EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

平成29年終わりのご挨拶

2017年12月31日 | 伊予松山歴史散策

平成29年も残すところ数時間となりました。

今年も、私のブログを大勢の皆様に閲覧して頂き、またコメントも頂き有難うございました。

来年も引き続きご覧頂きご批判を頂きますようよろしくお願いいたします。

皆様方におかれましては、来年も良いお年であります様にお祈り申し上げます。

画像説明:道後温泉の裏山にある標高212mの瀬戸風峠からの伊予松山15万石の城下町の夜景で、一番素晴らしいく見える場所です。

参考までに

伊予松山城は、来年で築城を始めてから416年になります。

伊予松山初代城主、加藤義明は、関が原の戦いで武勲をあげ、徳川家康から伊予20万石を拝領し、慶長6年(1601)家康から勝山に築城の許可を受け、翌7年(1602)1月15日の吉日に築城の工を起しました。

翌8年(1603)10月に仮御殿が完成し松前城から住民と、ともに居を新城下に移し、この地を松山という名称が公にされこれが松山の誕生となりました。

故、坂東三津五郎さんがお好きだったお城です。

画家であり、俳優の榎木孝明さんもお好きなお城です。

生前、坂東三津五郎さんの持ち番組で「日本の城ミステリー」がありましたが、最後の放映となった番組の背景が伊予松山城天守でした。

故、坂東三津五郎さんがお好きだった伊予松山城の中で一番お好きであった風景です。

本丸の裏鬼門を守護する「乾門」から外に出たところで「屏風折れの石垣に築かれた続塀、その背景に、本壇にある南隅櫓とその後ろに小天守を見る。」この風景が、坂東三津五郎さん一押しの松山城です。

画家で俳優の「榎木孝明さん」も松山城がお好きな方で、この場所が、榎木孝明さんお勧めの松山城の風景です。

場所は、本丸と二之丸の分岐点からみた処で「隘路の奥に天守を望み、手前にある太鼓櫓と高石垣を見る処」です。

榎木孝明さんが描かれた一押しの松山城。

松山三越で開催された時の「榎木孝明・絵画展のポスター」です。

 

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完成した道後温泉別館、飛鳥乃湯の中庭&椿の湯営業再開

2017年12月27日 | 伊予松山歴史散策

日本三古泉の一つ道後温泉に新たな湯屋「道後温泉別館湯屋として「飛鳥乃湯泉」が昨日(12月26日)正式開館した。

道後温泉本館耐震補強工事の代わりの道後温泉別館湯屋として「飛鳥乃湯泉」が平成29年9月26日開館していたが、中庭が未だ完成しておらず、愛媛国体開催に合わせ営業していた。9月から改修工事をしていた椿の湯も同日営業を再開し、本館と合わせて椿の湯・飛鳥乃湯の3館の同時営業が始まった。

昨日、中庭で正式開館記念式典が行われ、野志松山市長は、飛鳥乃湯泉は、道後温泉本館耐震補強工事の代替施設でなく、新しい道後温泉の歴史を発信する拠点として生まれた松山の宝です。市民の皆さんと一緒に育てて頂きたいと挨拶した。

画像は、平成29年12月27日撮影。

画像は昨日開園した中庭で、左が「飛鳥乃湯」右が「椿の湯」の温泉施設。

本日午前中撮影に行ってみると地元TV局が取材に来ていた。

正式開湯した「飛鳥乃湯」

飛鳥乃湯から見た椿の湯で、昭和28年、「第8回国体」が四国各県で開催されたときに建設され、その後、昭和59年に改築され、そして今回新たに改修工事が行われた。

飛鳥乃湯泉の命名指針となった中庭に建立された聖徳太子道後温泉碑。
記念碑の現物は亡失して無いが、『伊予風土記』逸文には、推古4年(596年)聖徳太子(厩戸皇子)と思われる人物が伊予(現在の愛媛県)の道後温泉に高麗の僧・慧慈と大和の豪族葛城臣なる人物を伴って赴き、その時湯岡の側にこの旅を記念して「碑」を建て、その碑文が記されていたとされている。

その原文は

「法興六年十月 歳在丙辰 我法王大王与慧慈法師及葛城臣 道遙夷予村正観神井 歎世妙験 欲叙意 聊作碑文一首 惟夫 日月照於上而不私 神井出於下無不給 万機所以妙応 百姓所以潜扇 若乃照給無偏私 何異干(天の誤りか)寿国 随華台而開合 沐神井而?(癒)疹 ?(言巨)舛于落花池而化弱 窺望山岳之巌?(愕) 反冀子平之能往 椿樹相?(蔭)而穹窿実想五百之張蓋臨朝啼鳥而戯?(峠の山が口) 何暁乱音之聒耳 丹花巻葉而映照 玉菓弥葩以垂井 経過其下 可以優遊 豈悟洪灌霄霄庭 意与才拙実慚七歩 後之君子 幸無蚩咲也」(「法隆寺ハンドブック」より)

中庭に植栽された松山市の花「藪椿」が160本植えられた。

椿の湯から飛鳥乃湯泉に行くために造られた渡り廊下。

飛鳥乃湯泉の浴室区分と入浴料金とその案内表示板。

椿の湯の浴室区分と入浴料金とその案内表示板。

道後温泉本館の浴室区分と入浴料金とその案内表示板。

画像は冠山から見た道後温泉本館と飛鳥乃湯泉・椿の湯の位置関係で、本館から徒歩3分の所にある。

道後温泉本館は、築後123年になる。

飛鳥乃湯泉、正面入口。

椿の湯、正面入口。

道後温泉本館、正面入口で、大正13年に増築され現在の入口に変更された。

道後温泉本館、明治27年、建設当時の正面で一階に唐破風が残っている。

画像左から「一之湯」「二之湯」「三之湯」の入口。一之湯は、元士族・僧侶・神職用で、二之湯は、婦人用、三之湯は、庶民男子用と別れていた。

本館建物は、平成6年12月27日、国の重要文化財に指定された。

 

 

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道後温泉・飛鳥乃湯その後

2017年12月19日 | 伊予松山歴史散策

「飛鳥乃湯泉」と「椿の湯」の中庭が完成。完成式は、12月26日。

 道後温泉本館耐震補強工事の代わりの道後温泉別館湯屋として「飛鳥乃湯泉」が平成29年9月26日開館しました。

しかし、椿の湯と隣接する、飛鳥乃湯泉の玄関前の中庭が未完成のまま開湯し、入浴客には不便を与えていたがこのほど完成した。

正式開園は、12月26日、隣接する椿の湯も改修工事をして同日開館する。

道後温泉は、無料で利用できる11ヶ所の足湯や手湯を巡って街歩きが楽しめ、治安も良い事から女性の一人旅で人気があり、3年連続で1位に選ばれた観光地です。是非お越しください。

画像は、12月17日撮影です。

「飛鳥乃湯泉」と「椿の湯」の中庭で画像右側が椿の湯で、内外共に改修し12月26日再開湯予定。

完成した中庭。

12月3日の画像でこの時点では、中庭は最終工事の真っただ中でした。

中庭に建立された「聖徳太子の碑」。

聖徳太子道後温泉碑
記念碑の現物は亡失して無いが、『伊予風土記』逸文には、推古4年(596年)聖徳太子(厩戸皇子)と思われる人物が伊予(現在の愛媛県)の道後温泉に高麗の僧・慧慈と大和の豪族葛城臣なる人物を伴って赴き、その時湯岡の側にこの旅を記念して「碑」を建て、その碑文が記されていたとされている。

その原文は

「法興六年十月 歳在丙辰 我法王大王与慧慈法師及葛城臣 道遙夷予村正観神井 歎世妙験 欲叙意 聊作碑文一首 惟夫 日月照於上而不私 神井出於下無不給 万機所以妙応 百姓所以潜扇 若乃照給無偏私 何異干(天の誤りか)寿国 随華台而開合 沐神井而?(癒)疹 ?(言巨)舛于落花池而化弱 窺望山岳之巌?(愕) 反冀子平之能往 椿樹相?(蔭)而穹窿実想五百之張蓋臨朝啼鳥而戯?(峠の山が口) 何暁乱音之聒耳 丹花巻葉而映照 玉菓弥葩以垂井 経過其下 可以優遊 豈悟洪灌霄霄庭 意与才拙実慚七歩 後之君子 幸無蚩咲也」(「法隆寺ハンドブック」より)

「飛鳥乃湯泉」と「椿の湯」、中庭の説明版。

12月17日、TV東京の取材班が師走の道後温泉の取材に来ていた。

外国から来られた観光客にたいして取材、12月17日午後6時から放映されると伺った。残念ながら地方局では放映されず関東地域だけとか。

 

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平成29年12月14日、伊予松山・義士祭開催 

2017年12月15日 | 伊予松山歴史散策

今年も12月14日がやって来た。赤穂浪士の関係ある地方で義士祭が開催された。松山でも第54回の義士祭が松山市長参列の下供養がしめやかに行われた。

伊豫松山藩と赤穂浪士の関係は下記の通りで、浪士の内10名を幕府からの指示で伊予松山藩が預かった。

討ち入りした47名は、幕府大目付けへ自首し、細川、水野、毛利、伊予松山藩に預けられ、伊予松山藩では、大石主税ら10名を江戸中屋敷に収容し、切腹まで面倒をみた。

この内大高源吾、木村岡右衛門の切腹を介錯した藩士宮原久太夫は、両名の遺髪を藩主の許しを得て、松山にある宮原家の菩提寺、興聖寺(こうしょうじ)に二人の墓を建立し納め供養した。その墓は今も義士祭を開催して供養されている。

宮原久太夫は、この介錯の後、俳諧で著名であった人でも殺さねばならない武士というものに嫌気がさし、武士を捨てて松山で酒屋に転じている。その子孫は、現在も横浜市に在住とある。

 平成29年12月9日(土)午後10時からBS-TBSで放映された「諸説あり!忠臣蔵の真実:赤穂浪士による吉良邸討ち入り「討ち入りは赤穂浪士の就職活動だった」と説明した昭和女子大学文化学科・山岸良二先生の説は、初めて聴いた事でビックリした。 

山岸良二先生とは面識がありますが、色んな分野で研究をされている学者です。

 

 

 義士祭が行われる興聖寺、此処に大高源吾、木村岡右衛門の供養墓がある。

また伊予松山藩24万石、第2代目城主・蒲生忠知の墓もある。

 伊予鉄髙島屋デパート東側を行く義士行列。

 平成29年12月14日、松山の最低気温は、今季最低のー0,5度、12時過ぎの気温は8,7度で1月下旬から2月の寒い日の義士祭であった。

 伊予鉄髙島屋デパート前で記念の集合写真。

 昨年は、赤穂浪士に関する番組が多くTV放映されたが、今年は何故か一番組しかなかった。

 興聖寺の大高源吾、木村岡右衛門の供養墓で墓参りをする、野志松山市長、毎年義士祭には参列される。

 大高源吾、木村岡右衛門の切腹を介錯した藩士宮原久太夫は両名の遺髪を藩主の許しを得て、松山にある宮原家の菩提寺、興聖寺(こうしょうじ)に二人の墓を建立し納め供養した。その墓は今も義士祭を開催して供養されている。

 宮原家の菩提寺、興聖寺(こうしょうじ)に二人の墓の説明版。

 義士行列に参加した関係者は、興聖寺境内で持て成しの、討ち入りそばを頂く。

 義士の故郷、赤穂からお礼にと送られて来た「ハゼノ樹」。道後湯築城外堀に地元の道後地区土地改良区が大切に保存している。

 平成29年12月9日(土)午後10時からBS-TBSで放映された「諸説あり!忠臣蔵の真実:赤穂浪士による吉良邸討ち入り」「討ち入りは赤穂浪士の就職活動だった」と説明した昭和女子大学文化学科・山岸良二先生。

 また、山岸良二先生は、秋山好古と習志野騎兵隊の研究者としては第一人者で、特に習志野騎兵連隊について造詣の深い方です。平成29年10月18日、松山市歩行町にある、秋山兄弟生誕地で特別講演会が開催され、松山での講演演目は「秋山好古と習志野騎兵旅団」で好古を軸にその人物に迫る大変貴重な講話をされ、松山市民の知らない好古の凄さを改めて確信した思いで参加者は熱心に聴講した。

 

 江戸城本丸跡にある松之大廊下の位置図。

 江戸城本丸跡(現在、東御苑)に建立されている「松之大廊下跡」の記念碑。

 伊予松山藩江戸中屋敷は、現在イタリア大使館となっており、何代目かの大使が、歴史のある処ゆえにと記念碑を建立し、大使館の庭も当時の面影を残し、赤穂浪士の慰霊祭を行っているそうです。

 吉良邸跡にある記念碑。

 泉岳寺にある「寺坂吉右衛門の墓」 

諸説あるが、吉良邸討ち入り後、大石内蔵助良雄の命を受けた寺坂吉右衛門は、同志と別れ本懐の報告、亡君や同志の弔いのため諸国を巡ったとある。そんな関係で全国に吉右衛門の墓と称する墓所が7ヶ所あると言われている。

 

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道後温泉第4分湯場出来る

2017年12月06日 | 伊予松山歴史散策

道後温泉の象徴「道後温泉本館・国指定重要文化財」は、明治27年に建築、来秋から耐震補強工事に着手、期間は7年間で入浴するお客さんを受け入れしながら部分的に補強工事を行う。

画像は道後温泉駅前広場。

新たに出来た「第4分湯場」は画像右側の奥にある。

3000年の歴史を誇る日本最古と言われる道後温泉、残念ながら湯の量が少なく、現在は18本の源泉から一日2,000トンのお湯を汲み上げ、4ヶ所の分湯場に集め、道後温泉本館、新しく開湯した飛鳥乃湯泉、椿の湯、旅館、ホテルに配湯している。
この度11月1日に、「道後温泉第4分湯場」が新たに完成した。
完成した「第4分湯場」は、伊予鉄道道後温泉駅の北西に、道後稲荷神社があるが、この境内にあり、白壁と瓦葺のこじんまりとした飛鳥風の建物で、見学出来る分湯場として、源泉が混合される様子が見れるスペースや、源泉に触れる事が出来る手湯を整備してある。
そして境内には6本の源泉のマンホールがあり、源泉の番号と汲み上げている深さ、温度が表示されている。

この「第4分湯場」では、地下から汲み上げた6本の源泉を一つに混合している。
貯湯槽は見学することは出来ませんが、汲み上げたお湯がパイプから出てくる様子を外から見る事が出来、そして汲み上げたばかりの源泉を楽しんで頂けるように、施設の入り口に「手湯」も設けてあるので是非見学してみては如何でしょうか。

また道後温泉駅に帰って来た坊ちゃん列車を手動で方向転換する作業も見る事が出来ます。

平成29年11月1日、新たに完成した「道後温泉第4分湯場」。

第4分湯場、西側の側面に見学用の窓が造られている。

第4分湯場の見学用窓。

汲み上げられた源泉の様子を見る事が出来、各源泉の湯を混合し42度で入浴出来るよう調整し配湯している。

泉質は、単純温泉で非火山型の温泉であるため、火山型の温泉郷と違って家電製品の痛みも無い。

道後温泉分湯状況の説明版が正面左に設置してある。

第4分湯場にある源泉は、47度~52度の源泉が6本あるが、画像の様な表示板が設置してある。

道後温泉9号源泉表示板。

第4分湯場は、道後温泉駅舎からすぐ近くの徒歩一分もかからない稲荷神社境内にある。

 

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