EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

坊ちゃん列車1号車・乗車紀行

2013年04月29日 | 伊予松山歴史散策
4月26日伊予鉄道が発行している、市内電車・市内バス1dsyチケット(¥400+¥100)で坊ちゃん列車1回乗車限定を購入して、市内散策を試みました。
伊予鉄道は、日本最古の軽便小鉄道でその主役として活躍したのがドイツ・ミュンヘン州クラウス社製から輸入した蒸気機関車(愛称・坊っちゃん列車)でした。

坊っちゃん列車は明治21年10月28日の運行開始以来67年にわたり総17台の機関車が活躍しおりましたが、昭和29年廃止され以後電化になるまでディーゼルエンジン機関車に引き継がれ、列車の電化に伴い蒸気とディーゼルで走っていた坊っちゃん列車は路線上から姿を消した。
その後復元して市内電車の軌道を走らせる計画がありましたが市内を不完全燃焼で発生する煤煙を撒き散らす事は、大気汚染防止法に反する行為で立ち消えました。しかし何とか走行させたい思いは強く、平成13年9月2日、動力をディーゼルエンジンとしての機関車を外観復元、客車を復元させて市内電車の軌道を走る事になりました。

現在1号車と、14号車が走っております。
正式名称は、
第1編成車両:ディーゼル機関車D1形 1号 + 客車ハ1形 1号・2号
第2編成車両:ディーゼル機関車D2形 14 号+客車ハ31形 31号
製 作 所 :新潟鐵工所 (新潟市)
エンジン  :日野ディーゼルエンジン 6,014cc搭載
・ ・ であります。
なお、運行時刻は画像に添付しますのでご覧下さい。
以下の画像は4月26日乗車した1号坊っちゃん列車であります。


1号車に乗るため道後駅で乗車券を買った。坊ちゃん列車は定員が少なく、日・祝日等観光者が多い時は乗車できない時がある。あらかじめ乗車整理券が乗車券と一緒に渡される。私が乗車した時は一人であった。


午後1時10分道後温泉発松山市駅行に乗車した。


客車から見た14号車の機関車後部で、当初は後部風防は付いてなかったが、風雨防止として透明の素材で取り付けました。




1号車の客車、2両編成なので客車は小さい、乗ってみると14号車よりも乗り心地はよかった。


1号車の天井で14号車の天井の建材が違う。これが当初の造り。
14号客車は天井素材が白い材で仕上げてあった。


道後駅を出発すると間もなく車掌が挨拶し坊ちゃん列車の説明をする。


道後駅からは後方の客車に乗り、途中大街道駅から前の車両に乗り換えた。
画像は後方客車から見た前の車両、運行時は、客車の外に出ることは出来ない。


後方に最新型の市内電車が迫ってきた。


大街道駅を出発すると愛媛県庁舎が見えてくる、車掌が案内してくれる。神奈川県庁舎、大阪府庁舎についで全国で3番目に古い県庁舎であります。


14号車から見た伊予松山城天守で、この事も車掌が案内してくれます。
14号車の後部遮蔽は鉄板仕上げとなっていて、後部確認のため窓が設置してあります。


無事松山市駅に着き人力で機関車の方向転換作業。道後温泉駅から松山市駅まで所用時間は16分、途中大街道駅に停車し空席があればここからも乗車出来ます。


続いて客車の方向転換、1号車は14号車の客車よりも重たいのでは、左の職員は市内電車の運転手さんで、転換作業の応援にきていました。
市内電車の職員の制服は紺色で、坊ちゃん列車の乗務員の制服は開業当時の(明治時代)黒の制服を着用しています。


乗務員の許可を得て軌道に入れてもらい1号機関車を真正面から撮らせて頂きました。


外観復元された坊ちゃん列車の時刻表です。


平成13年復元された坊ちゃん列車営業運転開始出発式を松山市駅で大盛況の内1号車が道後温泉駅に向けて出発しました。


同じく道後温泉駅でも商業運転出発式が盛大に挙行されました。
当初の乗車料金は1000円であったが、乗車客が少なく300円とし現在に至っています。


明治21年10月28日伊予鉄道が開業のためドイツから購入した1号機関車。


伊予鉄道が最後にドイツから購入した14号機関車。客車は長いタイプと短いタイプを混同して牽引していた。


蒸気機関車からデイーゼル機関車に変更され坊ちゃん列車は昭和29年廃止された。
昭和42年横河原線電化によりデイーゼル機関車も廃止され現在に至っています。
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坊ちゃん列車14号車・乗車紀行

2013年04月28日 | 伊予松山歴史散策
一昨日(4月26日)伊予鉄道が発行している、市内電車・市内バス1dsyチケット(¥400+¥100)で坊ちゃん列車1回乗車限定を購入して、市内散策を試みた。
未だ坊ちゃん列車に乗車していない、話の種に乗車しようと考えていながらこの日まで延び延びになっていた。
GWの前に乗った。先ず市駅発10時18分の列車に乗ろうと行ってみると14号車の運行であった。
1号車に乗る予定であったが仕方なく14号車になった。発車10前に道後温泉発下り市駅行が来た。機関車の回転はジャッキで機関車を持ち上げ人力で回転、客車も人力で押しポイント切り替えまで押し運び機関車に連結をする大変な作業である。(画像参照下さい)

初めて乗車した14号車は客車1両編成で思っていたよりも乗り心地は良くなかった。乗客はGW前で平日だったため2名であった。発車してもまなく車掌さんが大きな声で坊ちゃん列車の説明を始めた。車掌さんは常務業務の他観光案内も業務内容にあるようで、乗務員は1号車・14号車合わせて15名で運行しているそうです。内訳は、運転手8名と車掌7名で、この業務に志願して配属されたんですかと伺うと、会社の業務命令で配属されましたとの事でした。15名は優秀な社員さんなのだろう、伊予鉄道の観光PRの業務だから優秀な社員さん達、非常に親切で表情豊で乗車してよかったと感じた。
観光に来られ、坊ちゃん列車に乗車された方々は、好印象を持たれると感じた。

坊っちゃんが東京から松山中学の先生として赴任して来たその日、乗った代物である。ちょっとその紹介しておこう。
「停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱の様な汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」
このマッチ箱の様な汽車は伊予鉄道路面電車の軌道を走る。実はこの機関車、動力はディーゼルエンジンで、形だけが蒸気機 伊予鉄道は現存する地方鉄道の中で最も古い歴史を持つ鉄道会社なのである。・・製作は新潟鉄工で、エンジンは、日野ディーゼルエンジン・・6,014cc搭載。


松山市駅チケット売り場で坊ちゃん列車が1回乗車できる乗車券で500円であった。


一日乗車券の裏面。


10時18分松山市駅発上り道後温泉行の14号車が着いた。


着くと早速自身に装着しているジャッキで機関車を持ち上げ人力で回転さす。


真夏、豪雨時は大変だろう!!ご苦労様。


次に客車を人力でポイント切り替え場所まで移動する。


ポイント切り替えして機関車に連結し所定の位置までバックで移動して乗客を案内する。


14号車の機関車の運転室。
現在1号車と14号車が営業運転しているが、特に14号車を松山は伊予国だからイヨ
(14)と称して運行していると思われる観光の方が時々居られるが、それは間違いで、1号車は伊予鉄道が最初にドイツから購入した機関車、明治21年ドイツ・クラウス社から、14号は最後に購入した機関車、明治41年ドイツ・クラウス社から、その沿革である。


乗務員の許可を得て軌道に入れてもらって正面から撮らせて頂いた。


所定の位置に停車して乗客を待つ。


連結も万全に繋がっている。


客車から見た機関車後部。


14号車は客車1両編成で画像は客車内部。内部は綺麗に清掃されていた。


定刻の10時18分道後温泉駅に向けて発車、直ぐに車掌さんが大きな声で列車の案内を始めた。


県庁前で1号車と行き違い、この時も車掌さんの案内があった。慌ててシャッターを押す。
この後の画像は、伊予鉄道一日限定自由乗車降車切符で市内散策 その2に記載しますので是非見て下さい。
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伊予松山城本丸で素晴らしい光景を見た

2013年04月24日 | 伊予松山歴史散策
先日、4月13日松山城ガイド当番日で午後登城した。
この日松山の最高気温は16、8度で、最高の花見日和と言っても染井吉野桜は散り遅咲きの桜が未だ花を残していた。リフトで登り擦れ違うロープウエイは満員で観光者が乗っていた。ガイド控え室で半被に着替え、いざ出陣最初に出会ったのは、結婚記念の前撮りされたのか下山されて来た若い二人。

その後、兵庫県加古川市から来られたご夫婦を松山城本丸と天守をご案内、後で判明したのだがご夫婦は結婚記念にと松山城を選ばれて松山に来られた未だお若い方でした。記念に松山城の写真を撮っておくとの由、私の好きなそして地元民もあまり知られていない絶景の場所を案内しお別れした。・・何時もでもお幸せにとお送りした。
それから素晴らしい光景に出会った。本丸広場で若い学生風の男女30名位が輪になって集まり会話をしていた。終わりになると一同起立をして合唱を始めた。歌は、「星影さやかに」「一日の終わりに」「燃えろよ燃えろ」色んな人が作詞をして曲名も三通りある。

合唱も終わり、ある若者に伺うと、愛媛大学合唱団のメンバー達で毎年この時期に松山城本丸で花見を行い新年度の活動計画の確認をするそうで、最後に「一日の終わりに」を合唱して終了すると言っていた。この事は普段の活動でも必ず最後に「一日の終わりに」を合唱し終わりにするそうです。
この光景を見ていた米国人女性は、素晴らしい、ハーモニーが綺麗、日本の若者は素晴らしいと拍手を送っていた。私も若い特に歌った曲でメロディーは分かっていたが、如何しても曲名が浮かばないので先日愛媛大学合唱団HP経由でメール照会、早速返信があり曲名が判明した。

愛媛大学合唱団今後の益々の活躍に期待・・頑張れ愛大合唱団!!


松山城リフトで両側の木々に若葉が吹き新緑が鮮やかになってきました。


リフトと並行して運行しているロープウエー、3月23日から再運行し新しくなったゴンドラでこの日は満員の運行。


ロープウエー山頂駅舎前で逢った新婚さん。お幸せに。


結婚記念に松山城を選ばれ松山に来られ加古川市のお二人を案内した絶景の場所で、板東三津五郎さんが松山城で一番のお気に入りの場所であります。


松木の向こう側で若者達が車座になってお花見をしていた。


唯のお花見集団かなと思いきや!!


全員起立して合唱を始めた・・素晴らしいハーモニー、それを聞いていた白人米国女性は、日本語で、素晴らしいといって歌い終わるまで聞き惚れて終わると拍手を送った。


歌い終わり何処の集団か伺うと、愛媛大学合唱団との事、それで歌が巧いのだと分かった。終了するとシートを畳み綺麗に清掃しゴミ一つなしにして立ち去った。素晴らしい。
大学を卒業し、社会人に旅たち、世のため、人のため、そして故郷のために尽くせる人に成ってくださいと・・心に呟いた。


愛媛大学合唱団はいろんな行事やまた練習時も必ず最後は「一日の終わりに」を合唱して終わりにするそうです。
一日の終わりにの歌詞:フランス民謡
星影さやかに 静かに更けぬ 名残りは尽きねど 団居は果てぬ
集いの喜び 歌うは嬉し  今日の一日の幸 静かに思う
皆さんも一度歌ってみて下さい。メロディーも詩も素晴らしい曲です。
               


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ボーイング787型機・松山空港駐機改修始まる

2013年04月23日 | 伊予松山歴史散策
全日空は次世代中型機としてボーイング787型機(愛称・ドリームライナー)を世界で始めて日本で就航した。
現在、全日空は17機保有しておりその内、成田、羽田、岡山、高松、松山各空港に5機駐機し修復を待っている。
今年、1月26日山口空港発東京羽田行きの787型機が発煙トラブルで高松空港に緊急着陸、その後787型機は運行停止となり、松山空港でも一機現在駐機している。

ボーイング社はバッテリーの交換、配電盤等々の修復等を施し試験飛行を重ねた結果、4月21日改修指示書が届き、22日から松山空港に駐機中の787型機もボーイング社と全日空15名の整備士が新しいバッテリーの交換やエンジンの点検をした。
改修作業は5月から6月はじめ頃まで掛かり商業運航は6月中旬以降になると報道があった。松山の787型機は改修が終わると試験飛行を兼ねて東京羽田に回送してから再度試験運航を行いその後の結果を見て商業運航再開となると地元紙は報道した。

画像は、本日(23日)撮ったANAボーイング787型機ドリームライナー


今年、1月16日から松山空港に駐機しているANAボーイング787型、JA811A機。
787型機には、愛媛県伊予郡松前町(松山市の南隣町)にある東レ愛媛工場で生産されている炭素繊維(複合素材)を機体に使い軽量化した結果、燃費がよく、揺れが少なく、騒音も軽減され機内も、照明はLEDにし窓も従来機の1,3倍にした。


私、平成24年3月24日と同年10月28日に松山から羽田間に搭乗したが、この時は何のトラブルも無く快適な飛行であった。

ANAボーイング787型、JA811A機の後ろ姿。


ボーイング社と全日空15名の整備士が新しいバッテリーの交換やエンジンの点検をしていた。


ボーイング社整備士が機内に乗り込む。


ボーイング787型機の荷物格納庫、その上が乗客室。


車輪と格納庫。


車輪格納庫内部、600mmレンズで撮影。


後方から見たエンジン「ロールスロイス社製」。


ボーイング787型で機体横に、JA811A DREAMLINER BOENING 787-8と記載してある。


ボーイング787型の後ろ姿。


平成24年3月24日松山空港から羽田まで搭乗した787型機内部で、照明は全てLEDでカラフルであった。


平成24年3月24日松山空港から搭乗した787型機内部で、乗客最後まで機内に残り室内を撮らせて頂いた。親切なCAさんが、記念の写真シャッターを押して頂き、787型機からトイレにも窓が設置されましたと案内してくれました。

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松山市・北条の鹿島散策

2013年04月19日 | 伊予松山歴史散策
松山市下難波(旧北条市)にある、腰折山(標高214m)に自生する「国指定天然記念物・エヒメアヤメ、自生南限地帯・」の観察と、明治31年4月17日に、松山市の梅村甚太郎が発見し、理学博士、牧野富太郎が命名した「イヨスミレ」の観察を終え、瀬戸内海国立公園内にある「鹿島」の散策をした。

鹿島は、周囲1,5km、標高114mの小さな島で、昭和31年国立公園となり「伊予の江ノ島」とも呼ばれている。
中世時代は、島全体が伊予国守護河野氏の家臣として活躍した来島村上水軍の海域で鹿島城があった。頂上には、城跡の形跡が残っている。また神宮皇后の伝説の場所がある。それは、西征の途中軍船を風早郷の鹿島に止め、軍備・旅装を整えられると巌に立って弓に矢をつがえ沖に放たれて戦勝を祈願し、勇躍大津地の湊を出発されたと伝えられている。

また、島には鹿島神社がありこの神のお仕えの鹿と言い伝えがある鹿60頭が生息している。
島には沢山の記念の石碑が建立されていて、句碑が一番多い。
島の南西方向沖合い100m位に位置する所に3個の岩がありこの岩に大注連縄を張られ伊予の二見と呼ばれている名勝巌もある。
午後1時30分鹿島散策を終え、東雲大学「学び舎えひめ悠々大学・社会人講座・自然観察第1回目の学習は終了し大学に帰った。次回は5月21日1,000m級の四国山地「皿ヶ峰」の自然観察である。


学習地である「腰折山」から見た「鹿島」で、下山して渡船で島に行き昼食を取ってから、鹿島散策をした。
18年振りの鹿島は随分と綺麗に清掃、整備されていた。腰折山の隣に恵良山標高302mがる。太古の時代恵良山が激怒して、腰折山を蹴飛ばし、山頂が飛び海に落ち島になった。その島が鹿島と言われる伝説がある。


移動は、松山東雲大学のマイクロバスで移動し渡船で鹿島に渡る。
時間は5分、往復100円であった。


周囲1,5km、標高114mの小さな島で、昭和31年国立公園となり「伊予の江ノ島」とも呼ばれている。


鹿島の船着場には画像のような、伊予の方言「ようおいでたなもし」と書かれたお出迎えの掲示板があった。


鹿島の案内図。


お立ち台の巌(山頂にある)
神宮皇后の伝説の場所で、それは、西征の途中軍船を風早郷の鹿島に止め、軍備・旅装を整えられると巌に立って弓に矢をつがえ沖に放たれて戦勝を祈願し、勇躍大津地の湊を出発されたと伝えられている岩場。


伊予の二見と言われる、夫婦岩で、玉理(ぎょくり)島、寒戸(かんど)島で春の北条鹿島祭りのときに大注連縄(おおしめなわ)が張り替えられる。
張替えの前なのか大注連縄ははずされていた。


大注連縄は画像のように張られる。


日清、日露戦役に北条地区から出征した人達の記念碑が建立してあった。
揮毫は、陸軍大将乃木希典、裏面には、大正6年5月建之 北条町兵事支會と刻印されていた。


伊予国守護河野氏の家臣として活躍した来島村上水軍の来島通総時代の城跡図で、来島通総は豊臣秀吉の文禄、慶長の役には、加藤嘉明の配下として船団を率い兵を朝鮮に送り込んだ一人である。


鹿島神社の神の使者であったと言い伝えのあえる鹿で、県指定・天然記念物「鹿島のシカ」、この島は安山岩で構成されていて植物はあまり育たなく、島の面積も小さく鹿の食料となる植物が育たない。60頭の鹿が生きていくには大変である。


この花は、浦島草で、本種は日本の本州、四国を中心に、北海道と九州の一部に分布する宿根性の多年草、沢山自生しているが、毒性の植物で鹿は食べられない。


鹿島には楠木が沢山あるが、表皮は画像のように無くなっている。これは鹿が食べた後だそうです。鹿が食べられる高さの位置。下には植物があるが毒性のもので鹿は食べられない。餌を与えてやればいいのに餌を与えてないとの事。・・何故か??食料難で時々鹿が餓死するそうだ。・・可哀想に、地上には植物は生えていない・・それは鹿が食べつくすから。シダ類は生息しているが鹿は食べないそうだ。

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