EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市花園町通り「イルミネーション・点灯式」

2012年10月25日 | 伊予松山歴史散策
松山市花園町は、伊豫松山城、城山公園(三之丸)の堀之内と市内最大の拠点である松山市駅を結ぶ通りである。此の街をより、賑わいを創出し花園町通りの魅力アップを図るとともに、松山市の新たな観光スポットとして県内外の観光客の誘客を図ることの一つとして、町のシンボル銀杏並木にイルミネーションを設置し、その点灯式が昨晩、花園テラス特設会場に野志松山市長を迎え行われた。

また花園町通りフードストリート「10/25(木曜日)~11/3(土曜日)17:30~21:30」は、地元飲食店による共同出店の他、フードストリートでしか食べられない限定メニューや、有名料理人と共同制作による「花園町フード」を販売するほか、「食」の魅力と併せてイベントなども企画したとある。

イルミネーション点灯期間は、平成24年10月25日~平成25年1月下旬まで、点灯時間は、日没から午後10時までとする。・・と昨晩説明があった。・・・画像は今晩(10月25日)撮影。


点灯式に先立ち、野志松山市長が挨拶・・さすが元南海放送のアナンサー言葉の使い方が巧いものだ。


さー・・いよいよ点灯、松山市長外関係者がお祝いの鏡割りと同時に電源ONした。


点灯式の後、特別トークショーがあった。
イタリア・ローマ生まれのタレント&料理研究家の「ベリッシモ・フランチェスコ」さん、愛称「ベリさん」、「ベリちゃん」を花園町通りフードストーリ特設テラスにお迎えし、楽しいトークでした・・・日本語が達者です。


銀杏並木がイルミネーションに彩られその光の下で美味しそうにビールを飲んでいます。


点灯されたLEDは、松山市花園町にある銀杏の樹に仕掛けられている。


今年新たに創られた光の造形。




この町は正岡子規の生誕地跡があります。・・今年も賑やかになりましたがなもし・・子規さんもビックリ!!







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平成24年度 JARL愛媛県支部主催マイクロ波帯講習会

2012年10月22日 | 伊予松山歴史散策
日本アマチュア無線連盟(JARL)愛媛県支部主催マイクロ波帯講習会が今年も松山市で開催されました。

平成24年10月21日(日曜日)午前10時~愛媛大学農学部で参加局は、東京・神戸・岡山・広島・北九州・宗像市・別府市・大分県日出町・宇佐市・大分市から参加頂き地元愛媛の局との交流も行われ今後の活動の指針とすることが出来た。

この講習会は初代JARL愛媛県支部長 松本純一氏が昭和55年12月21日に製作講習会(1200MHz帯トランスバーター)を開催し、これが愛媛のマイクロ波帯の幕開けであった!!

当時の会場も今回の会場隣、愛媛大学付属農業高等学校(現、愛媛大学付属高等学校)であった。
以後毎年、年次計画的に、2400MHz・5600MHZ・10GHZ・24GHz・47GHz・77GHzの製作講習会を開催し西日本で先行した。

昨今通信手段の激変で、昭和の時代と講習内容が変わりましたが、これからもアマチュア無線でないと出来ない事柄があり、社会に貢献できる様心掛けて講習会を継続して行きますと薦田支部長は挨拶された。・・・JARL愛媛県支部 薦田支部長の心意気です。


                    記

1、日   時 平成24年10月21日(日) 午前10時~午後2時
2、場   所 愛媛大学農学部
3、主   催 日本アマチュア無線連盟愛媛県支部
4、内   容 1):デジタルATV、運用報告画像で
           マイクロウエーブ大分:JA6MQT&JA6SPI各局長&JA6JNR局長   
 
        2):実技報告 10GHMz帯ビーコン製作について、JA6MQT局長

        3):CQ誌1200MHz帯コラム担当:JF1TPR局長
           「無線LANのアマチュア的活用」について

        4):私の移動運用設備について:JJ3EKV局長

        5):質疑応答
          
 遠路遥々松山にお越し頂きありがとうございました。・・来年も是非ご参加下さい・・お疲れ様でした。・・・・拝


講習会場の愛媛大学農学部正門。


講習会表示


開会の挨拶をする日本アマチュア無線連盟愛媛県支部 薦田支部長「JH5SAL」


講習会に参加され、特にマイクロ波帯を主たる運用バンドとして活躍されている局長各位。講習会に先立ち撮影した為、遅れて参加された数局は写ってない。・・失礼
殆どの局は昨晩から・・少々お疲れモード??


10月2日全国一斉マイクロ波帯大移動運用の際、大分県移動と山口県崋山移動間でデジタルATV運用された時の状況報告される、マイクロウエーブ大分クラブの「JA6SPI局長」


宗像市でマイクロ波帯を中心に活動されている「JA6JNR局長」がGHz帯のANT利得状況説明をされた。


マイクロウエーブ大分クラブの「JA6MQT局長」が10GHz帯のビーコン製作に付いて説明。


10GHz帯のビーコン製作に付いての苦労話をされる「JA6MQT局長」


10GHz帯のビーコン製作で苦労をされ作られた「10GHzビーコン機」で
手前に見えるものがANTである。


午後から再会した講習会で「無線LANのアマチュア的活用について」と報告される、東京都のJF1TPR局長・・JF1TPR局は、アマチュア無線専門月刊誌「CQ誌」の1200MHz帯コラム担当者で、日頃は高等学校の教諭として教鞭をとっておいでです。


次に神戸市から毎年参加して頂いております「JJ3EKV局長」による、EKV仕様の移動運用設備に付いての報告があった。


各局長サン達の日頃の活躍ぶりを熱心に聞き入る参加局。
そして講習会参加者にお礼を述べる、松山地区SHF研究会代表のJA5JSU、久山代表。


マイクロウエーブ大分クラブの「JA6MQT局長」が製作された「2、4GHz・LAN用ANT」中々の利得性能を得ることが出来る力作。


マイクロウエーブ大分クラブ各局長さんは、各部品を調達してアマチュア無線、とくにGHz帯、デジタルATVの送受信機を製作しており、ATV運用では日本のアマチュア無線界で先端を常に走っている。・・作りはプロ並み。

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第18回 SHFバンド愛好者の集い・松山

2012年10月21日 | 伊予松山歴史散策
今年も松山市で開催しました。
第18回E/SHFバンド愛好者の集い・松山集会は10月20日(土曜日)午後6時から松山市大街道「すし丸」で開催しました。
この集会は、18年前に日本アマチュア無線連盟愛媛県支部主催でマイクロ波帯講習会の前夜に講師のJH1UGF槇岡氏(横浜市)を囲んで愛媛のマイクロ波の活性化を如何に推進して行くかの談話会が始まりで現在に至っている集会です。

今年は、季節はずれの台風21号の影響で開催が危ぶまれましたが、18日から急速に移動速度を速めに日本から遠のき、特に東京から参加される方も影響なく来松出来ました。

この会は、アマチュア無線界の中で特に、マイクロ波帯バンドを使用し運用をしている局、県外から東京都・神戸市・岡山市・広島市・北九州市・宗像市・大分県日出町・大分市・別府市・宇佐市の各局そして地元の局が参加して今年一年間の活動状況が紹介され、第二部の懇親会はマイクロ波談義に花が咲き盛会に開催する事が出来ました。
遠路松山にお越し頂き有難うございました。来年も開催いたしますので是非ご出席下さい。

会場のすし丸は、松山市二番町の繁華街でいま、五木ひろしさんのヒット曲「夜明けのブルース」は、ご当地ソング、松山市二番町を背景にした歌で、まさにこの歌の街です。

画像は、各局の集合記念写真、日頃5600MHz~77GHz帯の電波を利用して、アマチャ無線界に与えられているバンド区分内で無線通信電波伝搬実験を行うと共に非常通信訓練も行い機器の点検も兼ねている活動局です。
                         記
1、日 時  平成24年10月20日(土曜日)午後6時00分
2、場 所  松山市二番町二丁目3番地2「すし丸」
3、参加者  上記記載の通り

註:世界のアマチュア無線局数は、1位は、日本国で、2位がアメリカ合衆国、3位がドイツ連邦共和国であります。


台風21号の影響が心配されましたが東京都の局長以下西日本各地から参加を得て無事第18回E・SHFバンド愛好者の集い・松山集会が開催されました。
参加者が手にしているのは「コールサイン」でアマチュア無線局に与えられた世界で一つだけのコールサインです。開局している局名です。


開式の挨拶をする松山地区SHF研究会代表、JA5JSU、久山局長。


来賓者として挨拶をされる「日本アマチュア無線連盟愛媛県支部長」:JH5SAL・薦田支部長。


県外から参加頂いた局長を代表して挨拶をされる、マイクロウエーブ大分・JI6DRF・別府市の大橋局長。


マイクロ波帯を全国に広められ、志半ばでご逝去された局長各位のご冥福を祈り黙祷を捧げ第二部懇談会に入った。


懇親会に先立ち乾杯を行った。乾杯の音頭を取る、JA5YXB、愛媛YLハムクラブ会長・JA5MFY・久山局長・・YLとは:女性だけの局長で組織した倶楽部。・・全国でも知名度の高い有名な女性達のアマチュア無線局の倶楽部組織です。


第二部懇談会で各局長日頃の活動振りを披露する、マイクロウエーブ大分の皆さん。


今回もご夫婦で参加局して頂いた宗像市のJA6JNRさんとXYLさんで毎年参加されてます。


何時も好評のお楽しみ抽選会、今年も各局から頂いたFBな品々抽選を担当していただいた女性局長さん。・・良い物が当りましたよ、!!


お楽しみ抽選会・・当たった局を呼び出す広島市のJK4FELさん。


松山集会で中締めの挨拶と参加局各位の健康と益々の活躍を祈念して三本締めで閉会とした。・・音頭は神戸市のJJ3EKVさん・・皆さん遠路ご参加ありがとうございました。
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伊予松山城本丸に現存する重要文化財の建造物 その2

2012年10月17日 | 伊予松山歴史散策
今回再認識のため伊豫松山城本丸にある、21棟の重文建造物を2回に分けて画像で追っています。・・松山城本丸にお越しの節は皆さんの目で確かめてみて下さい。・・残り10棟です。

伊豫松山城は、昭和10年国宝に指定される建造物の資料を文部省に提出した。
その控えの資料、設計図を基に、昭和43年から年次計画的に松山市は城郭の復元に着工した。

先は、本壇の小天守、南北隅櫓、多聞櫓、十間廊下櫓、玄関多聞、内門を木造で復元、そして本丸の建物を逐次復元、平成2年太鼓門西塀を復元し計画復元は完成した。27棟を全て木造で復元、1棟、馬具櫓のみ、文化庁の指示で鉄筋コンクリート造りの外観復元であります。(馬具櫓の地盤が弱い為、ケーソン基盤工法により外観復元)

戦後復元された城門、櫓、渡塀は28棟で、重文建築物を合わせると、49棟に及ぶ壮大な往事に近い城郭の復元です。

未だ復元できてない櫓等々がありますが、特に本丸の屏風折れ石垣の西側と東側には渡塀の復元が出来てないが、これは本丸からの眺望を損ねるので再建を避けている。

では、残り10棟の重文建造物を見て下さい。


12:「松山城二ノ門」
本壇一ノ門、枡形を左に折れると9段の石段を登ると本壇の地盤に達する、その入口南面してニノ門は建てられている。脇戸付薬医門形式で、城郭で薬医門形式の門は珍しい、鏡柱と控え柱の上に大きな切妻屋根がありこれを過ぎるといよいよ天守台が見えてくる。・・建物は嘉永期の再建


13:「「松山城二ノ門東塀」
ニノ門とニノ門南櫓を結ぶ塀で、枡形を通り二ノ門の直前に迫った寄手を側面から攻撃する。延長3,72m、狭間3ヶ所、仕様は一ノ門東塀と同様で建物は嘉永期の再建。


14:「松山城二ノ門南櫓」
本壇の南東角を固める単層隅櫓で、西には一ノ門東塀が北には天神櫓南塀が取り合う。出入り口はニノ門を入った北側にある。建物は嘉永期の再建。


15:「松山城三ノ門」
ニノ門を入った左手に天守台添いにあり、北面に建てられている。脇戸を持たない高麗形式の門、門扉の構造は、一ノ門と同様で、横板張りの上部に堅格子が設けられている。建物は嘉永期の再建で、これを過ぎると天守台を右折れすると、筋鉄門に達する。・・いよいよ本壇中庭に入る。


16:「「松山城三ノ門東塀」
三ノ門と三ノ門南櫓を結ぶ塀で、三ノ門内側に東及び北面にして設けられて、ニノ門を通過した寄手を攻撃するとともに、天神櫓前の本壇広場にも射界を構える。延長14,24m、狭間10ヶ所、建物は嘉永期の再建。


17:「松山城三ノ門南櫓」
三ノ門を過ぎた奥に位置する単層櫓で、東は二ノ門に接し、西には筋鉄門東塀に接する。構造様式は一ノ門南櫓と同様で、出入り口は筋鉄門東塀のある西側に設けてある。南面は二ノ門前の枡形に対し、西面は筋鉄門東塀下の石垣に対し横矢掛かりをみせる。建物は嘉永期の再建。


18:「松山城筋鉄門東塀」
三ノ門南櫓と筋鉄門を結ぶ渡塀で、その射界は、一ノ門前本壇入口から、さらに遠く本丸広場の大手方向に備える。延長11,13m、狭間9ヶ所、石落し1ヶ所、建物は嘉永期の再建。


19:「松山城仕切門内塀」
仕切門から北、次いで西に伸び、さらに南に折れ曲がり玄関多聞櫓に達する渡塀で、本壇天守台に臨む。西、北面石垣は横矢掛かりになって多様な防御を施している。延長24,56m、狭間19ヶ所、石落し隅部1ヶ所、平1ヶ所、本丸本壇最大の渡塀で、建物は嘉永期の再建。


20:「松山城仕切門」
二ノ門を過ぎて、天守台を北に進み、さらに西折れするとこの門に達する。脇戸付の高麗形式の門である。門扉の構造は、一ノ門と同様で、横板張りの上部に堅格子が設けられている。建物は嘉永期の再建。


21:「松山城大天守」・・現存12天守の一つ
慶長7年(1602)加藤嘉明が築城した当初の天守は、5層の偉容を誇っていたが、寛永19年(1642)松平初代藩主はこれを3層に改築、天明4年(1784)落雷で天守を含む本壇一帯の建物は焼失した。現在の天守は、安政元年に復元されたもので、わが国城郭建築史上最後の作品として現在も注目されている。そして天守を中心に小天守、各隅櫓を櫓廊下で結び中に内庭を造り、連立式天守を形成している、日本三大連立式天守の一つである。(姫路城・和歌山城・伊豫松山城)


画像は、伊豫松山城本丸の航空写真、連立式天守の様式がよく理解出来る。右側の北隅櫓と南隅櫓を結ぶ十間廊下の下部石垣、合横矢掛りの石垣、本丸の屏風折れの石垣もその造りがよく伺える。

参考画像

画像は、昭和8年7月9日、放火により焼失した本壇建物跡で、天守は無事残った。
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 伊予松山城本丸に現存する重要文化財の建造物 その1

2012年10月16日 | 伊予松山歴史散策
標高132mの丘陵に築城された伊豫松山城本丸には、藩政時代の建造物が多く現存する。その建物は、昭和10年5月13日、国宝に指定され、昭和25年5月に文化財保護法の制定により国指定の重要文化財に変更指定された。

現存12天守の内、姫路城についで多くの建造物があり、21棟が国指定の重文建造物である。
城郭の建造物は単独でない建物が多く、区別するのに大変、松山城21棟全てに説明板が設置されてないのでなおの事分かりにくい。
重文21棟の内訳は、城門が7棟、櫓が7棟、続塀が7棟である。

日本城郭協会が「日本100名城」の決定をうけ、平成18年2月に文部科学省記者クラブで発表、認定証を各城郭管理者に届け、平成19年6月から「日本100名城」にスタンプを設置、スタンプラリーが開始され、多くのお城愛好者がガイドブックとスタンプ帳を持参で名城めぐりを開始してその城の往時を偲んでいる。

松山城にも沢山の方々が観光に来られ、またTVでも各お城の紹介が放映されなお一層の城郭愛好者が増えた。

今回再認識のため伊豫松山城本丸にある、21棟の重文建造物を2回に分けて画像で追ってみることにする。・・松山城本丸にお越しの節は皆さんの目で確かめてみて下さい。


1:「松山城戸無門」
最初に現れる建造物は、で隘路を突き進むとある。門は高麗形式で創建は寛永~正保年間(1624~1647)創建当時から戸を持たなかった門である。これを過ぎると筒井門、隠門の防衛線に行き着く。
註:本丸最大の筒井門は、昭和24年狂人の放火により焼失、同45年復元に着手同46年3月竣工した。


2:「松山城隠門」
二番目の重文建造物は、である、戸無門を通過して筒井門に迫る
寄手の背後を隠門から出撃し急襲する策略が秘められた門で、形式は、渡櫓門である。・・城内の建造物の内、最古の乾櫓・野原櫓に次ぐ慶長年間に建てられた貴重な遺構である。門の形式は櫓門である。


3:「松山城隠門続櫓」
画像は、隠門2階の渡櫓で筒井門続櫓と接続するもので東から登城する者を監視する櫓で高さ15mの石垣の上にある。・・隠門と同様に慶長期の建築である。


4:「松山城紫竹門」
この門は、本丸上の大手と搦手を仕切る門で、本壇上の小天守の南真下に建つ脇戸付高麗形式の門、門の奥に紫竹が植えられ竹の茂みに隠れて本丸広場方面を監視する仕組みを持つものでこの名前がある。天明の落雷で焼失し嘉永期に再建された。


5:「松山城紫竹門東塀」
紫竹門の東に矩折りに設けられた塀で、画像は内側で本壇入口一ノ門前の登り道にある。狭間の一部は本丸大手広場に対して射界を持ち、残りは搦手乾方向に向けられている。延長16,5mで狭間11ヶ所ある、建築時期は紫竹門と同時期である。


6:「松山城紫竹門西塀」
紫竹門の西に延長し、西端は本丸を構築する石垣に臨んで終わるが、元はその先の本丸渡塀(現在は欠落)に接続していた。延長14,47m、狭間10ヶ所ある。建築時期は紫竹門と同時期である。


7:「松山城乾櫓」
松山城最古の櫓で、築城の際旧松前城から移築したと伝えられている慶長期の建物、乾方向にある北の郭からの登城が本丸に達する要地に築城されている。搦手を防衛する重要な構えである。


8:「松山城野原櫓」
この櫓は、乾櫓東の本丸石垣に臨んで建てられ、北側搦手を防御する2層櫓、通柱が無く、城郭建築が大屋根上の物見櫓から発達したとされる望楼起源説の名残を示す櫓として注目されている貴重な遺構。野原櫓の名前は、豪商の野原氏が寄進して出来たのでその名前を付けたとの言い伝えがある。・・乾櫓に次いで古い建物である。


9:「松山城一ノ門」
いよいよ本壇に入る。本壇入口の虎口に西面にして建つ最初の門で、脇戸付高麗門、門扉は珍しく中間の横板張りで上下は格子となり、敵兵の員数を計る仕組みとされている。また一ノ門全面及び枡形に対して小天守をはじめ四隅の櫓から銃火が集中され本壇防衛上最も堅固な守りに徹した造りである。建物は嘉永期の再建。


10:「松山城一ノ門南櫓」
本壇入口を固める単層櫓で、出入口は枡形から石段を登り中に入る。南と西の本丸広場及び本壇入口側の2面には、石落し、格子窓、狭間を構えている。建物は嘉永期の再建。



11:「松山城一ノ門東塀」
一ノ門南櫓とニノ門南櫓を繋ぐ本壇石垣に建つ渡塀で、本丸広場に対する備えを持つ、延長10,14m、狭間10ヶ所、石落し1ヶ所、建物は嘉永期の再建。
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