EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山好古揮毫石碑・取材でご尽力頂いた方々の回顧 その1東京都世田谷区の石碑

2020年11月24日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

令和2年10月1現在、秋山好古揮毫の石碑は53基発見されていて、52基については全て写真取材完了しており、53番目に発見された京都市右京区の石碑「山國御陵」は来春取材に行く予定です。

これからの事は取材にご協力頂いた心に残る事項を回顧しお礼申し上げます。

その一つが、東京都世田谷区池尻四丁目区立池尻見晴らし広場にある、日清戦争で騎兵第一聯隊隊員として従軍し名誉な戦死をされた15名、その隊員の哀悼の碑で、125年前、明治29年6月30日に建立された石碑です。

石碑裏面には、15名の氏名と階級・戦死された場所・年月日が鮮明に刻印されています。
建立者は、秋山好古本人で、碑文も秋山好古です。

この石碑は、東京から秋山兄弟生誕地にお越しになった方からの情報で所在が判明し、取材の事前調査をして頂いた方がいます。
その方は、元NHK広島放送局に勤務され、その後TBSTV局に転職し技術者として活躍された東京都文京区の「種村陽亜さん」です。一時期は、ニッサン・プリンス・スカイラインのテストドライバーとして活躍された方です。

また、アマチュア無線特にSHF帯(マイクロ波)について深い知識のある方で、アマチュア無線月刊専門誌「CQ ham radio」のマイクロ波帯のコラム担当もされ、情報社会で生きて来られたマルチ人間の方で大変お世話になりましたアマチュア無線の知人でした。

調査の結果。

石碑は、揮毫の文字の刻印が浅く晴天時は木々の影が石碑に映り撮影は難しいとの事でした。
それで石碑の文字に墨を入れて文字を浮き出させて撮影を考えました。
それには、石碑の管理者の許可が必要でありました。

石碑の建立地は、国有地で管理をしている関東財務局を種村さんは訪れ、許可を願うと石碑の管理は世田谷区役所に任せているので・・との回答で世田谷区役所公園緑地課に伺いその経緯を私に連絡して頂きました。

そして私が改めて石碑写真取材の申請を世田谷区役所に送達し、世田谷区役所からは条件付きの許可が下りました。その条件は、平成18年10月5日午前10時30分現地集合で職員立ち会いのもとでした。職員は2名が立ち会いされました。

当日、種村さんがホテルまで自家用車で迎えに来て頂きました。車は、スカイラインでした。

上京当日の天気予報を見ると、当日は雨天の予報でしたので種村さんは石碑を覆うビニールを準備して頂き、石碑を覆い墨入れ作業をしました。
作業が終わると不思議に雨が止みました。
職員の方々や、私達もいまが撮影のチャンス、シャッターを押しましょうと叫んだ。撮影が終わると再び雨が降り出しました。

不思議な時間帯でした。世田谷区の職員は、これは秋山好古さんの御加護ですよと言われた。私もそう思った。前日秋山好古さんの墓所がある青山霊園に墓参りに行っていたのである。撮影後文字の墨を水で洗い落とし原状に復帰をして撮影は終わった。水も種村さんが用意してくれました。

この石碑は、国有地に秋山好古は許可なく建立したので関東財務局は関知しないとの由、場合によると民間に売却となると石碑は撤去される。その時は松山市の秋山兄弟生誕地に払い下げの申請書を世田谷区役所に提出しています。
石碑が世田谷区の史跡に指定されていると区外持ち出しは不可能だが、現在は史跡に指定されていません。

新潟市江南区の石碑「忠魂碑」は新潟市民文化顕彰に指定されているので江南区外に移設は不可能です。

現在、53番目に発見されました石碑は、京都市右京区京北井門に発見され、地元の「左賀樣」が取材についてご尽力いただいております。

東京都世田谷区建設部公園緑地課職員立ち会いのもとが条件で文字に墨を入れ撮影しました。

墨を入れる前の現状で殆ど判読不可能です。

石碑が濡れているのは、当日雨天であったためです。

取材日は、晴天でなく雨天でよかった。

文字に墨を入れ終わり暫くすると雨が止んだ。職員と我々一同写真撮影は今ですよ、雨が止んだのは秋山好古さんのご加護ですよ・・と皆が叫んだ。

墨を入れる前に石碑を綺麗に拭き取り墨を入れました。墨は水性を使いました。

撮影後墨を水で洗い流して原状に戻しました。

石碑裏面です。

石碑裏面に書かれている戦死された隊員で※印しのある添田賢二郎隊員と内田與作隊員が並んで書かれています。

添田賢二郎隊員は神奈川県平塚市出身・内田與作隊員は長野県安曇野市の方です。

両名の遺族は、後世に伝えるために石碑を建立されています。揮毫者は秋山好古です。

後で紹介します。

事前調査として種村陽亜さんが撮って頂いた画像です。

晴天時は、このような状態ですとの報告を兼ねて。

石碑のある現場は、晴天時は木々が沢山あり木漏れ日が石碑に降り注ぎ撮影は難しいです。

当日は晴天でなく良かったです。

揮毫者秋山好古の肩書と氏名です。

石碑の横には、大きな石碑が建立されています。

これは、日清・日露戦争で戦病死された騎兵隊員の表忠魂です。

その傍に

騎兵第一聯隊創設百年記念の記念盤があります。

石碑のある場所、世田谷区池尻四丁目区立池尻見晴らし広場の一部です。

区立池尻見晴らし広場は小高い所にあり鉄製の階段が設置してあります。

画像のように、見晴らし広場周辺は重機が入り開発工事が行われていて、ゆくゆく土地は民間に払い下げされて、石碑の撤去指示が行われるであろう?

その時は、秋山兄弟生誕地に譲り受けたく、譲渡願書を世田谷区役所区長に申請書を提出しています。

 

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TV番組:ワタシが日本に住む理由・曲名連絡(お礼)

2020年11月18日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

ありがとうございました。

私のお気に入りのTV番組、「ワタシが日本に住む理由」を毎回楽しみにして観ております。
外国人が日本に来て生活するのは大変な事で、特に言葉の習得が大変、世界で一番難しい言語表現だと言われ、表記が漢字・ひらがな・カタカナで、日本語をマスターして人間関係を旨く行わないと生活に支障を来します。
この番組に出る外国人の方々は、難しい日本語をマスターし、日本人よりも正しい日本語を話す外国人が登場されます。

そして皆さん頭脳明晰の人達、でないと日本では生活できないだろう。凄い人達そして日本が大好き外国人の方です。

「ワタシが日本に住む理由」の番組のシーンで「日本の好きな風景」のBGMで流れる曲、ピアノを強調した哀愁を帯びた心が洗われる素敵なとても耳に残る音楽です。

この曲名を何方か教えて頂けませんか、お願いします。出来ましたらCDのタイトル名もお教え下さい。

すると多くの皆さんからコメントで曲の連絡を頂きました。
有難うございました。

スマホのメール着信曲にしています。

先日放映されたスイスから来られ、お寺のご住職と結婚された方の放映でしたが完璧な日本語を使われました。最近NHKのアナウンサーは平気で「ウン」を使いますが返す返事は全て「ハイ」でした。聞いていて清々しい気持ちになりました。

この番組は、この風景から始まる。

なぜ日本に住むの?「ワタシが日本に住む理由」は

ワタシが一番好きな風景・・の場面に流れる哀愁の満ちた素晴らしい曲がながれる。

画像は別の番組の一場面ですが、ピアノを弾かれた曲は「フォレスト・ガンプのテーマ曲でした」。

画像は別の番組ですが「フォレスト・ガンプ」の曲を弾かれました

私は曲名が分からず、ブログで「この曲名を何方か教えて頂けませんか、お願いします。出来ましたらCDのタイトル名もお教え下さい。」とお願いしましたら、多くの方から連絡を頂きました。

改めてお礼申し上げます。

曲名が判明して暫くしてある時、プレミアムシネマ「フォレスト・ガンプ 一期一会」が放映されました。

映画の内容にピッタリ合う素晴らしい曲が流れてきました。

異郷の地に来て「ワタシが一番好きな風景」故郷を思い浮かべながら景色を紹介するBGM最高の曲です。選曲したBGM担当者の感性は素晴らしい。

この番組が続く限りフォレスト・ガンプの曲を使って下さい。

改めて曲名をお知らせ頂いた方々に御礼を申し上げます。

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秋山好古揮毫石碑・京都市右京区で発見!!

2020年11月10日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

常照皇寺参道口にある秋山好古揮毫の石碑「「山國御陵・やまくにのみささぎ」。

秋山好古石碑の石碑は、現在全国に52基発見され全て取材完了いたしております。

最後に発見された石碑は、平成28年5月31日、長野県安曇野市に発見されました。

それから4年後に、京都市右京区で発見され、関西地区では初めての貴重な石碑です。

石碑所在のお知らせを頂いたのは、京都市右京区の左賀様です。ありがとうございました。

石碑表面には「山國御陵・やまくにのみささぎ」・・と揮毫されています。

裏面には、「昭和戊辰御大典記念」と揮毫者の「秋山好古」が書かれています。

この時期、秋山好古は愛媛県松山市の北豫中学校(現、愛媛県立松山北高等学校)の校長として松山の自宅に居ましたので、揮毫はどんな経緯でしたのか調べて見たいものです。

全ての画像は、京都市の左賀様から送って頂いた貴重な画像です。

左賀様とは来春現地でお会いいたし、取材のご協力を頂く事をお約束頂きました。

その時はよろしくお願いいたします。

石碑、表面で「山國御陵」と揮毫されています。

画像の通り沢山の苔が生えており文字が読みづらいです。

この石碑がある奥に、北朝方初代天皇の山國御陵と102代の後花園天皇の後山國陵があるそうです。

石碑裏面で、

昭和戊辰御大典記念と揮毫してあります。

今まで発見された石碑は全て、題額の右側に揮毫者の氏名が書かれていますが、今回の石碑には、揮毫者の氏名肩書は全て裏面に揮毫されています。

天皇の恐れ多い山國御陵ですので平民である秋山好古は裏面に揮毫したのでしょう。

許可が頂ければ、文字に墨を入れて浮き出させて撮影が出来れば最高です。

石碑裏面の揮毫者「陸軍大将秋山好古 従二位 勲一等 功二級 秋山好古 謹書」の謹書ですが、少し風化し文字が見えにくくなっています。

石碑の石の質が柔らかい材質なのでしょか?

石碑の苔等々の除去作業について、左賀樣は貴重な時間を割いて頂き、常照皇寺さんに、そして山國御陵を管理する宮内庁の書陵部月輪陵墓監区事務所を訪れ石碑の清掃に付いて伺うと両者ともに石碑は関知しない事が判明、後は地元自治会に問い合わせをします。

場所がJR京都駅から約39kmの所で公共のバスで行くと1時間40分位かかるそうなので、タクシーかレンタカーで行こうかと思案中です。

令和2年10月1日現在、秋山好古揮毫の石碑一覧表です。

なお、48番の千葉県鎌ケ谷市道野辺神社の石碑は、三分割されて境内に眠っております。
平成23年6月13日、再建立のお願いに私は、鎌ケ谷市道野辺神社の北山秀彦宮司にお目にかかり、強く石碑再建立についてお願いし約束を頂き、ちょうどスペシャルドラマ坂の上の雲第3部が放映されるまでに建立して頂けるものと思っていました。

北山宮司は必ず再建立をいたします。その時は除幕式も行いますと約束して頂きましたが残念に未だ再建立がされていない。何か特別な事情が起こったのでしょうか?
それから、53番の京都市右京区の石碑の現地取材は来春行います。
たぶん秋山好古揮毫の石碑はこれが最後の石碑になるような予感がします。

各地の秋山好古を尊敬の念を持って頂いている方からの情報を提供して頂き有難うございました。

53番目の京都市右京区の石碑は、来春現地取材を行い改めてブログに掲載いたしますのでその時は是非ブログを見て下さい。

 

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