EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

秋山好古と三人の副官・全て新潟県出身者 その1 豊邉新作

2020年04月23日 | 伊予松山歴史散策

令和元年5月に雄山閣から出版された書籍「秋山好古と習志野騎兵旅団」が静かに注目されている。

書籍は、252ページで18名の皆さんが執筆されている。その内個別タイトル「秋山好古と新潟の人びと」が注視されている。
秋山好古には優秀な副官が居り、中でも最も信頼した副官3名が居た。
豊邉新作・建川美次・山内保次で越後新潟の人達である。
中でも最も信頼した副官が豊邉新作で、新潟県長岡の出身、騎兵第14連隊初代連隊長である。

豊邉新作の軍歴  

騎兵第14連隊初代連隊長(明治34年6月20日~明治39年2月23日)

文久3年(1863年)越後 長岡藩(新潟県・長岡市)・5月生まれ。

明治13年、     陸軍士官学校入学

明治15年、     陸軍士官学校卒業・騎兵少尉となる

明治16年1月、   東京鎮台騎兵第1大隊付

明治18年、     騎兵中尉、東京鎮台司令

明治19年5月、   教導団騎兵中隊小隊長

明治23年10月、  騎兵大尉 第1大隊付

明治27年      日清戦争従軍

明治37年      初代騎兵第14連隊として日露戦争従軍

明治41年4月、   少将・騎兵実施学校長 騎兵第4旅団長

明治43年、     欧州派遣・中将に昇進

昭和2年2月19日、逝去 享年66歳

騎兵最強の連隊は、騎兵第13連隊・14連隊・15連隊・16連隊で、現在の千葉県習志野にあった。

この連隊平時は、近衛師団に所属するが、有事となると騎兵第1旅団(騎兵第13連隊・14連隊)、第2旅団(騎兵第15連隊・16連隊)に編成され戦場に向かう事になっていた。

現在、騎兵第13連隊跡は、東邦大学習志野キャンパス、騎兵第14連隊跡は、日本大学生産工学部である。
15連隊跡は東邦大学付属東邦中・高等学校で、16連隊跡は更地である。

日露戦争当時豊邉新作は、秋山好古率いる騎兵第1旅団で、騎兵第14連隊長・豊邉支隊長(大佐)として激戦地である黒溝台合戦で、ロシアの主目標だった沈旦保を、最も信頼する豊邉新作に死守させ猛攻をしのいだ勇者である。

豊邉新作の父と、長岡藩上席家老で最後のサムライと言われた「河井継之助秋義」は従弟同士で、豊邉新作は越後人特有の頑固で粘り強い性格であった。

明治41年4月少将・第五代目、騎兵実施学校長に就任している。なお秋山好古は第二代目騎兵実施学校長である。
豊邉新作は、日清戦争終結後、予備役になるのではと思っていたところ、日露戦争が勃発、秋山騎兵第1旅団長から、重要な任務を与えられその職務を全うした。
豊邉は人を押しのけ、踏み台にしてまで昇進しようとは思わない人柄で、秋山旅団長はそんな控えめな人柄と真面目で実直な豊邉新作を最も信頼していた。

秋山好古も人を押しのけ昇進しようなどとは一切行わない性格である。

その証拠に大正12年元帥に推薦されるもこれを辞退、大正天皇は驚かれ特旨として官位・従二位を与えた。・・これは辞退するなと言われたそうだ。

大正13年4月、故郷伊予松山から北豫中学(現・愛媛県立松山北高等学校)の校長就任依頼があり、これを快く受諾し単身で松山に帰り昭和5年3月まで務めた。
松山での生活の場所は、現在の秋山兄弟生誕地である。

この時、東京の人達は「秋山は馬鹿な男よ、元帥を辞退しそれも田舎の中学校の校長になるそうだ」と、馬鹿呼ばわりされたそうだ。

官位従二位を持つ教師は秋山好古只一人で誰も居なかったし、現在も居ない。

現役の陸軍大将が中学校の校長に就任するのも前代未聞初めての出来事であった。

秋山好古は、軍人になる前は教師をしていた。大坂師範学校を卒業生して名古屋師範学校付属小学校の教師であった。

母の教え(躾)で、大きくなったら「世のため・人のため・故郷のためになれる人間になるようにと厳しく躾育てられ母の教えの通り人生を送った。」

さて、少し横道に外れたので本題に帰る。

静岡市に秋山好古と豊邉新作、二人が揮毫した石碑がある。この項の後半に紹介する。

陸上自衛隊習志野駐屯地にある「空挺館」に開示してある歴代の騎兵実施学校長の写真で、豊邉新作は明治41年4月少将・第五代目、騎兵実施学校長に就任している。なお秋山好古は第二代目騎兵実施学校長である。

令和元年5月25日付で刊行された書籍「秋山好古と習志野騎兵旅団」の表紙。

表紙、秋山好古のカラ―仕上げは、昭和11年11月1日、発行された伝記「秋山好古」の表題紙の次のページにある白黒の秋山好古の写真を基に、習志野騎兵旅団史跡保存会会長・三橋正文氏が画家、丸山画伯に依頼して手書きで書き上げた力作で現物は、習志野市大久保商店街資料館に展示と松山市の秋山兄弟生誕地武道場に掲示してある貴重な2枚だけのカラー仕上げの肖像画である。

 

書籍「秋山好古と習志野騎兵旅団」の目次。

平成24年10月31日、秋山兄弟生誕地研究員が研修に行った陸上自衛隊習志野駐屯地・陸上自衛隊第一空挺団に保存されている空挺館(旧 御馬見所)

後列左から三人目は、秋山好古の孫「秋山家宗家第10第、秋山哲兒さん」残念ながら昨年死去された。

明治天皇が観閲された「旧、御馬見所 現、空挺館」二階にある部屋。

空挺館(旧 御馬見所)に掲示されている、西 中尉の雄姿」で

ロスアンゼルスオリンピック馬術で金メダル獲得。

空挺館(旧 御馬見所)の説明版。

陸上自衛隊習志野駐屯地・空挺館前に建立されている、秋山好古揮毫の「軍馬慰霊之碑」がある。秋山好古が北豫中学校長を昭和5年3月辞任し家族が待つ東京に帰り同年11月4日逝去した。享年72歳であった。

軍馬慰霊之碑は、同年10月5日、好古の揮毫でこれが絶筆となる。建立は昭和5年11月である。

 

豊邊新作は、大正6年5月15日付けで騎兵監となる。(騎兵監は、教育総監の隷下にあり騎兵に関する人事・調査・研究を担う役職で豊邊新作は、好古の後任である。)

画像は、秋山好古と新潟の人びとより引用。

秋山好古と豊邉新作、二人で揮毫した石碑で、秋山好古が揮毫して建立されている石碑は、全国に52基あるが、二人が揮毫し建立されている石碑は、静岡市葵区羽鳥、洞慶院にある非常に貴重な珍しい石碑である。

揮毫は、題書「愛馬追悼碑」を豊邉新作が、題額「忠魂」を秋山好古が揮毫

 陸軍大将正三位勲一等功二級  秋山 好古 「忠魂」篆書

    陸軍中将従三位勲二等功三級  豊邊 新作 「愛馬追悼碑」題書

建立年月日: 大正 8年 4月 3日

石碑大きさ: 高さ 1m 65㎝ 横幅 82㎝  厚み 13㎝

 

秋山好古 篆書・豊邊 新作 題書とあるが、篆書(てんしょ)とは、 石碑

などの上部に篆書体で書かれた題字の事である。

秋山好古が篆書体で「忠魂」と揮毫して、豊邊新作が題書として「愛馬追悼碑」

を揮毫しておる。

石碑建立の由来:

これからは、私の独断と偏見事項である。

建立者、三浦金蔵は静岡市の出身で愛馬が死去し、愛馬追悼碑を建立するに当たり、揮毫を直属の上司であった豊邉新作に願い出た。豊邉は、私などが揮毫するのは恐れ多い事、私が秋山好古大将にお願いしてみようと、揮毫を依頼した。

好古は、豊邉君が揮毫してやればと辞退したが、揮毫をするしないの押し問答、それでは二人で揮毫しようとなり、題額「忠魂」を秋山好古が・題書「愛馬追悼碑」を豊邉新作が揮毫したのではないかと私の勝手な推察である。

洞慶院住職の談話:
建立者・三浦金蔵は、静岡市の出身で実家は薬局を営んでいた。
記念碑建立の由来は、住職の代が変わっており不明いとの由、裏面に建立の経緯が刻印してあるが風化激しく判読困難である。

もし判明したら後日連絡しますと約束して頂いた。

 陸軍大将正三位勲一等功二級 秋山 好古が揮毫した「忠魂」

愛馬追悼碑裏面には、石碑建立の経緯が刻印されているが、風化が激しく文字の判読が困難で、洞慶院住職も前住職時代の事で詳細は不明です。後日調べて分かりましたら連絡しますと言って頂いた。

私が、静岡市葵区羽鳥、洞慶院に取材に伺ったのが平成19年5月16日、同年11月に静岡市教育委員会から石碑裏面に書かれている文面が送られて来た。

それが、漢文で書かれた画像の文面である。

 

静岡市教育委員会から石碑裏面に書かれている解釈文面である。

註:画像の解釈文は、新潟市江南区沢海にある北方文化博物館佐藤副館長に翻訳してもらった。

石碑の所在地は、静岡県静岡市葵区鳥羽にある洞慶院の参道に建立されている。

 

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道後公園(湯築城跡)のソメイヨシノ桜(観測標本樹)が満開

2020年04月12日 | 伊予松山歴史散策

                    

道後公園(中世の城跡・湯築城、日本100名城・第80番)にある松山地方気象台が管理する松山地方のソメイヨシノ桜観測標本樹が満開である。

 

今年は、3月25日に松山地方のソメイヨシノ桜が満開したと松山地方気象台から宣言された。

それから16日目、(令和2年4月10日)、に満開となったと報道されたので鑑賞に行って来た。

例年ならば桜の下にシートを敷き弁当持参で大勢の花見客で賑わうのですが今年は、新型コロナウイルスが発生し松山市でも感染が続いており、黄色の立ち入り禁止のテープが張り巡らされ花見禁止であった。

                   

                   

例年ならば、松山地方のソメイヨシノ桜の開花状態を観測に使う標本樹周辺で家族・友人達が花見をする姿がみられるが今年は禁止された。

ただ桜は、何時もの様に綺麗な花を咲かせた。

                   

                              新型コロナウイルスが蔓延してなければ画像の様に花見客で賑やかになる。

                              一昨年の道後公園の風景。

                   

                    華麗に満開となった松山地方気象台が管理する松山地方のソメイヨシノ桜観測標本樹。

                   

松山地方気象台が管理する松山地方のソメイヨシノ桜観測標本樹の直ぐ傍に、中世の城跡「湯築城の内堀」があり、内堀に「カワセミ」が飛来して来る。

そのカワセミを撮るカメラマンたちが超望遠レンズで構えていた。

                   

                                         カワセミを撮るカメラマンたち見る何処かの新入社員。

                   

                                                    カワセミを撮るカメラマンたち。

                   

                                                超望遠レンズでカワセミを撮るカメラマン。

                   

                           思わぬところに飛来したカワセミ、私も思わずシャッターを切った。

                          私のレンズは広角であったのでアップで撮れなかった。残念!!

                   

                     湯築城跡、東グランド、ここも立ち入り禁止のテープが張りめぐり花見禁止であった。

                  

私が幼少時、代母が「巻き寿司・羊羹・りんまん(松山地方の郷土菓子)」を四角の重箱につめてくれて友達と花見に行った。・・遠い昔の事でその母も今はいない。

散る桜 昭和は遠く なりにけり・・

                   

                  日本には各地に色んな品種の桜が開花しこの時期が満開となる一番いい季節である。

                  しかし、ソメイヨシノ桜の樹勢がこの所だんだんと弱ってきているのが心配である。

                  松山地方気象台が管理する松山地方のソメイヨシノ桜観測標本樹元気がなくなってきている。

                        

日本の桜は、染井吉野桜が代表的で圧倒的に多く植栽されているが、原点は、山桜・江戸彼岸桜・大島桜で、この桜から自然受精したり、人工的に造られた。

桜は、日本の「国花」である。

                   

例年であれば画像の様に、各種団体が色んな行事を行い花見客を楽しませるが今年は静かであった。・・と言うより寂しさを感じた。

                   

例年であれば桜の下でお弁当を広げ、花を愛でるが今年はそれが出来なかった。・・花は例年も元気よく咲く事間違いない。

 

それよりも早く新型コロナウイルス終息を願う・・。

 

                   

道後公園東グランドには即席舞台が設営され音楽演奏や演舞が行われ、花見客を楽しませるが、今年は新型コロナウイルスが蔓延全て中止である。

愛媛県も少しずつ陽性患者が発生している。

感染防止に一人一人が気を付けて、感染しない様に、そして自分が感染源にならぬように三密となる場所に行かぬよう心掛け、感染すると医療関係者に大迷惑を掛けるので!!

 

                    

                      湯築城跡山頂広場に画像の大きな記念碑が建立されている。

                     皇太子殿下駐駕所と揮毫されている。

                     明治36年10月16日、大正天皇が皇太子時代に道後温泉に行幸された記念碑である。

                     揮毫者は、正三位 勲一等 男爵 波多野敬直である。

 

                   

                                                          湯築城跡正面にある標示版。

                   

                                                       湯築城跡正面にある標示版。

 

                   

                                                          国史跡・湯築城跡入口。

                                 日本100名城・第80番のスタンプは資料館にある。

                   

                                                   湯築城跡(道後公園)の平面詳細図。

                                                   赤字番号で示している場所は、下記の通り。

      1、松山地方気象台が管理する松山地方のソメイヨシノ桜観測標本樹

      2、カワセミを撮るカメラマン

     3、東グランド

     4、皇太子殿下駐駕所の石碑

     5、国史跡・湯築城跡入口

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第58回愛媛マラソン写真コンテスト入賞・入選作品展はじまる

2020年04月08日 | 伊予松山歴史散策

愛媛マラソンは今年で第58回を迎え、地方のマラソンでは歴史のある大会である。
その大会の様子をプロ・アマのカメラマンが撮影し作品を競う標記のコンテストが毎年開催されている。
私は、第50回大会の平成24年からコンテストに応募し、その間入選が5回で未だ入賞には至らず。
写真を撮るには、シャター・露出・感度・の設定はもとより、被写体の構図で被写体を何処に配置するか、そして使用するレンズ等々を配慮する。入賞作品(金・銀・銅)を撮るのは難しい。

第58回愛媛マラソン写真コンテスト入賞・入選作品展示会場と展示期間は下記の通りである。

展示期間 伊予銀行本店ロビー 3月27日(金)~4月24日(金)

     伊予銀行今治支店  5月 7日(木)~6月 5日(金)

     伊予銀行新居浜支店 6月   8日(月)~7月 3日(金)

     伊予銀行八幡浜支店 7月 6日(月)~7月31日(金)

     伊予銀行宇和島支店 8月 3日(月)~8月28日(金)

入賞・入選作品24点が展示されている。

画像は、4月2日入賞・入選作品を鑑賞に行った時のものである。

伊予銀行本店ロビーで開催中の第58回愛媛マラソン写真コンテスト入賞・入選作品展示です。

伊予銀行本店での展示会は、4月24日(金曜)までで、その後今治支店、5月7日(木曜)~6月5日(金曜)、新居浜支店・八幡浜支店・宇和島支店と巡回展示が行われる。

伊予銀行本店ロビーで開催中の第58回愛媛マラソン写真コンテスト入賞・入選の24作品展示。

第58回愛媛マラソン写真コンテスト、金賞受賞作品。

第58回愛媛マラソン写真コンテスト、銀賞受賞作品。

第58回愛媛マラソン写真コンテスト、銅賞受賞作品。

入賞できなかった私の作品。

昨年末に郵送して頂いた第58回愛媛マラソン写真コンテスト応募要項。

昨年末に頂いた第58回愛媛マラソン写真コンテスト応募要項、裏面。

3月の初め第58回愛媛マラソン写真コンテスト事務局から私に届いた入選の連絡通知状。

伊予銀行本店界隈の風景。

伊予銀行本店ロビーで開催中の第58回愛媛マラソン写真コンテスト入賞・入選の24作品の鑑賞を終えた後、天候が良かったので展示会場付近を散策してみた。
展示会場(伊予銀行本店)前は、松山市役所で、日本銀行松山支店・愛媛県警察本部・家庭裁判所・JA愛媛本部・NTT四国本部・愛媛県庁がありそして伊予松山城三之丸がある。

散策していると松山市役所前で、NHK松山放送局のカメラマンが取材中に出くわした。

第58回愛媛マラソン写真コンテスト入賞・入選作品展示会場の伊予銀行本店。

第58回愛媛マラソン写真コンテスト入賞・入選作品展示会場の伊予銀行本店前を走行する路面電車、新型もあり色んな種類の電車が走っており、坊ちゃん列車も走行している。

伊予銀行本店から見た松山市役所本庁舎。

坂の上の雲博物館で開催中の企画展示の案内板が上がっていた。

夏目漱石が乗った坊ちゃん列車が走行している。

伊予銀行本店前を走行する「坊ちゃん列車14号車」。

帰りに石手川堤防に行ってみると画像の様に満開に近いソメイヨシノ桜が咲き誇っていた。

呟き:
令和元年11月17日、中国河北省出身の男性が新型コロナウイルスに発症、これが最初で、WHOは新型コロナウイルスが発症したが直ぐ収まると告知した。

日本で最初の発症は、令和2年1月16日でこの時点では国内大型行事の自粛は無く、第58回愛媛マラソンも予定通り2月9日(日)に開催され参加者は、大会史上最高の、1万408人が全国各地から参加し、それぞれの思いを描きながら走破した。

その後新型コロナウイルスが蔓延し、市民マラソン形式は取りやめ競技マラソンとして実施、オリンピックも1年延期までとなり今や世界中に広がり大変な事態である。

令和2年4月6日現在、愛媛県の新型コロナウイルス感染者は23人で、死亡者1人、松山市は6人で、愛媛県も徐々に感染が拡散している。

ワクチンはおろか治療薬が無いから感染すると大変な事になるし、PCR検査を希望してもなかなか受けられず、医者も何処に行けばいいのか分からない。TELで問い合わせば、自分で探せと言われ電話が切れる。一生懸命自分で探しやっと受診出来たとTVニュースで報道された。

安倍首相はマスクを配布とか、もっとやるべき大事な事があるだろう。日本国民の命も守れない安倍政権、なにやっているんだと!!と叫びたい。

志村けんさんは、新型コロナウイルスに罹り東京で一番という病院で治療しても回復に至らず逝去された恐ろしい病魔ウイルスである。

世界各国のPCR検査の数値は圧倒的に日本は少ない。

アメリカは、PCR検査をしてもらえない日本在住のアメリカ人の帰国命令が出るそうだ。日本に居ると重症になるまで放置され命の保証がないから!!

日本国は、G5・G7に先進国として列挙されているが、今回の新型コロナウイルス対策に付いては、まるで後進国の医療の様で寂し思いである。

先進国とは、経済発展が大きく進んだ国のことである。・・と表記してあり、先進国の条件として一人当たりのGDPをあげる人もいるが経済弱者をどれだけ救えるかにあると思う。教育面、医療面福祉面、経済面、基本的人権を守る面など。おそらく部分的に日本を抜いている国もあると思うが総合的には日本がダントツなのではないか。これこそが先進国の基本条件だと思う。・・と記述している専門家もいるが、今回の新型コロナウイルスの対処は、医療面福祉面はゼロに近い有様でどれを見ても先進国とは思えない。

情けなくなる。

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