EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊予松山城 年末大掃除

2012年12月29日 | 伊予松山歴史散策
伊豫松山城は、来年1月15日で411歳を迎える。
徳川家康の許可を得た加藤嘉明は、慶長7年(1602)1月15日に城郭創建に着手、完成までに26年の歳月を要した。この間創建に要する費用捻出に藩の年貢の取立てを高め藩民を苦しめた。また幕末から明治維新に掛けて親藩でありながらある理由で幕府から疎外され、明治新政府からは朝敵とされ住民は苦しんだ。しかしこの苦難を乗り越えて現在の松山があり現在の松山のシンボルである松山城がある。

今の天守は、加藤嘉明が造った天守ではないが、城郭全体は変わっていない。
「降る雪や昔明治は遠くなりにけり」・・中村草田男
昭和の時代も遠くなり、平成24年も過ぎ去ろうとしている。

伊豫松山城は、年中無休で開城しているが、毎年12月29日だけ臨時休業して本壇天守を終日臨時休業して年末大掃除を行い、一年の埃と煤払いを行い、床の間に注連飾りとお供え物を献上し神事を行い、新年を迎える準備をしている。

今日の松山は晴天に恵まれ地元高校生や、日頃から松山城を社会奉仕で支援活動をしている各種グループも松山城に集まり清掃を行い新しい年を迎える準備をした。



今年一番といえる快晴に恵まれ恒例の年末大掃除を迎える伊豫松山天守


年中無休の松山城を今日(12月29日)本壇のみ臨時休業して松山城管理職員が一年の埃、煤払いをする作業初めの訓示をする代表者


地元高校生も参加し清掃持ち場に移動


巽櫓下を清掃する城山支援グループ


東雲口登城道を清掃する城山支援グループ


地元高校生が丹念に清掃をする本丸132mにある井戸の建屋


本壇一ノ門で今日は閉門して一般観光客は入城出来ず清掃関係者は脇戸から入り天守に向かう


いよいよ大掃除本番、天守最上階は標高160mある一年の煤払いをした


某新聞社記者も取材いい写真をと一生懸命


此方は某TV局カメラマン四国一の名城伊豫松山城天守の大掃除年末の風物詩と放映する画像腕の見せどころか!!


午前九時から始まった今年の大掃除、天守は外壁の掃除は終了、画像のように新年を迎える松山の顔、化粧直し完了・・
内部の大掃除はこれから


本丸一番大きい門「筒井門」も化粧直しが終り門松も置かれ元旦を迎えるばかり
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俳優の榎木孝明さん伊豫松山城を描く

2012年12月26日 | 伊予松山歴史散策
俳優で水彩家の榎木孝明さんが伊豫松山城を描き松山三越で絵画展が開催されている。入場料無料で12月25日~1月6日まで開催。

榎木さんは、松山城は素晴らしい、何回描いても飽きない、松山の皆さん素晴らしい景色を見直して下さい。
地元の皆さん方はこの素晴らしい景色の中で生活している事を再認識してほしいと語ったそうです。

榎木孝明さんは、松山城を3点、道後温泉、三津浜地区等を10点、その他猫、エジプトの風景の作品90点が展示してあります。

1月5日午前11時と午後2時から、松山三越でミニトークとサイン会があります。各回先着100名。

榎木さんが描いた伊豫松山城水彩画です。


松山三越7階特設会場入口


榎木孝明絵画展の案内パンフ


榎木さん一番のお気に入りの伊豫松山城


榎木さん一番のお気に入りの伊豫松山城、写真で見るとこんな感じ


榎木さんが描いた伊豫松山城天守


榎木さんが描いた天守・・写真で見ると


榎木さんが三ノ丸から描いた伊豫松山城


榎木さんが描いた三之丸からみた伊豫松山城天守
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伊豫松山城城壁石垣刻印散策

2012年12月24日 | 伊予松山歴史散策
日本城郭の石垣には、その城固有の刻印がきざまれている。
伊豫松山城にある刻印は本丸および二ノ丸に広く分布していて、その数も多く、種類も多種多様である。

刻印の位置は本丸の周辺特に北側に多く、大手方面は少ない。天守のある本壇の石垣には見当たらない。それは、天明の落雷で焼失後、安政再建の際焼石を取り除いて新しく石垣を構築したためだろう。

刻印の種類は、蛇の目、井けた、三つ巴、丸に一つ引き、枡形、一つ巴、三ツ星、丸に二つ引き、魔除けの意味を持つ、五芒星があり、昭和22年石垣修復工事の刻印がある。二ノ丸には、萬字紋がある。

刻印については従来から色々の説があるが、現在の所はでは、石工組頭の屋号の説がつよい。しかしこれを裏付けるものは何も残っておらず未解決である。

では、伊豫松山城石垣の刻印をご覧下さい。また松山城にお越しの際には是非観察して下さい。・・皆さん方のお城の石垣にも多くの刻印があると思います。その経緯を研究されてみては如何でしょうか。


鳥瞰図に赤色矢印で示した石垣に刻印が多い


五芒星
本丸隠門続櫓下にある五芒星(桔梗紋・清明桔梗)で魔除けとして使われ、特に明治33年陸軍服制に大将から兵卒まで陸軍の軍帽子には五芒星が刺繍され、弾除け(多摩除け)の意味をかついで採用されていた。
松山城も敵の攻撃から護る・・魔除けの意味をもって刻印されたのか??ここに一つしかない刻印


蛇の目


一つ巴


田の字


枡形


萬字紋


丸に二つ引


三ツ星


丸に十字


これは何の紋か?


丸に一引


田の字の変形か?


隠門続櫓の石垣が本丸最大の高さがある石垣で、幾多の地震にも耐えて来たが、昭和21年12月21日午前4時19分に発生した南海地震で石垣が孕み昭和22年修復時関係者の氏名が刻印されている・・場所は、ロープウエー山頂駅舎からの登城道から最初に見える石垣の隅「算木積石垣」上部にある・・その左に五芒星の刻印がある

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松山で注連飾り作り

2012年12月16日 | 伊予松山歴史散策
今日の松山は、昨日とはうって変わり快晴となった。昨日の雨天のため大気内の水蒸気が多くすこし靄やっている。

さて、12月も中旬となると各家庭では、新年を迎える諸準備が行われ、その一つに注連飾り(注連縄)作りが行われる。
今日松山市総合コミュニティセンターこども館で注連飾りの講習会が行われた。

注連飾りには、各地方により形が異なる。伊豫松山では松山注連飾りと呼ばれる形が多いが、最近家庭で注連飾り作りは殆ど行われず店頭で販売されているものを使う家庭が増えている。

今日の注連飾り作りは、現在風で、初めて作る参加者は、先ず縄を作る事から始め、稲藁を縒って縄作りする事が出来ない参加者が多く四苦八苦していた。
なお、注連飾りの指導をしたのは、社会奉仕グループの「レク・ワン」のメンバー8名がしていた。

注連縄とは、
神代の時代、天照大神が天の岩戸からお出になった後、岩戸に縄を張り再び中に入れぬようにした。
この縄は「尻久米縄」と云われたと古事記に記され、しめなわの始まりとされている。・・とある。

正月、家々の門、玄関、出入り口、また、車や自転車などに飾る注連飾りも、この注連縄の一形態であり、厄や禍を祓う結界の意味を持ち、大相撲の最高位の特別な力士「横綱」だけが、締めることを許される横綱も注連縄である。


今年3回目となる松山市総合コミュニティセンターこども館主催の注連飾り作りのポスター


今日作り上げる注連飾りの見本・・果たしてこのように巧く出来るかお楽しみ


注連飾り作りは、午前11時に受付午後3時まで行われた・・受付を待つ市民


親子で参加して先ずは、縄作りをするための稲藁をたたいて柔らかく解す


次は、解した稲藁を縄に仕上げる・・この方は縄が出来ず四苦八苦、指導者の手伝いを得て何とか出来た


この方は手さばきが器用で綺麗な縄が出来上がっていた・・縄を作るには、右縒り仕上げと、左縒り仕上げがあるそうで、松山地方は右縒り仕上げだそうだ・・お葬式に使う縄は左縒りの縄を使うとか?・・今日始めて聞いた


参加者は一生懸命に注連飾り作りに励んでいた・・今年は心と気持ちの入ったいい注連飾りが出来たでしょう・・


この子は、お祖母さんと一緒に注連飾り作り、綺麗な縄が出来上がりこれからお孫さんが飾り物を取り付ける・・いい思い出が出来よかったね!!


参加者の皆さん達も見本の注連飾りを見ながら飾り物を取り付けていた


この方は大分出来上がっていた


この人は、ほぼ完成・・私は不器用だから巧く出来なかったと言っておられたが、立派な出来栄え・・ご苦労様
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伊豫松山城に咲いた「四季桜」&昔話

2012年12月15日 | 伊予松山歴史散策
今日の松山は、早朝近年にない濃霧が発生した。気温は最低気温が8,9度と高めであった。
午後松山城本丸に行ってみるとロープウエイ山頂駅舎前にある四季桜が咲いていた。

四季桜は年に2回開花するそうで開花期は、4月上旬と10月下旬頃とあるが未だ咲いていた。エドヒガンとマメザクラの交雑種で狂い咲きではないそうだ。松山城に来られた観光者は珍しそうに写真に収めていた。

松山は午前は8時頃まで小雨が降り、その後止んだが、午後3時頃から雨となった。
本丸の隠門続櫓では、愛媛の昔話語部会「お伽座」の皆さんが、伊予松山の昔話を語っていた。


雨の雫が花びらに付き咲いていた


染井吉野のような華やかさはないがひっそりと






伊豫弁で語る「愛媛の昔話・語部会・お伽座」の開催掲示板


場所は、隠門続櫓で行われる・・毎週土曜日午後3時から開演


こんな幟も立ててPR


午後3時からお話が始まります・・そろそろ始めましょうか


この櫓は、初代藩主・加藤嘉明が慶長年間創建当時の櫓で松山城で三番目に古い建物である。聞く方も、話す方も往時を懐かしみながらいい場所で暫しの時を過ごせる・・普段は中を見ることも入る事も出来ない・・重要文化財指定である


皆さん昔話を真剣に聞き入っていた・・最初の演目は、伊豫松山城の「長者ガ平」であった

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