EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

平成30年・伊予郡砥部町赤坂泉の陽光桜只今満開

2018年03月29日 | 伊予松山歴史散策

平成27年11月“知らざる偉人” 陽光桜を作り上げた「高岡正明」さんの生涯をモデルに、人生の真の姿を描かれた映画、「陽光桜」が製作され全国で上映され、一躍知有名になった陽光桜只今満開です。

映画は、主演が笹野高史さん、共演は的場浩司さん、宮本真希さんでした。

その陽光桜が昨年よりも7日早く満開になった。

昨日、鑑賞に行って来たが、風もなく5月中旬を感じさせる絶好の花見日和、近郊の花見客が弁当持参で楽しそうに陽光桜とソメイヨシノ桜二種類の桜を観賞していた。

昨日(3月28日)は、全国的に季節外れの暑さとなり、桜の開花が早まり関係者は戸惑いを感じているそうで、松山でも22、1度となり初夏を思わせる天候でした。

そして、画像の様に結婚式の前撮りに出くわしました。

陽光桜は、松山市近郊の伊予郡砥部町の赤坂泉に90本植栽されていて、陽光桜とソメイヨシノ桜が並列して植栽されている。例年は、陽光桜が早く開花し、花が散ってからソメイヨシノ桜が開花するが、今年は、陽光桜が満開時にソメイヨシノ桜も開花し同時期に二種類の桜を観賞でき豪華な花見が出来ます。

今年は、陽光桜とソメイヨシノ桜が同時に開花したので二重の花見が出来ます。

松山市から花見に来られた女性、陽光桜とソメイヨシノ桜を観賞しながら、花見弁当を食しながら楽しいお話をされていた。

陽光桜を作った高岡さんは、桜を国内外へ無償で贈り続け、明治23年9月16日、和歌山県串本町にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で折からの台風の強風にあおられ岩礁に激突座礁し遭難沈没したトルコ軍艦エルトゥールル号の遭難者を追悼してイスタンブールに贈られた陽光桜が外国に贈った最初で、現在も立派に成長し花を咲かせているそうです。

そう言う経緯を知っての花見をされている方が何人いるのでしょうか?

一級河川「重信川」南岸の堤防に画像の様に、二列に植栽されていて、右側がソメイヨシノ桜で、左側が、陽光桜、同時期の開花する事は珍しく、例年は、陽光桜が先に開花し、その後にソメイヨシノ桜が開花するが、今年は3月中頃から気温が急上昇したため同時開花となった。

陽光桜は、最良の組み合わせで作出され”天地に恵みを与える日の光” という意味の 「陽光」と命名し、農林水産大臣から桜としては全国で初めて種苗登録147号として証明された。
陽光桜は、「天城吉野」に「台湾緋桜」25年の月日を要し交配して作られ、実生苗の中から選び抜き育成されたもので、樹勢は強く、テングス病に強く胴枯れもしない。

高岡正明さんは、元教師だった。送り出した教え子たちが大東亜戦争で戦場に散ったことを悼み、鎮魂の思いでこの桜が生まれることにつながったという。

陽光桜は昨年よりも早く満開となり、「平和のシンボル」として、日本はもとより世界に贈り続け綺麗な花を咲き続けている。

ソメイヨシノ桜で、例年であれば、陽光桜が散り終わるとソメイヨシノ桜が開花するが、今年は同時に開花したので両方の桜を鑑賞出来、花見を嗜む人たちは非常にラッキーです。

愛媛県伊予郡砥部町の赤坂泉にある、陽光桜を作り上げた「高岡正明」さんの顕彰碑、今年は、ソメイヨシノ桜も同時に開花した。

陽光桜は、ソメイヨシノ桜よりも濃い色で、如何なものかと日本国内では批判めいた声があったが、高岡さんは、外国人好みの色合い、これはあえて高岡さんはこの色にしたと言われている。

画像手前が、ソメイヨシノ桜、奥が陽光桜。

結婚記念の写真を沢山撮っていました。

昨日(3月28日)は初夏のような天候で、風もなく絶好の花見日和でした。

 

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小学校から父兄に配布された資料が親御さんたちの間で戸惑いの波紋が広がっている

2018年03月26日 | 伊予松山歴史散策

群馬県太田市教育委員会が新入学生の保護者に対して入学前に躾をしておいて欲しい事を箇条書きにして学校からの要望事項として配布された資料の内容について父兄、特に母親からの戸惑いがTVで放映された。

資料の内容は画像の通りである。

多くの父兄は、急に要望されても、要望事項は学校で先生が指導して下さるものと考えているし、先生の任務の一つではないのでしょうかとの父兄から意見が出た。

 以下は私の独言です。

教育の3本柱は「学校教育・社会教育・家庭教育」で学校教育の専門家は、教師、社会教育は、社会において各自治体が、博物館、図書館、美術館、公民館、大学等で開催する講座等に誰でも参加でき教養を高める教育。

家庭教育は、両親が我が子に対して家庭内で行う教育で、言葉や生活習慣を人が人として生きて行く上最低必要な事柄を身に着ける躾であり、その教育を行う専門家は両親である。

その中でも人の性格や人格の基礎が出来る時期が3歳を境として培われると言われ、これを3歳児教育の大切さと言われている。

 最近、聞くことがなくなったが、家庭教育学級と言う学習が昭和40年、50年代に各自治体の社会教育課・生涯学習課が公民館を中心に開催されていた。

文部省委嘱家庭教育学級・県教育委員会委嘱家庭教育学級・市町村が開催する家庭教育学級が開設されていたが現在は聞くことがなくなった。

 今回、群馬県太田市教育委員会が新入学生の保護者に配布した要望事項は、殆どが家庭教育で行われる事項であるのではないでしょうか。

よく母親から、うちの子は躾が出来てないので先生よろしくお願いしますと言われる母親がいるそうですがそれは間違いである。

 さて、

群馬県太田市教育委員会が新入学生の保護者に配布した要望事項については良く分かるが、急に文書として受け取ると戸惑う父兄が居るのも良く分かる。配布要望するのであれば、もっと早い時期に配布し父兄の心の準備と躾の大切を促し、躾をして上で入学し学校教育の専門家に本来の教育を託すのが家庭教育の専門家である父兄の役割だと思う。

 我が家の近くに幼稚園と保育園があり、母親が送り迎えをする姿を見かけるが中には、たばこを吸いながら、またごみのポイ捨て等する社会道徳には程遠い行為をする親御さんの姿を見る。

子どもは親の姿を見て成長して行く、親の行動も気を付けないといけないなと思う。

 家庭教育が疎遠になったのは、昭和35年池田内閣で策定された「所得倍増計画」が基で、それまでは、家長のみの稼ぎで生活を営み生活は豊かでなかった。豊かな家庭生活を構築するには、母親も働き夫婦共稼ぎの形態で所得を倍増する計画であった。

それが実現し家庭生活が豊かになった。

しかし、その反面こどもの躾「家庭教育が」置き去りになり、女性の社会出現により鍵っ子の家庭が出来核家族が社会問題となった。

本来子どもの躾は両親が行ってきたが、これがおろそかになり、それが学校教育に持ち込まれ本来の先生の職務以外の仕事が増えたと先生たちは思っているのが現状で大変と嘆いている。

今回配布した要望事項は、もっと早く配布し父兄にお願いすればよかったのではないでしょうか。

この事は、群馬県太田市教育委員会だけの事ではなく全国の教委が抱えている問題だと思います。

最近人を安易に傷つける事件が多く発生しているが、これは家庭での躾がおろそかになっている大きな弊害ではないかと思います。

こどもは3歳児教育が大切、3歳になると、人間形成の基盤が培われる非常に重要な時期だそうです。この時に各家庭での躾が必要となる。それを行うのが両親である。

三つ子の魂百まで・・3歳頃までに受けた教育(躾)によって形成された性質・性格は、年齢をとっても根底は変わらない、大切な家庭教育であると言われている。

子どもは、家庭環境の中で、生活や文化の基本となる言語を習得し成長をしていき、その成長の背後には、家庭の雰囲気・家族の一体感・両親の存在があり道徳を吸収し成長して行く。
この世に生を受け、両親、家族、6・3制の義務教育を受け、人は成長して行く。

その過程で多くの人々の支えがあって人は人として生きていける。

人は、生まれた時はみな一緒、その後成長と共に家庭教育・学校教育・社会教育の中で指導教育を受けながら人として人格が出来、その段階でその人が如何に勉強・努力したかでその差が出て来る。・・・と福沢諭吉の学問のすすめの一節にある。

人は、一人だけでは生きて行けず、人の助けが必要で、私もいろんな方々のお世話とご指導を得て現在があり感謝しております。

此れからは、学校と家庭が上手く連携し、より良い教育が遂行され、礼節のある児童の育成が出来る事を祈ります。

若いご夫婦は、松山城には行ったことがないとの由、それで天候も良かったので案内しました。

 参考までに

3月24日、私の知人が息子さん夫婦とお孫さんを連れて倉敷市から我が家にやって来ました。

お孫さんは1歳と2ヵ月の男のお子さんでした。

驚いた事は、お孫さんは未だ言葉を使うことは出来ないが、「今日は、有難う、どうぞ」と言った行為が動作として出来る事でした。

両親が、私に対して今日はと挨拶すると、お孫さんも両親と一緒に今日はと言った動作でお辞儀をするのです。

ミカンが大好きだそうなので、愛媛の名産「せとか」を食べやすくして、どうぞと口に入れてあげると、頭を下げて有難うです。美味しいですかと問うと、美味しいですとお辞儀をするのです。

ご両親、特にお母さんに、お子さんは素晴らしい躾をされていますねと伺うと、此れからは言葉を使うことが出来る年齢になります。友人・知人・先輩・親戚等に伺った時に、礼儀作法が身に付いてないと親が恥ずかしい思いをしますから、今から少しずつ躾をしていますと話され、躾は絵本を使って行っていますと言われた。

これぞ正に家庭教育、素晴らしい素敵なお母さんであると感動すると共に、お子さんの成長ぶりが楽しみです。

 上記の様に心して家庭に於いて躾をされ入学を迎えると,教育委員会が新入学生の保護者に対して入学前に躾をしておいて欲しい事を箇条書きにして、学校からの要望事項として配布する必要がなくなるのではないかと私は感じ取った。

 最後に、昨今、政界・政治家・スポーツ界で色んな問題が起きていますが、幼少期における躾の欠陥で、基本的な生活態度の躾がされなくして大人になった人達ではないかと感じる次第です。

 倉敷の若いご夫婦は、松山城には行ったことがないとの由、それで天候も良かったので案内しました。

松山城本丸にあるソメイヨシノ桜は四分咲きであったが大勢の観光客が来ていた。

本丸のソメイヨシノ桜の中でも一番開花が進んでいた桜で盛んに写真に収めていた。

松山城本丸のソメイヨシノ桜で今週末が満開になり見頃になるでしょう。

 

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秋山眞之を偲び生誕150年祭が開催されました

2018年03月23日 | 伊予松山歴史散策

3月21日(春分の日)、愛媛県松山市歩行町にある秋山兄弟生誕地に於いて秋山眞之生誕150年祭が盛大に開催されました。

この日の天気予報は、降雨率100%終日雨天の予報でテントを張り雨天でも支障のないように準備をしていましたが不思議に日差しが差す天候に急変、式典、お茶会、琴の演奏会、餅つき等全ての行事が終わった3時過ぎから本格的な降雨となりました。

好古、眞之生誕祭は平成17年から毎年開催していますが一度も降雨のない好天の下開催が出来ております。

さて、

秋山眞之生誕150年祭は、眞之のお孫さの青山芳之さん(眞之の次男、固(カタし)青山家に養子の嫡男、東京在住)、をお迎えし、愛媛県知事、松山市長、生前深い交友のあった山下亀三郎家の関係者、地元市民約200名が参加して秋山兄弟生誕地武道館で開催されました。

式典は初めに、秋山兄弟生誕地を管理している、公益財団法人常盤同郷会、平松昇理事長の挨拶で始まり、愛媛県知事、松山市長、海上自衛隊第一術科学校校長、中畑康樹海将補、眞之の孫、青山芳之さんの挨拶がありました。

青山芳之の挨拶の中で、「眞之の名前を知っている人も少なくなってきましたが、司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」、「NHKスペシャルドラマ坂の上の雲」の放映で再び知る人が増え有難いと挨拶されました。

そして、秋山眞之の孫でありながら姓が青山についても説明があり、姓は違うが正真正銘の秋山眞之の孫でありますと挨拶の中で話されました。

最後に秋山眞之の胸像に献茶が供えられ式典は終わり、式典後は、眞之に捧げる琴や水軍太鼓が演奏され、特設のお茶席で参列された人達は暫し眞之を偲んでおられました。

参加した女子小学校6年生は、私たちが住んでいる町に歴史に出て来る立派な人が居た事を今日初めて知りました。此れからも勉強して友人、知人たちに語り継いで行きたいですと話していました。

そして、今回の特別行事である、記念講演が開催されました。

講師は、秋山眞之の後輩にあたる、海上自衛隊第一術科学校校長、中畑康樹海将補の「演題は、伝統の継承~秋山眞之の功績と海上自衛隊」と題して講話されました。

午前9時30分開式、秋山眞之生誕150年祭開催で挨拶を述べる、公益財団法人常盤同郷会、平松昇理事長。

秋山眞之生誕150年祭開催で挨拶を述べる、愛媛県知事の代理で式辞を代読。

秋山眞之生誕150年祭開催で挨拶を述べる、松山市長代理の副市長。

秋山眞之生誕150年祭開催で挨拶を述べる、海上自衛隊第一術科学校校長、中畑康樹海将補。

秋山眞之生誕150年祭開催で挨拶を述べる、眞之のお孫さんの、青山芳之さん(眞之の次男、固(カタし)青山家に養子の嫡男、東京在住)

秋山眞之生誕150年祭で、秋山眞之の胸像に献茶。

生家中庭の眞之の胸像にもお供え物が献上された。

150年祭を祝し正派邦楽会、大師範・琴・三弦前谷雅貴社中の皆さんが演奏した。

琴の演奏の次にネッツ瀬戸内の有志の勇壮な水運太鼓が披露され式典は終了。

その後、生家座敷で、伊豫売茶流・天山会の家元が主宰するお茶会、生家庭では記念の餅つき、記念講演会が武道場で開催された。

秋山眞之生誕150年祭とあって、地元マスコミTV5社と愛媛新聞から取材に来ていた。

生家の座敷で開かれた、伊豫売茶流・天山会の家元が主宰するお茶会で、暫しお茶を頂ながら在りし日の秋山眞之を偲んでおられた。

お茶会に用意されたお菓子「坊ちゃん団子」です。

坊ちゃん団子は、夏目漱石小説「坊ちゃん」に出て来るお菓子で、漱石と秋山眞之は東京大学予備門時代の同級生、そんな関係で坊ちゃん団子が使われました。・・なお、東京大学予備門で秋山眞之は、夏目漱石、正岡子規と共に勉学した友であり、子規は松山中学時代からの同級生であり親しい友であった。

生家中庭にある秋山眞之の胸像の前で記念の餅つきが行われ、参列の皆さんに振る舞われた。

つきあがったお餅を手際よく仕上げる秋山兄弟生誕地の女性研究員で、日頃秋山邸に見学にお越しになる皆さんをご案内しています。

秋山兄弟生家で、今回はここがお茶席となりました。

予報は降雨率100%であったが、天候は急変し日差しが差す好天となりいい生誕150年祭が出来ました。

生家中庭では、眞之が大好きだった「いりまめ」を用意し特別頒布しました。

午前11時から、秋山眞之生誕150年祭、特別記念講演会が開催された。

記念講演の演題は「伝統の継承・秋山眞之の功績と海上自衛隊」で講師は、秋山眞之の後輩で、海上自衛隊第一術科学校校長、中畑康樹海将補(愛媛県立松山東高校卒)が眞之の功績を辿りながら、現在の海上自衛隊の活動と、往年の伝統を受け継がれている経緯を講演されました。

講師紹介

中畑康樹海将補は、昭和38年宇和島市生まれ、昭和51年松山市に転居、昭和56年愛媛県立松山東高校卒、防衛大学電気工学科卒、海上自衛隊幹部候補生学校卒、護衛艦「せとゆき艦長、第4護衛司令、第3護衛隊群司令、練習艦隊司令、防衛監察本部監察官を経て、平成28年12月より海上自衛隊第一術科学校校長。

秋山眞之生誕150年祭、特別記念講演会で講話される「海上自衛隊第一術科学校校長、中畑康樹海将補」

海上自衛隊第一術科学校校長、中畑康樹海将補の講話を熱心に聴く参加者。

中畑康樹海将補は、愛媛県立松山東高校卒、防衛大学を卒業された正に秋山眞之の後輩になられます。

秋山眞之生誕150年祭、特別記念講演会終了後、秋山眞之の孫、青山芳之夫妻と第一術科学校校長、中畑康樹海将補、常磐同郷会平松理事長、鈴木常磐同郷会理事との記念写真撮影。

秋山眞之生誕150年祭、特別記念講演会終了後、秋山眞之の孫、青山芳之夫妻と第一術科学校校長、中畑康樹海将補、常磐同郷会平松理事長、秋山兄弟生誕地研究員一同の記念写真を撮影し全ての行事は終了した。

 

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私の呟き 「改めて小平選手の人柄に感銘!! 」

2018年03月12日 | 伊予松山歴史散策

画像は、平昌冬季オリンピックスピードスケート500mで小平選手が金メダル、韓国のイ・サンファ選手が銀メダル、残念がるイ・サンファ選手を労わる光景で、韓国のTVに流れ話題になったシーンです。

これが世界にも放映され、各国からも素晴らしい行為であると絶賛され大きな波紋がひろがり心温まる話題になりました。

オリンピックと言う大きな大会での出来事は今まで見た事のない素晴らしい場面です。

 さて

冬季五輪終了後帰国した選手は、各関係者に報告挨拶、TV出演等々で大忙し、多忙なスケージュールをこなし、再び次の試合に向けて旅立って行く日本選手、自分が目標とした成績を得た選手、達成できなかった選手、四年後に向けて再出発する選手達であります。

その中でやはり注目されるのが、スピードスケートの小平奈緒選手です。

中国で開催された世界スプリント大会でも、中国の人々から注目されており、日本の国旗を持って応援する中国人、その姿を見ると気持ちが晴れやかになりました。

小平選手、今まで見た事のないスポーツ選手です。

これぞ正にスポーツ、小平選手はスピードスケートを通じて心温まる気持ちのいい行いをしました。・・小平奈緒選手の人柄が出たシーンです。

4年に一度のオリンピックで、金メダルを取るには、日頃から練習して来たスケーターの資質の向上、大舞台でのレースに合わせて、体調を最高に持って行くコンディションづくり、レースに臨む集中力、今まで戦って残してきたトップの戦績を自信として勇気を持って覚悟して戦いに臨み、金メダル確実と予想されながら金メダルを取る度胸の持ち主。

レース後残念がる他国の選手に対して、気持ちを労わる姿を見ていて清々しい気持ちを感じさせてくれました。

世界の人々も絶賛しました。

レース後金メダルを取った嬉しさも程々にして、残念がるイ・サンファ選手を労わる優しい気持ち、その姿を見るとスポーツ選手でありながら、教育者と言った感じがする他の選手とは次元が異なり、何とも表現する言葉が見つからない姿を見ました。

スピードスケート介して外交をした小平奈緒選手素晴らしい。

日本選手団の主将を託されただけあり、立派な品位と人格を持ち合わせた人間小平奈緒選手、全世界の人々の胸を熱くした行為でありました。

選手現役を引退後は、学校の教師になる事が希望の様です。素晴らしい教育者になられると思います。

信州大学教育学部卒業で中高等学校の教員資格を既に取得されている学士さんです。

信州大学は国立大学なのでスポーツ推薦入学など無くて、一般入試で入学、単位獲得にも大学から特別な配慮も受けず取得した頭脳明晰な学士さんであると共に、スピードスケート短距離界の世界第一人者です。凄いですね。

小平選手は、スピードスケートの技術向上の研究と共に、教育者としての理念を勉学した学士さんだから、行動にしても発言にしても中身が他の人と違うんでしょうね。

凄い金メダリストですね。国民栄誉賞に値する行為で、今回の冬季オリンピックで、世界の国々に日本人の良さである道徳心を披露した功労者だと思います。

小平奈緒選手は、勝負根性丸出しでなく、静かに、控え目で、淑やかで、上品な様でレースに臨み、そして表には出さないが真の強い度胸のある選手、予定通りに金メダルを獲得しながら大喜びを表面に表さないお人柄、正に大和撫子なり。

今まで色んなメダリストを見て来たがこんな選手を見るのは初めてであり、今後こんな選手は出て来ないと思います。

オランダ応援団から贈られた帽子かぶり応援してくれた観衆に答える。

金メダル確実と言われ、大きな期待と重圧に負けメダル獲得が出来なかった選手を見て来たが、平然と金メダルを取る度胸の良さも胸の内に秘めている。

オランダでの武者修行の時の記念写真。

前回五輪ではメダルには程遠い成績であった。

とった行動は、オランダに武者修行に行って、スケーティングの技術を見直し、ホームを徹底的に追及して改造し、壮烈な努力を重ねて来た結果が金メダルに繋がった。

その時感じた事は、世界の輪と応援してくれた皆さんの繋がりを感じたそうです。

小平さんにとって勇気は覚悟だそうです。・・オランダでの武者修行も勇気と覚悟、それよりもオランダよく受け入れてくれたものです。

平昌冬季オリンピック終了後日本に帰り、解散式に臨み選手を代表して素晴らしい挨拶を述べ、その後中国で開催の世界スプリント大会に参加した。

 

中国で開催の世界スプリント大会、小平奈緒選手は大人気です。

競技者としてよりも、人柄に皆さん好感を感じたからでしょう。

オランダでの武者修行でスケーティングの技術を見直し、ホームを徹底的に追及し、壮烈な努力を重ねて現在のスケーティングホームに改造、中国選手もお手本にしているとか!!

会場の子供、大人も日の丸を持って小平奈緒選手を応援、国を超えての行為は見ていて気持ちがいいものです。

開場からアナウンスが流れる「ナオ・コダイラ」大きな拍手が起こった。

オリンピックの疲れか記録は平凡であったが一位であった。

これから世界短距離界スケータ達の注目の的となる小平選手、記録もだけど行為が、言葉が、世界中に伝わり、そしてその誠実さが感じられたからでしょう。

今まで見た事のない超一流のスポーツ選手です。

1000mは体調不良のため、結城コーチが出走を止め棄権した。

風邪気味だそうです。

暫く身体を労わり休養して下さい。今や世界の小平奈緒選手ですから。

スピードスケート選手として世界一ですが、どの社会に身をおいても平然と事をなす能力の持ち主、辛口の張本勲氏も小平奈緒選手は素晴らしいと絶賛した。

ご苦労様でした。

此れからもご活躍されますことを祈念いたしますと共に、目標の教師になられます様に。

オリンピック選手団の主将を務めると、金メダルは取れないとのジンクスを見事打ち破り、最高の笑顔で日本の国民に披露されました。

今まで色んな関係者の支援があっての金メダルである事を深く肝に銘じ感謝の気持ちを小平選手流の言葉で表現された。

 

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私の呟き「LS北見カーリング女子にも感銘!!」

2018年03月09日 | 伊予松山歴史散策

冬季五輪でもう一つ感銘を受けたのがLS北見女子カーリングチームで、チームを創設しそれを育成して見事銅メダルを獲得した原動力の「本橋麻里さん」です。粘り強い性格だそうです。

マイナー競技のカーリングを世に広げ、それも北見市常呂町を一躍有名にのし上げた。

LS北見チームの選手集めから、活動資金の支援者依頼、根底から作り上げた功労者、大きな企業の支援がなく大変であったと思う。並みの女性では出来ない指導力と根性のある素晴らしい女性であると感じた。誰にでも出来る事ではない。

「お前が地元で頑張って、道をつくって引っ張ってくれないか」。初代常呂カーリング協会会長の故・小栗祐治さん(当時88)の言葉がきっかけだったそうです。

そしてメダル獲得が出来るようなチームに成長させた。

競技は、メダルを獲得しないと話題にならない。

カーリング女子効果・ふるさと納税の申し込みが急増とか、そだねー!!が一躍有名になった。

ローカル色豊かな快挙ご苦労様でした。そして今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。

今回の五輪は女性の活躍が大きかった。女性が活躍すると華やかである。

そだねー。

この試合を見ていましたが、まさか銅メダルを獲得出来るとは思わず、しかし僅かな望みを抱きながらイギリス最後のスローイングを見ていた。

選手たちもイギリスの最後のスローイングの後、思はぬ結果が付いて来た。

常呂神社の神様が付いていたから!!

念願のメダル獲得、持ち前の爽やか笑顔で、涙の無い表現。

帰国してから各TVに出演大忙し、LS北見女子カーリングチームのインタビューに答える言葉が、事前に用意した言葉でなく、自分たちの感じたありのままの言葉で素直に応対していたのが爽やかだった。皆さんの飾り気のない自然体の言葉で詰まることなく感じの良い受け答えであった。爽やかLS北見、そして何時も絶やす事のない爽やかな笑顔が素敵でしたよ!!

吉田選手の言葉、「正直、この町何もないよね。小さい時はこの町にいても夢はかなわないと思っていました。でも今は、ここにいなかったらかなわなかったって思っています」・・いい言葉です。

やはり戦いは結果を残さないと、メダルが無かったらこんな扱いはされなかった。

銅メダル、立派です。

北見市常呂町には多くの取材カメラが来た。盆と正月が一緒に来たような大変な事になっていた。常呂町始まって以来の出来事だそうです。

3月8日、北見市長に銅メダル獲得の表敬訪問し報告に行った。

市長も大変感激し涙を流しながらお祝いの言葉を述べていた。

3月21日祝賀パレードと祝賀会を開催するそうです。

LS北見女子カーリングチーム大黒柱はこの人「本橋麻里さん」です。

ご両親も立派な方で、は小さい時から良い躾をされたでしょう。

「今年の常呂町の春は、沢山暖かい心がある春でしょう。」

LS北見女子カーリングチームホームグランド、のシンボル「北見市営常呂町カーリングホール」。此れから多くの人が訪れる事でしょう。

五輪出場出発前に必勝祈願に行った「常呂神社」で記念写真。その結果銅メダルを獲得した。

常呂神社の、おみくじと、カーリングストーン・ストラップ。人気が沸騰して暫く手にする事が出来ないとか!!

大会でハーフタイム(モグモグタイム)時に美味しそうに食べていた「赤いサイロ」でTV放映されたため、大人気で中々購入できない有様だそうです。

銅メダルの効果は凄いですね。

 冬季五輪で女子選手が大活躍し日本国民が熱い感動を貰った。諦めず努力すると自分が掲げている目標に辿り着く事が出来る事を確認した人達は多くいたと思う。特にLS北見の女子カーリングの選手をみて感じた人は!前チームから戦力外通告を受け、故郷北見に帰り努力し銅メダルを獲得した。小さい時からの大きな夢「オリンピックに出場しメダリストになる大いなる夢を叶えた。」そして選手達の曇りのない水晶の様な清らかな笑顔、まさにこれぞスポーツマン、日本中を清らかな気持ちにさせてくれた。各TV局は清らしさがあるから番組に取り上げ大きく放映した。また少年少女達に大きな希望と夢を送った。

常呂町に凱旋し、故郷の人、関係者、家族たちと対面して初めて大粒のうれし涙を流した。いい場面でした。

そして日本の常呂町にした。

 

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