EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

現存12天守紀行「国宝 犬山天守」2

2010年06月12日 | 往年の名車 メグロ
現存12天守紀行「国宝 犬山天守」2

画像は、木曽川から見た犬山城で、高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名、白帝城と言う。
明治6年に公布された廃城令で、天守を除いて櫓・城門などほとんどが取り壊され、明治24年の濃尾地震で天守の東南角の付櫓が壊れたため、明治28年に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。

また昭和34年の伊勢湾台風で被害を受けたため、昭和36年から昭和40年まで解体修理を行った。
平成16年3月時点で日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されている。
平成18年4月6日、日本100名城(43番)に選定された。
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現存12天守紀行「国宝 犬山天守」1

2010年06月12日 | 往年の名車 メグロ
現存12天守紀行「国宝 犬山天守」1

画像は、昭和27年3月29日国宝に指定された本丸から見た犬山城天守で、天守の形式は、独立式、望楼型、3重4階地下2階である。
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現存12天守紀行 「国宝 犬山城天守」

2010年06月12日 | 往年の名車 メグロ
現存12天守紀行 「国宝 犬山城天守」

1600年の関ヶ原の戦いで西軍に属した犬山城主・石川光吉は改易され、代わって尾張には徳川家康の9男・徳川義直が52万石で入った。
このとき、義直の付家老として小笠原吉次が犬山に所領を与えられたのが犬山領の始まりで、(1617年)義直の付家老である成瀬正成が3万石で入り尾張藩を補佐する犬山成瀬氏がここに成立した。

なお犬山城は、吉次の治世で城下町と城が整備され、最古の天守を持つ城として国宝に指定されている。
犬山成瀬氏はあくまでも身分は尾張藩の徳川家を補佐する重臣という立場であり、独立した大名として見られることはない。
慶応4年(1868年)1月、新政府の維新立藩により、犬山城の成瀬家は正式に犬山藩主となり、尾張徳川氏の尾張藩から独立した。

徳川体制としては「藩」と数えないのが一般的である。
明治新政府は、城の修理・整備を条件に成瀬氏に譲渡し個人の所有となり、平成16年4月に財団法人犬山城白帝文庫の所有となり現在に至っている。
天守は、木曽川南岸海抜80mの断崖にあり、三重四階地下二階である。
城郭の形式は、平山城で天守の形態は、望楼型である。

昭和27年3月29日国宝に指定された。
平成19年11月19日に訪れました。快晴で写真撮影には絶好でした。
画像は、犬山城天守 国宝指定書
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