EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

言葉(ことば)の街・松山市・文化庁長官表彰される

2015年05月24日 | 伊予松山歴史散策
松山市がこの度、文化庁長官表彰(文化芸術創造都市部門)を受彰した。
平成27年5月21日、俳句甲子園や坊ちゃん文学賞など「言葉の力」で街づくりを進める松山市、この取り組みが評価され文化庁長官表彰を受けた。
受賞式は、5月21日、松山市立子規記念館博物館で行われた。
授賞式を前に青柳正規文化庁長官が俳人、正岡子規や高浜虚子の母校、松山東高校を訪れ、俳都・松山大使の夏井いつきさんらと子規の句碑などを見学、そして、松山東高校、俳句部による模擬俳句甲子園が行われ、文化庁長官も審査員として初参加した。
その後、子規記念博物館で表彰授与式が行われ、文化庁長官表彰文化芸術創造都市部門の表彰状と盾が野志松山市長に贈られた。
松山市は「言葉の博物館」の活動など、言葉をテーマとした街づくりが評価され平成26年度、県内では内子町と共に全国で四ヵ所の自治体が受賞となった。(受賞自治体、内子町・松山市・美唄市・松本市)。

松山市では、「街は言葉のミュージアム」と題し、まち全体をキャンパスととらえ、全国から募集した「言葉・ことば」を市内各所で掲示したり、シンポジウムを開催する等、市民参画を基本に様々な事業を展開しています。
掲示している場所
 松山の空の玄関である松山空港には、手荷物受取場と、出発ロビーへの階段に「言葉・ことば」を掲示しています。また、空港を出ると、空港から市内中心部や観光地に向かうリムジンバスの車体に、そして市内中心部に入ると路面電車の側面や松山城のロープウェイリフトのゴンドラや防護ネットに、大街道三丁目商店街にも「ことば」を掲示しています。


路面電車上部側面に掲示。


松山空港、手荷物受取場と、出発ロビーへの階段に表示。




市内路面電車側面に表示。




松山城のロープウェイリフトのゴンドラや防護ネットに掲示。


大街道三丁目商店街(通称・ロープウェイ街)の街灯に掲示。


巨大なモニュメントがお披露目(人と比較してみて下さい・・如何に大きいか!!)
名曲、「この街で」誕生秘話。
平成12年6月、市民による「松山21世紀委員会」が設立。 委員会は、同年10月に、「21世紀に残したいことば」あなたのことばで元気になれる『だから、ことば大募集』をした。 
平成17年3月3日、松山市総合コミュティセンター・キャメリアホールで開催した、日本ペンクラブ「平和の日・松山の集い」で、全国から12,001作品の『ことば』が寄せられ、その中で、「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」が寄せられ、松山市長賞を受賞した。
この言葉に感動したゲストの、新井満さんと三宮麻由子さんは、即興で歌を披露それが、 「この街で」でした。
その場の観衆の中には、その歌詞に歌に感激し、涙する姿もみられました。
『恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!』
この街で:作詞・作曲 新井 満
という作品は、5年の時を経て、『この街で』という歌を生みました。
そして巨大なモニュメントがお披露目されたのは、平成22年9月8日 松山市総合コミュニティセンター・市民プラザのロビーに 巨大なモニュメントが創られた。 作者である新井満さん自筆の原稿用紙が、そのままモニュメントとしてロビーの床に埋め込まれています。


巨大なモニュメントがお披露目されたのは、平成22年9月8日 松山市総合コミュニティセンター・市民プラザのロビーに 巨大なモニュメントが創られた。 作者である新井満さん自筆の原稿用紙が、そのままモニュメントとしてロビーの床に埋め込まれています。昨年、人前(じんぜん)結婚式会場
は、「この街で」のモニュメントの上で行われた。
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砥部町・伊予市バイク散策

2015年05月22日 | 伊予松山歴史散策
平成20年10月に購入したスクーター(ヤマハシグナス125SR)を、5月17日、スズキアドレス125Sに乗り換えた。
ヤマハシグナス125SRは車体が重く、街に乗り入れ取り回しが困難、車体の軽いアドレス125Sにした。車体が軽く取り扱いが楽である。
昨日は(5月21日)、快晴で大気圏の水蒸気も少なく四国山地の山々の新緑が目に生えて絶好のバイク散歩日和、新車の慣らし運転を兼ねて砥部町と伊予市の山岳地帯をバイクで散策して来た。走行距離は70km。
自宅から国道33号線で、砥部町の砥部焼観光センターから国道379号線に入り、砥部焼伝統産業会館前を右に折れ県道53号線に乗り、「皿ヶ嶺連峰県立自然公園・障子山、885m」の登山口前を通り伊予市上唐川地区に出た。
唐川地区はびわの産地で全国屈指の生産量を誇り、この地がびわ栽培発祥の地とされ名産品である。「初夏に賑わう・唐川びわ祭り」は多くの来場者で賑わうそうだ。
地区の方に話を聞くと今年は、生産量が少なく早く来ないと売り切れてしまいますよ・・とアドバイスを受けた。
この会場も確認して来た。今年是非行ってみたい。
昨日は、この地区に強盗が発生し被害があり、愛媛県警の機動捜索隊員が地上で、空からは県警のヘリコプターが捜索活動をしていた。
伊予市大平から県道225号線経由で県道222号線に出た。その間道に迷い大変であった。県道と言っても普通自動車が一台走行できる細い道路である。しかし完全舗装してある。やっとの思いで県道221号線に出る事が出来、砥部町経由、国道33号線で帰宅した。
バイクのエンジンにしては良き慣らし運転が出来た。


県道53号線、砥部町鵜崎地区に、「皿ヶ嶺連峰県立自然公園・障子山、885m」の登山口がありこれを過ぎると峠で伊予市上唐川地区に出る。


伊予市と砥部町の境界。


伊予市上唐川で、既に田植えが終わっていた。
目には青葉 山ほととぎす 初鰹
目にも鮮やかな「青葉」、美しい鳴き声の「ほととぎす」、食べておいしい「初鰹」と、一年の内一番いい季節、この日は、天候もよく山々の青葉が鮮やかであった。


伊予市唐川のバス停で、すぐ横に元小学校の跡がある。
現在は伊予市立わかば保育園となっており、この地で唐川びわ祭りが開催される。


伊予市大平から県道225号線の峠からみた大平地区、奥に見えるのは瀬戸内海「伊予灘」。


此れから県道22号線と221号線を走行したが、画像では幅員もありますが、殆ど幅員の狭い道路で、道路標識も少なく道に迷った。道路は全て舗装されていた。農道か市道か町道か判別しがたい道路でした。
舗装は、ガソリン税のお陰で舗装が出来ているのでしょう。現在1リットル当たり53.8円の税金が課されている。


やっとの思いで県道221号線に出た。


県道221号線沿いに松山ロイヤルゴルフ場があった。
その倶楽部ハウスである。
所在地は、伊予市中山町にあるが、名称は、松山ロイヤルゴルフ場ある。


峠を越えると砥部町に入る。


県道223号線に乗り、国道379号線に出る。


国道379号線、砥部陶街道は、平成21年1月に国土交通省の「日本風景街道」に登録された。


国道379号線沿いに砥部の里めぐり「陶街道53次」第38番と39番がある。


陶街道53次、第38番が旧庄屋坪内邸である。
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第24回・朝霧湖マラソン 和泉先生参加

2015年05月20日 | 伊予松山歴史散策
平成27年5月3日(日)憲法記念日、 愛媛県西予市野村町乙亥の里を会場に、「第24回朝霧湖マラソン大会」が開催された。
この朝霧湖マラソンには、ゲストランナーに 最強の市民ランナー、川内優輝選手(埼玉県庁所属、平成26年仁川アジア競技大会男子マラソン銅メダル)、が参加された。また土佐礼子さん(平成16年のアテネオリンピック5位入賞)、もスペシャルサポーターとして参加された。
朝霧湖マラソンコースは、涼やかな木陰の林道や150匹の鯉のぼりが乱舞する朝霧湖畔など絶景ポイントがあり、適度なアップダウンが好評の面白いコースとなっており、高低差はなんと184メートル。基本的に前半は上り基調・後半は下り基調のようですが、アップダウンが激しく続き、かなりタフなコースとなっているそうです。
私が昨年12月から整形治療を受けている松山市樽味町の山田整形外科病院で理学療法士として活躍しておられる「和泉先生」が居られます。
お若い先生ですが、優秀な治療技術の持ち主で、私も治療をして頂いております。
和泉先生の趣味の一つがマラソンだそうで、今年は、第53回愛媛マラソンにも参加され、ご自分が設定された時間よりもいいタイムで完走されました。
第24回朝霧湖マラソン大会にも参加され設定された時間よりも練習不足で、思わしくなかったそうですが完走されたそうです。
川内優輝選手と握手をして頂き頑張って下さいと励まされ勇気を貰い嬉しかったと言われておりました。

画像は、完走賞です。昨日(5月19日)病院で撮らせて頂きました。


和泉先生の完走証で、証の用紙は、町特産の手すき和紙「泉貨紙」で造られています。参加者には、地元名産のしぼりたて牛乳が賞味できたそうで、とても美味しかったそうです。



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蜷川実花アート2015「ラッピング電車」

2015年05月18日 | 伊予松山歴史散策
「蜷川実花と道後温泉・アート2015」が5月1日開幕した。
テーマは「最古にして、最先端」日本最古の温泉地で、色鮮やかな世界観で知られる、写真家で映画監督の蜷川実花氏をメーンアーチストに迎え、道後温泉玄関には色鮮やかな暖簾、道後商店街入り口には88個の蜷川実花制作の提灯が飾られ日没には灯りが灯され歴史風情漂う作品が展開している。
5月1日から蜷川さんの写真でラッピングを施した路面電車 が走り広告塔として期間を通じて市内中心部を走行してます。
今後の予定として
7月には第2弾として、道後温泉に合わせた浴衣や夜、映像を投影するなど、観光地ならではの作品を制作し展開します。
10月には第3弾として道後温泉本館をライトアップして彩る作品を展開する予定です。
蜷川実花さん紹介
昭和47年10月18日生、東京都東久留米市出身。
女性写真家・映画監督、木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。
映像作品も多く手がける。
平成19年、初監督映画『さくらん』公開。
平成20年に個展「蜷川実花展」が全国の美術館を巡回し、のべ18万人を動員。
平成22年、Rizzoli N.Y.から写真集「MIKA NINAGAWA」を出版、世界各国で話題となる。
平成24年、監督映画『ヘルタースケルター』公開、22億円の興行収入を記録。
平成32年(2020)開催東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事就任。


道後温泉駅に入構する「蜷川さんの写真でラッピングを施した路面電車」。


道後温泉駅に入構するラッピングを施した路面電車。


ラッピング電車は、色とりどりのスプレー菊の写真で包み施した路面電車、乗客を乗せて間もなく発車。


松山市駅に向けて発車。
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道後温泉・蜷川実花アート2015

2015年05月06日 | 伊予松山歴史散策
昨年道後温泉本館改築120周年を迎え「道後オンセ―ナート」と題して多彩な行事を開催し、それに伴って四国88ヶ所開所1200年と重なり多くの方が観光にお越しになった。
今年は、「蜷川実花と道後温泉・アート2015」が5月1日開幕した。
テーマは「最古にして、最先端」日本最古の温泉地で、色鮮やかな世界観で知られる、写真家で映画監督の蜷川実花氏をメーンアーチストに迎え、道後温泉玄関には色鮮やかな暖簾、道後商店街入り口には88個の蜷川実花制作の提灯が飾られ日没には灯りが灯され歴史風情漂う作品が展開している。
その他、道後温泉本会内と、数ヵ所のホテルで作品展示が行われている。
画像は、昨日5月5日午後撮影しました。


道後温泉扁額の下に、蜷川実花が企画立案した「暖簾・道後温泉」が掲示された。
扁額「道後温泉」は昭和25年6月5日、獅子文六が書いた小説「てんやわんや」の映画化が決まり、道後温泉ロケの際に、道後温泉の証しとなるものが何処にもなく、急遽、映画会社側から、古色蒼然たる扁額を掲げると言う案が提案され、揮毫は、松山市出身の村田英鳳画伯によって制作された。現在の扁額は、傷みが生じ、昭和61年に村田画伯により額が制作された。
映画の主演は、佐野周二さんと、淡島千景さんでした。


道後温泉本館建物は、平成6年、国指定の重要文化財に(全国で初めて)、平成8年には、振鷺閣の時太鼓が環境庁の残したい「日本の音風景100選」に指定された。朝6時に6回、昼12時に12回、夕方6時に6回、職員が時太鼓を打つ。
昨日は、GW真っ最中、重要文化財指定の道後温泉に入浴入場を待つ観光客。時間が掛かっても記念に入浴したいです・・と言っていました。


道後温泉街入口に、蜷川実花が企画立案した「提灯・88個」が展示してあった。


道後温泉街入口から見た「道後温泉駅舎」・・多くの観光客で混雑していた。
明治28年、松山中学英語教師として赴任した夏目漱石は、毎日坊っちゃん列車に乗りこの商店街を歩いて道後温泉入浴に通った。


道後温泉駅舎前にある、からくり時計、30分に一回稼働する。


「蜷川実花と道後温泉・アート2015」のポスター。


「蜷川実花と道後温泉・アート2015」の会場と、会期案内。


「蜷川実花と道後温泉・アート2015」の会場案内。
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