EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

2014松山大神輿総練

2014年09月29日 | 伊予松山歴史散策
松山を楽しもうキャンペンフェスティバル2014の一つとして伊予松山城三之丸の城山公園で「2014 大神輿総練(おおみこしそうねり)」が9月28日、壮大に行われた。松山の秋祭りを前に、新たな魅力を創り出す「松山神輿」を城山公園に集結し松山の伝統である荒々しい喧嘩神輿を全国に発信し、引いては松山の観光の振興と地域の活性化を図る事を目指し5年前から開催している。これを積み重ねて松山の大きな行事となるように歴史を造るために継続して実施して行くたいと大神輿総練実行委員会は言っている。今年は、新居浜の太鼓台・宇和島の牛鬼・旧北条市(現松山市)のだんじり(屋台)・150年ぶりに大洲藩鉄砲隊が復活、愛媛各地の伝統ある出し物が応援に駆け付けて、松山大神輿総練を一層盛り上げた。
その勇姿を特設ステージから昨日カメラに納めて来た。天気は最高絶好の大神輿総練日和であった。


2014(第5回)松山大神輿総練のPR仕様ポスター。


松山大神輿総練の幕開けは、150年ぶりに伊予大洲藩鉄砲隊が復活、その鉄砲隊が発する火縄銃で開演した。


伊予松山城大手に当たる北門方向から、今日終結した29体の神輿が待機し、先頭をきって入場するのは、松山女神輿8体、続いて6町会、道後8町会、最後は最も歴史のある古町会で総29体が勢揃い。


今や松山大神輿の鉢合わせで有名な道後八町会、道後温泉のおひざ元の湯之町大神輿が姿を現せ勇壮な差し上げを披露。


今年初参加の旧北条市(現松山市)の「風早だんじり」が会場に勇壮な姿を現し会場から大きな拍手が起こった。


今年も宇和島市から、牛鬼が女牛鬼を伴い参加。


最後は、新居浜市から応援に駆け付けた太鼓台が勇壮で華麗さを披露し会場から一段と高い拍手が沸き起こった。・・見事な差し上げ。


29体の松山神輿と、牛鬼・だんじり・太鼓台が会場に勢ぞろいして最後の演技は、道後八町会の溝辺町大神輿(昨年火災で神社と共に焼失し、今年新調した新品の神輿と、再興30周年を迎える道後八町会唯一の紅神輿「小唐人大神輿」の鉢合わせを披露した。


今年最後の演技は、松山で一番古い歴史を持つ古町会の四角・八角さんの鉢合わせを披露して演技は終了。松山の秋祭りは、10月6日宵宮、7日本祭り最終日を迎え、未明から市内各神社で神輿の宮出しがあり、激しい鉢合わせが繰り広げられる。・・本祭りは、松山各地区で、三橋美智也の「神輿音頭」が流され歌詞に四角・八角の鉢合わせが歌われている。


古町会の四角・八角さん、江戸時代四角の担ぎ手は町衆、八角さんの担ぎ手は農家衆とされて来た。八角神輿の屋根は、京都御所の紫宸殿にある天皇の御座席、高御座(たかみくら)を模したものである。伊予松山初代城主加藤嘉明の正室にお子が誕生したのを記念に贈ったと言われる歴史のある神輿である。


第5回松山大神輿総練も無事終わり、各地区の担ぎ手と、鑑賞に来た観衆が一体となって最後の3本締めで幕を降ろした。参加した大神輿は10月5日・6日・7日の秋祭り本番に向けて緒準備で宮総代、神輿総代達は多忙となる。


特設ステージは有料で1200円観覧用資料として配布された大神輿総練の案内パンフ表紙。


大神輿総練の案内1。


大神輿総練の案内2。


大神輿総練の案内3。


大神輿総練の案内4。
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NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送決定その後の松山

2014年09月28日 | 伊予松山歴史散策
海老沢 勝二、第17代日本放送協会会長時代に、NHKの歴史に残るドラマの作成は、坂の上の雲を差し置いてないとの考えで、司馬遼太郎の許可をとるもその承諾を得られづ、司馬さんの死後、NHKの「総力を挙げて取り組みたい」との熱意と映像技術の発展により、作品のニュアンスを正しく理解できる映像化が可能となったとして平成11年に司馬遼太郎記念財団が映像化を許諾。その後、著作権を相続した福田みどり夫人の許諾を得て、平成14年には志願したスタッフを中心に製作チームが結成され、NHKが総力を挙げて11年掛かりで制作、平成21年から平成23年の3年間に渡って放送したスペシャルドラマ「坂の上の雲」をもう一度全てを短時間で見たいとの声が秋山兄弟生誕地を訪れる全国の皆さんからの声が多くあり、昨年5月から「坂の上の雲再放送」をNHKさんにお願いする署名活動を開始した。NHKさんは、全国の多くの再放送請願に応えて頂き再放送を決定して頂いた。再放送開始は、BS3で、平成26年10月5日(日曜日)の正午から、全26回・各45分で半年間に渡り放映される。いま、松山の商店街には再放送決定のポスターを掲示して皆さんに周知している。
画像は、松山銀天街商店のポスター掲示他。
     

全国から頂いた坂の上の雲再放送署名簿持参し、NHK松山放送局経由で、日本放送協会に、NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の請願書を提出した関係者、右から、竹田自民党県連幹事長・野志松山市長・中村愛媛県知事・NHK松山放送局副局長・平松公益財団常盤同郷理事長・宇都宮同常務理事。


NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定を報道した地元紙。


NHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定仕様のポスター。


松山市一番の商店街「銀天街商店」の各商店入口に掲示して皆さんにNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定の啓発するポスター。


銀天街の各商店入口に掲示して皆さんにNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定の啓発するポスター、壮大である。


四国一の商店街「大街道」にNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定の大きな掲示板が掲げられた。


秋山兄弟生誕地に署名活動のお礼とNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定仕様のポスターの掲示。


松山城ロープウェイ山麓駅舎にNHKスペシャルドラマ坂の上の雲再放送の決定仕様のポスターの掲示。


登場人物の紹介ポスター。


松山城ロープウェイ山麓駅舎1階に掲示してある秋山好古・眞之の大きな水墨画。
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秋のプロムナードコンサート・愛媛県警察音楽隊演奏会

2014年09月26日 | 伊予松山歴史散策
今年も恒例の秋のプロムナードコンサートが開催された。
「松山を楽しもうキャンペンフェスティバル2014実行委員会(松山市・愛媛新聞社・南海放送・テレビ愛媛・あいテレビ・愛媛朝日テレビ・愛媛CATV・FM愛媛・ウイークリーえひめリック)共催、NHK松山放送局・(公財)松山コンベンション協会で、松山を楽しもうキャンペンフェスティバル2014の一つの行事として秋のプロムナードコンサートで幕開けされた。
演奏場所は、愛媛県美術館正面前庭、時間は、午後0時20分から、同50分まで、市内のサラリーマン達の昼休みに、そして県警音楽隊員の昼休みに時間帯を合わせてか?
秋のプロムナードコンサートの主催は、愛媛県警察本部・愛媛県美術館・愛媛新聞社・愛媛CATVである。
松山を楽しもうキャンペンフェスティバル2014は、9月26日~11月23日まで伊豫松山城三之丸跡を整備して完成した「城山公園」で開催される。その幕開けが、秋のプロムナードコンサート愛媛県警察本部音楽隊の演奏会である。本日の演奏曲目は、世界のマーチを演奏。10月10日(金)女流演歌コレクション、10月24日(金)は、懐かしのアメリカ、10月31日(金)は、イージーリスニングの世界が計画されている。
画像は、9月26日、松山を楽しもうキャンペンフェスティバル2014の開幕として行われた愛媛県警察音楽隊の演奏会風景である。
註:愛媛県警察音楽隊は、昭和26年2月に創設され今年で64年目を迎える歴史のある音楽隊である。


愛媛県立美術館玄関に掲げられた「愛媛県警察音楽隊演奏会の掲示板」


秋のプロムナードコンサート開催案内板。


演奏会の前に県警本部担当職員から、最近は自転車の事故が多発している。自転車に乗る時には必ずヘルメットを被り運転して下さい。と啓発活動。


いよいよ演奏会、楽員起立して音楽鑑賞者に挨拶。


次に演奏の初めの曲は「愛媛の歌」を男性隊員のソロボーカルで披露
愛媛の歌は、覚えやすくいい曲です・・海がある 山がある 空に光があふれてる 道がある 川がある 伊予の言葉が流れてる 故郷 故郷 わが愛媛 豊な自然があふれてる あつい血潮が流れてる・・


世界の行進曲の名曲を聞き入る鑑賞者。


一生懸命に奏でる美人音楽隊員。


聞き入る鑑賞者、用意した椅子が足りなく立っての鑑賞。


中・四国県警音楽隊の中でも歴史があり演奏の上手さでは定評がある愛媛県警察音楽隊。


演奏が終わり鑑賞者に挨拶をする隊員。


愛媛県警本部音楽隊演奏終了し記念写真に応じた。


演奏会に駆け付けた、愛媛県のマスコットキャラクター「みきゃん」と愛媛県警のマスコットキャラクター「まもる君」


愛媛県警のマスコットキャラクター「まもる君」と女性音楽隊員。


今日、松山は画像の様に雲一つない「日本晴れ」で夏に逆戻りの天気あった。県警音楽隊は松山城天守を見ながらの演奏。


演奏会を聞きに来た市民に配布されたお手製のプログラム。


演奏会を聞きに来た市民に配布されたお手製のプログラム。


愛媛の歌。
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松山市窪野町:窪寺跡の彼岸花群生

2014年09月25日 | 伊予松山歴史散策
松山市窪野町北谷地区に「彼岸花」の群生地がある。地主さんが自分の鑑賞の為にと21年前に植栽し、その後地元住民たちが支援して大切に管理育成している。桜(染井吉野桜)の木も植栽されており、27年前に植え込んだそうだ。56本あった。面積は、3ヘクタール位あるそうだ。
この地区には、四国88ヶ所第46番札所「浄瑠璃寺」があり、四十五番札所・岩屋寺(上浮穴郡久万高原町)から巡礼する遍路道があり今年は、四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念でお遍路さんの巡礼者が多い。
 お遍路さんと地元住民の見ず知らずの人同士が出会い、言葉を交わし、心を通わせ「(お・も・て・な・し)、お持て成し」の心でお接待をしている姿をみると心が和む。・・いい光景である。
「彼岸花」の群生地の上に一遍上人が修行をした窪寺跡の石碑がある。
先日、(19日)に撮影に行ってみると花が少なく、今年は異常気象の為かと思いながら撮影し帰り際に地元の方に状態をお聞きすると、今年は開花が遅れており月末頃が満開になるでしょうとの事、今日(25日)行ってみたがやはり昨年よりも少ない。地主の奥さんが来ておられ状態を伺うも今年は少ないと言われた。一昨年は、撮影時期を逸し、気が付くと開花が過ぎていた。今年は、二度いく事になった。
彼岸花群生地区は、非常に珍しく愛媛県ではこの地だけでは?撮影に県外からも来ていた。
近くに由緒ある正八幡神社があり 秋山好古が揮毫した 注連石がある。
画像は、9月25日、撮った彼岸花群生地区(松山市窪野町北谷)。
    

1,5km手前に指示看板が設置してある。・・これは個人の方が設置。


「彼岸花」の群生地の上に、一遍上人生誕750年・没後700年を昨年8月10日、一遍上人御誕生の宝厳寺(松山市道後湯月町)が火災で全焼し、本堂の重要文化財「一遍上人立像」が焼失した。
記念事業として記念碑が建立してある。
「彼岸花」の群生地の上に一遍上人が修行をした窪寺跡の石碑がある。一遍上人は鎌倉時代中期の僧侶で時宗の開祖。
延応元年(1239年)伊予国の豪族、河野通広の第2子として生まれる。幼名は松寿丸。生まれたのは愛媛県松山市道後温泉の奥にある宝厳寺の一角といわれ、元弘4年(1334)に同族得能通綱によって「一遍上人御誕生舊跡」の石碑が建てられている。本家の河野氏は、承久3年(1221)の承久の乱で京方について祖父の河野通信が陸奥国に配流されるなどして没落し、一遍が生まれた頃にはかつての勢いを失っていた。河野一族の極楽往生を願い全国遊行を行っていたが、父の死をきっかけに還俗して伊予に帰る。しかし一族の所領争いなどが原因で、文永8年(1271)32歳で再び出家、信濃の善光寺や伊予国の窪寺、同国の岩屋寺で修行する。窪寺は、一遍上人成道の地として極めて重要な所である。


彼岸花の分布は、北海道から琉球列島まで見られる。自生ではなく、日本には中国から帰化したものと考えられる。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれているが、土に穴を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、あぜや土手に植えたとも考えられる。また鱗茎は薬になり、救荒食でもある。そのような有用植物としての働きを熟知しての運搬の可能性も無視できない。
日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、雄株、雌株の区別が無く種子で増えることができない(遺伝子的には雌株である)。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。


彼岸花は、別名「曼珠沙華」とも呼び異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあったが最近は趣が変わり活花として観賞するようになった。・・世も変わったものである・・・季語・花言葉 ・秋の季語。
花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」
「悲しい思い出」[4]「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」。
迷信
花の形が燃え盛る炎のように見えることから、家に持って帰ると火事になると言われている。


最近中年の御婦人方はいい一眼カメラ持参で良いアングルで写真を撮っている。


奥に見えるご一行は、吟行の方達で俳句を作っていた。


一部の場所には、群生で沢山の花が咲いていた。


以下の画像は、撮影条件を変えて撮ってみた。




彼岸花は、全草有毒な多年生の球根性植物。散形花序で6枚の花弁が放射状につく。道端などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるが、稀に白いものもある。その姿は独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30 ~ 50cmの枝も葉も節もない花茎が地上に突出し、その先端に包に包まれた花序が一つだけ付く。包が破れると5~ 7個前後の花が顔を出す。花は短い柄があって横を向いて開き、全体としてはすべての花が輪生状に外向きに並ぶ。花弁は長さ40mm、幅約5mmと細長く、大きく反り返る。



昨年8月10日、一遍上人生誕地である宝厳寺本堂と庫裏が火災で全焼した。そして国指定の重要文化財「一遍上人立像」が焼失した。
松山城天守最上階160mから撮影。1440mm相当レンズ。

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JR四国ジパング倶楽部旅日記・四国初の観光列車「伊予灘ものがたり」道後編再度乗車

2014年09月22日 | 伊予松山歴史散策
旅の終わりに。
9月18日(木)、JR四国ジパング倶楽部日帰り旅の最後は、四国初の観光列車「伊予灘ものがたり・道後編」に八幡浜駅始発から乗車して、今回最後の旅の総仕上げを楽しんだ。「伊予灘ものがたり・道後編」は、我々が朝乗車した「伊予灘ものがたり・大洲編」で、私達をJR大洲駅に下ろした後、いったん松山に引き返し、再び私達を迎えにJR八幡浜駅に配車してくれた。・・これは、貸切列車だから出来る事だ。定期運行では、乗客を乗せて松山に向けて「伊予灘ものがたり・双海編」として運行する。
先日9月5日(金)に初めて乗車した「伊予灘ものがたり・道後編」は伊予大洲から松山駅までの区間乗車であった。そして一般の乗客と、JR四国ジパング倶楽部会員との混同であったのでいくら観光列車とはいえ席を立ち、くまなく車内を行き来したり写真を撮ったりは、遠慮しながらであった。そしてこの日(5日)は、列車に乗ってからかなりの降雨になり肝心の伊予灘の景色が堪能出来なかった。それで急遽9月18日募集の「佐田岬と老舗蒲鉾店製造見学日帰り旅行」に申し込んだ。幸い間に合った。今回の旅の天候は曇天で残念ながら綺麗な伊予灘の夕日は見えなかった。


「伊予灘ものがたり・道後編」が私達を松山駅から空車で迎えに来てくれた。
伊予灘ものがたりの定期運行は、土曜日・日曜日・祝日のみで、今回は、貸切列車としての臨時運行である。但し運転時刻は定期運転と同じダイヤである。


乗降口には、画像のマットを敷き私達を迎えてくれた。来る時は、2号車(黄金の章)であったが、帰りは1号車(茜の章)に乗車。JR四国ジパング倶楽部添乗員さんの心配りである。


観光列車「伊予灘ものがたり」道後編のアテンダントさんがお帰りなさいと迎え入れてくれた。


アテンダントさんが乗客一人一人にお疲れ様でした・・と言葉を掛けてお迎えである。


その様子を松山のTV局が取材に来ていた。


「伊予灘ものがたり」道後編1号車(茜の章)の車内で、内装は、和式仕様で落ち着いた仕上がりである。


道後編1号車(茜の章)の車内で、山側は対面座席。海側は窓横一列の座席仕様。


山側の対面座席で、所々に畳が使われていた。


JR八幡浜駅の職員さん達が手を振って見送ってくれた。・・また来てくださいと。


「伊予灘ものがたり」道後編は、ドリンクがサービスとして付いている。私は、アテンダントさんお勧めの愛媛みかん100%のみかんジュースを注文した。
レストラン門田特製のロールケーキが超人気で数に制限があるのですぐ完売になるそうだ。


往くときに、五郎駅の狸駅長さんから送られた花束を、抽選を行い当たった方にアテンダントさんからプレゼント。・・みんなで拍手を送った。


さて、一段落して車内のトイレ拝見をした。画像のように最新の設備が取り付けられていた。


洗面所で、洗面は伊予郡砥部町にある、名産砥部焼の女性陶芸家さんが、観光列車「伊予灘ものがたり」の為に制作した特注品だそうだ。


八幡浜駅を出発して暫くすると、大洲城天守が見えて来る。列車も速度を落としゆっくりと車窓からの眺めが堪能出来る様運転手さんの配慮がある。
大洲城の歴代城主は、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰が相次いで城主となり維新を迎えた。天守は、廃城令から免れたが、傷みがひどく明治21年に取り壊された。現天守は、平成16年に市民の寄付によって木造で往時の資料に基づき復元した4層4階の天守である。江戸時代から残る台所櫓・南隅櫓など4棟の櫓が国の重要文化財、城跡一帯が県指定史跡に指定されている。


五郎駅を過ぎると、朝迎えてくれた沿線の皆さんが、帰りもコスモスの花を持ってのお見送り。・・車内からも手を振って、有り難うのお返しをした。・・これはJR四国が特別にお願いしての事でなく、沿線の皆さん方の特別な配慮だとか!!


JR長浜駅を過ぎると、海側に案山子さん達が見送ってくれた。いろんな仕掛けがある!!


伊予市駅手前になるとアテンダントさんが、乗車記念パネルを持参して記念写真が撮れる。


JR長浜駅を過ぎると瀬戸内海の伊予灘が見えて来る。この日は雲が多く、雲の合間から少しの光が伊予灘を照らしてくれた。天候が良ければ最高の夕日が見える。
「伊予灘ものがたり・道後編」は17時11分にJR下灘駅に一時停車するので、天候の良い日に夕日を背景に列車と、プラットホームの建物を入れ込んだ写真を撮ってみたい。プラットホームの建物はJR青春18切符のポスター(平成12年)になった。サブタイトルが「前略、僕は日本の何処かにいます。」で、有名な駅である。また映画のロケにも使われた駅でもある。


終点松山駅近くになると、アテンダントさんが、乗客一人一人に挨拶に回ってくる。「本日は伊予灘ものがたり道後編にご乗車頂き有り難うございました。またのご乗車をお待ちしております。・・お気を付けてお帰り下さい。」と旅の終わりに相応しい心遣いである。・・此方からも有り難うございました。・・です。
旅は最後良ければ全てよし・・いい旅が出来たと実感するものである。
そしてJR四国ジパング倶楽部担当者の方にお礼・大変お世話になりました。またいい企画を立案して下さい。定刻の18時06分松山駅に到着した。


伊予灘ものがたり1号車・2号車座席表で、往きは2号車D5番で、帰りは1号車のD5でした。
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