EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

ああ上野駅

2011年06月17日 | ああ上野駅
ああ上野駅

6月11日午後千葉県鎌ヶ谷市の道野辺八幡神社を訪問し上野に戻った。
上野駅は超久しぶりである。所用で秋田市に行く時、東北新幹線乗車の為上野駅に来たとき依頼、当時の東北新幹線は上野発であった。エスカレーターで地下深く降りた覚えがある。30年も前の事である。
鎌ヶ谷市から上野駅に戻り構内を散策、構内で寝起きをしている風な吾人が数人居た。

上野駅といえば・・これだ
一、どこかに故郷の 香りを乗せて 入る列車の なつかしさ
上野は おいらの 心の駅だ くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
二、就職列車に 揺られて着いた 遠いあの夜を 思い出す
上野は おいらの 心の駅だ 配達帰りの 自転車を
止めて聞いてる 国なまり
三、ホームの時計を 見つめていたら 母の笑顔に なってきた
上野は おいらの 心の駅だ お店の仕事は 辛いけど
胸にゃでっかい 夢がある

当時ほぼ無名の若手歌手だった井沢八郎が歌った。本人も歌手を志して青森県から単身上京した井沢自身の人生も重なり空前の大ヒット。
昭和55年カラオケ専用装置が置かれ歌集のトップに掲載されたのが「ああ上野駅」であった。最近は「ああ・・」の付く曲が多くなりああ上野駅は後に掲載されている。
昭和35年代(1960年代)に集団就職列車に乗って上京した若者の応援歌「ああ上野駅」の歌碑が平成15年7月6日建てられた。場所はもちろんJR上野駅前、多くの県人が歌碑の前で目頭を熱くするという。

私が写真を撮っている時も年配の人が感慨深そう、懐かしそうに銅像を眺めていた。
昭和29年4月5日、中学を卒業したばかりの少年少女622人を乗せた、8両編成の就職専用列車が青森駅から上野駅に向けて出発した。集団就職列車の第一号であった。

戦後日本の繁栄を支えた人達だご苦労様でした!!

3,11・未曾有の東日本大地震、そして長野県北部、必ず早期復興、皆で頑張ろう日本!!


30年以上振りに見た上野駅正面玄関。


上野駅構内・・鉄骨剥き出しの・・


上野駅正面からは東京スカイツリーが見える・・流石634m。


私が泊まったホテル、駅から徒歩3分最高に利便性がよいが深夜車の騒音、サイレンに悩まされ熟睡出来なかった。・・これが気にならず眠れる人は最高の立地条件・・ホテルも真新しく綺麗・・隣が東京メトロ本社ビル。


上野駅広小路口にある「ああ上野駅」の歌碑。


下に「ああ上野駅」の歌詞が置かれている。


上野駅広小路口にある「ああ上野駅」の歌詞。
上野駅は、東京駅や新宿駅と違った故郷を感じさせ哀愁を漂わせる駅・・そのように感じた。
カラオケでよく歌ったな・・・・・


歌碑の一番下に設置されている「ああ上野駅」の歌詞の由来。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする