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法隆寺に行ってきました:その6(終) 千年の和釘その命・白鷹幸伯鍛冶師

2019年08月01日 | 伊予松山歴史散策

法隆寺に行って来ました:その6(最後)は千年の和釘を製作した平成の名工・白鷹幸伯鍛冶師としました。

ゆく秋の 大和の国の薬師寺の 塔の上なる 一ひらの雲 (国文学者:佐佐木信綱)

 現在の法隆寺は再建されたものだが、それでも1300年を超えて、びくともせず建っている。薬師寺で唯一残った東塔も1200年の風雪に耐えて建っている

薬師寺金堂・西塔等々の建造物の再建も千年先の未来を見据えた壮大な再建工事が昭和43年からはじまった。
その棟梁が宮大工・西岡常一、彼が棟梁でその下に日本各地から一流の職人が集められた。

瓦職人・左官・水煙職・その他の名工がこれらの中で、和釘造りを任されたのが伊予松山の鍛冶職人、白鷹幸伯である。

 

白鷹幸伯は、昭和10年8月6日、愛媛県温泉郡堀江村大字堀江(現、愛媛県松山市堀江町)の土佐鍛冶師の家系に生まれ、平成29年6月6日、くも膜下出血で逝去、享年81歳であった。

生前「僕は鍛冶の名人でもなければ達人でもありません。四国の田舎に住む、雑で未熟な野鍛冶です。何も大したことはしよらんかった」と口癖のように言っていた。
 白鷹さんの父親は、伊予松山地方の野鍛冶。地鉄に鋼をつけて鍛え、くわや、建築金物などの道具を製作していた。

白鷹幸伯さんは、高校卒業後、一度は家業を手伝うものの、26歳で上京、日本橋の老舗の刃物商「木屋」に勤めながら、弁護士を目指すため中央大学法学部に入学した。木屋在職中、法隆寺の修復や薬師寺再建に携わる西岡常一棟梁と偶然に出会い、その後の白鷹の人生を大きく方向転換させた。

「西岡さんと出会わなければ、松山に帰ってきても、目先の客相手に包丁くらいしか作らなかっただろう。でも、西岡さんと出会ったおかげで、鍛冶屋としての夢が持てるようになりました」と言った。
 家業を継いでいた土佐鍛冶の長兄の急逝もあり、白鷹は故郷愛媛県松山に帰郷し、鍛冶を再開した。

西岡棟梁から古代大工道具の復元や和釘の指導を受ける中、法隆寺の修復、薬師寺西塔再建のための和釘製作を求められる。しかも、桧と同様、千年はもつ釘を作る様西岡棟梁に求められた。
千年の和釘を作るには、現代の製鉄所から作られた鋼では、錆びやすく千年も持つ和釘ができない。

白鷹は、東北大学名誉教授・井垣謙三に教わり純度の高い鉄でできた釘はさびにくく腐らないことを突き止めた。しかし純度の高い鉄は高価で、量も少なく手に入りにくいため白鷹は途方にくれた。
そんな折、日本鋼管福山製鉄所(現JFE)が貴重な文化遺産を守る有意義な事業だとして、炭素の含有率が0.1%の古代鉄に近い高純度鉄(SLCM材・特殊鋼)を製造し、採算度外視して白鷹幸伯に用意してくれた。

 西岡常一棟梁との出会い、高純度鉄、そして白鷹の技術。こうして、千年の釘は再現された。まず、薬師寺西塔用の和釘が6,990本を一人で鍛造した。その後、薬師寺回廊や大講堂など、約2万本を鍛造した。「いろいろな鉄を集めて、叩いてみたり曲げてみたり試行錯誤したが、最後は純度の高い特殊鋼と鍛冶屋の特殊な技法が決め手となった。」
鋳造した和釘をもって薬師寺に行き実際に打ち込んでみて出来具合を試してみた。

法隆寺や薬師寺再建に使われた和釘には一つ一つ日本鋼管福山製鉄所(現JFE)の刻印が施された。
白鷹幸伯は西岡常一棟梁と共に歩み縁の下の力持ちとして素晴らしい一生を過ごし、千年の和釘を作り上げた鍛冶師であった。

小学校5年生国語教科書に「千年の釘にいどむ」が教材になっている。

参考文献:白鷹幸伯 「鉄、千年のいのち」

     四十雀会 「写真集・匠の日々」千年の釘 鍛冶 白鷹幸伯の軌跡」

     松山市教育委員会 「語り継ぎたいふるさと松山百は Ⅵ」広がる故郷の心

西岡常一棟梁の要請で最高の技法で千年の和釘を製作する白鷹幸伯鍛冶師。

白鷹幸伯鍛冶師が建築業界やマスコミから存在を知られるようになったのは、薬師寺金堂・西塔の再建、最後の宮大工と称えられた西岡常一棟梁から桧材と同様に千年保てる和釘の鋳造をもとめられ、以降20年の間に中門、回廊、大講堂に使われた27、000本を鋳造した。
それから伊予松山の白鷹幸伯の名声がはじまった。

平成の名工白鷹幸伯鍛冶師は、平成29年6月6日逝去されたが、釘の技伝承は長男、興光が見事に受け継いでいる。

平成29年12月26日、道後温泉に新しく出来た飛鳥乃湯に、道後温泉のシンボル巨大な「湯玉」の装飾壁画を支えているのは、白鷹幸伯の長男、白鷹興光が鋳造した700本の和釘が使われている。

白鷹幸伯は生前必ず、4月11日、白鷹幸伯の人生の師、故西岡常一棟梁の命日、白鷹は毎年西岡棟梁の遺徳を偲ぶ法要(木魂会忌)に参列した。

日本鋼管福山製鉄所(現JFE)が貴重な文化遺産を守る有意義な事業だとして、炭素の含有率が0.1%の古代鉄に近い高純度鉄(SLCM材・特殊鋼)を製造し、採算度外視して白鷹幸伯に用意してくれた特殊鋼で千年の和釘を製作した。和釘鋳造は、いい素材だけでは出来ない。特殊鋼を炉で熱する時の温度、叩きの強弱等々熟年の技が必要である。

平成の名工白鷹幸伯が鋳造した色んな形の千年の和釘。

樹齢千年の檜を使い再建する薬師寺西塔が千年の間建ち続ける間、釘もまた同じ年月、その木を支えねばならない釘を造った。

西岡常一棟梁から示された和釘。

西岡常一棟梁から送られた書簡の一部。

白鷹幸伯鍛冶師は和釘に「願奉 萬民豊楽 荘厳國土」と刻印した。

豊かな経済と福祉国土の建設や基盤の安定を願いを籠めて・・白鷹は和釘を造った。

日本鋼管福山製鉄所(現JFE)が貴重な文化遺産を守る有意義な事業だとして、炭素の含有率が0.1%の古代鉄に近い高純度鉄(SLCM材・特殊鋼)を製造し、採算度外視して白鷹幸伯に用意してくれた日本鋼管福山製鉄所へ感謝を込めて和釘に「NKK SLCM材」の刻印をした。

注:平成8年3月、松山市コミュニティーセンターで白鷹幸伯さんにお願いして講演会を開催しました。その時、白鷹さんは数本の鋳造された和釘を持参されました。講演終了後その和釘の一つを私に下さいました。

その時の和釘を今回掲載しようと探しましたが何処にしまい込んだのか見つかりません。日本鋼管福山製鉄所の刻印がされていましたのは覚えています。
よく探し見つかりましたら桐箱を作り床の間に飾り大切に保管します。

 

4月11日は、西岡常一棟梁の命日、白鷹幸伯の人生の師である。

白鷹幸伯は、生前必ず毎年西岡棟梁の遺徳を偲ぶ法要(木魂会忌)に忘れることなく参列し。
そして薬師寺を訪れ日本の優秀な職人たちが造り上げた建造物を眺めていた。

しかし白鷹幸伯が造った千年の和釘は外からは見る事は出来ない。これぞ誠の縁の下の力持ちの技である。

薬師寺金堂で、高田好胤管主が命がけで再建構想を練り上げ、西岡常一棟梁がその構想に答え、白鷹幸伯鍛冶師が千年の和釘を造り上げ高田好胤管主の念願を叶えた。日本の匠の技の結集である。

薬師寺大講堂で、中には薬師寺再建に関する資料も展示されているが、小学校5年生の国語の教科書に「千年の釘にいどむ」と題して教材として掲載されている。・・この教科書が展示されている。

小学校5年生の国語の教科書に、白鷹幸伯の「千年の釘にいどむ」と題して教材として掲載されている。・・この教科書が薬師寺大講堂に展示されている。

薬師寺の関係者の了解を得て撮影した。

小学校5年生の国語の教科書に、白鷹幸伯の「千年の釘にいどむ」と題して掲載されている。・・この教科書が展示されている。

薬師寺の関係者の了解を得て撮影した。

小学校5年生の国語の教科書の表題誌。

和釘造りの第一人者であった白鷹幸伯は、奈良・室生寺や山口・錦帯橋・松山城天守平成の大修復工事、大洲城復元・愛媛県武道館建設にも携わった。

愛媛県武道館は、愛媛県産の木を使ったオール木造の巨大な建築なので白鷹幸伯の千年の和釘が必要であった。

注:平成10年9月22日台風7号で、女人高野室生寺の五重塔が大きな被害を受けた。その修復工事に使われた和釘は白鷹幸伯鍛冶師が鋳造した。

法隆寺iセンター2階に展示されている白鷹幸伯の「千年の釘」と説明資料文。

法隆寺iセンター2階に展示されている白鷹幸伯の「千年の釘」。

松山城小天守に展示してある和釘と木組み展示。

白鷹幸伯鍛冶師作品の資料展示館紹介。

白鷹幸伯さんの作品、資料館が神戸市と西条市にあるが、出身地である松山市には残念ながら資料館も展示館もない。

もし千年の和釘が工芸品であれば、重要無形文化財の保持者に指定されたかも?
和釘だから使われると外から見ることが出来ない釘だからか。
しかし文部省は多大な鍛冶師として教科書に取り上げた。

人間国宝に指定されてもいいくらいに多くの賞を受賞している。主な賞は下記の通り。

伝統的技術者賞(平成9年)

吉川英治文化賞(平成13年)

愛媛県功労賞(平成16年)

日本建築学会文化賞(17年)

テレビ愛媛賞(平成17年)

地域文化振興賞・文部科学大臣賞(平成18年)

読売あをによし賞(平成21年)

 

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6 コメント

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修理固成 (日本刀ファン)
2020-09-26 17:12:20
安来のたたらはいい素材を提供してますね。
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トランプエレメント (サステナブル)
2022-06-16 11:42:03
 しかしその効果が発現するSLD-MAGICという材料を作るとき壮絶な苦労があったと聞きます。炭素の結晶ををうまくGIC化させるためにこの特殊鋼はCuとSが添加されていました。これは、教科書的には最もやってはいけない合金設計の組み合わせです。しかしひるむことなく久保田博士はそれを敢行し、巨大な不良の山を築いたらしい。それでもあきらめず、黒字に転嫁したのはなんと6年後であったという。これは赤熱脆性とよばれ鉄鋼技術者が真っ先に嫌う現象で、赤く焼けた巨大な鉄塊が圧延や鍛造中に真っ二つに割れてゆくことである。
 この原因をしぶとく究明してこの材料は実用化されたのがその舞台裏である。
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極圧添加剤研究者 (トライボシステム)
2022-08-25 01:46:42
それらの元素はトランプエレメントとも呼ばれていて製造効率を著しく下げる、専門書ではやってはいけないと書かれていることですね。たぶんよほどの強い信念か理論の出来かけがないとできないですよね。
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マルテンサイトのものづくり (表面処理関係)
2024-02-06 19:18:53
プロテリアルの方の話ですね。最近は人工知能(AI)がらみで材料物理数学再武装というのが有名ですが、それが強い信念を示しているのかもしれません。応用範囲が広いらしく分野横断的なので科学哲学だという人もいます。
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山陰鉄道で旅でも (金融関係)
2024-02-12 04:53:22
安来市にある和鋼博物館は一度行ってみたいところです。
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グローバルサムライ (刀鍛冶の里より)
2024-07-20 10:38:39
鉄の道文化圏も鬼滅の刃ブームで巨大割石のある天馬山とかでインバウンド観光ルートなどとしても脚光を浴びているようですね。国土の70%を占める森林から鋭い切れ味の日本刀の原料、玉鋼ができるとはなんとも因果な話ですね。
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