EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

大江健三郎さんの 生家

2010年11月30日 | 往年の名車 メグロ
大江健三郎さんの 生家

昨日(11月29日)ノーベル文学賞作家「大江 健三郎」の生家を見学してきました。
屋内見学は出来ないが、外観見学はOKとの事で写真を撮らせて頂いた。
生家は埃一つなく綺麗に清掃が行き届き、何時でもご覧下さいといった感じでした。

生家は、愛媛県喜多郡内子町大瀬で、大江さんは、県立松山東高校から東京大学文学部フランス文学科卒で、在学中の1958年、「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。
1994年ノーベル文学賞、東高の同級生に伊丹十三がいる。奥さんが伊丹ゆかり(伊丹十三の妹)である。

画像は、愛媛県内子町大瀬にある、大江健三郎さんの生家。

生家は大瀬の商店街にあり綺麗に掃除が行き届いていた。
近くに旧大瀬村役場跡が町の資料館となっており大江健三郎氏の資料が展示してあるそうだが、昨日は休館日で館内閲覧が出来なかった。
町の人に聞くと開館は土日祝日だけだそうだ。JR内子駅から車で15分。
近くの家並みはお蔵がある立派な家があった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪人の歩行者に渇

2010年11月28日 | 往年の名車 メグロ
大阪人の歩行者に渇

先日、11月15日~17日日本100名城紀行(松阪・高取・千早城址)のかえり大阪の鐘馗さん撮影で久しぶりに(20年ぶり)、御堂筋・道頓堀の散策をした。
行って驚いた。

西日本最大の都市、それも御堂筋一流の企業地域である、その街をきちんとしたスーツを見に着けてあるく紳士淑女、歩道に設置してある信号を無視して(赤で)横断する姿を見てこの人々は何を考えているのか、交通道徳もあったものではない。・・びっくり。

模範とならないいい大人が信号無視で歩道を渡る、子供達がみて何と感じるか??模範とならない大人達呆れた。・・大阪の大人達何してるんだ・・呆れる事を越えて腹立ちを感じた。・・もう一つ私が直進して歩いている直前を平気で横切る・・普通はちょと待って後ろを横切る・・社会道徳の低下が甚だしい。

橋下府知事・平松市長しっかりとした交通道徳、社会の秩序を遵守する教育を・・大阪はなってない。・・喝だ。・・西日本の模範となる教育を実践してもらいたい。

画像は、えびす橋から、太左衛門橋方向。この川の名称は??何方か教えて下さい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋山好古「カラー肖像画」

2010年11月25日 | 往年の名車 メグロ
秋山好古「カラー肖像画」

日本唯一、秋山好古カラー肖像画

画像は、今年7月に千葉県習志野市学園大久保商店街が特別にカラーで製作した「秋山好古」の肖像画で、本日(11月25日)まで秋山兄弟生誕地で特別展をしていた肖像画です。

今日、習志野市大久保にある薬師寺の三橋住職が秋山兄弟生誕地に来られ肖像画のレプリカの贈呈式を行った。
寄贈して頂いたレプリカは明日から秋山兄弟生誕地で常設展示します。

場所:愛媛県松山市歩行町二丁目3番地6
   秋山兄弟生誕地
   開館時間は午前10時~午後5時まで開館
   通常は月曜日が休館だが11月から新年1月3日まで休まず開館している。


参考事項:習志野市大久保は、明治時代陸軍騎兵第13・14・15連隊があった地で、秋山好古は日露戦線にこの地から騎兵第一旅団長として出征し、凱旋した所で、現在は東邦大学・日本大学となっている。
 
    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋山眞之「カラー肖像画」

2010年11月25日 | 往年の名車 メグロ
秋山眞之「カラー肖像画」

日本唯一、秋山眞之のカラー肖像画

画像は、今年7月、千葉県習志野市薬師寺三橋住職が特別にカラーで製作し学園大久保商店街に寄贈した「秋山眞之」の肖像画で、本日(11月25日)まで秋山兄弟生誕地で特別展をしていた。

今日、(11月25日)習志野市大久保にある薬師寺住職が秋山兄弟生誕地に来られ肖像画のレプリカの贈呈をして頂き、明日から秋山兄弟生誕地で肖像画レプリカを常設展示します。

場所:愛媛県松山市歩行町二丁目3番地6
   秋山兄弟生誕地・・午前10時~午後5時まで
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道後温泉本館「振鷺閣の刻太鼓」

2010年11月24日 | 往年の名車 メグロ
道後温泉本館「振鷺閣の刻太鼓」

松山市にある道後温泉は、大和時代から皇族に愛され、596年聖徳太子が来浴され絶賛されたと伝えられている日本最古の温泉である。
慶長年間・寛永年間に一時地震により湧出が止まる騒ぎがあったが、その後も宝永年間・安政年間の大地震、さらに、昭和21年の南海地震のときも湧出が止まったがいずれも工事を施湧出が始まった。

本館の諸施設の充実が図られたのは、寛永12年(1636)に松平定行が伊予松山城主として入部してからで、特に明治に入ってから本館の大改築が進められ、現在の本館は明治27年に完成し現在の三階楼となった。

明治38年に日露戦争で捕虜となったロシヤ兵士が許可され入浴し、昭和20年に米英進駐軍により一部接収されたなど波乱の歴史を経過するなか、平成6年に本館が国指定の重要文化財に指定された。(温泉の建造物が指定されたのは全国で初めて)

さらに同8年に、本館最上階にある「振鷺閣・しんろかく」の刻太鼓が環境庁(当時)の残したい「日本の音風景100選」に指定され、現在も時刻を告げる「刻太鼓」として職員が、朝・夕6時に6回・昼12時に12回打ち鳴らし情緒をかもしだしている。

また、本館には皇室専用の「又新殿・ゆうしんでん」があり、全国で道後温泉だけである。

画像は、女子職員が毎日朝・夕6時に6回・昼12時に12回打ち鳴らし情緒をかもしだしていて観光客も風情を楽しんでいる。
昨日(11月23日)昼12時太鼓を打つ風景である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする