EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

日尾八幡神社 夏越し祭り(7月30日)

2012年07月30日 | 伊予松山歴史散策
神社の祭礼は、春祭りと秋祭りを基本とし、夏祭りは後につくられた。
日本は、農業立国を国是としてきたので農耕の折り目ごとに祭りや年中行事を設け生活のリズムを作ってきた。

愛媛の夏祭りは石鎚のお山開きから始まり、松山市の夏祭りは、全国でも珍しい鐘馗さんをご本尊としている「鐘馗寺」の夏祭りが毎年7月11、12日に開催され、この日を境に夏の衣替えが行われた。

日尾八幡神社の輪越し(わごし)夏越し、名越し(松山では名越と言う)が7月30日行われ何十年振りかで行ってきた。

名越しは夏の恐ろしい伝染病や水の災難を防ぐことができると考えられ行われてきた年中行事の一つ。
町内の氏子総代が紙で作った人形を各家庭に配布され、人形に息を吹きかけ身体の悪い所を擦り名前を書いて名越しに行く。

神社での輪のくぐり方は、まず、向かって左側の茅輪を中心より1回まわって
次は、向かって右側の茅輪を中心より1回まわります。
そして、もう一回左側の茅輪を中心から1回まわったら神前にて二礼二拍手一礼します。紙にかかれた人形は、ここにある三方の上にお供えして終了。
12月を「年越し」と呼ぶのに対し、6月を「夏越し」と呼んだ。

我が家の氏神様は、松山市南久米町に鎮座します「日尾八幡神社」である。
この神社の由来沿革は、天平勝宝4年(752年)宇佐より勧請し久米八幡宮と号し・・中略応永年中炎上し建造物はもとより社宝旧記等焼失、永享年になって伊豫国守護、河野氏により社殿の修築なったが天正13年河野氏の滅亡により荒廃、慶長8年(1603年)伊豫松山初代藩主、加藤嘉明が松山城の固めとして城山の四方にあたる近郷の八幡八社を選び定められたその中の一社である。

特に第三代伊豫松山藩主、松平定行(徳川家康の甥)以来歴代藩主の崇敬が深い・・棟神社社家に残る藩主の数々の祈願文等々によって伺い知ることが出来る。
またこの神社は、神官三輪田清敏の長男として生まれた江戸末期から明治にかけての書家三輪田米山で有名である。
日尾八幡神社の輪越し(わごし)夏越し、本殿では行わず、楼門で行う。
本殿に行くには158段の石段を登らなければならず、高齢者や、膝の悪い人、夜間になると危険も伴うからであろう。


日尾八幡神社の注連石と朱色の鳥居・・注連石に書かれている文字は、三輪田米山の揮毫である


午後4時楼門に造られた祭壇で平成24年夏越し祭りの神事を行いますと、神にお告げをする太鼓を打つ


楼門に特設された祭殿に、三輪田宮司が祝詞を捧げる


各町内の宮総代が夏越し行事の手伝いに来ている・・総代達にお払いを


神事も終り、最初に宮司が輪を潜り氏子達のこの夏の無事を祈願する


続いて宮総代達が今夏季を無事過ごせるようにと輪を潜る


夜になると氏子達が夏越し祭に・・大勢の氏子で大賑やか












夜店も出点・・大賑やか


楼門を潜ると158段の石段があり、その上に本殿がある


158段の石段を上ると本殿がある・・「日尾八幡神社の本殿」
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今日の道後温泉界隈

2012年07月29日 | 伊予松山歴史散策
今日(7月29日)午前中道後温泉観光ガイド当番日で行ってきた。
松山市は連日31度を越す猛暑日、今朝も午前8時現在30、3度、最高気温は、33、1度であった。

ガイドの申込みのあった大阪市から来られた家族ずれ(小学生と中学生の両親)と、東京から来られた若い女性3名の方々を道後温泉本館界隈を案内した。

皆さん猛暑なので沢山の水分を補給しながら観光をしていた。
温泉に入浴する観光に来たお客さん・・猛暑の入浴ご苦労様です。
画像は、ガイドの合間を見て撮りました。

道後温泉駅前にある表示板


道後温泉駅前にある道後温泉観光会館・・ココに松山観光コンベンション協会道後案内事務所がある・・松山観光コンベンション協会所属のガイドはココで待機し、観光者の希望の観光地と観光時間にあった案内をする・・道後温泉観光に来られ観光ガイド希望の方はお気軽にご利用下さい。時間は午前9時30分から12時00分まで・・無料です


道後温泉観光会館の内部、松山市はもとより、隣接する市町村の観光パンフも取り揃えてある


道後温泉本館で、本館には冷房設備が無く、6月から9月末まで簾を掛け涼を取っている


道後温泉観光会館よこで結婚記念写真(前撮り)を撮る風景に出くわした


坊ちゃん列車1号車をバックに結婚記念写真(前撮り)・・暑い中ご苦労様


若い外国人三人組み大小のリックを前後に背負って・・凄く元気


マドンナと坊ちゃん・・観光記念写真にと


坊ちゃん列車に乗り込む観光者・・道後駅


観光客で賑あう道後温泉商店街(ハイカラ通り)


8月から始まる松山城夏祭りのポスター

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全国高校野球選手権愛媛大会 決勝戦

2012年07月29日 | 伊予松山歴史散策
第94回全国高校野球選手権愛媛大会は今日(7月29日)決勝戦が松山市の坊ちゃん球場で行われ愛媛県立今治西高等学校が6対3で県立川之江高校を下し愛媛県代表となった。
2年連続の12回目の甲子園出場を決めた。
愛媛県代表はここ数年1回戦敗退今年こそは1回戦突破して下さい。
健闘を祈る。


第94回全国高校野球選手権大会愛媛大会決勝戦は今治高校対川之江高校が対戦


いよいよ試合開始球審がプレーボール宣告


今治高校先攻で試合開始


川之江高校の大西投手第1球目を投球


センターから見た画像


画像右に2002年から2011年まで10年間の愛媛大会優勝高校


5回表今治高攻撃の時、一塁手と投手間に上ったフライを投手が落球・・これが切っ掛けで5点今治高は大量点を追加!!


結果6対3で今治西高校が優勝愛媛県代表を勝ち取った
今治西高は進学高で今回も甲子園で試合の無い日は勉強も忘れず行うと思う
横浜の藤井投手が今治西高OB(今治西から早稲田)


大会会長から優勝旗・優勝盾・優勝賞状を授与された


感激の今治西高校


第94回全国高校野球選手権大会愛媛大会ベスト8に残った高校
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昭和20年7月26日、松山大空襲から67年

2012年07月27日 | 伊予松山歴史散策
昨日7月26日は、67年前松山大空襲の日である。

松山市は、昭和20年7月26日、サイパン・イスレイ飛行場の米軍第73爆撃団所属の空飛ぶ要塞、B-29、350機が大牟田・松山・徳山の三都市を攻撃のため飛び立った。その内128機が松山を爆撃し一瞬にして焼け野原となった。

昨日26日、松山市道後姫塚にある松山市平和記念広場で、松山市や遺族会等8団体による実行委員会が主催し、松山市戦争犠牲者平和祈念追悼式があった。野志市長や遺族ら120名が松山空襲や戦争犠牲者へ花や歌を捧げ恒久の平和を祈った。

松山市立拓南中学1年生の丹生谷紫月さんが、平和への思いを込めた作文を朗読。最後に「千の風になって」と「故郷」を歌い献花して式は終わった。
戦争は絶対に引き起こしてはならない、国を滅ぼし家長を亡くした家は家庭が崩壊する。
もう二度と起してはならない・・戦争の悲劇を。


平成17年7月26日、松山市道後姫塚の松山市戦争犠牲者平和祈念碑建立実行委員会が建立した石碑


平和記念広場入口にある「平和記念碑」
松山市制100周年を迎えるにあたり人類の恒久平和を市民と共に祈念しこの場所が平和の心を育てる核となるようここに平和記念碑を建立する・・平成元年8月吉日と石碑裏面にある


平和記念広場正面


平和記念広場には、恒久平和に通ずる記念碑が沢山建立されている


M・K・ガンジーの石碑


平和記念広場、規模は小さいがキチンと整備されている・・すぐ近くに伊佐爾波神社がある


道後温泉駅前から伊佐爾波神社参道があり、急な石段135段を登ると


素晴らしい朱色の伊佐爾波神社楼門が迎えてくれる・・楼門は昭和42年6月15日国指定重要文化財に指定されている


日本三大八幡造りの一つ(宇佐八幡・岩清水八幡)立派な本殿がある
現社殿は、伊豫松山藩松平三代藩主定長が江戸城における流鏑馬の成功を祈願し、その成就を感謝して立て替えたもので寛文4年(1664)から3年の歳月を費やし竣工した・・昭和31年6月28日国指定重要文化財に指定されている


7月30日に開催される夏越祭の掲示板が掲げてあった・・松山市内の神社では7月30日の夏越祭(輪越し・名越し)が行われる
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プロ野球オールスター戦2012第2戦松山大会

2012年07月22日 | 伊予松山歴史散策
プロ野球オールスター戦第2戦は、7月21日(土)に松山中央公園野球場「愛称 坊っちゃんスタジアム」で午後6時2分から行われ全セントラルが4-0で快勝、広島東洋カープの前田健太投手が最優秀選手に選ばれ賞金300万円を獲得した。
観戦者、25,612人がプロ野球夏の祭典を楽しみ県外から各チームの応援団が駆けつけていた。
投手が選らばれるのは2004年オールスター戦第1戦の松阪(埼玉西武ライオンズ)以来である。

東京ヤクルトスワローズは、毎年坊っちゃんスタジアムで秋季キャンプを行っており、ヤクルトの選手達は「松山市を第二の故郷」として、松山のファンの前で活躍した。
また松山中央公園サブ野球場(マドンナスタジアム)では、「の・ボールパーク」皆で野球体験が開催され、元東京読売ジャイアンツの元木さんが野球の講演があった。

松山市でオールスター戦は平成14年7月13日にはサンヨーオールスター戦第2戦も開催され今回は10年振りの開催、地方で2回開催は松山市が初めてである。

松山中央公園野球場「愛称 坊っちゃんスタジアム」の概要
 2000年5月14日完成
 グラウンド面積:14,300m²
 両翼:99.1m、中堅:122m
 外野フェンス高:4.9m
 内野:クレー舗装、外野:天然芝、ファウルエリア(内野側):透水性人工芝
 スコアボード:全面電光式、磁気反転式メッセージボード(3色表示)
 照明設備:大屋根先端投光器×4基、照明塔×4基(最大平均照度:投捕間2500Lx、内野2500Lx、外野1200Lx)
 収容人員:30,000人(内野スタンドは2階建て)
 内野1階:10,200人、内野2階:9,800人、外野:6,200人、立見:3,800人(うち車椅子席136席)
 野球歴史資料館「の・ボールミュージアム」併設
 投球練習場(屋外ブルペン)併設

もともと「野球」という言葉は、松山市出身で俳聖・正岡子規が作ったといわれる俗説があり、野球歴史資料館「の・ボールミュージアム」が併設されている。


ゆるやかな波を描く上段スタンドと大屋根のスカイライン
逆円錐形の上段スタンドとブーメラン状の大屋根は、下段スタンドから鉄骨の柱で持ち上げ、これにより全体に浮遊感をもたせ、『波のうねり』・『鳥の翼』など、自然の形態を自由に連想することができるよう意図しています。
プロ野球オールスター戦第2戦開催の為に、平成24年3月9日「坊っちゃんスタジアム装い新た大改修」をした。


収容3万人の松山中央公園野球場「愛称 坊っちゃんスタジアム」ほぼ満員の観衆であった


5回終了後に披露される野球拳踊りをする地元ダンス倶楽部の子供達


5回終了後に披露する「野球拳おどり」




満席の3塁側内やスタンド


猛烈な阪神タイガース・・凄い迫力のある衣裳


プロ野球オールスター戦第2戦TV中継をするTV朝日中継車両・・全て品川ナンバーの車両・・東京~ご苦労様


すっかり日が暮れた松山中央公園野球場「愛称 坊っちゃんスタジアム」


ライト側スタンド場外からの 坊っちゃんスタジアム


松山中央公園サブ野球場(マドンナスタジアム)に設置された大型TV・・左右二面設置してある


この日はマドンナスタジアムが開放され普段入れない人工芝の感触を確かめながら大型TVでプロ野球オールスター戦第2戦
ライト側奥に見える松山中央公園野球場「愛称 坊っちゃんスタジアム」
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