EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市城南地区歴史散策18 大街道「俳句甲子園」

2010年08月07日 | 往年の名車 メグロ
松山市城南地区歴史散策18 大街道「俳句甲子園」

平成22年8月7日から2日間の日程で松山市で開かれる第13回俳句甲子園全国大会の予選リーグ組み合わせ抽選会が6日に行われ予選22都道府県36チームのブロック分けが決まった。

 大会では3チームずつの12ブロックで予選リーグを行い、各ブロック1位が決勝トーナメントに進出する。愛媛県からは10校10チームが出場。

前回優勝の松山中央は宇和島東、弘前学院聖愛(青森)と同じブロックで県勢対決に。済美平成と弓削も同じブロックになった。

 松山中央の宮本悠司主将は「昨年も初戦は宇和島東と対戦した。僕らは僕らの新しいチームでやれるところまでやっていきたい」と話していた。

 7日は大街道商店街で午前9時20分から開会式、ブロック予選リーグ、決勝トーナメント1回戦、準々決勝。8日は市総合コミュニティセンターで同9時半から敗者復活戦、準決勝、決勝、表彰式がある。

画像は、大街道商店街に12の特別ステージを設営して熱戦が繰り広げられた。
    対戦する地元松山東高校と東京の開成高校Aの熱弁が飛び交っていた。

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松山市城南地区歴史散策17 大街道

2010年08月07日 | 往年の名車 メグロ
松山市城南地区歴史散策17 大街道

大街道商店街(おおかいどうしょうてんがい)は、愛媛県松山市の中心市街地(大街道一丁目~大街道ニ丁目)にあり松山中央商店街の一部で平成18年(2006年)5月に「がんばる商店街77選」に選ばれた。

大街道は、巨大なアーケードのある松山市を代表する商店街で、このアーケードは、長さ483m、幅15m、天井の高さは13mもあり、自動開閉式3段ドームの全蓋アーケードになっている。

中にある柱には、石鎚山からの水の流れと県花であるみかんをあしらったモチーフがエッチング加工されたステンレスが貼られており、等間隔に植えられた樹木があたえてくれる潤いとあいまって、華やいだ雰囲気を醸し出しています。

県内最大の繁華街であり、四国一の通行量を誇っている。
高校生の俳句甲子園大会は、大街道商店街で行われている。

この町の歴史は、藩政時代、伊予松山藩の下級ぶしの屋敷があった場所で、近くには秋山好古、眞之の生誕地もある。

維新後、城下町として古くから開けた古町(こまち)から呉服商等が移って来て町を形成した。 大正時代初期に用水路が埋め立てられ、広い通りができて、松山随一の商店街を形成した。

このころ大街道という通称が定着したと伝えられる。 昭和4年(1929年)までは小唐人町(ことうじんまち)と呼ばれていた。
太平洋戦争前、片側に柳の並木があった。このころ、松山銀座とも別称されたほどにぎわった。

太平洋戦争の空襲(昭和20年7月26日)で灰燼に帰したが、昭和21年(1946年)、三越松山店開設、昭和43年(1968年)片側アーケード設置 、昭和57年(1982年)10月、歩行者専用道路への移行に伴い、全蓋アーケード化された。

画像は、四国随一の商店街で毎年8月に俳句甲子園が開催される大街道。
今年は、今日(7日)から、第13回俳句甲子園全国大会がこの巨大なアーケードのある松山市を代表する大街道商店街で開催される。

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松山市城南地区歴史散策16 杖ノ淵

2010年08月06日 | 往年の名車 メグロ
松山市城南地区歴史散策16 杖ノ淵

弘法大師が巡錫の年、日照り続きで田畑はもとより草木も枯れ、道行く人も殺伐な気になっていた。
大師はどの家でも水をもらえない。とあるあばら家で仕事中の老婆に水を乞うた。
老婆は、遠くの泉へ水を汲みに行ったのであろう、長らく待たせた末、なみなみと水をたたえた桶をおしげもなく大師にささげた。

大師は「この辺りは水が不自由とみえる。出してあげよう」といい杖を大地に突き入れると不思議や泉となった。
今なお、どんな日照りが続いても涸れる事はない。

画像は、弘法大師が杖を大地に突き刺し水を出したといわれる泉「杖ノ淵」で昭和60年1月日本名水百選に選定された。
画像右上に弘法大師の立像がある。
現在は、公園として整備され市民の憩いの場となっている。「杖ノ淵公園」
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松山市城南地区歴史散策15 椿神社「俳句甲子園句碑建立」

2010年08月06日 | 往年の名車 メグロ
松山市城南地区歴史散策15 椿神社「俳句甲子園句碑建立」

松山市居相2丁目に椿神社「正式名:伊豫豆比古命神社」がある。
ご創建は、二千余年の古くより、尊称・敬称も親しく「椿神社」「お椿さん」とも慕われ、縁起開運・商売繁昌の神様として、四国四県はもとより、広く全国から崇敬を寄せられている神社である。

祭神は、伊豫豆比古命、伊豫主命、愛媛命、で例祭は10月7日、毎年旧正月の7日、8日、9日の三日間は「縁起の神様椿さん」といい特に盛況で郷土色豊な藁であんだ宝船や縁起笹、名物の「おたやん飴」など出店、見世物小屋まで並んで壮観である。三日間で参拝者が50万人を超える。

先日境内に全国高校俳句選手権大会で個人最優秀賞に選ばれた句が句碑となって建立された。

画像は、平成22年7月29日、松山市居相2丁目の伊豫豆比古命(いよずひこのみこと) 神社(椿(つばき)神社) の境内に12本の句碑がお目見えした。過去12回の俳句甲子園全国大会で、個人最優秀賞に選ばれた俳句が1句ずつ刻まれている。

全国高校俳句選手権大会(略称:俳句甲子園)とは社団法人松山青年会議所、NPO法人(特定非営利活動法人)俳句甲子園実行委員会が主催する、高校生を対象とした俳句コンクールである。毎年愛媛県松山市で夏に開催されている。
当地が正岡子規や高浜虚子など著名な俳人の出身地であることから、これにあやかって開催が始まった。
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松山市城南地区歴史散策14 子規堂

2010年08月06日 | 往年の名車 メグロ
松山市城南地区歴史散策14 子規堂


松山市末広町に正宗寺があり、境内に子規堂がある。
正岡家が東京に移住後、取壊される旧宅の一部を使って建てた。
以後二度火災にあい、現在のものは旧宅の間取りを模して再建された。

内部は、子規の遺墨、遺品が展示してあり、境内には子規の埋髪塔、内藤鳴雪の髭塚、高浜虚子の筆塚、ホトトギス発行600号記念の句碑がある。

画像は、正宗寺にある県指定の史跡「子規堂」で、前に模擬坊ちゃん列車が展示してある。
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