EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

久米地区に現存する常夜灯:その9 鷹子町の常夜灯「2基」

2015年08月31日 | 伊予松山歴史散策
久米地区に現存する常夜灯最後の常夜灯です。
鷹子町にも2基の常夜灯が現存する。
先ずは、鷹子町中岡組(鷹子町の北)古くはこのあたりが集落の中心であった。


所在位置は:松山市鷹子町622番地、高市寛次氏宅西側にある。
常夜灯の側に小さな祠がある。正面は西向きである。「奉獻」と書かれている。


常夜灯裏面で、胴に「組中安全」と刻まれている。


北面の胴に「明治二年巳三月吉日」と書かれている。
今から146年前に建立された常夜灯である。久米地区に現存する中で一番新しい。
昭和21年12月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖震源地として発生した南海地震、松山市は震度4と記録されていが、この時に倒壊し修復したそうだ。





鷹子町にある二つ目の常夜灯。
所在位置は:松山市鷹子町200番地1、佐々木氏宅東、旧街道沿いの南側にあり、鷹子町の南方面地区にあたる。


正面は北向きで、上に「金毘羅・石銕」下に常夜燈と彫られている。


正面から見て左面で、胴に「寛政十二年申三月」と書かれている。
今から215年前に建立された常夜灯である。久米地区に現存する中で一番古い。


常夜灯前の道路は、旧金毘羅街道である。
以上松山市久米地区に現存ずる常夜灯を紀行して来ました。
12基現存する常夜灯たちは、古いものは215年、新しい物でも154年前に建立され、その間の集落が歩んで来た歴史を見て来た。古い時代のような、常夜灯を介しての祭りごとは無くなったが、その地区の文化遺産の一つとして保存し当時の様子を語り継いで行って欲しいものです。
久米地区にはもう一つ石碑がある。それは、四国88ヶ所を巡礼するお遍路さんの道標として建立した「遍路道標の石碑」が10基現存している。古い時代四国88ヶ所を巡礼するお遍路さんたちは歩いて巡礼した。お遍路さんたちの道標として篤志家達が建立した石碑である。これを近日辿って見たいと思う。久米地区には、第48番霊場西林寺・第49番浄土寺がある。西林寺から浄土寺・桑原校区にある第50番繁多寺に行く遍路道にある「遍路道標の石碑」を辿って見る。

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久米地区に現存する常夜灯:その8 北窪田町の常夜灯

2015年08月31日 | 伊予松山歴史散策

所在位置:松山市久米窪田町869番地、今井氏宅西北の道を挟んだ西にある。
久米窪田町(旧北窪田)では、「ジョヤートサン」と呼ばれて親しまれて来た。
常夜灯はかなり風化しておりどちらが正面か分からず、文字も風化の為確認出来ない。
火袋はセメント製のものに取り換えられて、風化の様子を見ると久米地区に現存する中で一番古いものと推察される。大きな地震が発生すると倒壊の恐れがある。


常夜灯南面。


火袋はセメント製のものに取り換えら新しい。


久米地区に現存する中で一番小さく、見落としてしまいそうで私も探すのに一苦労した。
資料によると、常夜灯に用いられた幟が二流れと法螺貝があり、常夜灯隣の岩見宅に保管されていると記載されている。幟の一流れは長さ180cm、幅60cmの赤い生地に「石鎚神社、久米郷窪田村」と白い布地で縫い付けられている。他の一つの幟は、縦120cm、横150cmの白い布に空色で「丸に石」赤で「丸に金」と横に並べ染付られている・・。と記述がある。
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久米地区に現存する常夜灯:その7 南窪田町の常夜灯

2015年08月31日 | 伊予松山歴史散策

所在位置は:松山市久米町窪田町238番地1、加藤氏宅裏にある。
正面は、南方向で金・石と横に書かれ、その下に常夜燈と深く刻まれている。



常夜灯右面(東方向)「萬延二辛酉三月吉日」と刻まれている。
今から156年前に建立された。


西面の胴に「組中安全」としっかりと深く書かれている。


常夜灯建立地の周囲は金毘羅泉の水に囲まれていたが、昭和57年1月、画像の様にコンクリートで埋めたてられた。
この常夜灯は造りがしっかりとしていて揮毫の刻印も深く綺麗な常夜灯である。
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久米地区に現存する常夜灯:その6 高井町の常夜灯「2基」

2015年08月30日 | 伊予松山歴史散策
高井町には2基の常夜灯が現存する。その一つで町の南組にあり、四国88ヶ所第48番霊場西林寺の北側にある。


所在位置:松山市高井町998番地、木原義夫宅裏にある。


常夜灯正面で、胴の正面に「金毘羅常夜灯」その上に「讃 ?」と刻まれている。


北面の胴に「寛政十二年庚申三月吉日」と書かれている。
今から215年前に建立された常夜灯である。


常夜灯の火袋で真ん中に蝋燭が立てられる様に鉄芯が施されている。

高井町には2基の常夜灯が現存する。二つ目町の北組にあり、覚王禅寺(黄檗宗)の南に位置する。

所在位置:松山市高井町879番地、熊馨宅裏にある。


正面は北向きで、胴には奉献と書かれている様に見えるが刻印が浅く風化しており判読が難しい。


南東後ろからの常夜灯。


二つ目の常夜灯の造りは他の常夜灯よりも新しいが、刻印が浅く殆ど文字の判読が不可能である。
北西から見た表側で正面右側に文字が刻まれているが判読不能。
多分建立年月日だと思う。墨を入れると判読可能かも?。
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久米地区に現存する常夜灯:その5 南土居町の常夜灯 「2基」

2015年08月30日 | 伊予松山歴史散策

所在位置は、:松山市南土居町452番地、五十鈴神社境内に2基移設保存されている。
一つの1基は、開と言う場所(遍路道)に面して、大日堂近くにあった。安政6年と刻まれている。
今から156年前に建立された。現在は五十鈴神社拝殿東に移設されている。


常夜灯正面で、胴の正面に「氏子中」と記載されているがその他は風化して文字の確認は不能。


東面で文字判読困難。


もう一つの常夜灯で、以前は五十鈴神社参道にあったが、耕地整理のため大正10年、同神社境内に移設され保存されている。
文字は判読出来ないが、久米郷土誌によると慶応2年と刻まれている記述がある。
今から149年前に建立されたことになる。


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