EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

私の回想・秋山兄弟生誕地開館10周年 3

2015年01月29日 | 伊予松山歴史散策
平成20年8月30日、秋山兄弟生誕地に藤本隆宏さんが来られました。
藤本さんが演じるのは、海軍中佐・広瀬武夫役です。
広瀬武夫は、秋山眞之の海軍兵学校二期先輩の第15期生で、秋山眞之は、第17期生でした。
眞之は、伊予松山藩出身者と言う事でよく先輩達に苛められた。(理由は、松山藩は親藩で、長州討伐に幕府の命を受け先発隊として攻め込んだ、それで朝敵とされ、特に長州の先輩に苛めを受けた)これを庇ってくれたのが広瀬武夫であった。卒業後も親友として交際があったが、旅順港閉塞作戦に従事し撤退時に広瀬は杉野孫七上等兵曹がいない事に気づき杉野を助けるため一人沈み行く福井丸に戻り戦死した。享年36歳であった。
その後軍神となり銅像が、岐阜県高山市の城山公園に胸像を、東京の旧万世橋駅前に銅像を、誕生地大分県竹田市に立像が建てられた。(万世橋駅前の銅像は無くなった)
さて、藤本隆宏さん来館には、あらかじめ連絡がありましたので研究員達も心してお待ちいたしておりました。
お越しになられた第一印象は、元オリンピック水泳個人メドレー日本代表選手(昭和63年ソウル五輪200m・400m個人メドレー出場・平成4年にはバルセロナオリンピックで2大会連続のオリンピック出場を果たすと400m個人メドレーで8位入賞、同種目で日本人初の決勝進出を果たした。)として活躍されたスポーツ選手ですが、その経歴は表に出さず、気さくで明るい性格の方で、そして礼儀正しい中にも、気軽に話しかけられる雰囲気を持つ俳優さんでした。
NHKスタジオパークに出演された時、アカペラで歌を披露されましたがお上手でした。
画像は、平成20年8月30日に秋山兄弟生誕地に来られた藤本隆宏さんです。

註:秋山兄弟生誕地に携わる研究員は16名が在籍しておりますが、殆どが女性で、秋山好古、眞之が生きて来た経緯に感銘して、その過程を勉強して来館者に奉仕活動としてご案内いたしております。


藤本隆宏さん、先ずは最初に秋山眞之の胸像に行かれました。
無言で暫く佇んでおられました。役柄の言葉では、「秋山、広瀬だ来たぞ」
役を演ずる藤本さんとしては「広瀬武夫役を演じます藤本です・・と言われたのでは?」


座敷に上がって頂き記念の写真を撮らせて頂きました。


研究員の説明を真剣に聞いておられました。


研究員からのおねだり「一緒に写真を撮らせて下さい・・ハイいいですよ」


畏まってもう一枚記念写真を・・秋山眞之胸像の前で。


藤本さんにも色紙に、記念の一筆をお願いしました。


予定の行動も終わり、藤本さんのお帰りです。
一人一人にお礼の握手をされて秋山兄弟生誕地を後にされました。
本当に気さくな素敵な方でした。
秋山兄弟生誕地に来て頂き有り難うございました。
何時までもお元気でご活躍下さい。

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私の回想・秋山兄弟生誕地開館10周年 2

2015年01月28日 | 伊予松山歴史散策
平成19年10月11日に秋山兄弟生誕地に本木雅弘さんが来られ、次にお越しになった方が竹下景子さんでした。
平成20年2月12日、暦の上では立春迎えた季節ですが、未だ2月、寒い日でありました。
竹下さんの来館目的は、NHKスペシャルドラ坂の上の雲の番組紹介の一編として秋山兄弟生誕地での収録が目的で来られました。早朝NHK撮影スタッフの皆さんが機材を持ち込み録画の準備の間、秋山兄弟生誕地の生家の武道場で研究員が秋山家の概要をご案内しました。
秋山兄弟生誕地の生家、武道場等々の施設は、冷暖房の設置はなく、武道場に石油ストーブ数台で暖を取りました。それから本木雅弘さんもご覧になった秋山兄弟生誕地が制作したオリジナル映像をご覧になり収録に入られました。
竹下景子さんが演じる役柄は、秋山好古・眞之の母親を演じられました。母、貞は、伊予松山藩山口正貞の次女で、文政10年(1827)11月14日生まれ、明治38年(1905)6月19日没、享年78歳で、墓所は東京青山霊園に好古と一緒に眠っています。
竹下景子さんの印象は、言葉遣いが丁寧で、物腰の低く、控え目で凄く好感の持てる俳優さんでした。収録の間にも気さくに秋山の関係者と会話をさせて頂きました。映像で拝見するよりも美しい方でした。
画像は、平成20年2月12日に秋山兄弟生誕地に来られた竹下景子さんです。


秋山兄弟生誕地で収録のカメラテストをされる竹下景子さん。




収録の前です。秋山兄弟生家、武道場には冷暖房設備はなく、画像の様にストーブで暖を取って頂き秋山兄弟生誕地が制作したオリジナル映像をご覧になり、研究員が秋山家の概要を説明しそれを聞かれて収録に入られました。この日の収録は番組紹介用の収録でした。


いよいよ生家内での収録、NHK収録スタッフも準備万端。


無事予定の収録を終えて一息つかれた竹下さん。・・ご苦労様でした。


本木さん同様に色紙に記念の字を書いて頂きました。
竹下さんは、何時も落款をお持ちで、落款に使う朱肉にも色んな朱色が有りますが、その朱色にもこだわりを持っておられました。落款も有名な方が竹下さんに特別仕様で造られたようです。


全ての予定も終了し、秋山兄弟生誕地関係者と記念写真を撮らせて頂きました。
ご苦労様でした。
何時までもお元気でご活躍下さい。

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私の回想・秋山兄弟生誕地開館10周年 1

2015年01月26日 | 伊予松山歴史散策
平成17年1月19日、秋山兄弟生誕地は再建事業が完成し、一般に公開開館して今年1月19日で10周年を迎えました。
開館当時から研究員として携わり、特に秋山好古が揮毫した石碑の調査を専任で行って来ましたその回想として数回に渡り記してみます。
先ず鮮明に記憶に残る事は、本木雅弘さんが予告なしに来館された時です。
NHKスペシャルドラマ坂の上の雲のロケに入る前にお越しになられました。
私に掛けられた第一声は、「この度、NHKスペシャルドラ坂の上の雲で、秋山眞之さんの役を演じさせて頂くことになりました本木です。
今日は勉強に参りましたので宜しくお願いします。・でした。
言葉遣いが丁寧で、礼儀正しいく、真面目な俳優さんだと感じました。
秋山眞之もこんな素晴らしい俳優さんに演じて貰い幸せだと嬉しく思いました。
画像は、平成19年10月11日に秋山兄弟生誕地に来られた本木雅弘さんです。


秋山兄弟生誕地に来られ丁寧な挨拶された本木雅弘さん。
眞之の胸像に一礼され暫く佇んでおられました。その後に写真を撮らせて頂きました。


秋山兄弟生誕地が制作したオリジナル映像を真剣な眼差しで、特に眞之に関する映像をしっかりとご覧になっておられました。


続いて、研究員が生家をご案内しました。それを聞く本木さんは、熱心で真剣そのもの、本当に勉強に来られたなと傍にいて感じ取れました。眞之の生家をご自分の目で確認され、49歳で短い人生を終えた眞之を演じる一つの指針となり本番ロケに入られたと思います。
本当に素晴らしいお人柄の方でした。


最後に、秋山兄弟生誕地の記念に致しますので、色紙に字を書いていただきました。
書き終えた色紙を頂き見てビックリしました。文字が素晴らしいので、お供の方にお聞きすると、書道7段ですと言われまたビックリでした。!
色紙は、秋山兄弟生家に展示しております。


本木雅弘さんに書いて頂いた記念の色紙です。
色紙は、大切に保管いたしております。何時までもお元気でご活躍下さい。
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秋山兄弟生誕地 開館10周年

2015年01月23日 | 伊予松山歴史散策
1月19日、秋山兄弟生誕地開館10周年を迎えた。
秋山兄弟生誕地生家・兄弟の銅像は、全国の秋山兄弟生家復興にご理解のある皆様約1万人を超える方々から醵金を頂き此れを基金として平成15年12月9日から整備開始し、平成17年1月18日完成・翌19日から一般公開した。
1月19日が開館10年を迎えた。
平成17年1月18日復興整備事業が完成し、この日、NHK朝のニュース「おはよう日本」で完成した生家をライブで放映し、事業の完成が全国に紹介された。
なお、生家の概要は下記の通りであります。

1、 所在地  松山市歩行町二丁目3番地6
公益財団法人 常盤同郷会「管理運営母体」
2、 敷地面積 829,74平方メートル(250,99坪)
3、 生家   
木造瓦葺平屋建 95,65平方メートル(28,93坪)
4、 武道場
        木造瓦葺平屋建 183,13平方メートル(55,39坪)
秋山の祖は、1635年(寛永12年)第3代将軍徳川家光の時、伊勢国桑名藩主松平定行を伊予松山藩主として15万石で転封の命を下した。(松平定行は、徳川家康の異父同母の弟の子供)この時、今治藩士であった秋山は、伊予松山藩士となり、現在の生誕地に居住したのは、藩政末期の天保年間(約178年前)といわれている。

好古が北豫中学校長時代に住んでいたのは、誕生当時の家に(4部屋と土間・台所の質素な家)若干手を加えただけのものだといわれています。当時の設計図は無く、秋山家の子孫の方から伝聞、特に好古が住んでいた当時しばしば訪問していた親戚の石井悦子さん(群馬県在住)や好古四女・米田治子さん(故人)から聞き取り調査及び当時の写真を参考にして建設した。建物の位置は、銅像建設の為当時より北側に寄せて再建している。

内部の調度品の内「甲冑」は、石井悦子さんが入り口の部屋に「鎧があって恐かった」との証言に基づき設置した。
生家復興建築については、現行建築基準法に基づき厳しい制約のなか、出来る限り忠実に元に近い形と(秋山家親族の証言を参考に)して復興した。
開館10周年、NHKスペシャルドラマ坂の上の雲の再放送いい時期に放映して頂いておちます。NHKに感謝です。

画像は、平成17年1月19日秋山兄弟生誕地一般公開した10年前の画像です。光陰矢の如し、10年の月日瞬く間に過ぎ去った。


平成17年1月18日完成した秋山兄弟生誕地。・・周囲の建物は省いております。


生誕生家内部、座敷と北の間。


生誕生家裏庭、この地は昭和20年7月26日、深夜から攻撃された松山大空襲にて旧松山市街は焼失、生誕地生家も全焼失、画像の石碑とその奥に見える井戸のみが残り大切に保存管理している。井戸は江戸時代からの現存である。この井戸の水を飲み育った。
石碑の題額「秋山両将遺邸之碑」の揮毫は、騎兵隊の後輩である、陸軍大将南次郎が揮毫した。註:井戸は江戸時代からのもので現存です。


生家の東側から好古騎馬像を見る。


好古騎馬像、好古は生前、家族や関係者に、銅像・石碑・仰々しい墓など造るな、家は借家で結構であると言い、東京では借家生活であった。昭和11年松山の関係者は、この時代になれば好古さんも許しが出るだろうと、同年1月道後公園(中世の城跡・湯築城)に銅像を建造した。しかし残念に昭和18年、先の大戦金属供出により無くなった。


昭和11年1月11日、松山の関係者が建造した当時の秋山大将騎馬像(道後公園に建造)。現在生誕地に再建立された騎馬像は、県立松山北高等学校(旧北豫中学校)校長室のあるレプリカを元に、忠実に復元された騎馬像である。製作は、富山県高岡市の某会社製作。


秋山眞之の胸像も復元設置、尊敬する兄、好古と目線を合わせて背地位している。製作は好古騎馬像と同じ製作所。全国の秋山兄弟生家復興にご理解のある皆様約1万人を超える方々から醵金を頂きました皆様の名簿は、眞之の胸像の中に大切に保管保存いたしております。


本物の秋山眞之の胸像で、眞之像は先の大戦金属供出を免れ、現在は海上自衛隊幹部学校に大切に保管されている。画像は、平成17年5月12日、海自の許可を得て撮影した。秋山邸の眞之の胸像はこの胸像の複製である。


平成27年1月18日開催された、秋山好古生誕156年祭で、武道場で式典を終えて記念の餅つき風景。・・開館以来毎年1月に開催している。


平成26年3月16日開催された、秋山眞之生誕146年祭で、武道場での式典風景。式典後、毎年お茶会が開かれる。今年は、147年祭3月に開催されますので是非お越し下さい。


画像は、平成17年7月31日、来館者2万人達成感謝日として、何れの方が該当者になるのか?関係者一同お越しをお持ちしておりました。同年7月31日午前10時59分名古屋市からお越しになったご家族が該当に決定し記念写真を撮らせて頂いた。


開館以来2万人目の名古屋からの来館者、記念のテープをカットして入館していただいた。秋山好古は、軍人になる前は、教師とし名古屋師範学校附属小学校の教員であったので名古屋から来られた方が2万人目の該当者になるとは縁は不思議なものである。!関係者は驚いた。


平成17年7月31日は、予想としては午前中に来館2万人達成記念日を迎えるのは間違いなしで、松山の報道関係者にも案内をしていた。・・果たして2万人目の方はどちらから来られる方か関係者と、報道機関待ち詫びた。・・結果は名古屋市の方で記念の感謝状と花束を贈呈、該当者になられた方は、まさかこんな記念の日に来館出来て感激ですと、秋山兄弟は大好きです・・一生の思い出になりますと語られたのは、10年前の事であります。・・月日の経過は凄く早いです。
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秋山好古生誕156年祭開催

2015年01月19日 | 伊予松山歴史散策
NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』が再放送されています。その主人公の一人であります「秋山好古」の生誕156年祭が平成27年1月18日、秋山兄弟生誕地で中村愛媛県知事・野志松山市長のご出席の下厳かに行われました。
好古は、安政6年1月7日、現在の松山市歩行町二丁目3番地6に伊予松山藩徒歩目付けの父、秋山久敬、母・貞の三男として誕生、幼名信三郎、元服して好古となり、正式には、秋山信三郎好古であります。親しい人々は愛称で信さんと呼ばれていました。16歳のとき、福沢諭吉の「学問のすすめ」に共感し此れからの近代国家構築には、青少年の教育が必要と考え教育者を目指し、18歳の時、大阪高等師範学校に学び卒業後、名古屋高等師範学校付属小学校に赴任しましたが、同校で郷土の先輩、和久教務官と、名古屋鎮台山本武官の強い勧めで明治10年4月、陸軍士官学校騎兵科に入学しました。卒業後、日本の騎兵隊を創設、日本騎兵の父と言われました。

その後大正12年元帥に推薦されるもこれを辞退、大元帥(大正天皇)は驚かれ、未だかって元帥を辞退した者はいなかったからです。大元帥は、元帥を辞退した秋山好古に、特旨として官位従二位を与え好古は、官位従二位を拝命し大正13年郷里の伊豫松山から強い要望に答え北豫中学校長として昭和5年3月まで本来の教育者として勤務し、故郷の青少年の教育に尽くし同年3月北豫中学校長を辞任、東京に帰る途中、大阪の新田長次郎氏を訪れ、共に愛読した「学問のすすめ」で二人は大きな志を抱き、座右の銘は二人とも「独立自尊」で一夜を語り明かし、東京に帰りました。その後体調を崩し11月4日、陸軍軍医学校で永眠しました。(享年72歳)現在東京青山霊園に眠っています。
生誕156年祭は、秋山兄弟武道場で、秋山兄弟柔道部・合気道部の稽古始めも行い記念の餅搗きを行い、偶然来館したお客さんに搗きたてのお餅を振舞い美味しく賞味する事が出来、いい時に秋山邸に来たものだと喜んでいました。全国の秋山フアンは、好古さんは生誕156年になるのか、生前はお国のためにご苦労様でしたと、好古騎馬像に対して言葉を掛ける来館者もおられました。
註:秋山好古の信条、「質素にして清く正しく心豊かであれ。」元気な間は、働くべき、仕事はその気で探せば幾らでもあります」。座右の銘「独立自尊」であります。
好古は、父の教え守り、勉強すれば貧しい人間にはならない、そして大きくなった暁には、私利私欲を捨て、世の為・国の為・人の為・故郷の為に役に立つ人間になりなさい。・・父の教え貫き72歳を全うされました。元帥を辞退したのも、父の教えの一つ「私利私欲を捨てて」が何時も脳裏に有ったのではないでしょうか?
昨年、好古には嬉しい出来事がありました。それは、新潟市民文化顕彰に好古が揮毫した石碑で新潟市江南区沢海にある「忠魂碑」が市民文化顕彰に認定されました。地元新聞「新潟日報」は大きく報道されました。

画像は、秋山好古生誕156年祭の様子であります。ご覧ください。






舞台に飾られた秋山好古生誕156年祭、カラー肖像画は、千葉県習志野市学園大久保商店街、三橋正文理事長からの寄贈です。


秋山好古生誕156年祭開催にあたり挨拶をする、公益財団法人常磐同郷会、平松昇理事長。(財団法人常磐同郷会は、秋山兄弟生誕地の管理運営母体)


平松昇理事長の挨拶を真剣に聞き入る参列者、今年も山下亀三郎関係者の方々が東京からお祝いにお越し頂きました。秋山兄弟武道部「合気道・柔道部」の門下生も正座をして聞いていました。


好古生誕156年祭、来賓の挨拶をする野志松山市長さん。特に秋山兄弟武道部「合気道・柔道部」の門下生にこの武道場は、秋山眞之さんが松山の青少年の文武両道の場として開かれた施設です。眞之さんの意思を受け継いで今年も鍛錬して下さい。期待しておりますと、挨拶されました。


自民党愛媛県連幹事長、竹田県議の挨拶、その中で、現在NHKスペシャルドラマ坂の上の雲が再放送されておりますが、再放送の請願は秋山生誕地から起こしました。是非再度放映をご覧いただき当時大きな問題を抱えていた日本が存亡を掛けて祖国を守った事柄です。その精神を受け継いでこれからも良い日本を造って行きましょうと挨拶された。


平松昇理事長が、柔道部・合気道部の稽古始めに先立ち鏡開きを行った。
理事長も柔道有段者です。


好古生誕156年生誕祭を「伊予水軍太鼓」の皆さんが特別出演、生誕祭を祝って頂きました。


野志松山市長さんに入って頂き、秋山兄弟武道部門下生と指導者との合同稽古始の記念集合写真です。


秋山好古生誕156年祭にお越し頂いた来賓の方々。東京からお越し頂いた山下様、野志松山市長様。


好古生誕156年祭式典も終わり、いよいよ武道部の稽古始です。


式典後、生誕地では、恒例のお祝いの餅つきが行われ、最初は、中村愛媛県知事が餅をつきあげ鏡餅を作り、好古の騎馬像にお供えしました。


続いて、野志松山市長さんが杵を持ち出来上がった餅は、参加者に振る舞い餅として配られました。


好古生誕156年祭を多くの人々が生家に来て祝ってくれる様子馬上から、好古は、「おおきに・・だんだん・うれしいぞな」と言っている。・・と思います。


搗いた餅を、色んなお餅に仕上げるのは、秋山兄弟生誕地女性研究員達で、大忙しでした。お餅を食べた人曰く、最近は機械で搗きますが、手で搗いたお餅は美味しいです。・・と言われました。
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