EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

佛塔絵画展 鑑賞・・松山道後に於いて

2013年06月30日 | 伊予松山歴史散策
道後温泉の「ホテル椿舘」で佛塔絵画展が開催されている。
佛塔絵画展の元となる「佛塔」の著者は、吉金一郎氏で、松山市神次郎町(旧温泉郡五明村大字神次郎・昭和30年5月1日、松山市に編入合併)出身である。昭和18年に日本陸軍の宣撫活動の一環である日本語学校の教師に志願してビルマに渡り、抑留期間を含め、足掛け4年間当地で過ごした従軍記録が「佛塔」である。

ともすれば、松山は正岡子規に代表される俳句の町とされているが、幕末から明治維新にかけて朝敵とされ、土佐・長州に占領され、軍費献納金15万両を要求、大金を調達するに大変を喫し、藩民達も捻出の一端を担いだ。15万両は松山藩2年分の歳入額であった。困難な時代を耐えてきた旧藩民、後に松山からは優秀な人材が世に輩出された。世のため、人のため、故郷のために尽くせる人になるようにと、特に母親達は子供を育て上げてきた。
吉金一郎さんもその一人ではないかと絵画展を鑑賞しながら胸を熱くした。ホテル椿舘さんはいい企画をされた。

絵画展示期間は、平成25年5月8日から平成26年5月8日まで
        時間は、午前10時~午後3時まで鑑賞無料
吉金一郎氏の略歴は画像を参照下さい。
註:佛塔とは、佛教信仰の為に建てられた塔。


椿舘ロビーに大きく掲示されていた。






















佛桑花





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算額・伊予松山「伊佐爾波神社」

2013年06月27日 | 伊予松山歴史散策
伊佐爾波神社は、道後温泉本館北東に徒歩4分(270m)の所に位置する延喜式内社で、ご祭神は、仲哀天皇・神宮皇后・応神天皇、三柱姫大神である。また神社は伊予の守護、河野氏が湯築城の守護神として崇拝していた。湯築城、築城の際、今の地に移し、その後、加藤嘉明が松山城の固めとして八社八幡を定めた時、一番社として武運の祈願所となり、現在の社殿は、伊予松山藩松平第三代、松平定長が、徳川将軍からの命じられた流鏑馬の必中祈願のお礼として建替えたもので、京都の石清水八幡宮を模して建造、大分の宇佐八幡宮と並び全国に三例しかない整った八幡造りで、国指定の重要文化財に指定されている。

算額(さんがく)は、和算の問題・図・解答、それを導く最終計算方式等を記録した額である。この神社の算額は、関孝和(?~1708年)が考案した関流数学で享和3年(1803)を最古に江戸後期から明治時代のものが多く、数学の問題が解けたことを人の集まる神仏に感謝し、益々勉学に励むことを祈願して奉納されたと言われる。
伊能 忠敬が寛政12年から文化13年まで、17年をかけて日本全図を完成させるが、この時和算を使い測量の値地を早く出すことが出来たそうだ。
ここに紹介する「算額」はこの神社の宝物として回廊に22面が展示されていて、22面が一社に残されているのは全国でも非常に珍しい貴重なものである。残念ながら算額は写真に撮りそれをラミネート処理されているため反射して巧く撮れない。


国指定重要文化財「伊佐爾波神社・社楼門」昭和42年6月12日指定。


伊佐爾波神社・社楼門にある社号額。


伊佐爾波神社に掲示されている国指定重要文化財標示板。


拝殿。


回廊で、ここに算額が展示されている。


回廊に展示されている算額で、写真に撮って展示されている。


算額の一部で、ラミネート処理されているため反射して巧く撮れない。


算額展示で最後から。


平成19年8月に愛媛和算研究会が復元した、関谷喜多次の算額。


関谷喜多次の算額の説明板。


現在の社殿は、伊予松山藩松平第三代、松平定長が、徳川将軍からの命じられた流鏑馬の必中祈願のお礼として建替えたもので、そのためか流鏑馬姿の武将の像が奉納されている。


北側回廊から後ろから見た本殿。本殿は、昭和31年6月28日指定。


右側回廊から見た奥が本殿、手前は、末社常盤社新田霊社本殿で、昭和42年6月15日重文に指定。
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祝 富士山「世界遺産登録決定」おめでとうございます

2013年06月24日 | 伊予松山歴史散策
カンボジアの首都プノンペンで開かれた ユネスコの世界遺産委員会は、22日、日本の富士山を、静岡県の三保松原を含めた形で世界文化遺産として登録することを決めました。
審議は異例の50分間にわたり、三保松原を除外しないよう求める声が相次ぐなど、富士山への各国の関心の高さをうかがわせた。ドイツの委員は「富士山の登録を支持したい。三保松原を題材にした美術品も多く、登録から除外すべきでない」と述べ、富士山だけでなく、三保松原についても高く評価した。
結局、当初は10分程度とみられていた審議は、50分近くにもわたる異例の展開となり、最終的には諮問機関の勧告を覆し、富士山と三保松原を含めた形で世界遺産として登録することが決まった。

静岡県の川勝知事は「この瞬間、ここにいることができてとても光栄に思っていたが、静岡市の三保松原はだめかと思っていたが一緒に登録が叶い非常に嬉しいです。登録の決定は終わりではなく、始まりに過ぎないのです。日本人は富士山を守りこの遺産を次の世代に引き継いでいきます」と強い決意を述た。
静岡県・山梨県の皆さん本当におめでとうございます。私も富士山大好き人間の一人で、東京に行く時、飛行機の場合は、必ず座席は左の窓際の席を取り富士山を撮り、新幹線の場合も上りは左側の席、下りは右の窓際の席を確保して富士山を撮る事にしております。
画像は、今まで撮った富士山の一部です。私の写真は記録写真で芸術的なものは何もありませんの。

註:ユネスコの世界遺産に登録されている日本国内の文化遺産は13件・自然遺産は、4件で、複合遺産はなし。



平成11年10月10日、初めて富士山に行きました。横浜市のM社の社長に車で連れて行って頂きました。場所は須走です。午前9時33分撮影、この日は好天でした。風もなく絶好の日和でした。


平成12年10月26日、御殿場のホテルの部屋から午前8時06分。


平成18年2月25日、飛行機から駿河湾上空、午前11時45分。


平成19年2月3日、飛行機から三浦半島上空、午前11時34分。


平成19年12月20日、飛行機から駿河湾上空、午後0時33分。


平成19年12月20日、六本木ヒルズ最上階展望室から、午後4時51分。


平成20年8月22日、この日は雲が多く雲の合間に富士山が見えた。
午前11時58分。


平成20年12月6日、真っ白な富士山、少し大気は霞んでいた。午後0時07分。


平成22年1月22日、この日はスモッグが掛かったような天候でした。午前11時47分。


平成22年1月24日、新幹線下り列車から、JR三嶋駅手前この時期にしては雪が少なかった。午前8時53分。


平成24年3月26日、山梨県甲府市、日本100名城巡り「甲府城本丸天守台」から、この日は時より霙がちらつきいい天気ではなかった。少し富士山が見えたので撮った。午前11時50分。


平成24年3月26日、静岡県三島市の山中城跡から、日本100名城巡りの時に、午前9時20分。


平成24年3月26日、静岡県三島市の山中城跡から、日本100名城巡りの時に、午前9時39分。・・山中城跡は、複列型の障子掘がよく手入れの行き届いた保存がされていた。障子堀を入れて撮ってみた。この日は最高にいい天候で、JR二島駅からタクシーで往復、運転手さん曰く、三島から見る富士山が最高にいいです・・そして今日は最高の天候でいい時に来られましたねと!!


日本100名城第40番「山中城」跡を見学してJR三島駅から新幹線で京都に向けて下り列車から、午後0時10分。


平成19年5月18日、富士宮市の「田貫湖」から、17日は雨で18日も悪天候で富士山は見えないものと諦めていた。朝眼前に素晴らしい富士山が見え慌ててしまっておいたカメラを取り出して撮った。午前4時55分。


暫くすると朝日が昇り左中腹に太陽が出て素晴らしい光景を見る事が出来た。
年に2回山頂から太陽が昇り、ダイヤモンド富士が見えるそうです。午前5時20分撮影。
この時は、松山市から車で静岡市葵区羽鳥の洞慶院にある秋山好古揮毫石碑「愛馬追悼碑」の取材に往った時に脚を伸ばして富士山一周した時である。


静岡市葵区羽鳥の洞慶院にある秋山好古揮毫石碑「愛馬追悼碑」で揮毫は二人が書いてある。一人は秋山好古で、もう一人は、豊邊新作である。新作は、越後・長岡藩筆頭家老「河井継之輔」の甥で、秋山好古が最も信頼した副官である。
現在、秋山好古が揮毫した記念碑は全国に51基発見されているが二人が揮毫した石碑はこの石碑だけである。
画像では、判読出来ないが、石碑上部に横書きで篆書「忠魂」 を秋山好古が揮毫し、題書「愛馬追悼碑」を 豊邊 新作が揮毫した。
註:篆書(てんしょ)とは、石碑などの上部に篆書体で書かれた題字。
撮影は、平成19年5月16日、午前11時30分。


揮毫者、二人の名前を大きく撮ってみた。残念な事に石碑の刻印が浅いので判読しぬくい。揮毫した二人の名前に下に、「篆書」「題書」と書かれている。
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俳句甲子園 四国地区予選松山大会

2013年06月23日 | 伊予松山歴史散策
愛媛県松山市で毎年8月に開催される、高校生を対象にした俳句コンクール「全国高校俳句選手権大会」の四国地区大会が今日(23日)松山市大街道特設会場で開催された。
昨日から始まった松山の「土曜夜市」、その余韻が残る大街道中央商店街では、早朝から特設舞台が設置されていた。
第16回俳句甲子園大会四国地区予選松山会場である。
正岡子規の故郷伊予松山で今年も8月24・25日に全国大会「俳句甲子園」が開催される。
画像は、6月23日開催された四国地区大会松山会場である。


松山市大街道中央商店街、昨日はここで土曜夜市が今年初めて開催され賑やかであったが、一夜明けて今日(23日)は高校生達の言葉の戦い「俳句甲子園四国地区大会松山会場」に様変わりした。


四国地区大会の組み合わせ表で、高知県から唯一校「土佐高校」が参加していた。


参加する高校生達は、母校を最高にアピール出来る標語を染め抜いたユニホームを纏い気持ちを高めている。


いい会場で、いい雰囲気の中で言葉の戦いが出来る様スッタフも心掛けている。商店街には特設会場が4会場設営された。戦い前の会場。


俳句大会は、司会・行司・審査員の皆さん方で構成される。司会・行司担当の関係者の打ち合わせ。


四国地区大会開会式を待つ選手達。


高知県から参加した右側が土佐高等学校。


松山西中等教育学校Aチーム、真剣な眼差しで相手高の俳句を読み取り言葉の戦いに挑む。


判定は、3名の審判員が赤白の旗を揚げて勝敗を決める。


地元俳句愛好者達も真剣に高校生が詠む句に聞き入り、句の質疑応答の言葉に酔いしれ思わず拍手を送る鑑賞者もいた。


四国大会に参加した高校生、全国大会にどの高校が参加できるのか、夕方には決定する。全国大会は8月24日(土)25日(日)に松山市で開催される。
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松山市の土曜夜市始まる

2013年06月22日 | 伊予松山歴史散策
松山市民にとって夏の風物詩である「土曜夜市」が、大街道、銀天街、まつちかタウンで今夜から始まった。
開催は6月22日(土)~8月3日(土)まで!
画像は、今日午後4時過ぎの画像で、沢山の露店が並び、夜になると大勢の市民が浴衣をきて家族で・友達と、繰り出して夜市を楽しむであろう!!






今年も大街道1丁目では土曜夜市特別ステージにて地元ミュージシャンやアーティストによるライブイベントを開催するそうで、早くもいい席取り開演を待っている。
















地元TVも取材に来ていた。


大街道商店街組合員も初日とあって大忙し。
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