EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊予郡松前町・ジャカランダの花散策 その2 K氏邸宅

2017年06月30日 | 伊予松山歴史散策

画像は、伊予鉄道郡中線古泉駅北側の、Kさん宅の「ジャカランダの花」で平成29年6月23日伺いました。

この「ジャカランダ」は、19年前に重松農園さんから幼木を頂いた樹ですが、高くなりすぎて、重松農園さんにあったようにもっと枝が下にもあると形がいいのですがと、奥様は言われました。

確かにエンゼル幼稚園に移植前の重松農園さんにあったジャカランダは形のいい樹姿でした。

でも立派な大きなジャカランダでちょうど満開でした。

奥さん曰く昨年よりも花の付きが少ないですと言われた。

19年経つと巨木になるのですね。

ジャカランダ(日本では柴雲木とも呼ばれている)は、世界三大花木の一つで、鳳凰木(ホウオウボク)・火焔木(カエンボク)が世界三大花木と言われている。

日本では、宮崎県日南市南郷町にジャカランダの群生(森)があり日本ではここだけだそうです。

 

伺ってみると、ジャカランダの他にも沢山の花木が植えられていました。

ご家族揃って花木がお好きな様でした。

平成29年6月23日に伺いましたが花は満開でした。

ジャカランダの花を観賞する時は快晴で、青空を背景にして鑑賞する事が第一条件です。

写真を撮るときも同じです。

花言葉は、名誉・栄光で、ラッパ状に咲く花が、ファンファーレを吹くトランペットを連想させることから、「名誉」「栄光」という花言葉がつけられたそうです。

日本では、日南市、熱海市がジャラカンダの名所として有名だそうです。

 

6月23日、私が伺った時は、花が散り始めていました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父の日の贈り物

2017年06月28日 | 伊予松山歴史散策

先日(6月24日)、岡山県倉敷市から次男夫婦が孫を連れて我が家に来ました時に、遅くなりましたが父の日の贈り物ですと「日本酒と、焼酎」をくれました。ビールは、長男からです。

子供からもらった酒・ビールは、自分が買ったものと違って美味しくて嬉しいものです。・・ありがとう。

次男からの贈り物で、日本酒と焼酎。

こんな味の日本酒初めて飲みました。

倉敷市美観地区にある、森田酒造の「一滴・純米吟醸原酒」、円熟味のある味わいで、常温保存4年もの、私は冷やして飲んでいます。古い日本酒はこんなに旨いものかと美味しいく飲んでいます。やや辛口と表示していますが、私は甘味を感じ、何だか薬用酒の様で、初めて飲むお酒です。

ラベルには、倉敷の酒・萬年雪「純米吟醸原酒・一滴」アルコール分:17、0度以上、18、0度未満 甘辛度:やや辛口と表示してありました。

この酒造会社は、NHKのブラタモリにも出ていました。

もう一つの贈り物が「栗焼酎・鶴ぞう」です。未だ開封しておらず味は分かりません。

岡山県新見市にある三光正宗酒造で造られています。新見市哲西町は栗の里で、甘くて大きい地元産『哲西栗』を存分に使用した栗焼酎で、その『哲西栗』の改良と普及に尽力を尽くした『羽場鶴三』にちなみ命名されました。・・と記載してあります。

近々開封して栗焼酎の味を確かめたいと思っています。

長男からの贈り物、限定商品で深みの味のある美味しいビールです。

冷やして飲むよりも常温で飲んだ方がこのビールの旨みが楽しめます。

私は、酒類を飲むときは、備前焼の酒器を使っています。

ぐい呑みは、形と色合いが気に入りこれを購入しもう15年経ちます。作家さんの名前が高台に刻印されています。倉敷の酒「一滴を」備前焼のぐい呑みで毎晩一杯だけ、時間を掛けて飲んでます。

ビールグラスは、無名です。備前焼に注ぐとビールの味がまろやかになる・・とありますが、そんな気がするかな?と思いながら飲んでいます。確かに泡立は多いです。

備前焼は、窯で焼くとき熱で溶けた薪の灰が作品にかかった模様が好きです。最近は、ガスや電熱で焼き上げる備前もあるそうですが、やはり薪で焼き上げた物がいいです。灰かぶり等々で出来た自然の紋様と深みのある濃い色合いの物が私は好きです。

ぐい呑みの高台で、作家さんの印が刻印されてます。

箱に作家さんの経歴等々が書かれた説明書がありましたが行方不明です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗士朗くん ようこそ松山へ

2017年06月26日 | 伊予松山歴史散策

はじめまして、僕は宗士朗です。

今年1月29日、岡山県倉敷市で生まれ、5ヶ月になります。

先日(6月24日)、僕のおじいちゃん・おばあちゃんが住む松山市に、両親と一緒に行って来ました。

おじいちゃんとは初めて会いました。おばあちゃんとは二度目です。

車で瀬戸大橋を通り高松自動車道・松山自動車道を走行して、僕は後部のチャイルドシートで行きました。

松山に着くとおじいちゃん・おばあちゃんとおじさん(お父さんのお兄さん)が出迎えてくれて、写真をたくさん撮ってくれました。

僕は未だ小さいからその様子は分かりませんが、大きくなってその写真を見たいと思います。

これからも松山に行きますのでよろしくです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊予郡松前町・ジャカランダの花散策 その1エンゼル幼稚園

2017年06月25日 | 伊予松山歴史散策

重松農園のシンボルであったジャカランダで、エンゼル幼稚園に移植前の往時の樹姿。

平成27年、移植の朝に重松さんが撮影された画像で、本日重松農園さんから頂きました。

ブログに掲載しましたジャカランダの花の画像は重松農園さんの許可を頂いております。

画像は、エンゼル幼稚園

伊予郡松前町にある「ジャカランダの花」散策をして来ました。

その前に松前町について触れておきます。

この町は、伊予松山藩20万石の初代藩主、加藤嘉明が過ごした町で、慶長5年9月15日に起こった関ヶ原の戦いでは東軍の将としてこの地あった松前城から出陣した地であります。戦い後、徳川家康から伊予国(愛媛県)の半分20万石を拝領し、家康の許可を得て、慶長7年1月15日、勝山に築城の工を起こし、慶長8年10月、家臣並びに松前の住民と共に居を新城下に移し、これが松山の開市となりました。

また、最近ではボーイング社の飛行機、787型機の素材となる炭素繊維の生産拠点である東レ愛媛工場があり、裸麦生産日本一、平成の大合併ではどこの自治体とも合併せず単独の自治行政を行う財政豊な町です。そして全国でも珍しい山岳地帯のない自治体で地下水豊かな町です。

注:重松農園さんには改めて伺うことにしています。鉢植えとして育ててあるジャカランダを見せていただくためにです。

 その松前町に何故かジャカランダ沢山あります。その内3ヶ所を散策しました。

最初は伊予郡松前町西古泉にある、「エンゼル幼稚園」に行きました。

エンゼル幼稚園には、愛媛県内で一番大きなジャカランダと言われた、重松農園にあった樹を3年前に「松前町道・想い通り」が建設され、ジャカランダがあった重松農園の土地が道路用地にかかり伐採する事になったそうです。

エンゼル幼稚園はその事を知り、譲り受けを申し出て移植したジャカランダです。

画像の様に、移植に伴いかなり枝を切り落とし、根切りもして万全を期して移植したそうです。移植作業をした造園業者は、移植成功率は5%と言われたが移植して今年4年目を迎えますが、元気に生育しておりますと、案内して頂いたエンゼル幼稚園の松木さんの説明でした。松木さんは、移植前のジャカランダ、移植作業、移植後の手入れ等々全て立ち会われたそうです。原木と一緒に移植した幼木が3本植栽されていました。原木が元の姿に復元し花を咲かせるには、3年位かかるそうです。その頃訪れてみたいと思います。

なお、エンゼル幼稚園には、ジャカランダの樹が移植したものを含めて10本ありました。10本のジャカランダが成長し一斉に花を咲かせると壮大なジャカランダの花園になるでしょう。

重松農園さんにあったジャカランダの樹で、移植2年目になるそうです。

この樹から育てた幼木が左側に2本、右側に1本植えられていました。

ジャカランダを見ている方が「松木さん」で、樹は乾燥に強く夏場も余り灌水しなくとも大丈夫だそうです。流石熱帯で育った植物です。移植前に樹の下にあった花も一緒に移植したそうです。

幼木を植えたのは、原木が移植に失敗した時を考え後継の樹として植栽したそうです。

画像の様に移植するため多くの枝を切り落として、往時の樹姿とは全然変わり果てた樹となりました。

 

移植前に樹の下にあったハマユリも一緒に植えてありました。

移植に当たり、万全を期するために宮崎県日南市南郷町まで研修に行かれたそうです。

偶然にも愛媛県農業試験場に在籍していたかたがおられ丁寧に教えを得ることが出来たそうです。

 

右側の樹。

移植した原木は、盛土をしていますが、樹の大きさの割合からして根は浅く、そのかわり横に大きく伸びており、移植時は大きく広い鉢穴を掘って植えたそうです。

左側に2本ある内の1本。

左側に2本ある内の1本。

エンゼル幼稚園玄関前に植栽されているジャカランダで、園長先生の誕生日のお祝いに贈られた樹で、4本ありました。

幼木を頂き4年になるそうです。松木さんの案内では、花が咲くには数年かかると思いますと説明がありました。

 

玄関の直ぐ右側にも2本のジャカランダが植えてありました。

エンゼル幼稚園の運動場で、天然芝が植えてあり私が伺った時は運動の時間帯で、園児たちは楽しく演技をしていました。

画像は、エンゼル幼稚園に移植された、重松農園さんのにあった往時の樹姿です。

重松農園の重松茂さんが平成26年撮影されたもので、本日頂いた画像です。

同じく重松茂さんが平成26年撮影されたもので、このジャカランダは重松農園のシンボルの樹であったそうです。

エンゼル幼稚園の松木さんは、愛媛県一のジャカランダの樹が道路用地にかかり、重松さんは伐採する事にされたが、これを聞いたエンゼル幼稚園さんが譲り受ける事にされたそうです。絶滅するはずだったジャカランダは、エンゼル幼稚園で次の余生を送ることが出来てよかったですと語られました。

平成27年にエンゼル幼稚園に移植するその朝に重松茂さんが撮影された画像だそうです。

この画像も平成27年にエンゼル幼稚園に移植するその朝に重松茂さんが撮影された画像だそうです。

ジャカランダは重松さんご自慢の樹であったそうです。

ジャカランダは、6月下旬から開花が始まり7月初めころまで楽しめるそうです。

重松農園のシンボルであったジャカランダは、周囲の田んぼに田植が終わり見渡す限り田園風景の中にジャカランダの花が咲く風景は世界中何処にもない風景でしたとメールに書かれておられました。

 

画像は、松前町道「通称・想い通り」の建設用地買収の対象となり重松農園さんにあったジャカランダがエンゼル幼稚園に移植されました。左右4車線の立派な町道です。町財政が豊かな町なんですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋山兄弟生誕地・好古揮毫石碑の写真展示場を変更しました

2017年06月19日 | 伊予松山歴史散策

 松山市歩行町二丁目3番地6にある秋山兄弟生誕地で、秋山好古揮毫の石碑写真展示を平成17年7月から武道場の廻り縁で行っていましたが、この度生家と武道場の間に展示版を特設して行うことにいたしました。展示版の面積には限りがあり全部の写真展示は出来ませんが主な記念石碑を抜粋してご来館の皆様に見て頂くよう展示変更いたしました。是非お越しになってご覧下さい。

 平成17年からの記念石碑展示形式でしたが、この度展示場所を変更しました。

 この度秋山好古揮毫の記念石碑展示場所を画像の様に変更しました。

 展示版には限りがあり、現在全国各地に発見された好古揮毫の記念石碑は52基ありますが、その内主な石碑23基を展示しる事にいたしました。

 現在52基発見していますが、好古が揮毫した原稿は、画像の「御大典記念」一点だけです。

 場所は、愛媛県久万高原町中組にある三社神社の先代の宮司さんが軸物として表装し大切に保管をされていました。現、宮司さんの許可を得て複製させて頂き秋山生誕地に画像の様に展示しています。

 原稿は、普通は刻印する石碑に貼り付け、石工さんが彫っていき無くなりますが、「御大典記念」は、宮司さんからの要望で御大典記念を別の紙に写し取り原稿を残したものと推察されます。原稿には、石工さんが写し取る際に分かりやすくするために、文字の各所に鉛筆でなぞった跡があります。

 原稿の御大典記念は画像の様に、三社神社の注連石に刻まれています。

 その説明です。

 平成28年5月31日現在の秋山好古揮毫記念石碑一覧です。

 一番新しく発見されましたのは、長野県安曇野市豊科にある「内田與作墓」で墓石として発見されたのは初めてです。平成28年5月31日取材に行きました。

 

 

内田與作の石塔正面で、建立は、明治35年1月11日実父、内田茂一が建立。

秋山好古は、内田與作さんの実父、内田茂一から揮毫依頼を受け内田與作騎兵隊員の為に心を籠めて揮毫したのだと思います。・・好古は心の優しい人であったから、戦死させた責任を感じていたと思います。

石塔は、向かって左から3面に渡って内田與作騎兵隊員の事柄が書かれています。

撰文は、内田與作騎兵隊員の直属の上司であった稲垣三郎が書いています。

稲垣三郎は、退役して日本体育学校の校長をされます。(現在の日本体育大学)

長野県安曇野市豊科高家にある内田與作元騎兵隊隊員の墓石の説明資料。

 平成17年2月18日完成した秋山兄弟生誕地の全景です。

バックの背景は削除しています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする