EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市の6名桜花

2011年04月25日 | 往年の名車 メグロ
松山市には珍しく、由緒ある桜、そしてこれから歴史を重ねて語り継がれていく新しい桜がある。
私の独断と偏見で松山市の6名桜花と命名、松山の桜集大成として各桜花画像2枚限定で拙いブログに掲載し紹介ますので見比べをしてみてください。
順番は、開花の早い順に画像で紹介します。
花見は、人々にいろんな恵みを与えて下さった神様に対してその御礼として喜んで頂くために桜の下で宴を催したのが始まりだといわれている・・とある。
ある大学の教授は言っておられるが、いろんな文献によると、奈良時代の貴族の行事が起源だと記述があり、安土桃山時代に野外に出て花見をしたことが絵画資料から確認されこの時期のもっとも大規模な花見は豊臣秀吉の醍醐寺の花見であったとされている。
ともあれ、世界民族多くある中で、桜をこんなに大切にし、愛する民族は日本人だけだそうで、奈良時代から植栽され、日本各地にはいろんな言い伝え、そしていろんな種類の桜が毎年元気に咲いている。その中には樹齢400年を超え綺麗な花を咲き続ける桜が各地にある。
来年も桜の開花を楽しみに一年間元気で過ごしたい。
東北、北関東、北信越の皆さん来年は桜の花を見る余裕のある早期の復興をお祈りいたします。

人間桜によって賢くなり、美しくなり、そして情緒豊になる。
広島市では66年間桜が市民を励まし、元気、勇気を与えてきた。

では最初に十六日桜から
十六日桜:松山市御幸一丁目267番地 天徳寺


松山市で一番早く開花する「十六日桜」、松山市指定の天然記念物「十六日桜・イザヨイザクラ」で、桜を見たいと願う病父のため孝子「吉平」が桜に祈ったところ旧正月16日に花が咲いた。この奇蹟により老父は長寿を得たという伝説がある。
画像は、天徳寺にある十六日桜 3月上旬開花


天徳寺にある十六日桜


次に
姥桜:松山市南江戸五丁目  国宝大宝寺・・3月中旬開花
松山市指定の天然記念物「姥桜」で松山では2番目に開花する桜、松山市には国宝指定の建造物が3ヶ所ある内の一つ「大宝寺・本堂」前にある。
昔、角木長者(すみきちょうじゃ)が子供に恵まれず、松山の西山のふもと、大宝寺のお薬師様に願かけをした。願い叶って女の子が生まれ「露」と名づけた。大切に育ててきた乳母のお乳が急に出なくなり、お薬師様にお願いをすると治り、その御礼に長者はお堂を建てた。
それが大宝寺の本堂だと言われている。


娘「お露」は、美しい娘に成長したが15歳の時病に倒れ、乳母は自分の命と引き替えに娘の命をお助け下さいとお祈りした。娘お露は元気になりその祝いの席で乳母は倒れ床についた。乳母はお薬師様との約束ですと言って、薬も口にせず、「お薬師様にお礼として桜の木を植えて下さい」と言い残して死んでしまった。長者は、乳母の言葉通り、桜を本堂の前に植えた。
この姥桜は松山の昔話にあるように母乳色で、何色も混じっていない乳白色、
明治時代「小泉八雲」の手で英語訳され、英国・米国で出版された「怪談」にも収められている事でも有名である。


次に、陽光桜:松山市丸之内 松山城本丸・・松山市6名桜花の3番目に開花する桜
世界の平和と親善を祈願して愛媛県東温市の高岡正明さんが開発した陽光桜


世界の平和と親善を祈願して愛媛県東温市の高岡正明さんが開発した陽光桜
開花は、松山市では3月中旬。
陽光は、外国にも贈り咲き誇っている、その国々は、トルコ・イタリア・リトアニア・チュニジア・メキシコ・スリランカ・カンボジア・ベトナム・タイ・中国・台湾・韓国・等々で「平和の使者」として広くその使命を果たしている。
画像手前は染井吉野桜で、奥のピンク色の桜が、陽光桜である。


次に

秋山兄弟桜(通称):松山市歩行町二丁目3番地6
この地は、昭和20年7月26日松山大空襲で全てのものは焼き尽くされ、この桜は戦後植栽された。
品種は染井吉野桜で、通称「秋山兄弟桜」と関係者は呼んでいる。・・開花は3月下旬


秋山家は代々、伊予松山藩士、徒歩目付けの家系で、直ぐ近くに家老屋敷があり、いざ鎌倉時には家老屋敷に駆けつけなければならなかったのでこの地にあった。
その屋敷跡に秋山好古騎馬像と秋山眞之の胸像が平成17年1月18日生家と共に復元された。
二人の間に染井吉野桜が毎年元気に咲き誇っている。


次に
西法寺桜:松山市下伊台969番地 西法寺
染井吉野桜と同時期に開花し日本に一つしかない珍しい桜である。
西法寺の薄墨桜を保存している石囲いの中に出来た薄墨桜と染井吉野桜が自然交配で生まれた。
薄墨住職は、西法寺桜と命名した。・・3月下旬開花


西法寺桜


最後に
薄墨桜:松山市下伊台969番地  西法寺
松山市指定の天然記念物「薄墨桜」で染井吉野桜の後に開花し、一葉桜、関山桜の前に開花する。
例年の開花時期は4月10頃であるが、今年は3月に厳寒となり開花が7日遅れた。
松山市6名桜花最後に開花する。


松山市指定の天然記念物「薄墨桜」
この後、松山市三番町にある「一葉桜」「関山桜」が開花して松山市の桜は見納めとなる。
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松山城最後の桜

2011年04月21日 | 往年の名車 メグロ
松山城今期最後の桜です。

前回松山市街地最後の桜と紹介しだが、今日は松山城本丸最後の桜を紹介しよう。
今日(4月21日)松山城本丸(標高132m)にある桜を撮って来た。

本丸に植栽している桜は90%が染井吉野桜で既に葉桜状態だが、数本開花している桜がある。
種類は、牡丹桜、塩釜桜、函館匂桜、花染衣桜、が開花しており松山城本丸最後の桜を観賞出来る。
そして、桜ではないが源平桃が満開であった。

源平桃は、花の観賞用に作られた種類で、素晴らしく、紅と白、中間の絞りの、3色が競うように、咲き乱れる。
毎年必ず3色咲くとは限らない不規則さがあり、不確実さが故の楽しみもある。
果実は成るが、果物のモモに比べると果実も小型で、美味しさはない。
源平桃の名前の由来は、源氏の旗の色「白」と平家の旗の色「紅」からとされている。

画像は、4月21日撮った松山城本丸の最後の桜です。



松山城本丸です・・ご覧のように染井吉野は、葉桜状態ですが、本数は少ないですが未だ観賞出来る桜があります


本丸太鼓櫓の下にあります「花染衣桜」で今満開です


本丸太鼓櫓の下にあります「花染衣桜」で今満開です


本丸太鼓櫓の下にあります「函館匂桜」で、だいぶん花は散ってました


本丸太鼓櫓の下にあります「函館匂桜」で、だいぶん花は散ってました
いい匂いがするそうです


太鼓門西塀の内側にある「塩釜桜」で一部花は散り始めてます


太鼓門西塀の内側にある「塩釜桜」で一部花は散り始めてます


天神櫓西折曲塀の下にある「牡丹桜」でいま満開です


天神櫓西折曲塀の下にある「牡丹桜」でいま満開です


巽櫓の前にある「源平桃」でいま満開です・・桜と間違える観光者も居られます


巽櫓の前にある「源平桃」でいま満開です・・桜と間違える観光者も居られます


啄木鳥があけた穴で、まるで機械であけた様である・・木は染井吉野桜
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今期松山市内最後の桜散策

2011年04月16日 | 往年の名車 メグロ
松山市の最後の桜紀行

市街地では珍しい八重桜が満開です。
場所は、松山市三番町、市街地通りで市内で二番目に長い街並み、松山市役所・日本銀行松山支店・中央郵便局・各銀行・旅行代理店・証券会社、等々のオフィス街である。

ここには街路樹プラタナスがあったが、老朽化のため平成16年松山市が老木化したプラタナスに変えて市民の要望により、里桜の一種「一葉・イチヨウ」と「関山・カンザン」を310本植栽したとあるが、実際は私が確認してみた結果は、並木通りの南側歩道に151本 北側に134本 計285本であった。

松山も4月に入り例年の気温となるが一葉桜・関山桜も開花は例年よりも一週間ばかり遅れている。
昨日開花状況を見に行ったが一葉桜がほぼ満開で、関山桜は5分咲きであった。
一葉桜は現在(4月16日)が見ごろ、関山桜は5日後(20日)頃が見ごろで松山の桜もこれが最後である。

この通りは、大型自動車はあまり通行しないし、これからはハイブッリト化されるから排ガスの害も少なくなり長寿になるのでは??10年もすれば素晴らしい桜並木となり、松山市の新たな桜名所になると思う。
来年も桜の開花を楽しみに一年間元気で過ごしたい。

註:植物には知識の疎いものだから資料を紐解いてみた。
「里桜」とは、山桜に対して人が里で交配により改造を行い変異により生まれた園芸品種の総称の事で、大島桜をもとにし改良した大島桜系のものが多い。代表品種が「一葉桜・関山桜」等々で、花と葉が同時期に開き、これが染井吉野桜との大きな違いである・・・・と説明がある。

画像は、4月15日、松山市三番町四丁目にある日本銀行松山支店前の「一葉桜」・「関山桜」を撮った。

註:東北、北関東、北信濃の皆さん来年は桜の花見が出来る早期の復興をお祈りいたします。



里桜の一種「一葉桜」でいま(4月16日)が満開で見頃である。
松山市三番町の街路樹として植栽された「一葉桜」の花は白い色だが、薄緑色、ピンクが薄く掛かったものもある。


「一葉桜」をアップで撮ってみた・・白い花と緑の葉っぱが混じりあい全体で見ると薄緑色の桜に見える


「一葉桜」だがこのように薄緑色の花をつけるものが3本ある。


「一葉桜」だが薄いピンク色もある。


里桜の一種「関山桜」でいま(4月16日)5分咲き、満開までには4、5日位先になりそう??


「関山桜」で色は濃いピンク色、花は、陽光桜と色はよく似ている。


「関山桜」をアップで撮ってみた・・葉っぱの色も一葉桜と違ってピンク系統


「関山桜」をアップで撮ってみた・・成木になり開花すると街全体がピンク色の街になるかも??


松山市内で2番目に長い通り(三番町)で東西に街が抜けている。
南北両側に一葉桜・関山桜が植栽されており、桜はまだ若木なので成木になり開花時期は素晴らしく美しい街並みになると思う・・・白い桜と、ピンクの桜で街がどんなコントラストになるだろう!!


今日(4月23日)三番町通りに行ってみた。
一葉桜は殆ど葉桜で関山桜は満開は過ぎ花を盛んに散らしており歩道が桜吹雪、桜のジュウタンになっていた。
お店の入口の戸が開くと店内まで桜の花びらが入ていた。
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松山市の天然記念物「薄墨桜」

2011年04月13日 | 往年の名車 メグロ
松山市の天然記念物「薄墨桜」

松山市指定の天然記念物「薄墨桜」(学名・イヨウスズミ)
指定は、昭和37年11月5日 昭和44年6月5日名称変更
所在は、松山市下伊台 西法寺

開花は、松山地方では染井吉野桜よりも遅く例年4月10前後であるが、この桜も開花が遅れた。
薄墨桜は、ヤマザクラの変種で花は径3cmくらいで、花弁は20枚ぐらいの八重咲き、色は白色で薄紅をおび、色も形も極めて上品で、例年だと4月10日前後が見頃である。・・今年の満開は4月16日頃満開となるのでは??。

薄墨桜、その由縁は、昔、嵯峨天皇の皇后が病気の折、勅命があり、一山を挙げて祈祷したところ、全快したので勅使がこられ、薄墨の輪旨(りんし)に桜を添えて下賜されたと言う。
それ以来、薄墨桜と称されるようになったと言う伝えがある。
註1:松山市の文化財より

桜は、上記のような言い伝えのある高貴な桜故、西法寺からは一切株分け、挿し木等々での持ち出しはされてなく、松山市で西法寺のみに生息する貴重な桜である。
なお、現在の桜は先代から受け継がれた若木で三代目である。初代から換算すると1300年になるそうだ。
二代目は、平成6年7月26日から松山市の大渇水に陥り断水が始まり道後温泉も8月22日以降営業時間を短縮、断水は11月25日解除された。
この大渇水の時枯れた。

松山の三名桜:山越の十六日桜・西山の姥桜・伊台の薄墨桜

西法寺桜
西法寺桜(サイホウジサクラ)は、西法寺の参道を登りつめたところの左手にある。
若芽は赤茶色で花と共に出る。この点は薄墨桜とよく似ている。花弁が5枚で淡紅色、おしべは35本あり花軸、花梗、がく筒、がく片などは有毛である・この点も染井吉野桜とよく似ている。この西法寺桜は、薄墨桜のある、石囲いの中で薄墨桜と染井吉野桜との自然交配により実生で出来た全くの新品種である。

最近、愛媛大学の先生(教授)によってこの西法寺桜が学会で発表され新品種として登録された。また東京の国立遺伝学研究をされている先生も西法寺へ来られ研究調査され、そして浦和市の桜の研究の先生も続いておとずれ、全国に一本しかない貴重な西法寺桜を研究されている。・・・・と、西法寺・薄墨住職さんの奥さんからお話を伺った。

薄墨の輪旨かしこし桜かな  極堂

註2:西法寺は、平安時代の開基で歴史のある寺で、当時は現地よりも約2km山奥に22坊を有する大寺院であったが、再三の兵火に遭遇し戦国時代の終わり頃、現在地に移しその時薄墨桜も移植したとある。

註3:日本プロ野球史上、伝説のバッターの一人である景浦 將の墓がある。
日本プロ野球史上、伝説のバッターの一人である景浦 將(かげうら まさる、大正4年7月20日―昭和20年5月20日は、愛媛県松山市・松山商業高校出身のプロ野球選手(外野手、内野手、投手)の墓所がある。
生まれは、松山市下伊台でこの寺「西法寺」の檀家である。

本名が「將」だったことから「鬪將(闘将)」の異名をとった。
昭和11年2月28日、立教大学を中退し大阪タイガースと入団契約する。
大きなリンゴを一握りでつぶせる握力を引っ提げて、大阪タイガースの初代4番サードのスラッガーとして打棒を振るい、タイガースの中心打者として沢村栄治(東京巨人軍)と名勝負を繰り広げた。人員不足から投手としてマウンドにも登った。

沢村栄治のライバルで、「東の沢村、西の景浦」、「職業野球は沢村が投げ、景浦が打って始まった」と言われた。沢村を打ち崩す練習に甲子園での投手間隔を2m短くして打撃練習をして沢村の剛速球に対応した話は有名である。
なお、昭和59年「日本プロ野球50年記念切手」が郵政省から発行された際には、景浦の写真を元にしたデザインが採用されている。
昭和20年5月20日、フィリピン・カラングラン島で戦死する。最終階級は陸軍曹長であった。


愛媛県道40号線沿いにある伊予十二薬師第四番札所「西法寺・山門」右に建立されている、花崗岩で造られた立派な石碑がある。


「薄墨桜」まだ17年経過の三代目の若木である。
4月14日撮影であるが、開花は5分咲きであった。


薄墨桜をアップで撮った・・・


薄墨桜をアップで撮ってみた・・・花弁の様子がよく分かると思いまして


薄墨桜をアップで撮ってみた・・珍しい桜故


これが有名になりつつある「西法寺桜」


西法寺桜花を強調して・・撮ってみました


西法寺桜花を強調して・・撮ってみました・・薄墨桜と染井吉野の自然交配
開花と同時に葉も開いているから薄墨桜が強く出ているのでは??と感じた


散りばめていたが未だ花はあった・・全体をみると半分は葉桜となっていた


境内には、一番古い「大島桜」が満開であった
薄墨桜は、5・6分咲きで、西法寺桜、満開は過ぎ葉がかなり出ていた
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松山市の染井吉野桜・満開

2011年04月09日 | 往年の名車 メグロ
松山市の染井吉野桜・満開

松山地方気象台が発表した今年の染井吉野桜開花宣言は、3月14日であった。それから26日目、いま松山の染井吉野は満開である。

今年開花宣言されてから冬に逆戻りし開花が進まず、少しずつ花開き、ここにきて一揆に気温が上昇満開となった。

雨も少なく風もあまり吹かず桜の花は長持ちした。・・桜は日本を代表する花・・咲く時もいいが、散る時も潔い。

画像は、伊予松山城本丸に植栽してある染井吉野桜が満開で、松山城天守と桜を見ながら家族、若者の集団、また俳句を創作する人達で大賑やかであった。
今日の松山は午後から快晴無風の好天気に恵まれ絶好の花見日和であった。

註:先日宮城県知事さんが、記者会見で今年の春の行事が今回の東北・関東大震災で、各地の行事開催を自粛して頂いた事に付いては感謝いたしますが、遠慮しないで予定通り開催して頂き、その勇気と元気を頂きたい。そしてお酒を飲んで頂き・・お酒は東北のお酒を飲んで頂きたいと言われた。
私もこれから義援金はもとより東北の生産物を購入し消費するよう心掛けたい。



標高132mにある伊予松山城本丸広場、今日は午前中曇天であったが午後から快晴無風の絶好の花見天気となり花見で賑やかであった。


伊予松山城本丸の中で一番の防御設備を施した道「隘路」奥に天守を見る事が出来る。・・花見弁当持参で、いざ本丸に・・


小天守下の染井吉野桜、右の瓦は乾櫓東続塀、この染井吉野は散り始めていた。


本丸の本壇、二ノ門奥にある染井吉野桜。


若者集団の花見。


家族連れの花見、早くも飲み過ぎたのか?休憩中・・我は満足である。


花見の席此方の方がいいよ・・と場所決めする家族。


この集団は、どうも今年入学した新入生(部活)の歓迎会を兼ねた花見のようだった。・・皆さん一人一人起立して自己紹介をしていた。


無事花見を終えて筒井門を通り下山する花見客。・・・いい花見が出来ましたか??

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