EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

豪華客船「サン・プリンセス号・松山港寄航」

2013年05月31日 | 伊予松山歴史散策
平成23年9月26日、飛鳥Ⅱが松山港寄航以来の大型客船松山港寄航である。
松山市は、5月31日「サン・プリンセス」船内見学を実施にあたり見学応募をした。
私も応募したが、定員を大幅に上回り抽選の結果残念ながらもれ、幸運400名が館内見学した。
今日外観だけでも見学しようと思い松山港に行った。昨晩入港し今日は、松山市内観光して午後5時松山港を出航した。

今回の船旅は、5月27日横浜港を出航して、28日名古屋・29日神戸・31日松山・6月1日韓国釜山・2日鹿児島・3日別府・5日横浜港で下船する船の旅。松山では、松山城・道後温泉等々見学した。
なお、サン・プリンセスは、松山港に入港した客船のなか過去最高の大型客船である。
今回の船旅の料金は、9泊10日で、12万9000円~62万9000円(1名分・食事込み)。

サン・プリンセス号の概要

就航年 :平成7年
総トン数:77、000トン
巡航速度:21ノット(39km/h)
全  長:261m
全  幅:32m
乗客定員:2,022人
乗組員数:900人
船  籍:バミューダ






船籍:バミューダ国旗を掲揚して入港。バミューダはイギリスの海外領。


サン・プリンセスの船名。


松山入港に際し、日章旗とアメリカ合衆国の国旗をデッキに掲揚。








乗船者は、下船して松山観光に出発。


サン・プリンセスの後姿。
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瀬戸大橋開業25周年記念・瀬戸大橋主塔頂体験紀行 3

2013年05月29日 | 伊予松山歴史散策
今回の主塔登頂体験に参加して感じた事は、唯175mからの眺望を期待して行ったのではなく、鉄道・道路を支えている構造物の仕組みと、その保守管理の大切さと、大変さを見たかった。よくブログ等々に書かれている事項に通行料金が高額であると書かれているが、瀬戸大橋の現状維持をしていくには莫大な維持費がかかっている。その一部を利用者負担は必要だと思う。
経費を節減し保守が疎かになると大惨事の原因となりかねない。
鳴門大橋を設計した構造建築設計師は、念入りに保守点検をし補修をしていけば200年・300年の耐用は大丈夫と言っていた。
今回の主塔体験最後の画像です。


主塔175mにある西東の塔を直結している水平台中央から見た香川県坂出市方面、橋は北備讃瀬戸大橋で全長1611mある。


此方は主塔水平台から見た岡山県倉敷市方面。左下は与島PA、左右のケーブルは、直径100cm、管理職員はこのケーブルの上を歩いて主幹ケーブルの点検をするそうだ。


北備讃瀬戸大橋の主塔水平台で体験者は記念の写真を撮っていた。


北備讃瀬戸大橋の主塔からの眺望も楽しみこれから下りる。


帰りは、東側の主塔から下りる。潜水艦の内部の様な構造。小さな出入り口を潜り、急な階段を下りる緊張の連続。


主塔階段を降り、定員5名の小さなエレベータに乗り、再び東側の管理用通路に出た。通路鉄材は錆が出ているが、主要構造物は、塗装が施されキチンと管理保守が出来ていた。


主要構造物以外の補助構造物はかなりの錆が出ていた。これらの補修塗装するのは今後8年位掛かるそうだ。


東側の管理用通路を歩く体験者。左にJR瀬戸大橋線の路線が見える。


ちょうど列車が通過、大きな騒音であった。


列車走行時の騒音は左右に音が分散、上は道路なので音は抜けない。
橋脚下には民家がありこの間を通過する際騒音を抑えるよう速度を落とし運転、そして防音壁を施している。西側にはない施設。


管理用通路で主要構造物の下を這うように潜る難所。


北備讃瀬戸大橋の下側。この間が海面から一番高い区間で50万トンタンカーも通過出来る様設計してあるそうだ。


無事アンカレッジ内部に帰り着いた。内部には現地説明が出来なかった箇所をパネル展示がしてあった。


最後に与島PAに展示してある主幹ケーブルの説明を管理職員さんの説明を聞き本日全ての行程を終了した。日々の保守点検管理業務ご苦労様です。


最後に説明を受けて納得した事項で、外側近くに小さな穴がある。この穴には意味があった。主幹ケーブルは、5,18mmのピアノ線の集合体で全体が直径100cm、個々のピアノ線錆に強が絶対に錆びないとは限らない。錆防止として乾燥した風を送り込んでいるその穴であった。このケーブルの架け替えは絶対出来ない命のケーブルだから。
瀬戸大橋は、建設当時、世界一の技術を持って建設し大きさ、鉄道併用橋としては世界一であったが、近年中国がこれを超える鉄道併用橋を建設、二番目になった。


JR宇多津駅発16時24分の特急しおかぜ17号で帰った。


JR宇多津駅までは、高松発特急いしづち号が先に来て、岡山発特急しおかぜ号を待ち受け、この駅で連結して特急いしづち・しおかぜとなりJR松山駅まで運行されている。


いしづち・しおかぜの連結の瞬間。


今回の乗車券と特急券である。
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瀬戸大橋開業25周年記念・瀬戸大橋主塔頂体験紀行 2

2013年05月28日 | 伊予松山歴史散策
瀬戸大橋(せとおおはし)は、瀬戸内海を跨いで本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ10の橋の総称であり、本州四国連絡橋のひとつ。
なお、「瀬戸内海大橋」という誤記が見られることもあるが、これは本来西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)のことである。かつて2橋の混同を避けるため、瀬戸大橋のことを「備讃瀬戸大橋」と呼称することもあった。・・と記述がある。

画像は、瀬戸大橋主塔頂体験続編2であります。


定員10名の作業点検専用エレベターで65m地点まで上がり、アンカレイジから外に出ると左側に、JR本四備讃線(愛称・瀬戸大橋線)が見えた。主塔体験者はこれから、グレーチングと言う回折格子型制の管理道路を歩く。足元は真下がスケスケ、足を確りと上げないと履先がグレーチングの間に入り転びそうになる。


体験者は気をつけて歩く。


所々で本四公団の職員から説明があるが後ろの者には聞こえない。


これから急勾配の階段を上がる。


急勾配の階段二段を上がりきるり、ふと下を見ると瀬戸大橋線の線路が下に見える。だいぶん上がって来た。将来四国新幹線が開通した時を新幹線のレールも敷設出来る設計になっているそうだ。


二段の階段を上りきると自動車専用道路横に出てきた。


難所の一つ垂直の階段を上る。高所恐怖症の人はちょと無理かも?
手すり等々は錆が発生していた。錆が出ない内に塗装を施さないと!!
しかし肝心な主要の箇所は、平成18年から順次塗装工事をしておりご心配なくとの事。今後塗装完了まで未だ8年掛かるそうです。


5月26日は日曜日でしたが車の量は少なかったです。


これから主塔の中に入り定員5人乗りの作業点検専用エレベターに乗るため潜水艦の内部の様な仕切り部屋を潜りぬける。


エレベターから下りて最後の急勾配の階段をあがると目的地「主塔」に出る。


今回の目的地瀬戸大橋主塔175mの地点。この日は天候もよく香川県坂出市方面、岡山県倉敷市方面も見えた。5月と海上だから大気に水蒸気が少しありくっきりとは眺望出来なかった。梅雨前の時期としてはよく眺望出来たと思う。何よりもよかった事は、風速10m以下であった事が最大の喜びであった。
10mを超えると主塔の下までで主塔登頂は断念するそうだ。


175m地点からみた与島PA。


175m地点真下を見た画像、岡山県方向。


175m地点真下を見た画像、香川県方向。
25年前、真新しいこの道路を5時間掛けて歩いて渡った時は、まさか主塔に上がる事など毛頭考えもしなかった。
こんな大きな吊橋を人間が造るなど凄い偉業であった。そんな事を考えながら歩いた記憶が思い出された。

主塔頂体験紀行最後は、主塔から地上に降りる画像をこの後掲載しますのでまた見て下さい。
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瀬戸大橋開業25周年記念・瀬戸大橋主塔頂体験紀行 1

2013年05月27日 | 伊予松山歴史散策
瀬戸大橋構想は、明治22年大久保之丞(香川県県議)が瀬戸大橋の架橋を提唱、昭和30年5月11日国鉄連絡船「紫雲丸事故」発生以後急速に架橋構想が始まり、長年の四国住民の悲願であった瀬戸大橋は、昭和53年着工、9年6ヶ月の歳月と幾多の難工事を経て、昭和63年4月10日供用開始、鉄道・道路併用橋としては世界一を誇った。

昭和63年4月3日(日)瀬戸大橋開業記念「瀬戸大橋ウオーク」が開催され応募するも外れ、友人の通行手形で、坂出北ICから児島ICまで徒歩で通行した。所用時間は5時間掛かった。その時まさか主塔体験など考えもしなかった。唯唯こんな大きな橋をよくも建設したなとの思いが胸一杯であった。

それから25年の年月が流れ今回は、25年前に歩いた道路を主塔の上から見ることが出来た。
今回はJR四国の企画に参加出来たが、本四道路公団企画の主塔体験ツアーも毎年春と秋に開催されているそうだが応募倍率は7倍だそうです。
主塔付近が風速10mを超えると危険防止の為、主塔には上がれず中止するそうです。
昨日は、風速8m無事体験出来た。


5月26日(日)松山駅発09時15分上り、特急しおかぜ12号に乗車、香川県宇多津駅に11時32分に到着、瀬戸大橋塔頂体験参加者専用のバスが待機、瀬戸大橋を通り与島PAに移動。与島PAで12時00から12時40分まで昼食を兼ねて暫しの休息した。


瀬戸大橋塔頂体験参加者専用JR四国バスのヘッドマーク。


瀬戸大橋開業25周年記念主塔登頂体験ツアーの順路。見学時間は約2時間30分、距離は3kmと説明があった。ガイドをして頂いたのは、本四道路公団の職員さんお世話になりました。


今回の瀬戸大橋開業25周年記念主塔登頂体験ツアーは、JR四国が企画
参加募集した結果定員5倍の応募があったそうだ。5月26日は120名が参加資格をえて1組40名、3団体に分かれ我々は第2団で、画像の団体は第1団組み見学者が検査修理専用道を歩いている。


画像は与島PA展望台からで、この日は好天に恵まれいい眺望であった。


画像は与島PA展望台からで、奥が香川県坂出市。


与島PAに建立されている瀬戸大橋与島PA開業記念碑。


午後12時50分瀬戸大橋主塔登頂体験に出発。
この階段を上がりアンカレイジに入る。
第2団40名は、20名の2班に別れ出発。
この建造物は、アンカレイジで、吊り橋の主ケーブルを引っ張る役目をする。主ケーブルには、鉄道・車、が走行する過重と、橋桁そのもの全体の(鉄道レール・車道・橋の構造物)を支える大切な建造物である。
アンカレイジは、コンクリートの塊と思っていたがそうではなかった。


アンカレイジの壁面で、壁面には段差が付けてある。
これは暴風雨対策かと思って質問すると、橋の下を航行する船舶のレーダーが巨大なアンカレイジで反射され安全な航行の妨げにならないように上向き5度の角度でギザギザの段差を付けたそうです。


アンカレイジの階段を上るとJR本四備讃線(愛称・瀬戸大橋線)の真下に出た。普段は立ち入り禁止場所である。


アンカレイジの内部でこんな空間がある。真上をJR瀬戸大橋線が走行していて、列車が通ると凄い騒音であった。


アンカレイジの内部此処で2班に別れた(10名。)2班をまた2班に分けて主塔に上がる。20名を10名×2にしたわけは、エレベータ定員が10名であったから。画像はエレベータのレール。


アンカレイジ内にあるエレベータ、定員10名。開業当初は観光に一般者を入れる事など計画していなかった。点検作業ようの専用エレベータである。


エレベータを降り階段を上がると左手のJR瀬戸大橋線の真横に出た。


画像は、JR瀬戸大橋線で新幹線も走行出来る様設計してある。
海面か65mの高さまで上がってきた。
続きは、その2に記載します。・・見て下さい。
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珍客訪問・・子供のカラス

2013年05月24日 | 伊予松山歴史散策
一昨日我が家に珍客が訪問した。
午前10時頃、普段聞かないカラスの鳴き声、それも低空で、けたたましい泣き声普段の鳴き方とは違っていた。TVのATに止まったり、屋根に止まって悲壮な泣き声、それも二羽である。どうも我が家に関係する様子で、庭の木を見るとなんと、カラスが一羽止まっている。早速カメラを取り出し撮って暫く様子を見ると、どうも長く羽ばたく事が出来ない様子である。

多分巣立ちの時期が早く、長く飛ぶ事が出来ずに我が家の近くにある天山「記紀に現れる伊予の中に、伊予風土記がある。その中に、天山が出てくる。ある世天から降り降りてくる途中二つに分裂した。その一つが天香具山で、もう一つが伊予の天山である。」ここからどうも来たらしい。飛ぶと言うよりも歩きながら飛んで来たのだろう??

そして我が家の庭木に最初は門の横にある松ノ木に、そして紅葉の木に移り一晩過ごし、翌朝もう一つの松ノ木に移り夕方まで過ごした。家内が心配して食パンを小さく刻み木の下においてやるも食べる気配なし。
その間親は上空から鳴き声を発し、子供カラスも小さな声で自分の所在位置を知らせていた。夕方知らぬ内に居なくなっていた。多分飛ぶ体力が付いたのではないこと思った。
とんだ珍客であった。


我が家にやって来た珍客 松ノ木に不時着。


次に紅葉に移り一晩過ごす。


近づいても逃げようともしない。子供だけど嘴は鋭い。


親が捜しに来て悲壮な鳴き声を発し探す。ATに止まり大きな口を開け子供を呼んでいた。


親が低空飛行して来る・・私が幼少時に見た、戦時中重信川上空で米艦載機、グラマンF6F機と、海軍松山航空隊基地から飛び立った紫電改との空中線を思い出した。


一晩紅葉の木で過ごした子供カラスは、今度はもう一本の松の木に移った。


体毛は未だ青みを帯びている。


親鳥の呼び掛けに小さな鳴き声で答えていた。我が家で二日間過ごし飛ぶ体力が出来たのか夕方居なくなった・・親鳥の鳴き声も聞こえなくなった。
無事再巣立ちが出来たのだろう。先ずは一安心。こんな近くでカラスを見たのは初めてであった。
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