EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

現存12天守紀行 「伊予松山城天守」

2010年06月18日 | 往年の名車 メグロ
現存12天守紀行 「伊予松山城天守」

伊予松山藩15万石・松平氏の居城で、初代藩主加藤嘉明が1602年8(慶長4年)から25年の年月を掛けて築城し完成1年前に会津若松藩に転封、二代目藩主蒲生忠知が1629年(寛永6年)6月24万石で入城し松山城は完成した。

初代藩主嘉明は、賤ケ岳の戦い七本槍の一人で、関ヶ原の戦いでは東軍の武将として参戦武勲をあげ家康から伊予20万石を与えられた。
二代目藩主蒲生忠知は1634年(寛永11年)参勤交代時京都で病に係り逝去嗣子がなく断絶、伊予松山藩は1年4ヶ月の間藩主が無く伊予大洲藩預かりの時代があった。

三代目藩主は、徳川家康の異父弟、久松定勝の次男、定行が伊勢桑名藩から1635年(寛永12年)7月に入城し明治維新まで松平15代在藩した。
定行は、家康(異父兄弟)の勧めで久松から松平と姓を変え、葵の紋所の使用を許された。維新前に元の久松の姓にもどす。

天守は、三代目定行の時に加藤嘉明が創建した天守(1672年・寛文12年)を解体し現在の形の三層の天守に造り替え、その後落雷で焼失(1784年・天明4年)現天守は、1852年(嘉永5年)再建された現存する12天守の中で一番新しいく、今から158年前に再建された天守である。

天守は、門・櫓を従えて連立式天守を形成(日本三大連立式天守:姫路城・和歌山城・伊予松山城)で三層三階江戸後期の層塔式天守である。
城郭の形式は平山城である。

伊予松山城は5つの日本一がある・・・それは
第一番目に:藩政時代に創建された天守の内最後に建築された天守です。
      今から155年前に建てられました。現存する12天守の内一番新しい
第二番目に:築城に要した年月が26年を要した・・一番長い期間
第三番目に:本丸と二の丸の落差が90m・・・一番距離が長い
第四番目に:石垣が美しい・・・特に本丸の石垣「屏風折れ」が綺麗
第五番目に:藩政時代の城郭の中で三箇所しかない登り石垣が現存する、それも一番規模が大きい 「高さ5m 長さ240が当時のまま現存する。」
地元の城なので少し自慢が過ぎた・・すみません

画像は、標高132mにある伊予松山城本丸及び本壇天守で連立式天守が良く見える。
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現存12天守紀行 「宇和島城天守」 4

2010年06月18日 | 往年の名車 メグロ
現存12天守紀行 「宇和島城天守」4

画像は、宇和島郊外の高台から撮った全景である。
以前宇和島城は、板島丸串城といっており、もともと高串村の土豪・家藤監物の居城であったが、天正3年(1575年)に西園寺宣久、天正13年(1585年)に小早川隆景、天正15年(1587年)に戸田勝隆と替わっていった。

その後、文禄4年(1595年)豊臣時代、藤堂高虎が7万石で入封。慶長5年(1600年)高虎は関ヶ原の戦いで東軍方に与したため、加増を受け国府(愛媛県今治市)に転封しその後伊達になる。

宇和島の初代天守は築城の名手藤堂高虎が手がけたが、現存天守は、仙台藩主伊達政宗の庶長子秀宗が10万石で入封した時に改築したものである。
伊達氏は廃藩置県まで続いた。

宇和島藩は、第8代・宗城が最も有名な藩主で、旗本山口家に生まれたが、養子に迎えられ、前藩主からの殖産興業を引き継ぎ、更に西欧化を推し進めて富国強兵政策をとった。

高野長英・村田蔵六を採用している。また、幕政にも関与し福井藩主・松平春嶽、土佐藩主・山内容堂、薩摩藩主・島津斉彬と並び幕末の四賢侯と称された。安政の大獄では隠居を余儀なくされたが明治維新まで藩政に影響を持ち続け、明治政府の高官となっている。

また美談がある。岩手県水沢市(現・奥州市)高野長英は三偉人(高野長英、後藤新平、斎藤実)の一人として扱われていた。また、小学校ではよく総合的な学習の時間で取り上げられ、その生涯、功績を学んでいる。平成16年(2004年)には高野長英の生誕200年ということで、水沢では色々なイベントが行われ有名だ。

ここの高校生が修学旅行に愛媛県西予市宇和町卯之町に来た時、地元の観光ガイドが卯之町に住む学友・二宮敬作の自宅裏の離れ二階に高野長英を匿った事を紹介した時に、高校生達は、私達の大先輩高野長英さんを匿って頂き有難うございましたと御礼の言葉を述べたそうだ。聞いたガイドは感激と感動を覚え思わず涙したと私に語った。

また、宇和島市は第二次世界大戦の空襲が愛媛県内最多の計9回と市内の大半を焼失する被害を受けたにも拘らず、藩士の「由緒書」など膨大な史料が残っており、宇和島市にある伊達博物館で公開展示が行われている。
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現存12天守紀行 「宇和島城天守」3

2010年06月18日 | 往年の名車 メグロ
現存12天守紀行 「宇和島城天守」3

画像は、天守内部最上階でどの天守最上階もそうであるが全国の主な天守の写真が掲示してある。
最上階の窓は小さく必要最小限の造りとなっている。
現存12天守最後に紹介する伊予松山城天守は、安政元年の再建でこの時代は戦闘などない時代なので天守最上階の窓はフルサイズの大きな窓です。
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現存12天守紀行 「宇和島城天守」2

2010年06月18日 | 往年の名車 メグロ
現存12天守紀行 「宇和島城天守」2

画像は、天守西南側から見た宇和島城天守で最近若い女性に人気がある。
それは、小型であるが整った最も天守建築意匠の洗練され尽くされた外容が人気の秘密だそうだ。
宇和島の初代天守は築城の名手藤堂高虎が手がけたが、現存天守は、仙台藩主伊達政宗の庶長子、秀宗時代のものである。「慶長19年(1614年)」
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現存12天守紀行 「宇和島城天守」1

2010年06月18日 | 往年の名車 メグロ
現存12天守紀行 「宇和島城天守」1

画像は、天守入口に提示している日本城郭協会から平成18年4月6日付で日本100名城に認定された認定証である。
現存12天守を紀行してみると認定書を天守に掲示してない天守があるが是非掲示して欲しい。
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