愛媛の夏祭りは石鎚神社のお山開きから始まり、松山市の夏祭りの幕開けは、全国でも珍しい鐘馗さんをご本尊としている「鐘馗寺」の夏祭りで始まる。鐘馗さんは、毎年7月11、12日に開催され、この日を境に伊予松山の夏の衣替えが行われていたが最近これは無くなった。そして市内各神社では夏祭り(輪越し)が開催される。松山の最後の夏祭りが毎年8月23・24日、松山市駅前にある、善勝寺の大縁日、通称「日切地蔵まつり」で終わる。その間市内各神社で夏祭りが、寺院でお施餓鬼が行われる。
昨日(7月30日)夏越祭りに行って来た。
我が家の氏神様は、日尾八幡神社(松山市南久米町)で、夏越祭、松山では、輪越とも言うが7月30日、同神社で行われる。夏越祭は、前もって各町内の宮総代が氏子の各家庭に、紙で作った形代(かたしろ)を家族の人数分を配り、形代に息を吹きかけ身体の悪い所を擦り名前を書いて一晩床に敷き、夏越祭に行きお祓いをする。
夏越祭は、夏の恐ろしい伝染病や水の災難を防ぐ事が出来ると考えられ行われてきた年中行事の一つで、最近はこの様な考え(信仰)も薄らいで来た。
神社での輪のくぐり方は、まず、向かって左側の茅輪を中心より1回まわって、次は、向かって右側の茅輪を中心より1回まわります。そして、もう一回左側の茅輪を中心から1回まわったら神前にて二礼二拍手一礼します。紙にかかれた形代は、ここにある三方の上にお供えして終了。
最近は、先ず形代を神前に納め二礼二拍手一礼し左側に作られた茅輪を潜り左に一回りして神前に向かって一礼して終わりです。
12月を「年越し」と呼ぶのに対し、7月を「夏越し」と呼んだ。日尾八幡神社は、神官三輪田清敏の長男として生まれ、江戸末期から明治にかけての書家三輪田米山の生誕地として有名である。
これをもって、久米地区の神社探訪を終了します。
7月の初めに宮総代から配られて来た今年の日尾八幡神社「夏越し祭」の開催案内状と形代です。
形代(かたしろ)に息を吹きかけ身体の悪い所を擦り名前を書いて一晩床に敷き、夏越祭に行きお祓いをする。
日尾八幡神社「夏越し祭」の封筒でこの中に案内状と、ひな型(形代)が入れられ配布される。
昨日、夏越祭で頂いたお札。
日尾八幡神社の注連石と朱色の鳥居に夏祭り表す提灯が飾られる。
夏越し祭の準備には、各町の宮総代(氏子総代)が集まり提灯を飾ったり、神主の指示のもと特設の祭壇設営等々を行う。鳥居の真ん中に大きな馬鹿提灯が吊される。神社の前には夜店が出る。以前は参道に多くの夜店が出店したが車社会になってからは、車両通行の妨げになり神社駐車場のみに夜店が出る。
夏越し祭は午後4時から神事が行われ始まる。正午を過ぎると出店が営業開始する。
神社の神門(楼門)で、夏越し祭はここで祭神が行われる。昔から神門で行っていたのか?だ。初めは社殿で行っていたが何時の日か神殿に変更したのか定かではない。
神門には各町の宮総代が集合して、正午過ぎから夏越し祭の準備が始まる。神門中央に特設の祭壇が設けられ、輪越しも特別に設けられる。
7月30日、は神門を潜る事が出来ないので、社殿にお参りする者は、神門に特設された祭壇にお参りするか、本殿まで行き参拝する人は神殿の横を通り行かなければならない。
午後4時、いよいよ夏越し祭の神事が行われ祭りが始まる。神門前に居並ぶ神男たちは各町の宮総代たちである。
宮司が祝詞を挙げる。神門の裏に石段158段があり、その上に日尾八幡神社の本殿があり祭神
が祭られている。この祭神に対して祝詞を挙げる。
本殿は三神殿に分かれ、西玉殿・中玉殿・東玉殿と呼ばれ、さらに東・西玉殿にはそれぞれ側玉
殿があり、それぞれの神が祭られている。
神事が終わり、宮司が参列した宮総代に対して御払いの神事を行う。
無事神事が終わり、宮司が先達となり今年の夏も氏子達が無事過ごせることが出来るよう
願いを込めて輪を潜る。
今日の松山は気温33,3度の猛暑でお手伝いをする宮総代さんも汗だくでした。中学の同期生
も宮総代をしており忙しそうでした。お神酒を頂いて帰りました。
全ての神事が終わり、夕暮れが近づくと氏子達がやってくる。昔は、行水をしてサッパリと
し、身を清め夕食を早めに済ませて、浴衣を着て親から小遣いを貰い団扇(うちわ)をもってお
夏祭りに行ったものだが、お参りよりも夜店を友達と、のぞき見をする事が楽しみであったが、
最近は様子が変わった。
時が過ぎる毎に大勢の氏子達がお参りにやってくる。
午後7時50分の画像、神社の前は旧国道11号線があり、通行量も多く事故の無いようにと、
松山東署交通安全協会久米支部の役員が出て交通整理をしていた。
昔は歩いてお参りに行ったものだが、最近は車で来る。そのため今年は、近くの施設の駐車場を
借りて特別に臨時駐車場を設けたそうだ。
贅沢になったものだ。毎年祭りは午後9時30分まで続けられる。
昨日(7月30日)夏越祭りに行って来た。
我が家の氏神様は、日尾八幡神社(松山市南久米町)で、夏越祭、松山では、輪越とも言うが7月30日、同神社で行われる。夏越祭は、前もって各町内の宮総代が氏子の各家庭に、紙で作った形代(かたしろ)を家族の人数分を配り、形代に息を吹きかけ身体の悪い所を擦り名前を書いて一晩床に敷き、夏越祭に行きお祓いをする。
夏越祭は、夏の恐ろしい伝染病や水の災難を防ぐ事が出来ると考えられ行われてきた年中行事の一つで、最近はこの様な考え(信仰)も薄らいで来た。
神社での輪のくぐり方は、まず、向かって左側の茅輪を中心より1回まわって、次は、向かって右側の茅輪を中心より1回まわります。そして、もう一回左側の茅輪を中心から1回まわったら神前にて二礼二拍手一礼します。紙にかかれた形代は、ここにある三方の上にお供えして終了。
最近は、先ず形代を神前に納め二礼二拍手一礼し左側に作られた茅輪を潜り左に一回りして神前に向かって一礼して終わりです。
12月を「年越し」と呼ぶのに対し、7月を「夏越し」と呼んだ。日尾八幡神社は、神官三輪田清敏の長男として生まれ、江戸末期から明治にかけての書家三輪田米山の生誕地として有名である。
これをもって、久米地区の神社探訪を終了します。
7月の初めに宮総代から配られて来た今年の日尾八幡神社「夏越し祭」の開催案内状と形代です。
形代(かたしろ)に息を吹きかけ身体の悪い所を擦り名前を書いて一晩床に敷き、夏越祭に行きお祓いをする。
日尾八幡神社「夏越し祭」の封筒でこの中に案内状と、ひな型(形代)が入れられ配布される。
昨日、夏越祭で頂いたお札。
日尾八幡神社の注連石と朱色の鳥居に夏祭り表す提灯が飾られる。
夏越し祭の準備には、各町の宮総代(氏子総代)が集まり提灯を飾ったり、神主の指示のもと特設の祭壇設営等々を行う。鳥居の真ん中に大きな馬鹿提灯が吊される。神社の前には夜店が出る。以前は参道に多くの夜店が出店したが車社会になってからは、車両通行の妨げになり神社駐車場のみに夜店が出る。
夏越し祭は午後4時から神事が行われ始まる。正午を過ぎると出店が営業開始する。
神社の神門(楼門)で、夏越し祭はここで祭神が行われる。昔から神門で行っていたのか?だ。初めは社殿で行っていたが何時の日か神殿に変更したのか定かではない。
神門には各町の宮総代が集合して、正午過ぎから夏越し祭の準備が始まる。神門中央に特設の祭壇が設けられ、輪越しも特別に設けられる。
7月30日、は神門を潜る事が出来ないので、社殿にお参りする者は、神門に特設された祭壇にお参りするか、本殿まで行き参拝する人は神殿の横を通り行かなければならない。
午後4時、いよいよ夏越し祭の神事が行われ祭りが始まる。神門前に居並ぶ神男たちは各町の宮総代たちである。
宮司が祝詞を挙げる。神門の裏に石段158段があり、その上に日尾八幡神社の本殿があり祭神
が祭られている。この祭神に対して祝詞を挙げる。
本殿は三神殿に分かれ、西玉殿・中玉殿・東玉殿と呼ばれ、さらに東・西玉殿にはそれぞれ側玉
殿があり、それぞれの神が祭られている。
神事が終わり、宮司が参列した宮総代に対して御払いの神事を行う。
無事神事が終わり、宮司が先達となり今年の夏も氏子達が無事過ごせることが出来るよう
願いを込めて輪を潜る。
今日の松山は気温33,3度の猛暑でお手伝いをする宮総代さんも汗だくでした。中学の同期生
も宮総代をしており忙しそうでした。お神酒を頂いて帰りました。
全ての神事が終わり、夕暮れが近づくと氏子達がやってくる。昔は、行水をしてサッパリと
し、身を清め夕食を早めに済ませて、浴衣を着て親から小遣いを貰い団扇(うちわ)をもってお
夏祭りに行ったものだが、お参りよりも夜店を友達と、のぞき見をする事が楽しみであったが、
最近は様子が変わった。
時が過ぎる毎に大勢の氏子達がお参りにやってくる。
午後7時50分の画像、神社の前は旧国道11号線があり、通行量も多く事故の無いようにと、
松山東署交通安全協会久米支部の役員が出て交通整理をしていた。
昔は歩いてお参りに行ったものだが、最近は車で来る。そのため今年は、近くの施設の駐車場を
借りて特別に臨時駐車場を設けたそうだ。
贅沢になったものだ。毎年祭りは午後9時30分まで続けられる。