伊豫松山城は、来年1月15日で411歳を迎える。
徳川家康の許可を得た加藤嘉明は、慶長7年(1602)1月15日に城郭創建に着手、完成までに26年の歳月を要した。この間創建に要する費用捻出に藩の年貢の取立てを高め藩民を苦しめた。また幕末から明治維新に掛けて親藩でありながらある理由で幕府から疎外され、明治新政府からは朝敵とされ住民は苦しんだ。しかしこの苦難を乗り越えて現在の松山があり現在の松山のシンボルである松山城がある。
今の天守は、加藤嘉明が造った天守ではないが、城郭全体は変わっていない。
「降る雪や昔明治は遠くなりにけり」・・中村草田男
昭和の時代も遠くなり、平成24年も過ぎ去ろうとしている。
伊豫松山城は、年中無休で開城しているが、毎年12月29日だけ臨時休業して本壇天守を終日臨時休業して年末大掃除を行い、一年の埃と煤払いを行い、床の間に注連飾りとお供え物を献上し神事を行い、新年を迎える準備をしている。
今日の松山は晴天に恵まれ地元高校生や、日頃から松山城を社会奉仕で支援活動をしている各種グループも松山城に集まり清掃を行い新しい年を迎える準備をした。
今年一番といえる快晴に恵まれ恒例の年末大掃除を迎える伊豫松山天守
年中無休の松山城を今日(12月29日)本壇のみ臨時休業して松山城管理職員が一年の埃、煤払いをする作業初めの訓示をする代表者
地元高校生も参加し清掃持ち場に移動
巽櫓下を清掃する城山支援グループ
東雲口登城道を清掃する城山支援グループ
地元高校生が丹念に清掃をする本丸132mにある井戸の建屋
本壇一ノ門で今日は閉門して一般観光客は入城出来ず清掃関係者は脇戸から入り天守に向かう
いよいよ大掃除本番、天守最上階は標高160mある一年の煤払いをした
某新聞社記者も取材いい写真をと一生懸命
此方は某TV局カメラマン四国一の名城伊豫松山城天守の大掃除年末の風物詩と放映する画像腕の見せどころか!!
午前九時から始まった今年の大掃除、天守は外壁の掃除は終了、画像のように新年を迎える松山の顔、化粧直し完了・・
内部の大掃除はこれから
本丸一番大きい門「筒井門」も化粧直しが終り門松も置かれ元旦を迎えるばかり
徳川家康の許可を得た加藤嘉明は、慶長7年(1602)1月15日に城郭創建に着手、完成までに26年の歳月を要した。この間創建に要する費用捻出に藩の年貢の取立てを高め藩民を苦しめた。また幕末から明治維新に掛けて親藩でありながらある理由で幕府から疎外され、明治新政府からは朝敵とされ住民は苦しんだ。しかしこの苦難を乗り越えて現在の松山があり現在の松山のシンボルである松山城がある。
今の天守は、加藤嘉明が造った天守ではないが、城郭全体は変わっていない。
「降る雪や昔明治は遠くなりにけり」・・中村草田男
昭和の時代も遠くなり、平成24年も過ぎ去ろうとしている。
伊豫松山城は、年中無休で開城しているが、毎年12月29日だけ臨時休業して本壇天守を終日臨時休業して年末大掃除を行い、一年の埃と煤払いを行い、床の間に注連飾りとお供え物を献上し神事を行い、新年を迎える準備をしている。
今日の松山は晴天に恵まれ地元高校生や、日頃から松山城を社会奉仕で支援活動をしている各種グループも松山城に集まり清掃を行い新しい年を迎える準備をした。
今年一番といえる快晴に恵まれ恒例の年末大掃除を迎える伊豫松山天守
年中無休の松山城を今日(12月29日)本壇のみ臨時休業して松山城管理職員が一年の埃、煤払いをする作業初めの訓示をする代表者
地元高校生も参加し清掃持ち場に移動
巽櫓下を清掃する城山支援グループ
東雲口登城道を清掃する城山支援グループ
地元高校生が丹念に清掃をする本丸132mにある井戸の建屋
本壇一ノ門で今日は閉門して一般観光客は入城出来ず清掃関係者は脇戸から入り天守に向かう
いよいよ大掃除本番、天守最上階は標高160mある一年の煤払いをした
某新聞社記者も取材いい写真をと一生懸命
此方は某TV局カメラマン四国一の名城伊豫松山城天守の大掃除年末の風物詩と放映する画像腕の見せどころか!!
午前九時から始まった今年の大掃除、天守は外壁の掃除は終了、画像のように新年を迎える松山の顔、化粧直し完了・・
内部の大掃除はこれから
本丸一番大きい門「筒井門」も化粧直しが終り門松も置かれ元旦を迎えるばかり