秋山好古揮毫の直筆原稿が全国で始めて発見された石碑「御大典記念」
平成31年2月1日現在、秋山好古揮毫の石碑は全国に52基発見されているが原稿が保存されているものは、愛媛県久万高原町中組・三社神社の「御大典記念」のみで非常に貴重な直筆原稿である。
これから訪ねてみよう。
平成24年7月16日、愛媛県久万高原町中組・三社神社に秋山好古揮毫の石碑があるとの情報をいただき取材に行った。その時、小野宮司の母親さんと面談、先々代小野宮司さんが秋山好古揮毫「御大典記念」の直筆原稿を大切に保存していたのを見たそうですが保管場所が不明。見つかったら連絡しますと言っていただきそれから3年の月日が経過した平成27年10月8日、原稿が見つかったと連絡があり、同月13日宮司宅を伺い宮司さんの許可を受け4枚複製を作成する許可を得た。
1、碑 文 : 御大典記念
2、所 在 地 : 上浮穴郡久万高原町中組 三社神社 「注連石」
3、揮 毫 者 : 陸軍大将 秋山好古
4、建 立 者 : 不明
5、建立年月日 : 昭和3年11月
6、石碑大きさ : 高さ 3m 70cm 表幅 42cm 横幅 36cm
7、石碑の由来: 先々代宮司・小野義直宮司が直接秋山好古に揮毫依頼
8、石碑の材質: コンリート
三社神社
揮毫原稿について:秋山好古が揮毫し石碑として建立されているのは、現在全国に52基が発見されていますが、原稿は1件も発見されてなかった。
このたび、愛媛県上浮穴郡久万高原町中組の三社神社、小野哲也宮司宅で全国始めとなる秋山好古直筆原稿が発見された。
好古に揮毫依頼をしたのは先々代、小野義直宮司が行い、宮司はその原稿を大切に軸物として仕上げて保管していた。
この原稿を現、宮司さんの小野哲也宮司が発見された。
宮司さんの許可を得て原稿を復元し現在秋山兄弟生誕地で展示公開している。
原稿をよく見ると、石工さんが石に刻印する作業に必要とされる部位を鉛筆でなぞった個所がある。
先々代の小野義直宮司は、何とか原稿を保存しようと考えた。
原稿を写し取り(複写)石工さんが作業用の物を作り石に刻印し石碑とした。
そして原稿を軸物として仕上げて保存した。
現在、複写は優れた機械で簡単に出来るが、この時代は原稿に和紙を重ね鉛筆で文字をたどり複写する方法しかなかった。
三社神社沿革:
平成24年7月16日(月)午前11時30分現地、上浮穴郡久万高原町中組(旧面河村大味川)に鎮座する三社神社へ取材に行った。
三社神社の沿革は、愛媛県神社誌によると、延暦23年(804-平安時代)6月詔によって、安芸国厳島明神を勧請したという。
天正18年(1590-豊臣秀吉時代)11月三社大明神と号した。
元禄3年(1690-第5代将軍徳川綱吉時代)、安永7年(1778-第10代将軍徳川家治時代)、社殿改築、明治12年(1879)三社神社と改称したとある。
愛媛県久万高原町中組・三社神社の参道に建つ 注連石(しめいし)向かって右に、御大典記念が揮毫され建立されている。
愛媛県久万高原町・三社神社の参道に建つ 注連石(しめいし)向かって左に、昭和3年11月建之・ 陸軍大将秋山好古謹書と揮毫され建立されている。
松山市歩行町二丁目3番地6にある秋山兄弟生誕地に写真掲示されている説明資料。
画像は、秋山好古が揮毫した直筆原稿。
先々代小野宮司が秋山好古揮毫「御大典記念」の直筆原稿を軸物に表装して大切に保存していた。
平成27年10月13日、三社神社の小野哲也宮司を伺い原稿を借用し、4枚の複製許可を受け作成した。
4枚の保存先は下記の通り。
1、秋山兄弟生誕地武道場東側に展示し一般公開している。
2、公益財団法人常盤同郷理事:宇都宮 良治
3、新潟県新潟市江南区横越中央五丁目:北方文化博物館館長 神田 勝郎
4、秋山兄弟生誕地、秋山好古揮毫石碑専任調査委員:仙波 満夫
原稿の大きさ:御大典記念
長さ⇒172cm
幅⇒35cm
寸法は、軸の台紙は含まず
原稿の大きさ:陸軍大将秋山好古謹書
長さ⇒122cm
幅⇒17cm
寸法は、軸の台紙は含まず
平成27年10月13日、小野哲也宮司さんの許可を受け4枚の複製を作成、その1枚を私が軸物に表装し床の間に掲示している。
原稿は、御大典記念と、陸軍大将秋山好古謹書は別々に表装してあったが、私は1枚物として表装した。
秋山好古が揮毫した御大典記念の「念」で石工さんが作業に使うため、和紙に写し取りやすく端々を鉛筆で辿った跡が見える。
平成28年1月11日開催の秋山好古生誕157年祭に会場舞台に展示して参列者に披露した。
平成28年1月11日開催の秋山好古生誕157年祭に際し、中村時広愛媛県知事が祝辞を述べられたその中に、今回発見された秋山好古直筆の揮毫原稿が全国で初めて発見されたことについて触れられた。
平成28年1月11日開催の秋山好古生誕157年祭に参列された、東京在住、秋山好古のお孫さん「秋山哲兒夫妻」
写真左から、公益財団法人常盤同郷理事:宇都宮 良治氏
秋山好古のお孫さん、秋山哲兒氏、哲兒氏の奥様
松山市歩行町二丁目にある、秋山兄弟生誕地武道場東側に展示し一般公開している。
秋山兄弟生誕地武道場東側に展示し一般公開している。
秋山好古揮毫の直筆原稿が全国で始めて発見された石碑「御大典記念」の事が地元新聞「愛媛新聞」が記事として報道した。
平成31年2月1日現在発見されている秋山好古が揮毫した石碑の所在一覧。
平成23年12月1日、秋山好古生誕153年記念に第2版本を発行した「秋山好古揮毫の石碑写真集」でこの時点では48基が掲載されており。写真集刊行後4基が発見されこれが掲載されていないので改訂版を刊行したいと検討中である。
なお、平成21年1月7日、秋山好古生誕150年記念に初版本を刊行している。
画像は、松山市衣山町から撮影した伊予松山城天守と石鎚山・1982m(西日本最高峰)で石鎚山には車で1492mまで行ける道(石鎚スカイライン)がる。
石鎚スカイラインに行くには、秋山好古揮毫した石碑「御大典記念」の前の道路を走行しないと行けないので石鎚スカイラインを走行されるときには是非とも石碑「御大典記念」を見て下さい。
画像石鎚山の裏側が久万高原町中組にある三社神社がある。
愛媛県久万高原町中組・三社神社から石鎚山向けて走行すると大きな鳥居がある。
これからが石鎚山国定公園となる。
大きな鳥居を潜り少し行くと道路標識が出てくる。
直進すると面河渓谷で石鎚山登山口があり面河川の水の色が変わってくる。
国定公園となっている。(石鎚山を始め、瓶ヶ森、伊予富士、二ノ森などが含まれる。石鎚山の西麓には面河渓谷があり、この渓谷も同国定公園に含まれる。)
先程の画像にあるゲート手前を左折すると石鎚スカイライン入り口ゲートがある。
手前に画像の標識がある。
石鎚スカイラインは、冬季閉鎖される。12月1日から3月31日迄。
通行時間もあり午前7時から18時まで夏場は20時迄、詳細は下記に照会の事。
中予地方局久万高原土木事務所
〒791-1201 上浮穴郡久万高原町久万571番地の1
電話番号:0892-21-1210
また、石鎚スカイラインで開催される自転車レース「石鎚山・ヒルクライム」が毎年開催され今年は第9回で平成31年9月8日(日)開催となっている。
急な坂道なので健脚でないと大変なコースである。
久万高原町が掲示している観光案内版。
愛媛県久万高原町を流れる「面河川」で特に、石鎚山登山口当たりの面河川は画像の様に、エメラルドグリーンの綺麗な水が流れている。
原稿が発見された「御大典記念と、陸軍大将秋山好古謹書」の記念碑はこの下流直ぐ近くに三社神社がある。
松山市衣山町から撮影した伊予松山城天守と石鎚山・1982m(西日本最高峰)
この画像を撮影するポイントは限定されたカ所しかなく、撮影状況は、快晴で大気の水蒸気が少なく午後の時間帯であること。
愛媛県久万高原町中組・三社神社は石鎚山の裏側になる。
冬季、石鎚山が鮮明に見える時は画像の様に瀬戸内海伊予灘に綺麗な達磨夕日を見る事が出来る。
但し雲が無い事が条件である。
一級河川重信川河口の伊予郡松前町側から撮影。
一級河川重信川河口伊予郡松前町側から、瀬戸内海の達磨夕日を撮影していると画像の様うな光景に出く会った。