで、
画像は、六本木ヒルズ 52F、海抜250メートルからの展望室から撮影した青山霊園で、秋山好古は家族と一緒にこの霊園で永久の眠りについています。

墓所は、北里柴三郎博士の墓所の隣にあります。

講演風景。

講演の時に使用披露しました静岡市葵区の石碑「愛馬追悼碑」の拓本で、静岡市葵区教育委員会から頂き軸物に表装し会場の皆さんにご披露しました。

静岡市葵区の石碑は、38番目に取材をした石碑です。

秋山好古揮毫の石碑は令和2年10月現在53基発見されており、53番目に発見された京都市右京区の石碑「山國御陵」は取材出来ておりません。コロナが収束したら取材に行く予定です。
京都市右京区の石碑情報をお送り頂いた左賀さんにはその時お世話になります。

関西地区で初めての貴重な石碑で、揮毫の経緯が判明すれば凄い事だと思います。

現地は、京都市右京区北井門町丸山で、常照皇寺の参道入口に建立されており、寺の背後には光厳天皇の山国陵、後花園天皇の後山国陵、後土後門天皇の分骨所がある由緒ある場所の参道入口に建立されているそうです。
ただ場所がJR京都駅から35Kmの場所で交通の便はあまり良くないのが気掛かりです。

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書籍 秋山好古と新潟の人々について

2021年03月09日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

じゃこ天大好きさんへ

松山市に在住されていたとの由ご苦労さまでした。

さて、
お尋ねの「書籍 秋山好古と新潟の人々について」については非売品で、現在は入手が難しく著者は、現在新潟市江南区にある北方文化博物館館長をしておられますので一度連絡をしてみてはいかがでしょうか。

もう一つの方法は、愛媛県立図書館に私が2冊納本しその内1冊は、郷土資料扱いで館内閲覧仕様で貸し出し不能ですが、後の1冊は館外貸出しが可能です。

あなたのお住いの公共図書館から貸出し申請をされて(公共図書館相互貸出し制度)を利用されてはいかがでしょうか。

請求記号は:K289-アヨ-2011です。

もう一つは、令和元年5月25日、雄山閣出版社から発行された「秋山好古と習志野騎兵旅団」のP81に神田勝郎氏が「秋山好古と新潟の人々について」について執筆されておられますので、ご紹介します。ただし、紙面の関係で内容が割愛されておりますのでご承知おき下さい。

この書籍は購入可能です。大型書店には在庫があると思います。山岸良二先生が編集者です。

「秋山好古と習志野騎兵旅団」目次の一部です。

追記:P103から私が「秋山好古揮毫石碑を訪ねて」を執筆しています。

「秋山好古と習志野騎兵旅団」の奥付です。

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