EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊予路に春を呼ぶ 椿神社祭り開祭

2015年02月27日 | 伊予松山歴史散策
今年もやって来た、伊予路に春を呼ぶと言われている「椿祭り」が2月25日から27日まで、松山市居相町二丁目にある伊予豆比古命神社で始まりました。
最終日の本日27日カメラ持参で参拝に行って来た。「家内安全と今年一年元気に過ごせますように、東北震災早期復興、元気のある日本復活を祈願しました。」
椿祭りは毎年旧暦の1月7日~9日に開催される。初日は曇天、二日目は雨天、最終日は好天に恵まれ大勢の家族ずれが参道を埋め尽くしていました。
本殿参拝は、愛媛県県警の警察官が参拝者の制限、整理をし、事故の無いお参りが出来る様配慮されていました。
境内には新しい児守神社が出来ていました。(平成24年12月23日竣工)拝殿とお札・お守りを初穂料と引換え受け渡しとして臨時の巫女さんが大忙しでありました。
同神社では例年通り参拝者は45万人の人出があると見込んでいるそうで、愛媛県最大の神社大祭であります。
参道は約600mありますが両サイドに露天商が並び境内には縁起物の熊手や「名物の・おたやんあめ」を参拝の帰りに買い求めていました。
参考に、伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)は愛媛県松山市居相町にある神社である。式内社、旧社格は県社。神紋は十六弁八重表菊です。
地元では椿神社、椿さんとも呼ばれている。開運縁起・商売繁昌の御利益がある神社です。


好天に恵まれた最終日多くの参拝者が来ていた。


好天に恵まれた最終日600mの長い参道には多くの参拝者で一杯であった。


600mの長い参道左右に出店も出ており大忙しの様子でした。


参拝の前に清水で手を清めて本殿に向かう参拝者。


境内には、北朝鮮に拉致されている全員の救出を願う団体が署名活動をしておられました。早く帰って来てと願い署名をして来ました。


参拝通行規制が解除されおもむろに石段を上り本殿に詣でる参拝者達。


参拝も終わり、帰りに数あるお札・お守りを受ける。・・どれにしようか迷っている。


新築された「児守神社」でお札・お守りを受け渡す臨時の巫女サン達。


縁起物の熊手も売っている。・・売れると三本締めで締める。


境内には、毎年8月松山市で開催される、全国高校俳句大会(俳句甲子園)で個人最優秀句に選定されると句、学校名、個人名が石碑に刻印しその誉れを讃え永久に句碑玉垣として建立されています。
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空から日本を見てみよう・坊っちゃん列車 3(終)

2015年02月26日 | 伊予松山歴史散策
先日、(2月17日)TVで空から日本を見てみよう松山城・道後温泉編が放映れました。
松山城・道後温泉とTV画像を拝借して静止画像として保存させて頂きブログに引用させて頂きましたが最後は、坊っちゃん列車にいたします。
坊っちゃん列車とは伊予鉄道で活躍した蒸気機関車のことで夏目漱石の小説「坊っちゃん」で、その登場人物達が多くこの蒸気機関車を利用したことから「坊っちゃん列車」の愛称で人々に親しまれていました。
 伊予鉄道は、日本最古の軽便小鉄道でその主役として活躍したのがドイツ・ミュンヘン州クラウス社製から輸入した蒸気機関車(愛称・坊っちゃん列車)でした。
 坊っちゃん列車は明治21年10月28日の運行開始以来67年にわたり総17台の機関車が活躍していましたが、列車の電化に伴い蒸気で走っていた坊っちゃん列車は路線上から姿を消しました。

復活した坊っちゃん列車 
平成13年10月12日 市民の要望で復活した坊ちゃん列車が松山市内市電車の軌道を1号機関車と14号機関車が路面電車軌道を走っています。
乗務員は、伊予鉄道創業時の制服を着用した機関士と車掌が乗務していて松山市駅で坊ちゃん列車の機関車を油圧ジャッキで持ち上げ乗務員が機関車を手動で方向転換しています。
ディーゼル方式を採用した坊っちゃん列車は、往時の坊っちゃん列車をモデルにディーゼル動力方式を採用、汽笛は同社OBの協力を得、制服も当時のものを復元するなど、できるだけ本格的なものにいたしております。
蒸気機関車ならではのドラフト音は車外スピーカーによって鳴らす方式を採用し、煙突からは水蒸気を使用したダミーの煙を出す発煙装置を採用する等の工夫がなされています。

形式は下記の通りです。

第1編成車両:ディーゼル機関車D1形 1 + 客車ハ1形 1・2
第2編成車両:ディーゼル機関車D2形 14 + ハ31形 31
製 作 所 :新潟鐵工所 (新潟市)
エンジン  :日野ディーゼルエンジン 6,014cc搭載
なお現在、現存する最古の軽便機関車として、梅津寺公園内に静態保存展示しています。


道後温泉駅上空真上からの画像です。


道後温泉駅舎で、当時の駅舎に模して再建されました。


平成13年10月12日 市民の要望で復活した坊ちゃん列車が松山市内市電車の軌道を1号機関車と14号機関車が路面電車軌道を走っています。


平成13年10月12日 市民の要望で復活した坊ちゃん列車1号機関車です。


路面電車軌道を走る坊ちゃん列車1号機関車です。
1号機関車の形式は、ディーゼル機関車D1形 1 + 客車ハ1形 1・2
製 作 所 :新潟鐵工所 (新潟市)。
エンジン  :日野ディーゼルエンジン 6,014cc搭載です。


昭和30年まで活躍していた坊ちゃん列車で、石手川橋梁を渡る12号車です。
貴重な画像です。


伊予鉄横河原線の立花駅に停車中の坊ちゃん列車です。画像左側のホームは、森松線ですが、現在は廃線となりバス運行となっています。
この画像も貴重なものです。


松山市梅津寺町にある伊予鉄道梅津寺公園に坊ちゃん列車1号機関車と客車が静態保存され展示してあります。
明治21年10月28日 松山―三津間の鉄道(坊ちゃん列車)の営業を始め、営業開始時のレール幅は762mmだったが、昭和6年5月1日から現在のような電化になり電車が走り、レールの幅も1067mmと広くなりました。
梅津寺公園内に、静態保存されている1号機関車は、明治21年ドイツから輸入した本物で、3年に一度塗装を行い毎日担当職員が磨いているそうです。
今回、職員さんの了解を得て特別に写真を撮られて頂いた。


坊ちゃん列車1号機関車と客車が静態保存され展示してあります。
愛媛県指定の有形文化財指定されておりその表示版です。
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空から日本を見てみよう・道後温泉 2

2015年02月25日 | 伊予松山歴史散策
先日、(2月17日)TVで空から日本を見てみよう松山城・道後温泉編が放映
されました。
この番組は何時も楽しみにして見ております。何時の日か松山も紹介して頂けないかなと待っておりましたら放映が決まり上空からの伊予松山城と、道後温泉を見ることが出来、TV画像を拝借して静止画像として保存させて頂きブログに引用させて頂きました。
特に道後温泉館内は撮影する事が不可能なので貴重な画像です。松山城と道後温泉本館を2回に分けて画像を掲載いたします。
2回目は、道後温泉本館です。
道後温泉本館は、明治27年に改築し昨年120周年を迎えました。
明治28年夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任し、毎日坊っちゃん列車に乗り通った有名な全国最古の温泉で松山市の観光資源です。
今回の画像は、普段は撮影出来ない個所を掲載いたします。

追記:改築120周年を迎え、神の湯二階席と霊の湯三階個室で、結婚前撮り記念写真撮影が今年3月まで行われていましたが、好評につき4月以降も実施されることが決定しました。なお詳細は道後温泉事務局にお問い合わせください。


道後温泉本館上空真上からの画像です。
明治27年に再建され、その後大正・昭和期に増築されました。


道後温泉本館は、午後11時に閉館されます。此れから午前6時開館までが一番多忙な時間帯です。
職員は、各持ち場を掃除して朝6時の開館を待つお客様の受け入れ準備で大忙し、24時間眠る事のない温泉です。


神の湯浴場で男子用が二つ、女子様が一つあります。
普段は撮影出来ない貴重な画像です。


霊の湯で浴場は男女一つずつあります。


神の湯二階席で浴衣とお茶と坊っちゃん団子が出ます。
この席も午後11時以降に掃除をして午前6時開館を待ちます。


霊の湯の二階席で、此処も浴衣とお茶と坊っちゃん団子が出ます。
この席も午後11時以降に掃除をして午前6時開館を待ちます。


霊の湯の三階席で個室です。
此処も浴衣とお茶と坊っちゃん団子が出ます。
この席も午後11時以降に掃除をして午前6時開館を待ちます。
霊の湯の三階席の一部屋を漱石が利用した部屋を「漱石の部屋」として保存しており観覧する事が出来ます。


二階席・三階席に出されるお茶と坊っちゃん団子です。


午後11時に閉館して、神の湯浴場の湯を抜き浴場を掃除します。
霊の湯浴場も同様に湯を抜き清掃をして浴場に新しい湯を張り午前6時の開館に備えます。


そして午前6時NHKラジオの時報に合わせて本館最上階にある時太鼓を6回打ち鳴らし開館します。
時太鼓は、午前6時に6回、正午に12回、夕刻6時に6回打ちます。
環境省指定日本音100選の一つに選定されております。


開館午前6時を待ちかねて玄関前に入浴客は待機します。
24時間眠らない道後温泉の一日の一部一コマを紹介しました。
なお、道後温泉本館は、一年の内一日だけ休館し大掃除をいたします。
大掃除は、毎年12月第一火曜日に行われています。
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坂の上の雲ミュージアム第9回企画展示内覧会

2015年02月24日 | 伊予松山歴史散策
坂の上の雲ミュージアム第9回企画展示内覧会

平成27年2月24日~平成28年2月14日まで開催される第9回企画展示会、近代国家制度の形成「子規・眞之の青春」の展示会に先駆けて2月23日内覧会が開催されました。
今回の展示では、正岡子規・秋山眞之の青春時代の教育や生活、人々との交流を見ていく中で、書生と呼ばれた明治時代の若者達の実像に迫る展示構成になっていました。
画像は、昨日開催されました内覧会の様子の一部です。


松山城麓にある松山市立「坂の上の雲ミュージアム」で、地下1階・地上4階建です。
設計は、安藤忠雄さんです。


坂の上の雲ミュージアムで昨日(2月23日)開かれた第9回企画展示会、近代国家制度の形成「子規・眞之の青春」内覧会のパネル。


「子規・眞之の青春」内覧会のパネル。


2階会場で「子規・眞之の青春」内覧会で今回の企画展示に付いて主旨説明を、坂の上の雲ミュージアム館長さんがされまして、その話を聞き入る内覧会に招待された皆さん。


内覧会で今回の企画展示に付いての説明会場は、2階と3階が吹き抜け構造となっております。画像は3階からの説明会会場風景です。


2階の内覧会場で今回の企画展示に付いての説明が終わり、会場を4階にある企画展示会場に移動、学芸員が実際に展示してある資料に基づいて詳細なる説明があり学芸員の解説を熱心に聞く内覧会招待者の皆さん方。
第9回企画展示、近代国家制度の形成「子規・眞之の青春」展示は4回の特別展示会場で、展示期間は、平成27年2月24日~平成28年2月14日まで開催されます。


第9回企画展示、近代国家制度の形成「子規・眞之の青春」展示会仕様ポスター。
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歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんご逝去

2015年02月23日 | 伊予松山歴史散策
今朝、新聞を見て驚いた。歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんが21日午前2時3分、すい臓がんのため都内の病院で亡くなった。59歳だった。と大きく報じられた。三津五郎さんは、日本のお城に付いては、中学生時代から城に魅せられて城郭巡りの旅に出られご自分なりに研究され非常に造詣が深い方でして、松山城にもよくお越し頂きました。
松山城の中でも特にお気に入りの場所があり、つい先日、2月15日TV放送がありました。
「坂東三津五郎がいく日本の城ミステリー紀行」でこの番組の最初と最後の語りの場所が松山城本丸からで、番組最後の語りの場所が、松山城の中で三津五郎さんが一番好きな場所を背景にしてお話をされました。ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。


2月15日放映された「坂東三津五郎がいく日本の城ミステリー紀行」でこの番組内容紹介をされた三津五郎さんです。背景の城は、伊予松山城天守です。


三津五郎さんが一番好きであった伊予松山城の場所です。
画像は、番組最後の場面で三津五郎さんは次の言葉で番組を閉めました。
「城は、厳しい戦いの舞台そこに纏わる物語、その一つ一つが城に対する更なるロマンをかきたててくれます。如何でしたか皆様も是非お城をお訪ねになっては如何ですか。ではまたお会いしましょう。・・でした。


坂東三津五郎さんが紹介された「日本の城紀行」番組は沢山ありましたが内容は全て三津五郎さんが企画されたそうです。
三津五郎さん、伊予松山城を素晴らしい語りで紹介して頂き有り難うございました。松山城を観光にお越しになった方々を必ずこの場所にご案内いたしております。「坂東三津五郎さんが一番お好きな場所です。」・・次からは、「坂東三津五郎さんが一番お好きであった場所です。」・・と過去形になります事を寂しく思います。この素晴らしい語りが聞けなく、見えなくなることが残念です。
改めてご冥福をお祈りいたします。天国でお城を語って下さい。


坂東三津五郎さんが一番お好きな場所でした。
場所の紹介です。
本丸の屏風折れの石垣と本檀の南隅櫓と小天守を望む松山城一番の絶景撮影場所。俳優、歌舞伎役者の坂東三津五郎が好きな風景でした。
特に天候が良ければ更に映える場所です。・・乾櫓門を出た所です。
松山城にお越しになった時には是非御覧下さい。ガイドが案内いたします。

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