令和6年8月16日(金曜日)報道の地元新聞・愛媛新聞記事。
NHKが作成した「坂の上の雲」のポスター
ポスターの下部には「この壮大な物語は、伊予・松山から始まる。」と書かれている。
海老沢 勝二、第17代日本放送協会会長時代に、NHKの歴史に残るドラマの作成は、坂の上の雲を差し置いてないとの考えで、司馬遼太郎の許可をとるもその承諾を得られず、司馬さんの死後、NHKの「総力を挙げて取り組みたい」との熱意と映像技術の発展により、作品のニュアンスを正しく理解できる映像化が可能となったとして平成11年に司馬遼太郎記念財団が映像化を許諾。
その後、著作権を相続した福田みどり夫人の許諾を得て、平成14年には志願したスタッフを中心に製作チームが結成され、NHKが総力を挙げて11年掛かりで制作、平成21年から平成23年の3年間に渡って放送したスペシャルドラマ「坂の上の雲」をもう一度全てを短時間で見たいとの声が秋山兄弟生誕地を訪れる全国の皆さんからの声が多くあり、平成23年5月から「坂の上の雲再放送」をNHKにお願いする署名活動を開始した。
NHKは、全国の多くの再放送請願に応えて頂き再放送を決定して頂いた。再放送開始は、BSで、平成26年10月5日(日曜日)の正午から、全26回・各45分で半年間に渡り放映された。
今回再び再放送される。
今回は、地上波総合テレビ令和6年9月8日午後11地から毎週日曜日に再放送される。
地元新聞、愛媛新聞令和6年8月16日(金曜日)版に報道された。
これからの画像は、錚々たる出演者が演じている中で秋山兄弟生誕地にお越しになり、私がご案内した出演者方々です。本木雅弘さん、竹下景子さん、藤本隆宏さんの3名をご紹介します。
先ずは本木雅弘さんです。
本木さんは、物腰の低い、言葉遣いが丁寧で、字が綺麗なのには驚きであった。書道7段だそうです。
秋山眞之胸像に立たれる本木雅弘さん。
本木雅弘さんは、秋山兄弟生誕地にお越しになられた時の第一声は、「私は、本木雅弘と言います。この度坂の上の雲で秋山眞之さんの役を仰せ付けられました。本日は生誕地にお伺いいたし、しっかりと勉強をさせて頂きにお伺いいたしましたのでよろしくお願いいたします。・・と言う丁寧なご挨拶でした。
NHKのチーフデレクターと、本木さんの事務所の女性がお付きでお越しになり秋山兄弟生誕地の研究員が説明をいたしましたが、本木さんは真剣に説明を聞き入っておられました。
秋山兄弟生誕地にあるVTRの資料を真剣な面持ちで視聴されていました。
秋山兄弟生誕地にあるVTRの資料を視聴。
秋山兄弟生誕地の研究員の説明を聞かれる本木さんとお供の女性。
秋山兄弟生誕地の研究員の説明を真剣に聞かれる本木さん。
県外から観光に来られた方の「オネダリ」で記念撮影に気軽に応じられる本木さん。
私が秋山兄弟生誕地の記念に保存いたしたく色紙にサインをお願いしましたら気持ちよく書いて頂きました。
本木さんが書かれたサインで、字が綺麗なものですからお供の女性に「本木さんは字が綺麗ですねと伺うと・・本木は書道7段ですと言われた。」
ドラマで日本海軍連合艦隊司令長官・東郷平八郎が、旗艦三笠で連合艦隊解散の辞の挨拶をするが、内容は秋山眞之が起案した。
秋山眞之(本木さんが解散の辞の原案を書くシーン。)
本木雅弘さんは書道7段の腕前を遺憾なく発揮し堂々と書き上げる。
もしも筆字が書けない俳優さんが秋山眞之の役であれば、違った場面の画像になっていたと思う。
解散の辞の原案を書き上げて、東郷平八郎の決済を受け巻紙に清書。
本木さんが実際に書く場面である。
場面は、坂の上の雲(26)日本海海戦(後編)にある。
秋山眞之(本木雅弘さんが清書した巻き紙)が起草した解散の辞を読み上げる「連合艦隊司令長官・東郷平八郎」。
秋山眞之は海軍一の文才の持ち主であった。解散の辞の最後の言葉が素晴らしい。
眞之の幼少時代、母・貞は眞之(淳五郎)の文才を見抜き苦しい家計をやりくりして塾に通わせていた・・その成果があったのか?母のお陰である。
文才の持ち主の現れの一つに、有名な「天気晴朗ナレドモ波高シ」がある。
(戦艦三笠事務局の許可を得て撮影)
JR四国、予讃線特別急行列車「しおかぜ号」にラッピングされた坂の上の雲号・特別列車としてJR西日本岡山駅からJR四国・松山駅間を走行し大変な話題になった。