EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

八十八ヶ所第51番札所 石手寺三重塔

2012年09月28日 | 伊予松山歴史散策
昨日久しぶりに、石手寺さんをお参りしてきた。
昨年暮れから味覚障害になり、専門医に掛かっているが一向に良くならない。担当医曰く、現在治療薬として投薬しているがこれで改善しなければ、治療方法がないとの由、ご本尊の薬師如来に祈願をして来た。

石手寺は、四国霊場51番札所の石手寺に国の重要文化財に指定されている三重塔があります。(明治40年5月27日指定)
高さ23.83m、一辺4.86mで鎌倉時代文保2年(1318年)に建立され、釈迦、文殊、普賢が安置されている。
1階部分には、四国霊場88箇所の砂が布袋に入れられておいてあり、これを触れていくと霊場88ヶ所を全て回ったのと同じご利益があるといわれています。

私も砂袋に触れお参りをして来た。
この寺は、道後温泉に近く観光に来られた方の参拝が多く四国88ヶ所の中でも最も多い札所の一つである。


国宝、石手寺二王門を潜ると右手に三重塔が目に入る、高さ23.83m、一辺4.86mで鎌倉時代文保2年(1318年)に建立され、釈迦、文殊、普賢が安置されている。


正面からの三重塔




三重塔初重の回廊に、四国霊場88ヶ所のお砂が置かれていて、この砂を撫でると88ヶ所を巡礼したのと同じご利益があるそうだ


三重塔初重の回廊東側には観音菩薩が置かれている


三重塔初重の回廊東側には観音菩薩が置かれていて、その後ろに菩薩屏風が置かれている


三重塔の後ろには、小高い山の山頂に巨大な花崗岩で造られた弘法大師立像が建立されている




三重塔の最上階の建造物を、「相輪」と言う 釈迦の墓である塔は、インドでは高温のため釈迦を高温から護る為のものと言われている
相輪の構造は:上から、宝珠・竜車・水煙・九輪・受花・伏鉢・露盤・・宝珠は、仏舎利が納められているところなので最も重要とされる


石手寺の道中に満開の彼岸花が咲いていた
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伊豫松山城築城の候補地を探る

2012年09月26日 | 伊予松山歴史散策
慶長6年(1601)加藤嘉明は徳川家康に築城の位置に付いて、天山と御幸寺山と勝山の三ヶ所を候補地として上申したところ、勝山が許可されたとの説話がありこのことは世に広く知られている事柄である。

そして慶長7年(1602)1月15日吉日に勝山城の工を起した。これと前後して城下町の計画も着手し新城下町の構想は、勝山の山麓に三之丸をつくり武家屋敷を設け、城西、城南、城東方面に商家を置き、寺院を城北に建立した。

慶長8年(1603)10月に嘉明は家臣と正木の住民とともに居を新城下に移し、ここに「松山」という名称が公にされた。・・現在の松山市の誕生である。

勝山の城をこれより伊豫松山城といい、築城建設の工事は20余年後の寛永4年(1627)に完成するという長い年月がかかった。この間、築城経費捻出のため年貢の取立てが多く農民は苦労した。

嘉明は、松山城完成一年前に幕府の命で会津藩40万石に転封となり、手掛けた松山城の完成を見ることが出来なかった。
寛永8年(1631)会津藩江戸屋敷で逝去 69歳。

画像は、伊豫松山城築城の候補地を昨日(25日)松山総合公園展望台(141m)から撮った。


松山総合公園展望塔頂上141mから撮影した、伊豫松山城築城の三候補地の位置


松山城天守最上階、160mから撮った、第一候補地の天山


松山城天守最上階、160mから撮った、第二候補地の御幸寺山


松山総合公園展望塔141mから撮った、第三候補地の勝山で現在の松山城


第二候補地の御幸寺山山頂で、小さな神社がある


第一候補地の天山には、天山神社があり、この山は奈良県の天香久山と深い関係がある、昭和52年4月に「古代より由緒と歴史が取り持つ交流が開始その記念が建立されている。奈良県橿原市南浦町と愛媛県松山市天山町との交流


伊豫国・天山 大和国・天香久山、歴史ある両山を記念して石碑


昭和58年に整備着手し平成11年に完成開園した、松山市総合公園、展望広場は、標高126m、展望塔左が141mある・・


松山市総合公園展望塔左の塔の窓から見た松山の城下町


参考までに
奈良県橿原市南浦町の「天香久山」平成22年11月16日撮影
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伊豫松山 秋祭り 小唐人神輿巡行準備 総仕上げ

2012年09月25日 | 伊予松山歴史散策
昨日神輿にロープを巻く作業を行ったが、24日に総仕上げを行った。
仕上がった神輿は本祭りまで松山三越大街道口に展示される。

松山の秋祭りは、10月5日・6日・7日に行われ、道後地区は、八町八体の神輿が道後湯神社から2体・伊佐爾波神社から6体の大神輿が最終日の7日の早朝に神輿に神霊を宮司(神官)が入魂する。

そして午前5時30分に、宮出し、午前6時道後温泉駅前でかき比べ(鉢合わせ)を行い、その後各町内に戻り神幸(巡町)を行う。神幸は「しんこう」とも「みゆき」とも呼ばれ、夕方各神社に帰り宮入をして神輿から神霊を出し秋祭りは終了する。

日程は、10月5日・宵宮:本祭りの前夜祭、神社に神輿を納め神を迎える厳粛な行事。6日・祭典:神社役員・神社総代・神輿総代・大頭取・神輿守が列席、秋の稔りと神様の恩に感謝して、神輿で神様をお迎えし、各町各家々にお招きする明日の神幸祭が麗しく無事に執り行えるように祈願する。

7日、早朝に神輿に神霊を宮司(神官)が入魂し宮出し、かき比べ、町内巡行、宮入をして祭りは終わる。

秋祭りの目的は

神社では、年間を通じて様々なお祭りが行われます。春にはその年の豊かな実りを祈り、秋には収穫を感謝する秋祭りが行われます。神社では、個人の祈願も行われますが、神社は本来公共的なものであり、お祭りは地域の人々によって営まれてきました。
  先人たちは、お祭りを通して、神社の信仰を伝えてきました。お祭りは神と人、人と人とを繋ぐ、大切なコミュニケーションの場でもあります。

神輿の鉢合わせ

神輿が神幸 (しんこう) する際に途中で上下左右に荒々しく揺さぶることを魂振り(たまふり)といいます。
  元気のない霊魂を揺さぶり、魂の活力を取り戻し、乗っているご神体の霊威を高めて、豊作や商売繁昌、ありとある産業の発展を祈願します。
  神輿の鉢合わせは、この魂振りの究極の姿といえるかも知れません。・・とある。

画像は、昨日(24日)小唐人神輿頭取の許可を得て撮影した。
大街道商店街「松山三越内で」昨日小唐人神輿にロープを巻く作業をしたが、ロープ蛾ずれない様に細いロープで編みこみをして神輿ロープ巻きの総仕上げで、出来上がった神輿は本祭りまで松山三越内に展示されている。


三越松山店に展示された小唐人神輿の説明


昨日ロープを巻いた縦横のロープがずれないように、細い紐で編みこみをしていく


編みこみは、手間の掛かる作業で組み編みこみの方法を先輩に教わり編んでいた








仕上がった組み編みこみ、これでロープのずれが防げる


最上のクロスするロープの仕上げ


ちょうど三越で「江戸の職人展」が開催中で、江戸文字の大家「橘 右之吉」さんが熱心に作業の画像を撮っていた・・パリの友人に神輿のロープ画像を送ると興味を示しもっと送れと連絡が来たので撮ってますと


ロープの組み編みこみの画像をパリに送り一安心・・一枚記念に「橘 右之吉」さん・・浅草の神輿もこんなに手の込んだロープ巻きはしないとの由・・珍しいいいものを見せてもらった・・と


仕上がった組み編みこみ


仕上がった小唐人神輿、お神酒と榊をお供えして


画像はロープの内側でこの奥に神霊が入る御神殿がある


総仕上げが完成し三越松山店大街道入口に展示された
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橘 右之吉 さん

2012年09月24日 | 伊予松山歴史散策
橘 右之吉(たちばな うのきち)さん今年も来松
橘流寄席文字・江戸文字書家。
株式会社UNOS 代表、江戸趣味雑俳「つ花連」同人/投扇興「綾香連」にも属する。
近年は橘さんが考案し、柘植の板に漆で文字を書いた「消し札」と呼ばれる携帯ストラップが人気を得ている。・・と紹介がある。・・私も愛用している。

有名なのは、浅草寺本堂、浅草雷門・宝蔵門の大提灯の文字は橘さんの揮毫である。
毎年松山市の三越デパートで実技公開されていて、今年は9月18日から24日まで開催される。

昨年は秋山兄弟生誕にお越し頂いき写真を撮らせて頂いた。
江戸文字書家の大家でありながら気さくで、礼儀正しいお人柄で近寄りやすい芸術家である。・・今年も会場で暫しの会談をさせて頂いた。

橘 右之吉さんに造ってもらった柘植の板に漆でコールサインを書いて頂き愛用している。
橘さん曰く、ローマ字の江戸文字を書くことがあまり無いので良く覚えてます・・との由、ローマ字は「JR5EEK」で、私のアマチュア無線局のコールサインである。
今年も松山市でお逢い出来てよかった。


画像は、松山三越で開催中の江戸の職人展「江戸文字の文字匠・橘右之吉さんの技を披露。・・橘さんの許可を得て撮影。


松山三越で開催中の江戸の職人展「江戸文字の文字匠・橘右之吉さんの表示板」




松山三越で開催中の江戸の職人展


松山三越で開催中の江戸の職人展「橘さんのコーナー」


松山三越で開催中の江戸の職人展「橘さん」


松山三越で開催中の江戸の職人展で実演を行う「橘さん」


江戸文字匠の大家「橘 右之吉さん」が揮毫した・・浅草の雷門
直径3.6m、高さ4.5m、重さ750kg、松下電器(現パナソニック)の創業者松下幸之助が1960年に大提灯を寄進したそうです。
平成23年6月12日撮影


橘さんが考案し、柘植の板に漆で文字を書いた「消し札」の説明


橘 右之吉さんの横顔
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伊豫松山 秋祭り 小唐人神輿巡行準備

2012年09月23日 | 伊予松山歴史散策
いよいよ伊豫松山の秋祭りが近づき、各城下町の町々の神輿は準備に入った。
これから紹介する小唐人神輿は、加藤嘉明が松山城築城し町割が出来、そのひとつに「唐人町」があった。

嘉明は、豊臣秀吉の命をうけ朝鮮に出兵した時に連れ帰り松前の城下に住まわせた町が「唐人町」で、居を新城下「松山」に移したときも唐人町を作り住まわせた町で、現在の大街道商店街である。

その後唐人町は、大唐人、小唐人、の二の地域に分かられ、更に現在の上一万町辺りを、北唐人とされた。各唐人町に神輿がある。

秋祭り最終日は、道後温泉駅前に8体の神輿が勢ぞろいし勇壮な鉢合わせを行う。その準備としてロープを巻いて神輿を保護する作業が行われている。

画像は、今日(23日)小唐人神輿頭取の許可を得て撮影した。
大街道商店街「松山三越」前で小唐人神輿にロープを巻く作業の画像で、明日最後の仕上げをするそうです。
画像説明は記載しないので作業工程を見て下さい。



















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