EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊予松山城本丸・太鼓門前のソメイヨシノ桜伐採される

2019年06月27日 | 伊予松山歴史散策

伐採された伊予松山城本丸・太鼓門前のソメイヨシノ桜(平成31年3月24日撮影)

 伐採に先立ち、5月19日~5月26日迄メッセージボードを設置し、5月27日、お別れの儀式が行われた。
寄せられたメッセージは松山城ロープウェイ山麓駅舎に展示披露している。
そして、
6月11日深夜、伊予松山城本丸にある太鼓門前のソメイヨシノ桜が伐採撤去された。
撤去されたソメイヨシノ桜は、松山大空襲、昭和20年7月26日午後11時08分に始まり翌27日午前1時13分頃まで約2時間余りB29、120機の爆撃で投下された焼夷弾896トン(米軍資料による)で一夜にして松山の街は焼け野原と化した。

松山城は攻撃から外されていたそうだが誤って焼夷弾が投下された。
その一つの焼夷弾が、国宝(昭和25年5月30日、重要文化財保護法が制定されそれまでの国宝は全て重要文化財に指定替えされ、改めて国宝が指定された。松山城太鼓門は昭和25年以降重要文化財に指定替えされた)太鼓門に投下され焼失したが、昭和47年創建当時の設計図に基づき復元された。
今回伐採されるソメイヨシノ桜は樹齢約70年とされていると言う事は太鼓門の復元前に植栽されたことになる。

6月11日伐採されたソメイヨシノ桜と後方は太鼓門。

太鼓門は昭和47年に復元され、太鼓門と続塀でつながっている巽櫓(昭和61年復元)された。
松山城本丸には沢山の桜があるが、筒井門・太鼓門・紫竹門各門の前にあるソメイヨシノ桜が松山城本丸3大桜であった。

 

伐採された太鼓門前のソメイヨシノ桜の切り株。
長い間ご苦労様でした。切り株だけが取り残され、ぽっかりと穴が空いた一抹の寂しさがある。

切り株の処理を大切にして欲しい。このままで放置するのは可哀そうだ。

よく見ると腐食が進んでいる個所は一部で未だ大丈夫であったのではないか?

伐採される前の状態。

伐採される前の状態。

伐採された切り株、よく見ると毛細根が沢山出来て樹を支えようと努力していた様子が伺える。

可哀そうな事をしたものだ。管理者の管理不行き届きだ。

太鼓門内側から見た伐採されたソメイヨシノ桜の切り株。

太鼓門内側から見た伐採される前のソメイヨシノ桜。

松山城本丸の一翼を担ってきた太鼓門前のソメイヨシノ桜、平成時代最後の輝きの花を最大に咲かせ、令和の新時代を迎え最期となった。

平成最後の花を咲かせ、観光客を迎える太鼓門前のソメイヨシノ桜。

松山城本丸に行かれる観光者は必ずこの桜の下を潜り行く。

平成最後の花を咲かせ、観光客を迎える太鼓門前のソメイヨシノ桜。

平成最後となる開花前の太鼓門前のソメイヨシノ桜、令和元年を迎え最期を迎えた。

5月19日~5月26日まで太鼓門前のソメイヨシノ桜横に設置されていたメッセージ版。

現在は、松山城ロープウェイ山麓駅舎内に展示してある。

メッセージボードに張り付けられた「太鼓門前のソメイヨシノ桜」のお別れの言葉集。

メッセージボード下部に在りし日の桜の写真が提示されている。

長い間ご苦労様でした。切り株だけが取り残され、ぽっかりと穴が空いた一抹の寂しさがある。

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愛媛県伊予郡松前町中川原・ジャカランダの花今年は満開

2019年06月21日 | 伊予松山歴史散策

伊予郡松前町中川原にあるジャカランダの花鑑賞に行って来ました。
3年続けて鑑賞に行っていますが、過去2年は花の付きが少なく期待外れでしたが、先日6月17日、お店のオーナーさんに電話で現状をお聞きすると過去にない沢山の花が咲いていますと言われカメラ持参で鑑賞に行って来ました。

現存する愛媛県下一番大きなジャカランダだと思います。

 

所在地は、県道16号線を松山から行くと、椿神社の裏参道入口に信号があります。
南進すると重信川に掛かる中川原橋があり、橋を渡ると松前町です。
橋のたもとにも信号がありますが、直進すると直ぐ右側に大きな看板があります。
看板は「沙羅庵・花楽庵・夢楽庵」と書かれています。
そしてジャカランダは2本あります。

鑑賞するには、店主さんの了解を得ましょう。
晴天時に、青空を背景にして見るのが最高で、写真を撮るにもこれが条件です。

撮影していますと松山空港に着陸する飛行機が飛んできて思わずシャッターを押しました。

お店のオーナーさんにジャカランダの事をお聞きしますと、樹は植栽して12年経ちますが今年は最高の開花ですと言われました。

ジャカランダの美しい花は「紫の桜」とも呼ばれ、アフリカンチューリップ(火焔木)、ポインシアナ(鳳凰木)とともに世界三大花木とされています。
南アフリカの首都プレトリアやオーストラリアでは、満開になると町が紫色に染まるそうです。
ジャカランダの花言葉は、名誉・栄光で、日本では、日南市、熱海市がジャラカンダの名所として有名だそうです。

ラッパ状に咲く花が、ファンファーレを吹くトランペットを連想させることから、「名誉」「栄光」という花言葉がつけられたそうです。

東側から見たジャカランダです。
愛媛県に現存するジャカランダでは一番大きな樹ではないでしょうか。
松前町西古泉の重松農園さんに大きな樹姿のいいジャカランダがあり開花時期になると、中四国各地から鑑賞に来ていたそうですが、植栽地が愛媛国体開催の為、道路が建設され伐採をしなければならなくなりました。この事を聞きつけた近くにあるエンゼル幼稚園さんが受け入れされる事になり移植されました。

松山地方は未だ梅雨入りしておりません、青空をバックにして鑑賞するのが最高に綺麗です。

日本では、宮崎県日南市南郷町が日本で唯一のジャカランダ群生林があり、見頃を迎える5月には、毎年「ジャカランダまつり」が開催され、約1,000本の木に花咲く姿を楽しむことが出来、祭りの会期中は、様々な催し物も行われているそうです。

今年は最高にいい開花をしたそうで、元号も令和に代わりそのお祝いにと最高の花を咲かせたのではないでしょうか。

南側から見た樹姿。

店主さん曰く、葉っぱが出て開花すると暫く花を楽しむ事が出来ますが、花が散り落葉が始まると毎日の掃除が大変だそうです。特に、屋根に落下した花や落葉した葉っぱが雨樋に入り樋が詰まりますのでそれを取り除く作業が大変だそうです。

松山から行くと、重信川の中川原橋を渡り直ぐ左側に画像の看板が見えます。

ジャカランダはこのお店の庭にあります。

伊予郡松前町中川原木下490番地3

オーナーさんにお誘を頂き、店内の応接室を案内して頂きました。
お部屋には色んな美術品が展示してありました。

 

応接室に掲示してありますオーナーさんお気に入りの扁額で、松山で活躍しておられる芸術家の揮毫です。

 

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私の散歩道・春夏秋冬・令和元年も紫陽花の季節が来ました

2019年06月17日 | 伊予松山歴史散策

令和元年6月、紫陽花の季節がやって来ました。

紫陽花にも開花宣言がある事は一昨年知り、観測用の標本木は、松山地方気象台敷地内にある事が判明しました。
梅と染井吉野桜の観測用の標本木がある場所は知っていますが、紫陽花は何処にあるのか知らなかったです。
さて、令和元年、松山地方の梅雨入りは未だで、今年は降雨が少ないので市民の飲料水、地下水位がさがり企業局では減圧し家庭に給水しているそうです。

昨日、私の散歩道に紫陽花があり写真を撮って来ました。
私が歩く川付川の北岸堤防に沿って道があり、その堤防に沢山の紫陽花を植栽されましたが、手入れが悪く殆どが枯れてしまい、現在は、元気な紫陽花数本しか残っていません。
今年地区の団体が画像の様な標識を付けて植栽しました。
今回、新たに天山神社の参道石段のそばに植栽してある紫陽花紹介します。

私の散歩道は、川付川の北側堤防にある道ですが、そこには画像の標識が掲示してあります。

川付川とは、一級河川重信川の支流で、石手川がありその支流に小野川があります。
伊丹十三記念館前で、小野川と合流する河川です。

松山地方は未だ梅雨入りしておりませんが、一昨日(6月15日)は梅雨入りしたかの様な降雨で、松山地方は大雨注意警報が発令されましたが、午後5時過ぎ解除されました。気温が低く寒気を感じる一日でした。

紫陽花に雨が良く似合いますが、昨日は降雨が激しく写真は撮れなかったです。

私の散歩道です。左手の木々はソメイヨシノ桜で開花すると素晴らしい風情の散歩道になります。
この道は、殆ど車は通らないので安心して歩けます。
左に天山があります。

元気な紫陽花が数本残り元気に花を咲かせています。

秋には紅葉して綺麗な散歩道と変身します。

川面では鳥が飛来し、水浴びをします。

30年前篤志家が小野川に私費で鯉を放流しました。水の浄化の為にそれが繁殖して川付川にも広がりおかげで水質浄化に鯉たちは働いています。・・ボウフラが湧きません。

川付川は、伊丹十三記念館前で小野川と合流し石手川に合流して、1級河川重信川に流れ瀬戸内海に流れ込みます。

伊丹十三記念館前の川付川北側堤防に画像の掲示板が掲示してあります。

平成30年7月に発生した「平成の大水害・西日本豪雨」で崖崩れのおそれありとして松山市石井地区に避難勧告が発せられた。

その場所は、松山市天山町にある天山神社参道石段両サイドでした。
昨年、12月から崖崩れ防災対策工事が行われ2月22日工事は完了しました。

工事前には沢山の紫陽花がありましたが工事の為多くの紫陽花が無くなりました。

この山は、天から降り下りて来る時、途中で二つに分かれ、一つが奈良県橿原市の天香具山、もう一つが松山市天山町のこの天山で由緒あるやまです。

社号碑「天山神社」の揮毫は、明治の書家「三輪田米山」の筆です。

昨年12月から、崖崩れ防災対策工事が行われ今年2月22日工事は完了しました。

その翌日から毎日足腰を鍛えるために天山神社の115段の石段を登っています。雨天以外の日に。
115段の石段は、勾配もかなりあり結構きつく体力維持に役立ちます。

天山神社参道石段両サイドの紫陽花は、参道入り口にお住いの安永さんが植栽され、珍しい紫陽花があります。

先日、天山神社に参拝に徳島市から来ましたと言う30代前半の若い男性に遭遇、天山は、奈良県の天香久山と姉妹の山で由緒ある山であるとの事で来ましたと言われた。私の知る範囲で天山の概要を説明し、近くに鎌倉時代に起きた宮方と幕府側との戦いがあった古戦場跡がある事もご案内すると是非行ってみたいとの由、同行しご案内しました。

山頂にある天山神社は、松山市南久米町にある明治の書家、三輪田米山の生誕地である日尾八幡神社の末社です。

天山神社参道石段両サイドの珍しい紫陽花。

天山神社参道石段両サイドの珍しい紫陽花。

標高52mの天山山頂には、天山神社が鎮座され拝殿周囲は、篤志家の方が毎日清掃をされ綺麗に保たれています。

境内には、天野香具山のある、奈良県橿原市南浦町と、伊予の天山のある松山市天山町の皆さんが、天からの山をご縁で町民交流が始まり記念に「交流20周年記念」が建立されている。

天野香具山のある、奈良県橿原市南浦町と、伊予の天山のある松山市天山町の皆さんが、天からの山をご縁で町民交流が始まりました。その新聞記事です。(読売新聞奈良版)

天山山頂から見た松山城天守で、天山から見る松山市が一番綺麗に見えます。

松山城築城地は3候補地が挙げられ、加藤嘉明は徳川家康に3候補地を提示し築城地の許可を申請した。
その結果第2候補地の勝山に築城許可が下り現在の松山城を築城したと言う逸話がある。

築城第1候補地が天山であった。

天山神社の麓にお住いの、元松山俳句協会の会長をされていた相原さん宅の庭に珍しい紫陽花があり撮影させて頂きました。

 

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秋山好古揮毫石碑を訪ねて 17、愛媛県今治市大西町の石碑「衆心和暢化乃成」

2019年06月10日 | 伊予松山歴史散策

此れから尋ねる秋山好古揮毫の石碑は、NHK松山放送局が平成23年12月16日放映した石碑の一つです。

放映タイトルは「碑文に残された好古の思い」である。

 1.碑    文  :衆心和暢化乃成

2.所 在 地  :今治市大西町山之内小山 「山之内薬師堂境内」

3.建立年月日:昭和3年1月

4.揮 毫 者:秋山好古

5.建  立  者:建設連名:代表 近藤 大作

6.碑石大きさ:高さ・ 3m30㎝ 横幅・ 1m60㎝ 厚み・ 13cm

 秋山兄弟生誕地研究員館外研修の一つとして、今治市大西町山之内小山、薬師堂境内に建立してある秋山好古揮毫石碑「衆心和暢化乃成」の石碑を見聞した。

好古揮毫の石碑は現在全国に52基発見されているが(石碑所在地は下記一覧を参照下さい。)漢詩で表現している石碑はこの碑だけである。

「衆心和暢化乃成」の意味は、みんなの心が、穏やかで、伸びやかであれば、教育は間違いなく、実ってゆく。・・でこれは、秋山好古の創作で出典なしである。

 建立年は、昭和3年1月、建設者連盟者38名・建立世話人8名と建立代表者近藤大作の名前が刻印されているが、風化が激しいく判読しぬくい状態である。

 代表者、近藤大作氏は、明治11年越智郡朝倉の古谷の長井家の次男として誕生。その後、愛媛県師範学校を卒業し小学校教員となる。
明治41年この地(愛媛県越智郡小西村・現 今治市大西町)近藤家の養子となり、弓削小学校校長、大正3年新居郡視学(現在の新居浜市・西条市)・愛媛県視学を歴任。大正10年今治第二尋常高等小学校(現 美須賀小学校)校長に就任している。
「参考事項:視学とは、旧制の学校教育で、学事、教職員の監視・監督に当たった地方官。郡視学・府県視学があった。」

大正13年体調を崩し療養の為退職。(この年は、秋山好古北予中学校長就任・元内閣総理大臣清浦奎吾が来松出会いの年である。)
村民に慕われ、昭和2年小西村村長に就任、昭和21年まで5期連続村長を務めた。近藤村長は立派な村づくりには教育が必置、老若男女問わず村あげて、学校教育・社会教育・家庭教育を実施村づくりの基礎を築いた。

近藤村長は村づくりのシンボルとなる石碑を、村人の心の故郷である薬師堂に建立する事にした。石碑の揮毫は近藤村長が最も尊敬する、北豫中学(現、愛媛県立松山北高等学校)秋山好古校長にお願いした。好古はこの趣旨に答え「衆心和暢化乃成」を揮毫し、近藤村長のお手伝いをしたのである。

 石碑建立は、昭和3年(昭和天皇即・御位大典)近藤大作が村長に就任して間もない頃、陸軍大将従二位の偉人教育者、そして北予中学校長として名声のある、近藤大作村長が最も尊敬していた好古にこの石碑建立にあたって名言を依頼した。

好古も石碑建立の経緯を確かめ、その事に感銘をうけ好古オリジナルの漢詩で答えたのであろうと推察する。大西町を背負って立つ教育をしていくには・・との思いを篭めて揮毫した。

近藤村長の思いは、小西村を住みよい村として構築せなばならない、それには村長が先頭に立って村民団結し村づくりを行う、それには基礎となる教育が必要。現在の、学校教育、家庭教育、社会教育の充実で、そして昭和3年は即位の礼(御大典紀念)昭和天皇の誕生で元号も昭和となる。その記念に村の座右の銘となる言葉を秋山好古北豫中学校長に依頼し好古は、近藤村長の意を汲み漢詩で「衆心和暢化乃成」を作り以って之に答えた。大作村長は、建立地は何時も村民の目に触れる所、薬師堂入口に建て村民教育を推進し現在の大西町があり有能な人々が育った。

再度、衆心和暢化乃成の意味を表すと

衆(しゅう)心(しん)⇒みんなの心が ・多くの人の考えが 

和暢(わちょう)⇒やわらぎで、のどかであれば・(のびやかであれば) 

化(か)⇒教育は・(教えを導く事)

乃(だい)⇒まさに(間違い無く) 

成(せい)⇒実ってゆく    

地域を豊にするには、心から豊にしていかねばいけない、意識改革を起こしていくと新しい社会が生まれていく、奉仕・減私の精神。

秋山好古は、日頃から

日本人は少し地位を得て退職すると、恩給で食うことを考える。それはいかん。できることは何でもして働き奉公せんといかん」その気になって仕事を探せば必ず見つかる・・とは好古の言葉だ。簡単・明瞭・

質素にして清く正しく心豊かであれ。・・秋山好古の信条である。

新潟市江南区沢海にある北方文化博物館、故・第8代目館長・伊藤文吉氏は、好古の事を「江戸時代の武士の教養を身に付けた、現代日本では見られない風格を感じる人である。」・・と言われた。

今治市大西町山内の薬師堂にある秋山好古揮毫石碑「衆心和暢化乃成」

石碑の大きさ:高さ3m30cm 横幅1m60cm 厚み13cm

大西村長は、村の象徴とする石碑は村人から何時も目に付く薬師堂の前に建立し村民全体の教育を推進した。

此れからの画像4枚は、平成23年12月16日NHK松山放送局が放映した画像の一部です。

タイトルは「碑文に残された好古の思い」でこの時点で好古揮毫石碑は48基発見されていた時点での放映でした。

松山市歩行町二丁目3番地6にある秋山兄弟生誕地に展示されていた48基の石碑写真展示です。

NHK松山放送局が、平成23年12月16日放映の為ロケを行いました。ロケ地は松山市神田町の厳島神社にある、好古揮毫の石碑「表忠碑」と今治市大西町の「衆心和暢化乃成」でロケは午後2時から5時までかかり天候は生憎雨天でした。

NHK松山放送局が、平成23年12月16日放映の為ロケを行いました。

雨天の中NHK松山放送局のカメラマンは雨具着用で、松山市神田町の厳島神社にある好古揮毫の石碑「表忠碑」の撮影をした。

平成23年12月16日放映された「碑文に残された好古の思い」のタイトルエンドの画像。

石碑はこんなに薄い石材であるが、石碑の存在は大きかった。

建設に携わった人38名と、建立の世話人8名、代表者近藤大作の名前が刻印されているが、風化が激しく判読困難な状態であった。

村の象徴とする石碑は村人から何時も目に付く薬師堂の前に建立した。
山内薬師堂のご本尊は薬師如来で薬師堂は、薬師如来を本尊とする仏堂の呼称で、薬師如来が病気平癒の仏とされることから、製薬や医療の分野でも「薬師堂」の名前が使われることがある。また、薬師堂があった場所の地名となっているところもある。

小西村の村民の健康維持と村の平和、五穀豊穣を祈念して自分はもちろん、家人などが長く治らない病気になったときにこのお堂に泊り込み、病気が治るよう薬師様にお祈りをしたのだと言い伝えがある。

建立年月日、昭和3年1月と刻印されている。
石碑は、昭和・平成の約90年を見て来たが令和時代になりどの様な町に変貌するのだろうか。

薬師堂の前から見た石碑。

私が取材したのは平成19年であったが当時は説明板が無く「衆心和暢化乃成」の意味が分からないので今治市史談会のある方に説明板を設置してくださいとお願いしました。

その後行ってみると画像の説明板が取り付けてあった。

その後、NHKスペシャルドラマ坂の上の雲が放映されると画像の様な詳細な説明版に変更されていた。

秋山兄弟生誕地で奉仕活動している研究員で、秋山好古が揮毫した石碑に託された事柄を思いながらら石碑巡りをしている。

令和元年5月1日現在、全国に建立されている秋山好古揮毫の石碑所在一覧。

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第17回・ユーモア路上観察展(写真展)

2019年06月01日 | 伊予松山歴史散策

第17回・ユーモア路上観察展の案内状

今年も案内状が届きました。

第17回・ユーモア路上観察展が、5月25日(土)~6月9日(日)まで、松山市小坂二丁目の乗松巌記念館エスパス21で開かれ、今年もご案内状を頂、鑑賞に行って来ました。

乗松巌記念館エスパス21の館長・乗松毅さんが主宰する 、えひめ路上観察友の会会員、乗松毅さん・芳野友紀さん・越智公行さんの3人が、行っている3人展は、平成14年から毎年開催して今回が17回目、元号も改正され令和の時代となり、いい区切りなので最後の展示会とされるようです。

会員の芳野友紀さんは、松山観光コンベンション協会所属の観光ガイドメンバーで、毎年開催案内状を頂きユーモア写真展の鑑賞に行っており今年も行って来ました。
今年の案内状の切手は「消防100年記念切手」と「国際文通週間1979」記念切手が使われ、消印は令和元年5月1日「1・5.1」が消印されていました。
案内状も手の込んだ配慮がされていました。

 

今回の案内状は、えひめ路上観察友の会3人の心憎い配慮がされている。

先ず案内状発送の消印である。

案内状を発送する日付を「令和元年5月1日」にとの思いで松山中央郵便局に行き画像の消印を局員にお願いして手押しで押してもらった。

令和元年5月1日は10連休の中で、この日松山中央郵便局は、一部窓口を開けて特別に局員を配置し開局、時間を区切って局員が消印を押したそうです。

そして毎年鑑賞に来て頂く方には特別案内状として、使用する切手も記念切手を使ったそうです。
色んな配慮をされた案内状が届き大切に保存しておきます。

第17回・ユーモア路上観察展の案内状の裏面には、3名の写真が付けられていました。

第17回・路上ユーモア写真展開催場所の正面全景。

[開催場所]乗松巖記念館エスパス21
[開催住所]松山市小坂二丁目4番37号
[駐車場]駐車場有り
[料金]無料

第17回・路上ユーモア写真展開催場所の側面全景。

乗松巖記念館エスパス21。

第17回・路上ユーモア写真展開催場所の玄関。

第17回・路上ユーモア写真展開催場所の玄関横には案内ポスターが掲示してあった。

第17回・路上ユーモア写真展開催場所玄関に掲示してある表示板。

乗松巖記念館エスパス21の受付。

それでは、第17回・路上ユーモア写真展を鑑賞してみよう。

3人の作品各25点、全75点が路上ユーモア写真として展示してあった。

出迎えて頂いた、左が乗松 毅館長(乗松巖記念館エスパス21)さん、右が芳野 友紀さん。

それでは、乗松 毅館長の作品を鑑賞いたしましょう。

作品は、一人25点を厳選し持ちよりタイトルを決めてプリントをして額に収め展示してある。

今回の展示で私の強い印象が残ったのがこの写真です。

タイトルは、「混信するアンテナ」です。

このアンテナは、アマチュア無線局のアンテナで、超マニアのアマチュア無線局長です。

7MHzから1200MHzまでのアンテナが取り付けてある。無線室も見せてもらいたい。

こんな写真を撮るには外出する時は必ずカメラを持参していないと撮れないと思います。
かと言って、いざ撮るぞと構えるとアートな写真は撮れない。何気なく街中を、また郊外を散歩しているとふと見に付くものだろう。

次は、芳野友紀さんの作品です。

芳野友紀さんの作品タイトルは「作り笑い」。
写真のタイトルを付けるのは大変で、タイトルで作品の内容が変わって来る。

次の芳野友紀さんの作品は「宇宙人」。
ユーモア写真撮影するよりも、題名を付ける事に一苦労するそうです。
路上観察友の会3人の皆さん我々とは違った路上の目の付け所が違います。

最後は、越智公行さんの作品です。

 

越智公行さんの作品は、「20円の支え」。

普段はあまり見に付かない風景だが、ユーモア路上観察ゆえの作品だと思います。

次の越智公行さんの作品は「難 路」です。

こんな現況は殆ど目に付かない個所です。

ユーモア路上観察展会場。

街の中で「おや?」と思った光景を収めた写真を展示する「ユーモア路上観察展」が、愛媛県松山市小坂2丁目4番37号、乗松巌記念館エスパス21で開かれている。乗松巌記念館エスパス21の館長・乗松毅さんが主宰する 、えひめ路上観察友の会会員、越智公行さん・芳野友紀さんの3人が、17年前から毎年開催している。
長年開催して来た展示会も今年が最後にするそうです。

長い間のご活躍ご苦労様でした。

 

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