EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

湯築城跡に来るカワセミ

2012年11月29日 | 伊予松山歴史散策
昨日28日(水)道後にある湯築城跡にやって来るカワセミを撮りに行ってみた。
カワセミを撮るのは初めて試みであると言うよりも鳥類は初めてである。

以前から湯築城跡にやって来るカワセミを撮影するカメラマンが大勢いることは知っていた。現地に行ってみるとお一人のベテランカメラマンが居たのでカワセミの撮影の秘訣を聞いてみた。プロのカメラマンならば教えてはもらえないだろうが、そこはアマカメラマン色々と教えてくれた。

先ずは、準備するレンズ、カメラ本体をセット(絞り、感度、連写、シャッタースピード)等々、動きのある被写体を撮るのだから難しい。それよりもカワセミが来る場所の把握、時期と時間帯を観察してシャッターチャンスを待つが肝要とか!!・・カワセミは来る場所が殆ど決まった所に来るそうだ。

この時期は、晩秋から冬季に掛けては子育てをしないから水辺に来る事は少ない・・時期は春であると教わった。

しかし全然来ない事はないから待ってみては如何かなとの事、暫し待つ事にした。するとやって来た。

画像はその時のカワセミ・・残念ながら私のレンズは400mmでアップの画像は撮れなかった。800mm以上のレンズが必要の様だ。カワセミは警戒心が非常に強くあまり近づけない。・・だから長いレンズが必要。春までにレンズを準備しておかなくては!!

カワセミは、水辺に生息する小鳥で、鮮やかな水色の体色と長いくちばしが特徴、古くはソニドリ、ヒスイ、青い宝石と呼ばれることもある。


平成14年4月12日に湯築城跡一部復元が完成し史蹟公園として開園、平成14年9月20日に文科相から国史蹟・湯築跡として指定を受けた・・湯築城は、中世の城である・・日本100名城第80番に指定


湯築城跡南側で、画像奥に建物が見えるが(休憩所)この付近にカワセミが来る


休憩所前でカワセミの飛来を根気よくはひたすら待つ・・この日は寒かった




私は10時40分に現地に行った、すると11時33分にやって来た・・私のレンズは短くアップに撮れなかった・・ベテランのカメラマンに聞くと雄のカワセミだそうだ・・常連の撮影者は、雨天以外は毎日撮影に来ているそうで、早朝5時過ぎから午後2時過ぎまで待機するそうだ・・昨日は一度も来なかったが、貴方は今日が始めて運がいいですねと言ってくれたが・・レンズが短く大きく撮れなかった//画像のカワセミは、雄だそうで、雌は下嘴が黄色だそうです


撮るのであれば早く撮って!!俺は多忙なのだからと言わんばかりに此方を見ている


横を向いてくれた・・これでいいかな!!と飛び立った
それから午後3時30分まで待機したがもう来てくれなかった


これがカワセミの巣で、撮ったのは平成16年11月2日湯築城北側で、現在はここには生息してないそうだ


午後3時過ぎカメラをしまい帰る仕度をしていたらこの鳥が飛んできた・・種類は??


湯築城外堀に赤穂から贈られて来たはぜの木が保存されている・・真っ赤に紅葉していた


赤穂から贈られて来たはぜの木説明板が立ててある


湯築城跡には秋山好古揮毫の大きな記念石碑が建立されている
昭和天皇の即位を記念しての碑である
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愛媛すごいもの博2012松山

2012年11月25日 | 伊予松山歴史散策
経済の沈滞打破を目指して地方が元気でないと!!産業の力で、愛媛を元気に、愛媛・松山産業まつり・「愛媛すごいもの博2012松山」が11月24日(土)25日(日)二日間伊豫松山城三之丸公園で盛大に開催された。
二日間とも好天気に恵まれ特に25日は、12月が近いと言うのに汗が出るほど暖かい一日であった。

会場には、グルメゾーン・物販売ゾーン・展示、体験ゾーン、327の各展示場が設営し、すごいもの博に来た行楽客はお目当てのゾーンで食べ物を買い家族団らんの一時を楽しんでいた。

メインステージでは、広島県警と愛媛県警音楽隊の合同演奏会、城之内 早苗のステージ、ひめキュンのライブで観衆が大喝采、東京から九州から追っかけフアンが騒いでいた。友好都市から、広島市・横須賀市・高知県・奈良県・熊本市・石川県等々の県市からブースを出していた。

また、昨日24日(土)開催された五木ひろしのトーク&ライブでは、夜明けのブルースがヒット中とあって凄い五木フアンで会場は盛り上がったそうです。

24日の様子の画像であります。


愛媛すごいもの博2012松山の案内パンフ


メインステージに飾られた「標語」


ご当地ソング新曲「松山しぐれ」を歌い参加者に披露する「城之内早苗」


松山でおなじみの新井 満さん作曲の「この街で」を歌う、城之内早苗
「この街で 生まれ この街で 育ち
この街で 出会いました あなたと この街で
この街で 恋し この街で 結ばれ
この街で お母さんに なりました この街で
あなたの すぐそばに いつもわたし
わたしの すくそばに いつもあなた 
この街で いつか おばあちゃんに なりたい
おじいちゃんに なったあなたと 歩いて ゆきたい」


花束を贈られお礼を申し述べる、城之内早苗


広島県警、愛媛県警の吹奏楽団合同演奏が大勢の観衆に軽快に演奏を披露された


白い制服を着ている楽団員が広島県警、黒い制服が愛媛県警


スマートな演奏をする両県警音楽隊員・・赤い制服の女性隊員はどちらの県警隊員なのか・・一生懸命にサックスを吹いていた


5人組みの「ひめキュン」のステージ、音響もフルMAX鼓膜が変になりそうな轟音


ひめキュンを見るために東京~九州から観衆は手を振りながら聴いていた
ひめキュンは、地元の新聞「愛媛新聞社」がバックアップ体制をとるほか、「松山銀天街」「大街道商店街」「まつちかタウン商店街」などの商店街が「ひめキュン応援団」として協力。さらに地元の専門学校「学校法人河原学園」の国際デザイン・アート専門学校が衣装デザインと製作を、国際トータルビューティカレッジの講師と生徒が公演のヘアメイクを手掛ける・・とある


メインステージは大勢の観衆が駆けつけ声援を送っていた・・後方は松山城で山頂に天守が見える
会場は、旧伊豫松山城三之丸で、現在は城山公園と呼んでいて松山市民の憩いの場所となっている


327の各ブースは何処も大賑やか


松山市と友好都市熊本からやってきた「ミス熊本」
熊本市は、夏目漱石の代表作「坊っちゃん」・「草枕」の舞台としてゆかりがあることから「夏目漱石でつながるまち」として交流を開始しており、熊本市で開催されるイベント等に参加して観光PRを行い、本市への観光客誘致や修学旅行誘致に取り組むとともに、熊本市からも「えひめ・まつやま産業まつり」などへの参加をいただくなど、自治体レベルでの相互の観光誘客に向けた連携を進めており、現時点での交流は観光分野に限られていること、また、民間レベルでは、まだ十分な機運醸成がなされていないという現状から、姉妹・友好都市を提携するには至っていないが、これまでに築いた両市の繋がりを大切にし、引き続き交流を深めてまいります・・とある、未だ姉妹都市までには至っていない


現在、松山市では、国内での姉妹都市提携は行っておらず、スペシャルドラマ『坂の上の雲』ロケ地として繋がりのある横須賀市と友好都市としての繋がりを行っている・・「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」で有名な秋山眞之と戦艦三笠の繋がりが強い・・横須賀市から「よこすか海軍カレー」ブースを開設、横須賀の戦艦三笠には多くの秋山眞之の展示物がある
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讃岐の金比羅宮 参拝 3

2012年11月24日 | 伊予松山歴史散策
江戸時代金比羅参りは、日本人の心の故郷と言われる伊勢神宮をお参りして、そして少し足を延ばして、四国讃岐の金比羅さんを参拝するのが最高の旅だったそうだ。

その一つである金比羅さん参り、絶好の旅の季節途中休憩を取りながらそしてカメラのシャッターを押しながらの参りをした。
帰りは、以前から行ってみたい香川県観音寺市にある琴弾公園に寄った。

ここに砂で造られた寛永通宝の銭形砂絵を撮りたかったので、寛永通宝の大きさは、縦122メートル、横90メートル、周囲345メートルの楕円形をしており、琴弾公園山頂の展望台からみると真円に見える。夜になるとライトアップされるそうだ。珍しい観光資源である
例年春と秋に「銭形化粧直し」を行い、台風などで砂が流されたりした際には、市民総出で補修工事が行われるそうだ。

その様子の画像最後です。


やっと本宮社に着いた奥に展望できる広場がある


11月21日は大安吉日で、この日を選んで来た・・画像のように素晴らしい天気に恵まれていい金比羅参りが出来た


本宮社からは讃岐平野が一望でき、讃岐富士もくっきりと左奥には瀬戸大橋も見えた


この日は大気の水蒸気も少なく画像のように瀬戸大橋もはっきりと見ることが出来た


いよいよ降りる事にしよう・・本宮社の最後の階段は上りと下りの石段が別に設けられている・・混雑時に怪我が無いようにと造られたのか??


大門近くまで下りてきた


途中馬が二頭飼われていた・・おとなしいい馬でした・・神様に仕える馬・神馬がいた


金比羅さんを後にして 観音寺市にある琴弾公園に寄った・・はじめての道もカーナビを目的地にセットすれば分けなく案内してくれた・・便利なものだ


寛永通宝の銭形砂絵
大きさは、縦122メートル、横90メートル、周囲345メートルの楕円形をしておるそうだが円形にしか見えない


夜になるとライトアップされるそうだ・・終夜
ライトアップされると寛永通宝が浮かび上がり綺麗に見えるでしょう!!
以上で今回の行楽の旅画像は終わりです・・ご覧頂きありがとうございました
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讃岐の金比羅宮 参拝 2

2012年11月23日 | 伊予松山歴史散策
11月21日自宅を午前9時20分出発し、松山自動車道経由高松自動車道を走行、途中豊浜SAで休憩して善通寺ICで降りた。そして一般道を走りJR琴平駅隣接の琴平町町営西駐車場に着いたのが午前11時30分であった。車を置き20数年振りの金比羅参りに行った。参拝者は休日でなかったので少なかった。この日は絶好の行楽日和であった。

その様子の画像NO2であります。


籠で移動出来るのは大門まで、大門からは自力で参拝、参拝を終えた人が籠で降りてくる


大門を潜ると元祖御飴「五人百姓」の女性達が飴を売っていた
五人百姓とは、本来、金刀比羅宮境内では店を開くことができませんが、昔から特別に許可された5つのお店で、なぜか、この日は4人でした
金比羅山に行くと、お土産さんの店は大門までで、大門から奥くにはは店はない、但し特別に許可された5つのお店だけが名物の加美代飴「かみよあめ」を売っている、飴は柚子の香りがする、昔ながらの素朴な味のアメで、厚みがあり堅く、付属の小づちで割って食べる、結構評判良い


大門を潜り、いよいよここからが金比羅宮の正式な境内で沢山の奉納玉垣と石燈籠が並ぶ・・さすが歴史のある金比羅さん、参道は両端を歩く事が原則とか?真ん中は神様がお歩きなる所とか??


参道を歩いていると画像のように木々の紅葉が進み青空に映えていた


画像は、旭社で天保8年(1837)に建立された銅瓦葺の二層入母屋造の建物、全体に多くの彫刻がされていて国の重要文化財に指定されている
有名な話に、清水の次郎長の子分、森の石松が次郎長の名代として金比羅参りに訪れ旭社を本宮社と間違えて 参拝し本宮社まで行かず帰ったといわれている・・確かに立派な旭社殿


私が参拝時には少なかったが、帰りには多くの観光客が参拝に見えており、台湾からも来ていた、皆さん日本製のいい一眼レフカメラを持っていた・・台湾の富裕層の方たちか??


本宮社最後のきつい石段・・本宮社殿が見える


急勾配の最後の石段から下を見ると勾配がよくわかる・・ここまで785段


本宮社殿
金刀比羅宮は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹にある神社で、こんぴらさんと呼ばれて親しまれている、金刀比羅宮は、金毘羅宮、あるいは琴平宮とも書かれ、全国の金毘羅神社の総本社で、長く続く参道の石段が有名、奥社までは1368段ある・・まだ583段奥


神様に失礼して本殿の中を一枚撮らせて頂いた


絵馬奉納社殿
海運の神様だけあって多くの船舶の絵馬が奉納されていた


絵馬奉納社殿、その中で紅一点プロ野球選手「西村貞朗」投手の写真が奉納されていた、昭和28年、地元琴平高校から西鉄ライオンズに入団、同期入団に豊田泰光、高倉照幸、河村久文がいる、昭和33年7月19日、駒澤野球場で行われた東映フライヤーズ戦で完全試合を達成、絵馬殿に昭和29年リーグ優勝時に奉納した写真絵馬が飾れていた

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讃岐の金比羅宮 参拝 1

2012年11月22日 | 伊予松山歴史散策
20数年ぶりに金比羅さんに行って来た。
11月21日に行く事は10月から決めていた・・天候がよければ、この時期は暑くもなく少し寒いぐらいの方がいいから・・785段の石段を登らないと本宮に行けないから・・かなりの汗を掻くので寒いくらいの方がいい。

さて金比羅宮は、明治元年(1868年)の神仏分離令で金刀比羅宮と改称して神道の神社になり、主祭神の名は大物主神と定められ、相殿(あいどの)に崇徳天皇を祀った
讃岐の金比羅さん呼ばれ、海の守護神として親しまれており1,368段(御本宮まで785段)の石段からなり、御祭神は大物主の神で崇徳天皇を合祀されている。

明治元年(1868年)の神仏分離令で金刀比羅宮と改称して神道の神社になり、主祭神の名は大物主神と定められ、相殿(あいどの)に崇徳天皇を祀っている。
またここには、旧金毘羅大芝居(きゅうこんぴらおおしばい)、金丸座(かなまるざ)という、天保6年の建築で、現存する日本最古の芝居小屋として国の重要文化財に指定されており、歌舞伎役者による公演が毎年盛大に行われている。

JR琴平駅・日本一の燈籠・大 門・ 五人百姓・旭社・本宮等々参拝時に目に付いた物を撮って来た。

朝9時20分に自宅を出て松山自動車道、高松自動車道を乗り継ぎ善通寺ICで降りJR琴平駅隣接にある市営西駐車場に車を置き参拝した・・その画像を三回に分けて掲載します。


大正時代に建てられたJR琴平駅で、その北欧風の洒落た外観で老若男女の人気を集めており、駅前の広場にずらりとならべられた古めかしい石燈籠と、駅舎の洗練された欧風の建物が不思議なコントラストをつくり出していたまた、同じく、駅前の広場に展示されている巨大な蒸気機関車の動輪は、琴平が、香川県ではじめての本格的な鉄道「讃岐鉄道」の発祥の地であったことを今につたえている


琴電琴平駅横にある高さ日本一の燈籠、夜には火が灯り、美しい夜景が眺めることが出来るまた、春は桜がとてもきれいで琴平町の名所の一である
 東讃岐の人々が6年の歳月を費やして万延元年(1,860)に完成した高灯籠。瀬戸内海を航海する船の指標として建てられたもので、高さ約27mの塔から放つ灯は、丸亀沖の船に届くように設計されたといわれている、内部は3階建てで壁は江戸の人々の落書きで埋まっているそうだ


参道から少し左に入ると旧金毘羅大芝居(きゅうこんぴらおおしばい)、金丸座(かなまるざ)という、芝居小屋がある
天保6年の建築で、現存する日本最古の芝居小屋として昭和45年に国の重要文化財に指定されており、歌舞伎役者による公演が毎年盛大に行われている・・現在の建物は昭和47年から4年の歳月を掛けて移築復元されたと説明がある


金毘羅大芝居・金丸座正面に掲示してある役者の名板


金比羅宮は急な石段が多く膝の弱い、悪い人の為に籠が用意されている


籠の料金表


このような石段表示の石碑が建立されていた


大門で、籠はここまで後は自分の脚力で歩かないと本宮参拝は叶わない
大門は、慶安2年(1649)高松城主、松平頼重の寄進とあった


石段を上っていくといろんな建造物が置かれている・・画像は備前焼の狛犬


こんぴら参りの犬
江戸時代、こんぴら参りの袋を犬の首に掛け飼い主にかわって袋に初穂料と道中の食費を入れて飼い主が旅人に託した犬、無事代参を済ませると再び旅をして家族の元へ、何時頃かこんぴら参りのこの犬を「こんぴら狗」と呼ぶようになったそうだ


大門を潜った奥の大きな船のプロぺラが奉納されていた
海運の神様とあって、平成6年9月今治造船、檜垣俊幸氏が奉納、直径6m 19,2トンの重量と記載されていた


掲示板にアフリカ象とあった・・何故象が奉納されたのか詳しい説明板はなかった・・奉納者は東京の樽谷さんとあった

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